東チベットの青いケシ 2日目 2019年7月19日(金) 成都 → 林芝 ホテルのフロントに夜中の2:50集合だというので、私は2:00に起きて準備を始めました。成都発5:50の飛行機に乗るためです。今日は、いよいよ成都から目的地の林芝に行き、東チベットの花、特に青いケシを探します。 窓から見ると、灯りも減り、さすがに車の台数は少ない(写真下左)。早朝というよりも深夜のホテルのロビーはガランとしています(写真下右)。 三時少し前、小雨の中を車に乗り、空港に向かいます(写真下左)。夜中だというのに、道端で食事をする人たちがいるのはさすがに大都会です(写真下右)。 40分ほど走り、成都双流国際空港に到着(03:31)。 チェックインの機械で手続きをしようとするが、拒絶されます(写真下左)。私たちは今からチベット圏に行きますから、特別な許可証が必要で、拒絶されたのはそのあたりが理由でしょう(写真下右)。 結局、機械ではどうにもならず、係員が出勤するのを待つしかありません。エアコンが効いていないのか、蒸し暑い。写真下のパンダのゲートは4時すぎにようやく開けられました。現地ガイドの中国人でさえも受付がどれなのかわからず、あちらこちらとタライ回しになった後、ようやく受け付けてもらえました。 受付は若いきれいなお姉さんで、後ろに指導員らしい人が付いていて、緊張しているようです。これならきちんと仕事をするだろうと期待していたら、こちらが飛行機の窓側や通路側などを要求したにもかかわらず、乗ってみると、ほとんど無視したことがわかりました。私が希望の窓側になったのは偶然らしい。 私たちの飛行機の便名はTV9847で、前もって聞いていた中国国際航空のCA3951と違う。航空券にも書いてありますから、たぶん提携していて両者は同じ便なのでしょう(写真下)。成都を5:50に離陸して、二時間の飛行の後、林芝に7:50に到着する予定です。 バスで飛行機まで移動してみると、機体に西蔵航空とあります。西蔵航空(Tibet Airlines)に乗るのは初めてなので、意味もなくうれしい(笑)。 チベット航空は2011年に就航したばかりの新しい航空会社で、保有機の34機はエアバスのみで、ボーイングはありません。アメリカが嫌いらしい。設立された年から見て、これは冗談ではなく、本音でしょう。私たちの乗る飛行機もエアバスA319です。 http://www.tibetairlines.com.cn/ 片側が三座席で、幸い、真ん中は誰も来なかったので、とても楽でした。客室乗務員が、私の足下にあるリュックを真ん中の座席に乗せて、シートベルトを締めろという!私のリュックは料金も払っていないのに、隣の座席に大きな顔をして座っています(写真下左)。 空港は早朝なのに混んでいる、いや、早朝だから混んでいるらしく、離陸するまで時間がかかりました。ただ予定よりもそれほど遅れることなく、成都を離陸しました(6:12)。 晴れることのない成都を出て、雲の上に出ると、朝日が雲海を照らします(写真下)。 朝食が出ました(6:46)。熱々のおかゆがうまい(写真下左)。箱に入った食べ物の内、奥に二つ立てかけてあるパッケージは明らかに辛い調味料なので、私は開けもしませんでした。 陽が昇ると雲の上には青空が広がります(写真下)。 その雲の隙間から見えてきたのが雪山です(写真下)。雲がなければ、このあたりは雪山が広がっているのでしょう。ちょっと残念だが、この時期に晴れを期待するのは無理です。 林芝が近づき高度を下げ始めると少しだけ雪山が見えました(写真下)。 かなり狭い谷の一つに下りて行くから、この谷に飛行場があるらしい。眼下にヤルンツァンポ川(雅魯蔵布江)が見えます(写真下)。 予定どおりの時刻に山に囲まれた林芝のニンティ・メンリン空港(林芝米林空港、林芝米林机场)に到着(7:48)。 この空港ができたのは2006年です。周囲を四千メートル級の山に取り囲まれ、山と山の一番狭い所はわずか4kmです。天候が変わりやすい上に、午後には強風が吹くので、離発着は午前中に限られ、離発着できるのは年間わずか100日です。 幸い、私たちは何の問題もなく着陸できました。 植物ガイドの潘さんとドライバーが出迎えてくれて、チベットの習慣に従い、歓迎の白い布・カタを首に巻いてくれます(写真下)。彼らは居住地の拉薩が来ました。 写真下が私たちの車で、運転手を含めて七人ですから、余裕です。潘さんに換金してもらい、190元=3000円ですから、1元=15.9円で、安い!この時期のネットでの相場15.6円ですから、潘さんの儲けはありません。 林芝はインドのそば 空港からは林芝(ニンティ)まで55kmほどあります。空港の南にある米林(メンリン)も観光開発が行われているが、外国人は立入禁止です。理由はGoogleの地図で見ると明らかで、空港から南にわずか30kmほどがインドとの国境(点線)になっているからです。最近はインドと中国の国境問題は悪化するばかりで、2017年にはカシミール地方で両軍の小競り合いがあり、投石で兵士に怪我人が出ています。 インドと中国の国境問題を示す典型が下の二枚の地図です。ほぼ同じ地域を表しています。ところが、中国とインドの国境線が違います。上のgoogleの地図では林芝の近くにインドとの国境(点線)があるのに、下の「百度(Baidu)」の地図では国境(実線)は数百キロも南になっています。 両者が領有を主張しているのが、現在はインドが実効支配しているアルナーチャル・プラデーシュ州です。中国はここを自国の領土であると主張しているのです。丁寧に見ると、中国とブータンとの国境も二つの地図では微妙に違っています。 ↑ Googleの地図 ↑ 百度の地図 林芝はインド国境のすぐそばにあるという点で、チベット自治区の中心である拉薩(ラサ)よりもはるかに緊張感のある地方です。 政治的な緊張はともあれ、周囲は、荒涼とした風景の多いチベットのイメージと違い、緑と水の豊かな風景が広がっていて、ここが3000mの高地とは思えないほどです。 街に近づくにつれて、立派な道路の脇には赤い中国の国旗が並び、看板にはスローガンや呼びかけが書いてあります。六月に行った雲南省の麗江や香格里拉(シャングリラ)でも同様の看板がありました。しかし、成都ではあまりみかけません。つまり、チベット族など少数民族の住んでいる地域で見られる風景のようです。 林芝の街に入ってきました(写真下)。一部にチベット風の建物もあるだけで(写真下の上段)、良く言えば近代的な、普通に言うなら、無機的な建物の並ぶ地方都市です。 道路標識に「八一 林芝」とあります(写真下左)。中国の市と県は日本と逆で、市の中に県があります。林芝市はチベット自治区の東端にある広い地域を指し(下右図の黄色)、私たちが今いる地域は巴宜区と呼ばれ、元々は八一(パーイー)と呼ばれた地域です。八一(パーイー)をそのまま巴宜(パーイー)という漢字を当てはめたのではないかと思うのですが、はっきりしません。巴宜に統一したのかと思えば、写真下左の道路標識は八一の表示があります。八一、林芝、巴宜を混ぜて使っているようなので、この旅行記でも厳密な使い方はしていません。これも推測ですが、八一という奇妙な名前は、ここに最初にやって来た人民解放軍に関係した番号でしょう。 上右地図 wikipediaから転載 林芝に到着 宿泊予定の林芝印象酒店に到着しました(9:10)。涼しいから、玄関先にはすでにコスモスが咲いています。 普通、ホテルは午前中にチェックインはさせてくれないのに、ここは飛行機が午前中しか飛ばないから、受け付けてくれるようです。 ちょっと意外だったのが、ロビーにチベット仏教の神仏が祭られていないことです。チベット系のホテルなどでは、必ずと言っていいほどにチベット系の神仏が祭られているのに、ありません。売店の酒棚の間に祭られた本物のお札を抱えた神様は、たぶん道教系の神様です(写真下)。ホテルの経営者は漢族か、この地方の少数民族のロッパ(ローパ)族かもしれません。ロッパ族はチベット仏教と違い、家の中に神仏を祀りません。 花の観察は昼食の後の予定で、今日は朝も早かったし、ここは標高が3000mほどありますから、身体を高度に順応させるためにも、午前中は休息することになりました。私もおとなしくホテルに・・・いるわけがない(笑)。自分の身体では3000mは高山病が出てくる境目くらいですから、ゆっくりと身体を動かして、高山に適用させたほうが良い。先ほど渡された朝食のサンドイッチを少し食べて、散歩に出かけましょう(写真下)。 ニャン河を散歩 ホテルは林芝の西を流れるニャン河(Niyang、尼洋川)のほとりにありますから、散歩にはちょうど良い場所です。 川はかなりの水量が流れています。この川は空港に着陸する時に見たヤルンツァンポ川の支流です。支流が「河」で本流が「川」なのは奇妙だが、中国語表記や日本の慣例に従います。道路に沿った堤防は歩道として整備されていて、散歩する人たちの姿もあります(写真下)。 河原は大きな岩がないから、整地されたのでしょう。ただ、土が少ない。堤防からの降り口もなく、河原に入ることができない。一カ所だけ細い階段があり、そこを降りて河原にでると・・・いかん、ここは野外トイレだ(笑)。 写真下は私の畑にも生えてくるモウズイカです。もっとも、モウズイカはこちらが原産です。 写真上 Verbascum
thapsus 堤防のコンクリートの隙間にきれいなキキョウが咲いています(写真下)。地面がいくらでもあるのだから、何もそんな大変な所に根を下ろさなくてもよさそうだが、株が大きくなっているところを見ると、根が踏まれず、雨が降れば確実に水が入ってくるから、この植物にとっては良い環境なのかもしれない。 写真上 Canpanulaceae
cana チベットではどこでも見られるアマビレです(写真下)。紫がちょっと混ざったような青色の花が群生しているのはきれいです。これを見ると、私はチベットに来たという気分になれる。 写真上 Cynoglossum
amabile 背の高い植物が何種類かあり、黄色の花を咲かせて目立つのが写真下です。花そのものは小さくて冴えない。 こちらも人の背丈くらいある植物で、白い花を咲かせていて、マメの仲間のように見えます(写真下)。 チベット圏はマメの仲間が多く、背の低い種類も生えています。 ここのイヌタデ(写真下左)は日本のそれとあまり変わりませんが、チベットの山ではもっと鮮やかな色の仲間を見かけます。写真下右は小さくてかわいいフウロソウで・・・まさか外来種のエロデウム(Erodium botrys)? 写真下のチョウセンアサガオはどう見ても外来種でしょう。 写真下左のポテンティラの仲間もチベット圏では良くみられ、判別が難しい。 高山で見かける写真下のレウムが河原に咲いているのは驚きですが、ここは標高3000mですから、ありえない話ではありません(写真下)。 写真上 Rheum
delavayi タテハチョウの仲間のコヒオドシがいます(写真下)。日本では高山に生息し、秋になると山を下りて越冬します。 写真上 Aglais
urticae 川の中州に何かピンク色の花がたくさん咲いているのはヤナギランだろうか?あちこちに咲いているが、いずれも近づけないような川岸に咲いています(写真下)。カメラで拡大してもなんだかわからない。川の本流はかなり急流で、いくら夏でもチベットの冷たい川で泳ぎたくないから、川を渡るのは無理。 一株を岸辺から突き出た堤防の途中に見つけて、大きな岩の上を飛び跳ねて堤防に乗り移り、撮影しました。ヤナギランではありません。そばで見てもきれいなピンク色です。 昼食と花の観察 市内のレストラン・映象川菜で昼食です(12:32)。店の名前にもチベット語はありません。 蝶々が二匹とまっている(写真下)。チベットの蝶々は辛いのが好きなのだろうか。 腹ごしらえを終えて、花の観察をするために林芝の東側にある標高4500mほどのセチラ峠に行きます。林芝が3000mほどですから、1500m登ることになります。 郊外には農地が広がっていて、寒い地域らしくビニールハウスがたくさん見えます。写真下左では水をはった耕地が見えるが、まさか田んぼ?ニャン河があるし、周囲の山からの水も豊富だろうから、ありえない話ではないが、七月から田植えではさすがに間に合わないだろうから、別な作物でしょう。 山に入って最初の花の観察です。薄紫色のきれないカラマツソウの仲間が咲いています。園芸品種にもなっています。 写真上 Thalictrum diffusiflorum シソの仲間でチベットなどに広く分布します(写真下)。 写真上 Nepeta souliei 写真下左は日本のヤマハハコで、日本からヒマラヤだけでなく、カムチャツカから北米にまで分布します。写真下中のセネシオの仲間は、こことは地続きのインドのアルナーチャル・プラデーシュ州の高地でも見かけました。 写真上左 Anaphalis margaritacea 写真上中 Senecio raphanifolius ピンクのバラで、花は咲き終わりかけています(写真下)。チベットでは良く見かけるバラで、日本の高山に生えるタカネバラに相当します。 写真上 Rosa macrophylla var. glandulifera 道端に蝶々がとまっています。写真下左は午前中に散歩したニャン河で見たのと同じコヒオドシで、写真下右はミスジ(Neptis)の仲間のように見えます。 写真上左 Aglais
urticae 最初の青いケシ この旅行では4種類の青いケシを見る予定で、最初の青いケシです。 写真上下 Meconopsis
baileyi (Meconopsis betonicifolia) このケシは以前はMeconopsis
betonicifoliaとも呼ばれることが多かったのたですが、最近は名前を学名に付けるという方針から、この青いケシを1912年頃に「発見」して、ヨーロッパに紹介したF. M. Baileyにちなんで
Meconopsis baileyiと呼ばれています。 私はこういう命名には反対です。最初からbaileyiという名前で呼ばれることもあったのならともかく、わざわざつけ直すことには賛成できません。なぜなら、このケシは雲南省北部からこのあたりまで広く分布しますから、地元のチベット人たちが知らなかったケシではありません。それをヨーロッパ人が「発見」したなどというのは、コロンブスのアメリカ大陸「発見」と同じ発想で、あつかましく、無神経です。パンダの学名に、欧米に最初に紹介した人の名前は付けないでしょう。 ここまでの花を見てもわかるように、一見、青のように見えても、良く見ると、花弁全体にピンクが入っています。 写真下のように、付け根の部分がピンク色になっていて、まるでピンクの色素が花弁ににじみ出ているような感じです。 写真下など離れて見ると薄紫に近い。 さらに写真下のように、紫が強くでた花もあるが、ここまで明瞭に紫色の花は例外です。 このケシはかなり背が高く、1メートル前後は珍しくありません。こういう森の中で虫を集めるために背を高くして目立つようにしているのでしょう。 葉も園芸種のケシのイメージとはだいぶん違います。葉だけ見せられたら、ケシとは思わないでしょう。 生えている場所は周囲を見てもわかるように、樹木が生えて見通しがきかず、かなりの急斜面です。よくこんな所にあるケシに気が付いたと感心していたら、きっかけはトイレ休憩でした。 ネイチャリング事業部の設立者である冨山さんがこのあたりでのトイレ休憩で、青いケシの群落があるのを見つけたという。 トイレ休憩で花を見つけるのは、私も良く体験します。人のあまりいない所に行って、立ち止まって、ゆっくりと周囲を見るから、「えっ?なんだ、これ」と目が行きやすい。トイレは後回しにして、花の撮影になることもあります。きれいな青いケシを前にしてトイレの話もなんですが、現実はそんなものです。 多くは一番咲ですが、中に二番咲も混ざっています。写真下のように、花よりも上に種が出来ているのは二番咲です。種とツボミは姿が似ているが、空を向いているのが種、下に垂れているのがツボミです。 一番咲でも、そろそろ花が終わりかけているのもあります。若いうちはシベが黄色なのに(写真上)、時間がたつにつれて色がくすみ始めます(写真下)。 シベが黒くなると、それまで下を向いていた花全体が空を向き始めます(写真下)。受粉をしてくれる虫のためには雨除けに下を向いて、できるだけ遠くに種を飛ばすために上を向いているのでしょう。実ができ始めても花弁がきれいなまま残っているのは、二番咲の花に虫を集める手伝いです。 谷底の花 青いケシの生えている斜面を降りて行くと、谷の底になっていて、そこにも様々な花が咲いています。 雲南でも見かけたメガコドンという怪獣のような名前のリンドウの仲間です。名前どおりに大柄で立派で、最初はユリかと見間違えます。 写真上 Megacodon stylophorus 写真下は花の付き方はナルコユリみたいだが、葉の付き方も形も違います。目立たないから気が付かなったせいか、数は少ない。 写真下はチベット圏では良くみられる花たちです。 写真上 Anemone rivularis 写真上左 Pedicularis roylei 写真上右 Cardamine macrophylla subsp. polyphylla 写真下のキンバイソウは学名にシッキムの名前が入っているように、インド北部のシッキムからブータン、アルナーチャル・プラデーシュ州、そして雲南北部などに分布します。 写真上 Trollius sikkimensis 写真下はチベット、ヒマラヤでは良くみられるフウロソウで、ここのは特にピンク色がきれいです。 写真上 Geranium donianum 写真下は同じゼラニウムでも、花の形がおもしろい。写真下右は上から見たもので、花を裏側から見ています。写真下左のように、横から見ると口をとがらせたような独特の姿をしています。ここのは白ですが、四川や雲南ではピンクがかっているそうです。 写真上 Geranium refractum 谷の一部が開けて、ほとんど白に近いクリーム色のサクラソウの大群落があります(写真下)。中国名は「杂色钟报春」で、「报春」がプリムラという意味のようです。 写真上下 Primula alpicola サクラソウの群落の中に紫のアヤメが少し咲いて、アクセントになっています。 写真上下 Iris chrysographes セチラ峠とナムチャバルワ セチラ(色季拉)峠の駐車場に到着しました(16:17、写真下)。セチラの「ラ」は峠という意味らしいから、本当はセチ峠かもしれませんが、慣例に従います。ここは標高4540mで、富士山よりもはるかに高いのに周囲は緑に覆われています。駐車場には土産物屋やトイレなどあります。 雲っているので眺望が良くない。この駐車場の売り物は、写真下の風景ではなく、ナムチャバルワ峰(南迦巴瓦、Namcha Barwa、7782m)という雪山です。天気が良ければ、東に見えるはずなのに、ネット上での旅行記を探しても、見えたという目撃談はほとんどありません。 私が今日の飛行機の座席を窓側に取りたかったのも、見えるかもしないと期待したからで、かろうじて撮れたのが写真下です。問題は真ん中から右に見える一番高い山がナムチャバルワかどうかです。 下の上段の写真はグーグルの衛星写真で、おそらく私が見たのと同じ方向から見たナムチャバルワです。衛星写真は数万キロの上空から見ているのに対して、私の写真の視線は7782mのナムチャバルワよりも低いから、5000~6000mくらいでしょう。つまり、朝方はナムチャバルワが姿を現しており、もし空港に着いて、その足でセチラ峠まで来ていれば、見られたかもしれない。ただし、標高3000mの空港に到着して、すぐに4500mの峠に自動車で行ったら、全員が高山病になっていたでしょう。 ↑ グーグルの衛星写真 ↑ 私が飛行機から撮った写真 ホテルを出発した頃は青空も見えていたのに、この駐車場に着いた頃から雨が降り出しました。この時期のチベットはこれが当たり前なので雨具と防水カメラは準備して来ました。しかし、幸い、防水カメラを用いたのは今回の旅行ではこの時だけで、後は雨がぱらついても大したことがなく、天候にはかなり恵まれました。 峠から下りて林芝に戻っても、低く雲が立ち込め、あたりは薄暗い(17:15、写真下)。ここは北京から2000kmも離れているのに北京時間で、実際の日没は夜九時近くですから、午後五時はまだ陽が高いはずです。 エアコンが効かない 七時から街中の食堂で夕飯です。 ここでおもしろい光景を見ました。写真下左はプラスチックで包装された食器で、消毒済みを意味します。中国では肝炎などの感染症も珍しくないので、2008年の北京オリンピックを機会に、衛生のためにこれが一般的になりました。ところが、店の人がお湯を持ってきて、客の目の前で容器をくぐらせたのです(写真下右)。これは確実に殺菌しているというパフォーマンスなのか、それとも包装された容器の衛生さえも信じていないのか、どちらもありえます。前に一緒に旅行した方から、包装された食器を信用しないようにと言われたことがあります。 まだ明るい八時すぎにホテルに戻りました。 写真下が私の部屋です。写真で見るとあまり良くわからないが、全体に古っぽい。また、清掃担当者は、私と同じで四角い部屋を丸く掃除するらしく、椅子を動かすと絨毯にたくさんのホコリが溜まっています。 入口の上に送風口が付いている他に、後付けのエアコンが窓の近くに付いています(写真上右)。しかし、前者は温度調節のコントローラがないからエアコンなのかもわからないし、後者は温度設定が役立たず、22℃以上には上がりません。他のお客さんの部屋では逆に温度が上がりすぎて、窓を開けたという話もありました。 この部屋に三泊する予定だったのに、私は翌日、部屋を変えてもらいました。理由は、エアコンではなく、外からの騒音です。夜中に大音量の音楽で目を覚ましました。ホテルの北側にある雑居ビルからの音らしく(写真下)、疲れているのに私はなかなか寝付けませんでした。翌日、植物ガイドの潘さんに事情を話し、部屋を変えてほしいとお願いすると、彼は対応が早く、すぐに南側の部屋を用意してくれました。 ところが、南側の部屋は後付けのエアコンがありません。つまり、温度調節の効かないエアコンのある部屋か、エアコンそのものがない部屋か、どちらかです。エアコンがなくても部屋の温度は20℃くらいありますから、騒音問題を重視して、部屋を変えました。 このホテルに対する個人評価は、かなりおまけして五段階の3.0のやや不満足で、一番の理由はもちろん暖房です。今は雨期で、雨に降られて、ずぶ濡れになって帰って来た時、衣類などを乾かすのにエアコンの有る無しは非常に重要です。 |