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アムネマチンと黄河源流の花

6日目 201377()

瑪多 ←→ 黄河源流

 

 七時起床。天気はどうかと窓の外を見ようにも、部屋には窓がないので、外に出ました。曇りです。部屋の温度が22.4℃ですから、予想よりも高い。瑪多は四千メートルの高地で、関東地方の真冬並の寒さを予想して、セーターも準備して来ました。ネット上の旅行記を読むと、八月には雪が降ったという記述がありました。

 

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 本日は、瑪多から黄河源流の二つの湖の間にある牛頭碑という展望台まで往復します。

 

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 八時から食事です。ここでは八時は朝早いこともあり、店はほとんど開いていません。やっとシャッターを途中まで上げた店を見つけました(写真下左)

 最初に出てきたのは、パンケーキのようなもので、実際甘くないパンケーキです。これをタレに浸して食べるらしい。でないと、味がないので、これだけでは食べにくい。

 

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 私の分は写真下左で、てっきり麺が中に入っているかと思ったが、何もありません。要するにスープであり、これにパンケーキを浸して食べるらしい。内容はわかったが、両方とも私の食欲をなくしてくれました()。どうも、今回の旅行は食べられる物が少ない。

 

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小雨のチベット高原

 九時の集合時間に周さんと張さんが遅れて、9:20にようやく出発。目的地はここから約60kmで、何もなければ二時間ちょっとの距離です(写真下)。もちろん、中国では「何もなければ」がしばしば成り立たず、今回も車の調子がとにかく悪い。

時々、小雨が降っているあいにくの天気です。

 

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 四千メートルを越えるチベット高原は緑はあるものの、曇っていることあり、寒々した風景です。天気が良ければ、野生のロバ(キャン)やカモシカなどが見られますが、この天気では無理です。

 遠くの山はチベットのイメージの険しい山ではなく、なだらかな山です。周囲は真っ平らな平原で、おそらく黄河が長い時間をかけて作り上げたのでしょう。

 

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 道の両側に時々、写真下のような自然環境保護の看板が立っています。字面から連想するなら、自然を保護するなら、大きな利益が得られる、というような意味でしょうか。

 

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 やがて進行方向左側に黄河らしい河が見えてきました。もっとも、瑪多の近くを黄河が流れていますから、単に上流に向かって走って来ただけです。

 

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 黄河が見えた頃に舗装道路は終わりです。道は一見平らに見えますが、実は、写真下左のように、キャタピラで跡をつけたような細かい横筋が入っていて、速度を上げると猛烈な振動が伝わってきます。

 

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 黄河が広くなり湖に到着・・・と思ったら、ダムでした(写真下左, 10:02)。昔、ダムを計画して作ったが、下流の黄河が干上がったので中止したそうです。黄河は水が不足していて問題になっているが、最上流でもこの有様です。

 

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鄂陵湖の黄色いコリダリス

 黄河がいつの間にか広い湖に変わっていました。鄂陵湖です(写真下,公称海抜4294m)。鄂陵湖は日本ではオーリン湖またはオリン湖と呼ぶのが一般的です。しかし、英語の表記を見ると、Ngoring Lakeとあり、オーリンではありません。ノオーリン湖とでも言うのでしょうか。

 

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 黄色いコリダリスを見つけて車を停めました(10:4310:54)

 

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写真上 Corydalis govaniana

(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.568)

 

 写真下はこれまでも時々見かけた白いシオガマギクで、斜面にたくさん生えています。

 

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写真上下 Pedicularis plicata Maxim. subsp. plicata

(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.163)

 

このシオガマギクはこれまでは一本だけポツンと生えていることが多かったので、孤独を好むのかと思っていたら、どうも違うようです。

 

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写真上下 Astragalus strictus

(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.410)

 

 ミヤコグサのようなきれいな黄色の花です。

 

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 写真下のウスユキソウは二枚一組で三種類のように見えます。名前はまったくわからず。

 

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 花の写真を撮るために歩き回ると、低木にこすれるのか、良い香りが漂ってきます。写真下などがそうで、花が咲いていません。

 

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 湖は広いこともあり、ほとんど観光客らしい姿を見かけません。この日訪れた所の良い点は、ほとんど観光施設らしいものがなく、観光客もきわめて少ないことです。道路も悪いから観光客も来にくいのでしょう。しかし、それがこちらにとっては有り難い。

 

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車の具合が悪く、また停車です(11:05)。もっとも、まともな車でもおかしくなりそうな悪路です。

 

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 周さんが修理している間、草原の花の写真を撮ります。しかし、牧草地になっているせいか、あまり花がない。

 

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写真上 Aster souliei

(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.88)

 

 天気が悪いので風景はどんよりしています。でも、人が少ないこともあり、幻想的です。

 

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 湖のそばに遊牧民のテントがあります。訪問するつもりで歩いていく途中で、修理が終わったという呼び声が聞こえました(11:32)。何もないから近いようで、歩くと案外距離があります。

 

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 この時期だから、たくさん放牧されているかと思ったが、人間と同様に、それほど家畜もいません。

 

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 湖が大きく、道が湖に沿って走るので、湖全体はわりと撮りにくい。

 

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黄河源流ではない源流記念碑

 もう一つの湖である札陵湖には行かず、牛頭碑という湖が良く見えるという展望台に向かいます。日本では札陵湖をザーリン湖、あるいはザリン湖と表記しますが、英語名はGyaring Lakeで、写真下の看板を見ても、ギャリン湖のほうが正しいように見えます。

 

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 標高差三百メートルほどの山道を車で登ります。山頂部には牛頭碑の由来であるモニュメントが飾ってあり、観光客が記念撮影しています(4610m12:31)

 

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この牛の角の他に「黄河源流記念碑」という石版があるはずなのだが、牛の頭のほうがすっかり有名になってしまい、どこにあるのか良くわかりません。

源流記念碑と言っても、ここが黄河の源流なはずはなく、あくまでも観光客の記念撮影用の場所です。実際の源流はさらに百キロほど西にあると言われ、今でもそこまで行くのは容易ではありません。

 

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1985年、NHKと日本ヒマラヤ協会との調査隊が、それぞれに中国と合同調査を行い、本物の黄河源流を確認しています(『黄河源流を探る』読売新聞社、『遥かなる河源に立つ』日本放送出版協会)。ただし、その後調査した中国の探検隊も別な源流を探しだし、現在は2カ所あると言われています。

 

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メコノプシス・ホリドラ

この山で初めて見た青いケシがメコノプシス・ホリドラ(Meconopsis horridula)です。私が今回の青海省の旅行を望んだ一番の理由がこの青いケシを見たかったからです。

 

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写真上下 Meconopsis horridula

(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.127)

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 これまでの青いケシはメコノプシス・ラケモサなどで、種類が違います。ラケモサが茎から複数の花が咲いているのに対して、ホリドラは茎一本に一つの花が咲きます。また、同じ青でもより透明感があるように見えます。

 

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 花の上にシジミチョウがしがみついています(写真下)。花が咲いているのだから、虫がいても不思議はないのだが、冷たい強風の中を蝶々がいることに驚かされます。

 

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 群青に近い色もあります。

 

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 主流は青だが、かすかに紫やピンクが混ざった物もあります。注意して見ると数の上ではこれが多く、純粋な青や群青などのほうが少ない。

 

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さらには白やピンクもあるというから、その多様性には驚きです。それにしても、白い青いケシは青いケシなんでしょうか。

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 写真下の紫はさすがに1株しかありませんでした。

 

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 青いケシにばかり目が奪われますが、周囲には他にもたくさんの高山植物が生えています。写真下はきれいな薄紫のマメ科の植物です。ここを訪問した日本人の旅行客の旅行記にたいていこの花が載っています。これだけ特徴ある色なのに、図鑑からはわかりません。

 

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写真上 Pedicularis oederi

(Guide to the Flowers of Western China, p.453)

 

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写真上 Pedicularis cheiranthifolia

(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.125)

 

 ここのウスユキソウも名前がわからない。

 

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写真上左 Saxifraga aurantiaca  (世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.94)

写真上右 Pachypleurum xizangense (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.344)

 

 かなり大柄なサクラソウです。花の色がいまいち冴えない。昨年の枯れた茎がそのまま付いています。

 

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写真上 Androsace delavayi

(Guide to the Flowers of Western China, p.261)

 

 

措哇多卡寺

牛頭碑のある山を下りて、麓の湖の前にある措哇多卡寺で車を停めて昼食です(13:55, 4105m)。と言っても、私はすぐに車を降りて、花の写真を撮ります。

 

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 この寺院は『大黄河 1(日本放送出版協会、1986)では「ガツェ・ゴンパ」と呼ばれています。日本人の旅行記では「ツォワ・カルツェドカ寺」という名称で呼ばれています。漢字表記で措哇多卡寺で、前半の措哇とは、我々が先ほど登った牛頭碑のある山のことのようです。中国語のホームページでは多卡寺と表記されている例があるのを見ると、「措哇山にある多卡寺」くらいの意味なのでしょう。

 

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1956年にラサに行こうとした僧侶が亡くなって、その遺骨を祭ったのが最初で、本格的な寺院は1984年以降らしいから、比較的新しいお寺です。

 

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  寺のそばには擦澤()があるというか、村のそばに寺があるというべきなのでしょう。村が小さいわりには僧侶たちがいるのは、チベットではそれほど珍しいことではないが、ここは観光コースになっているから、観光客がお金を寄付してくれるからでしょう。村の規模から見たら、仏塔の数が多い。

 

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 青海省のお寺の一覧表を見ると、約1050ほど寺があることになっています。面積が72万平方キロメートルと日本の倍の面積に人口はわずか540万人です。人口十万人あたりに直すと約20寺ということになります。

 

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一方、日本は人口十万人あたり約60寺となっていますから、チベットは多いようで、人口当たりに直すと日本の三分の一です。人口密度が桁違いに違いますから、こういう比較自体はそれほど意味がありませんが、単に寺の数だけ言うなら、日本のほうが信仰心が強いことになります・・・そうかなあ??

 

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 寺の境内か、野原なのか、赤紫のシロツメクサのような花がたくさん咲いています。先ほどの牛頭碑の近くでも少し見かけましたが、ここは群生しています。

 

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写真上下 Astragalus strictus

(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.410)

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 大多数は写真上のピンク色のレンゲのような花ですが、その中に混じって少数の写真下のような白もあります。見た目は良く似ていますが、花も葉も微妙に違います。

 

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写真上下 Oxytropis kansuensis

(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.419)

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 真っ白なのは珍しく、写真下のようにやや黄色みを帯びた花が多い。

 

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道路のすぐそばでネズミのような小さな動物がうろちょろしています。チベットの草原のいたる所でみられる動物で、通称はチベット・ナキウサギ、専門家はクログチナキウサギ(Ochotona curzoniae)と分類しています(『中国黄河源流探検行』梶光一)

 

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 彼らの棲む草原は穴だらけです。車からはチョロチョロとチッコイ奴が草原を走り回っているのを良く見かけます。車や人が近づくと急いで近くの穴に隠れるので、いつも見かけるわりには写真は撮りにくい。穴を掘るので害獣扱いするむきもあるようですが、彼らのほうが人間や家畜よりも先住動物であることを忘れてはいけません。

 

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来た道を戻る

 車が走り出してようやく私の食事の時間です(14:31)。烏里さんが準備したのは写真下の甘いお菓子のようなものばかりで、私は自分で持って来た甘くないビスケットとお茶で昼食を済ませました。

 

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 温かそうなフワフワのヒツジさんたちを見ながら、湖に沿って、来た道を引き返します。

 

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こんな環境の厳しいところで採れる羊毛はさぞや質が良いことでしょう。温かそうなヒツジをロゴに使い青海羊毛、青蔵ウールなんてブランドで売れば、私も一枚買うかもしれません。ただし、表示と中身が一致していることが条件です。

 

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写真下のほぼ真ん中に遊牧民の白いテントがポツンとあります。こんな所で暮らしていたら、人生観が変わるでしょうね。

 

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 車の具合が相変わらず悪く、途中で何回か車を停めます(写真下左)。そのたびに私は周囲の草原に花を探しに行きます。このまま動けなくなったら、ここに一晩野宿するのだろうか。

 

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家畜に草が食べられてしまうので、あまり大きな植物がない中、目立つのが写真下の植物です。残念ながら、これから花を咲かせるようです。

 

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 原野には花は少ないし、あっても小さい。自然環境でこうなったというよりも、家畜に食われるからでしょう。

 

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写真上 Arinaria festucodes

(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.650)

 

 草原を見ると、花などなさそうですが、はいつくばるようにして地面を良く見ると、矮小化した草花が必死に花を咲かせています。

 

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 上は花が単独で、下は花がまとまって咲いていますから、たぶん別種なのでしょう。もっとも、上二つも良く見ると葉の印象がずいぶん違いますから、別種かもしれません。

 

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出て行ってほしい

 普通なら二時間少々のところを三時間半もかかって、ようやく瑪多に戻り、この街で一番のホテルに入りました(写真下、18:04)。やれやれ、今日は窓のある部屋に泊まれる。夜八時までは停電なので、窓のある明るい部屋はありがたい(写真下右)

 清潔で快適な部屋でくつろいでいると、突然、日本人の女性たちが入ってきて「ここは私たちの部屋ですから、出て行ってほしい」と言うのです。彼らは、ちょうど我々と一緒にホテルに入ってきた西遊旅行の添乗員と客です。写真下左のホテルの前に泊まっているバスは彼らが乗ってきたバスです。

 

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 出て言ってほしいと言われても、勝手に他人の部屋に入ったわけではなく、烏里さんはホテルの服務員から鍵をもらっています。私は烏里さんを呼び交渉してもらいました。ホテルの服務員、西遊旅行の添乗員と中国人のガイド、そして烏里さんの間での激しい中国語のやり取りと、日本語のやり取りから推測するなら、ホテル側が我々二人を西遊旅行の客の一部だと勘違いして鍵を渡してしまったらしい。しかし、ホテル側のミスを我々のせいにして、出て行けというのはいかがなものか。

 

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 西遊旅行の客は14人、添乗員と中国人のガイドを含めて16人だという。西遊旅行の添乗員の妥協案は、彼女と烏里さんが他のホテルに移り、二人分の部屋を開けることで、西遊旅行の客全員をこのホテルに泊まらせるというものでした。

だが、この妥協案がまずいと思ったのは私でした。西遊旅行のツアーの詳しいコースを私は知っていたからです。15日間で50万円の烏里さんのツアーにしようか、9日間で258,000円の西遊旅行にしようかと迷ったから、西遊旅行の日程表が頭に残っていました。

 彼らが前日にいた瑪沁(マチン)は標高3735mで、この瑪多は4200mで、途中4500mをこす峠を通過しています。私の予想では、14人の客のうち五人くらいは高山病にかかっています。年寄りが多く、夜中に症状が出て、添乗員もガイドもいなかったらどうするのか。そう考えて、私は烏里さんに我々がホテルを出ることを提案しました。

 

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 後日、この西遊旅行のお客さんの一人が書いた旅のブログを見たら、予想どおり、翌朝、客の一人の血中酸素濃度が低く、その人はホテルに酸素ボンベと一緒に残ったそうです。私に言わせれば、本人が動けるなら、酸素ボンベを抱えて吸いながら観光に行けばいいのです。

 

 問題は我々の次のホテルで、車は修理に出ているのでありません。四千メートルの高地にある街の中を歩いてホテルを探すわけにはいきません。

 幸い、我々の次のホテルは斜め向かいの瑪多賓館だというので(写真下)、ホテル側の車で送るという提案を断り、烏里さんと二人でスーツケースを押しながら行きました。斜め向かいで大した距離でもないのにやたら遠い()

 

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 烏里さんが受付で申し出ると瑪多賓館にも部屋がないという(写真上右)。え?では、前のホテルが予約してくれたという話は何なのだ?いやはや、中国は日本みたいに簡単にはいかないのはわかるが、絵に描いたようなトラブルに少々ウンザリ。烏里さん一人が前のホテルに戻り、交渉に行ったが、もちろんダメでした。

 結局、昨夜泊まった招待所に行くことになりました()。二人で再び四千メートルの街の中をスーツケースを引っ張りながら、招待所まで戻ります。身体から力が抜けそうになりながら、スーツケースを押していく奇妙な我々に好奇心を持った子供たちの写真を撮りました(写真下)・・・その元気を少し分けてくれ。

 

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 街の中を三百メートルほどの長い長い旅を終えて、元の安ホテル・糧油賓館に戻りました(写真下)

 

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私が昨夜泊まった部屋も空いてはいたのですが、せっかくなので、隣の部屋に泊まってみることにしました。設備はそれほど変わりませんし、ここも窓がなく真っ暗。まあ、それでもここはネットが使えると期待したら、この日は停電のままでネットは使えませんでした。

 

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 私の部屋は電気が来ていないのに、ホテルの食堂は灯りがついて、さきほどの西遊旅行の人たちがここで食事をするようです。自家発電で食堂だけ灯りをつけているのでしょう。

彼らは良いホテルに泊まり、明るい食堂で食事をして、私は灯りもない部屋でくたびれきって、朝飯は口に合わずに食えず、昼飯はあの有様だったから、お腹を空かして・・・いや、そんなつまらないことを考えるのはやめよう。彼らのために譲ったのだから、そんなことはもう忘れよう。お腹が空いて血糖値が下がっている上に暗い部屋にいたら気持ちまで停電になるだけで、夕飯まで時間があるのだから、散歩に出かけましょう。

 

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あの大仏はだれ?

 夕飯は八時からだというので、私は街を一周してみることにしました(19:26)。日没は八時半くらいですから、まだ外は明るい。むしろ先ほどよりは空が明るくなっています。

 

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 ホテルを出て、目の前の大通りを南に行きます。先ほど北側からスーツケースを押して歩いてきたのだから、そちらに行くなどありえない。

写真下左の「3元超市」とは百円ショップのことです。入ってみたが、暗いこともあり、あまり面白くはありません。オジサンが立派なキャベツを運んでいます(写真下右)。この近くで野菜が採れるはずはないから、遠方から運んできたのでしょう。

 

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 ふっと見上げると、通りの外灯に「溪水長流」「情系母河」と書いた看板が取り付けてあります。「溪水長流」は黄河の流れをそのまま表した言葉のようで、「情系母河」はそういう名前のドラマがあるようです。写真に撮ったのはこの二枚ですが、他にも似たような標語のついた看板があちこちにあります。

 

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 チベットの街では恒例のバイクがここでも走り回っています。

 

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 街を南のほうに行くと、工事中の小高い丘の上に仏像が見えます。この距離からあの大きさに見えるのだから、大仏と言ってもいい大きさです。

 

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道に面して大きな「旅游服務図」の看板があります(写真下)。旅游というのだから、旅行者のための観光施設を作っているようです。

 

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 上の旅游服務図の、左側の広場のある施設の完成図が下図です。

 

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 実際の今の姿は写真下で、まだ工事中です。

 

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旅游服務図の右上の部分が写真下に相当します。これだけだとなんだか良くわからない。

 

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 日本人の私の目には、二階建ての分譲住宅を作っているように見えました(写真下)。しかし、案内板の鳥瞰図から見ると、これも観光用の何かの施設らしい。

 

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 あの仏像があるのは旅游服務図に隣接する宗教施設のほうです。下図が完成図です。丘の上の仏像はこの図の左側の仏像らしい。右側にももう一つ立位の仏像を作るらしいが、見渡してもそれらしい姿はありません。それにしてもこのお寺はテーマパークみたいです。

 

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 私の関心は、あれが何の仏像なのかという点です。完成図から見ても、施設の中心にあるのだから民衆の最も信仰を集めている神仏です。いったいそれは誰なのか。

 だが、どうやって行けばいいのだ?正面から門から入ると(写真下左)、大きな広場があり(写真下右)、完成した後は、ここから階段を上るのだろうが、今は工事中で無理です。

 

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 私は右回りに迂回して、何とか登り口がないか、探してみました。日本なら工事中は絶対に立ち入りなど許されないが、ここはチベットです。仏像が完成しているのだから、チベット人は禁止など無視して、立ち入って拝んでいるはずで、どこかに道があるはずです。彼らが禁止命令なんて聞くはずがない()

 

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 地元の人らしいチベット人が私に話しかけてきたので、身振り手振りであの仏像の所まで行きたいと言うと、彼は道を左回りに戻れば入れると言います。後でわかったのは、もう少し右に行けば工事の出入り口から入れたのです。しかし、彼の助言に従い、私は息を切らせながら道を戻り、ほぼ300度ほども一周して(写真下左)、ようやく東側の登り口を見つけました(写真下右)

 

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 彼は私に時計回りに回るチベット仏教の順路を教えたのでしょう。もっとも、それは四千メートルの高地に慣れていない私にはあまり有り難くない助言でした()

 

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 階段は未完成で作業中の切られた石が露出していて危ない。しかも、ここは四千メートルですから、一歩登るごとに息が切れます。息も絶え絶えに階段を上り()、ようやく仏像の裏側に到着しました。

 

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その背面に碑文がチベット語と中国語で刻まれています(写真下)。チベット語はわからないので、漢字を読むとこの仏像の名前は・・・えっ!?

 

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「格萨尔王」と書いてあります。神仏ではなくケサル王です。ケサル王とはチベットや中央アジアに伝えられる壮大な叙事詩に登場する主人公です。物語の主人公の銅像というのも奇妙な話だが、中国やチベットではケサル王は実在の人物とみなされています。だから、この碑文にも1038-1119年などと、生存した時期までまことしやかに書いてあります。

 

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ケサル王の絵(中国のウィキペディアより転載)

 

 実在の人物をモデルにして作られた叙事詩が、その後、様々に話が追加されてできあがったのでしょう。イギリスのアーサー王物語と似ていて、アーサー王は実在しないが、モデルとなった将軍がいたと言われています。これと同じなのでしょう。

 

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 どうりで参拝者が少ないわけだ。時間が遅いこともあるだろうが、男性たちが三々五々集まっているだけで数も少なく、女性は皆無です(写真下左)。たいてい寺院の神仏を拝むのは女性が多いのに、奇妙だと思っていました。ここは寺院などの宗教施設ではなく、大王を祭った観光施設のようです。まさにテーマパークです。

 政府は寺院にお金を出しませんから、観光施設として地方政府が作っているのでしょう。二千人ほどしかいない街の大きさから見て、寺院にしては規模が大きいので私は驚いていたのです。

 

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 チベット人の信仰心で巨大な仏像を作ろうとしているのではないかと期待していたので、私はちょっとがっかりして、急ぎ足でホテルに戻りました。

 

 

停電のまま

 八時から夕飯です。街を一回りして探して、結局、ホテルの向かいの食堂に入りました(20:28)。灯りがついているのは自家発電です。

 

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 写真下の隣のテーブルのご飯をごらんください。日本では死者にご飯を添える時に箸をさすので縁起が悪いとされますが、もちろん中国にはそんな縁起担ぎはありません。ただ、慣れていないせいか、行儀が悪く見える。

 

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 ビールを楽しんでいる三人を残して、私は先にホテルに戻り、明日の準備をしました。

 

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 八時には復電するはずなのに、ホテルに戻っても停電のままで、結局、インターネットに接続はできませんでした。カメラのバッテリーに充電ができないのが問題です。こんなこともあろうかと予備のバッテリーがありますから、明日の分くらいは何とかなるが、明日のホテルでも停電ならかなり困ったことになります。

 

 

 


 

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