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10 11 2日目 2012年7月10日(火) ドーハ → (バクー) → トビリシ 日本時間の明け方7時半頃に起床。まもなく食事が配られました(写真下左)。関空で仕入れた食事だからヤクルトがあるのは当たり前だが、これを中東上空で飲むのはなんとなく奇妙な感じ。 朝食が終わってカタールの首都・ドーハに到着(日本時間9:36、カタール時間3:36)。日本時間では朝ですが、ドーハは日本と六時間の時差がありますから、まだ夜中です。ドーハの空港は真夜中なのに、我々のような乗り継ぎの客でけっこう混んでいます(写真下)。 ここで我々は別な飛行機に乗り継ぎ、アゼルバイジャンのバクーを経由して、目的地のジョージアの首都のトビリシに向かいます。乗り継ぎまでに六時間ほどあります。 掲示板に「男性用のモスク」とあるのがいかにもイスラム教国らしく、おもしろい(写真下左)。免税店などをうろうろしたが、おもしろくない。しばらくベンチでうたた寝をしました。 夜が明け始めると、ベンチで仮眠を取っていた人たちも起き出して、活気が戻ってきました。 乗り継ぎの手続きを終えて飛行場に待機している飛行機までバスで移動しました。移動距離がかなりある。バスから見える飛行場にある飛行機の大半がカタール航空の飛行機ばかりです(写真下左)。カタール航空は国営で資金力もあるから、ヨーロッパなどへの乗り継ぎ空港として、安い値段で運行しているのでしょう。関空から乗って来た隣の席の人たちはイタリアに行くと言っていました。 次の飛行機、カタール航空のQR-974便はアエバスA320です。通路をはさみ片側三人、合計六人の席で、ほぼ満席です。カタール時間の8:19に離陸。国際線だが、飛行距離が短いせいか、モニターは天井からいくつかぶら下がっているおり、各座席にはありません。 カタールの天然ガス 離陸すると、窓の外には海に面したドーハの街並みが見えてきました。ガスなど天然資源で豊かな国なのでしょう。海岸に沿って大規模な都市開発が行われています。 カタールは日本人とは深い関係かにあって、我々が使っている天然ガスの1〜2割ほどがこの国から輸入されています。それも世界相場から見てかなりの高額です。カタールにしてみれば、日本人は天然ガスを言い値で買ってくれる、ありがたいというか、愚かな客です。2012年で比較すると、アメリカと日本では天然ガスの値段が三倍も違います。 もっとも、それは彼らが悪徳商人だからではなく、日本が安定供給を大義名分に、安いガスを手に入れようと努力して来なかった結果で、おかげで日本人は世界でも類例がないほど高いガス料金を払っています。これは天然ガスだけでなく石油も同様で、原発停止で電気料金の値上げをせざるを得ないかのような言い訳をしていますが、今まで日本国内での電力供給の競争原理が働かず、努力してこなかったツケです。 つまり、窓の下の立派なビル群の一部は日本人が払ったガス料金で建てられたのです。 私は旅行前に、添乗員の光田さんに通路側や窓側など座席の希望を伝えました。旅行会社は座席の希望は受け付けられないという話でしたが、光田さんはかなり努力してくれて、こちらの希望通りの座席を確保してくれました。 飛行機は、月の出ている青空の中を北に飛行し(写真下左)、やがて対岸のイランの領土に入りました(写真下右)。 眼下にはイランの荒涼とした岩山が広がっています。 機内誌にある飛行経路を見ると(写真下左)、ドーハからバクーまで、ほぼ真北に進んでいるようです。 荒涼とした風景の中に、白く雪をいただいた山が見えて来ました。雪山があるのだから、麓にはきっときれいなお花畑があるに違いありません。実際、イランは珍しい花がたくさんあります。 食事が出ました(写真下左、9:14)。たぶん朝食です。日本時間では午後も遅い昼食です。 食後に頼んだコーヒーが写真下右で、砂糖をかき混ぜるプラスチックの棒が曲線なのが良い。ところが、飲んでみると、コーヒーにしては味がおかしい。カップの反対側から飲んでみても、やはりおかしい(当たり前だ)。どちらから飲んでも、これはペットボトルで市販されている色の濃い紅茶です。 私の「コーヒー」という発音が、乗務員には「ティー」に聞こえたらしいことに、私は少なからぬショックを受けました(笑)。物事は前向きに考えることにして、私は「カタール航空のコーヒーは変わった味だった」と旅日記には書くことを決心しました。 バクーを経由 眼下にカスピ海が見えて来ました(写真下右)。 カスピ海の上空を三十分も飛ぶと、カスピ海に面したバクーの街が見えてきました。 バクーの空港に着陸(11:34)。カタール時間では10:34ですが、アゼルバイジャンはジョージアと同じで、日本より五時間遅れのですので、一時間進めます。地図で見ると、カタールよりも西にあるのに、逆に一時間早いというのもおもしろい。 バクーでは機内に約一時間ほど待機して、バクーの空港を離陸(バクー時間12:37)。 軽食が出ました(12:51、写真下)。写真下の真ん中の白い棒状のものがそれで、上の赤い箱に入っていました。小麦粉を練って焼いて皮にして、中に煮込んだ肉や野菜が入っています。この地域のサンドイッチのようなものです。しかし、見ての通り、昼食にしては量が少なすぎる。飛行時間がわずか1時間しかないから、回収する時間がないこともあり、普通の食事は出ません。 バクーで席が空いたので、眺めの良い後ろの座席に移動したら、今度は窓ガラスが汚れていて、ワイパーが欲しい。 ジョージアに近づき高度を下げるにつれて、雲間からジョージアの地上の様子が見えてきました。アゼルバイジャンと比べても、緑が多いのがわかります。 21時間かかった トビリシに着陸(ジョージア時間13:26)しました。今は日本時間では夕方の6時半で、成田を出発したのは昨夜9時すぎですから、約21時間かかったことになります。遠い。 写真下左の立派な建物が空港ターミナルかと思ってちょっと喜んでいたら、そのまま通過しました。写真下右の長方形の建物がターミナルです。たぶん、写真下左の建物は要人などのターミナルでしょう。 空港は首都の国際空港にしてはそれほど大きくありません。「ジョージアにようこそ!」と英語で大歓迎が表示されているわりには、周囲は閑散としています(写真下)。入国審査も待たされることも問題もなく通過し、銀行があったので換金しました。1ラリが約50円ほどです。 荷物の受け取りする所も閑散としているが、荷物が出てくるのは早くありません(写真下左)。 写真下が空港ターミナルの外観で、わりと最近作られたようです。 バスで市内のホテルに向かいます。写真下が我々の乗った大型バスです。五十人は乗れるバスに客と添乗員とガイドを含めて11人ですから、余裕というか、ガラガラです。席はこの後も抽選でしたが、私はいつも後ろの席を4列占領しました。バスの乗り心地は悪くないが、窓ガラスが汚れていて、写真撮影には不便でした。 バスで空港から二十分ほど走るとシェラトンホテル(SHERATON METECHI PALACE)に到着(14:26)。今回のツアーではここに2泊します。ここ以外はゲストハウスですから、数少ない一流ホテルです。 建物に入ると、広々としたロビーがあり、十階までの吹き抜けになって、外からの光が入って来ます。吹き抜けの内側が各階の廊下になっていています。 さすがは四つ星ホテルだけあって立派で、個人旅行なら絶対に泊まらない(泊まれない)ような高級ホテルです。 ロビーやフロントを階上の廊下から見ると写真下のような感じです。遊園地に来たようで楽しい。 街を散策 光田さんが近くの店まで案内してくれるというので、皆さんで散歩に出かけました(16:20〜)。ところがホテルを出るやいなや、雨です。ジョージアは歓迎してくれていないのかなと思いましたが、これは歓迎の雨で、雨にまともに降られたのはこの時だけでした。 現地ガイドのダリさんを除いて、全員が雨になれている日本人ですから、傘をさして出かけました。最初に寄ったのは小さな雑貨屋です(写真下)。後で歩き回りましたが、ホテルの周囲にはスーパーと呼ぶような大きな店はなく、この食料品店は店としては大きい方です。 魚の干物やパンなど、食料品を中心になんでも売っています(写真上下)。さっそく黒石さん(仮名)はジョージアのワインを買いました。初日に買うってことは、ホテルで飲むようです。 私の目を引いたのはチーズです(写真下)。これだけの大きさで値段にすると200円前後です。この大きさでの生チーズは日本なら5倍以上するでしょう。私もジョージア・ワインと一緒に買ってホテルで試したいところですが、旅行初日から腹をこわしたのでは台無しですから、ワインの代わりに涙を飲んで諦めました。 店を出て、一つ向こうの通りに出ると、その両側には小さな店が、また通りにも露天が並んでいます。まず気がつくのは、店が小さい。写真下左などこれが普通の店で、写真下右のような店は大きいほうです。 写真下左の赤い衣類は玄関先に洗濯物を干しているのではなく、これが洋服店なのです。 オジサンやオバサンが細々とやってるような商売は日本ではだんだん絶滅しつつあります。ここでは健在です。 盛りなのか売られている花の大半グラジオラスです。バラなども少々あるだけで、花の種類が少ない。 道端ではスイカが売られています。果物屋で他の人たちがバナナなどの果物を買いました。この店のオジサンは茶目っ気があります(写真下左)。 通りでさきほどから目につくのが写真下左黄色い車です。マルシュルートカという乗り合いミニバスです。ジョージアに限らず、コーカス地方ではマルシュルートカが庶民の足です。写真下右は頭に十字架をつけた黒塗りのベンツです。これは教会関係者の車なのか、霊柩車なのか、皆さんの意見はまとまりませんでした。 雨もそろそろ上がる頃にホテルに戻ることになりました。しかし、まだ時間もあるので、私はその場で一行と別れて、一人で街の散策を続けることにしました。下の衛星写真の白い線が皆さんで歩いた道、青がその後、私が一人で歩いた道です。 さきほど通りかかって気になる建物があったので、まずそこに行ってみました。それが写真下左です。普通の建物に見えますよね。そのとおりなのだが、気になるのは人の出入りが激しいことです。中に入ってみると改札口があり、皆さん、地下に下りて行きます(写真下右)。地下鉄です。 地下鉄に乗って市内を回ってみようかと掲示板を見るが、当然のことながら、何がどうで、どれがどのあたりなのかさっぱりわからない。ホテルでもらった地図を持ってくればよかったと反省。光田さんに頼んでわざわざ手に入れたのに、みんなで行くならいらないだろうと、ホテルに置いてきてしまいました。 オバサンが一人で切符を売っているようです。切符の自動販売機はないかと探すが、あるのは写真下の食べ物の自動販売機と、キリスト教の寄付箱だけ。 言葉もわからず、行きたい先もないのに、オバサンに切符を売ってもらうのはなかなか難しい。実は昔、パックツアーの自由時間に出かけて、交通機関が止まってしまい、集合時間に遅れたことがあるのです。夕食までの時間も余裕があるわけではないので、地下鉄の旅ではなく、この周囲を回ってみることにしました。この判断が良かったかどうかわかりません。 通りから脇道に入るとそこにも店を開いている人たちがいます。ここは客もいない。 通りの歩道は片側に無愛想な建物が迫り(写真下左)、歩道には誰も歩いておらず、車がスピードを上げて走り去る。その中に写真下右のように突然、ポツンと店がある。なんかものすごく現実離れした光景に見えませんか。私はムンクの「さけび」のように、「これで客が来るのかあ!!」と叫びたくなりました。 さきほど皆さんで歩いた商店街が一番のにぎわいで、周囲は人も少なく、建物は古く、さびれた雰囲気です。 唯一の収穫は、私が写真を撮っているのを見て、オバサンが「自分たちの写真を撮れ」と声をかけてきたことくらいでしょう(写真下)。しかし、言葉がわからないので、会話も成り立ちません。 表通りは車が激しく行き交うだけでおもしろくないので、私は川のほうの道に下りてみました。周囲はますます物寂しい古い建物が並ぶ。私は、やはり地下鉄に乗るほうが正解だったと後悔していました。 道の脇に緑色の目をした白ソックスのネコがいます。ジョージアのネコと初対面です。 ネコばかりか、ここにはかなり立派なカタツムリもいます。雨上がりで出てきたのか、足下を気をつけないと踏みつぶしそうなくらいたくさんいます。この街は人は少ないが、ネコとカタツムリはいる。 ゲンノショウコを大きくしたような花が少し咲いています。 市内を縦に流れるムトゥクヴァリ川(Mtkwari)の見える所まで下りていくと、なかなかきれいな風景で、川の向こうが旧市街です。 岸辺の建築物など見ると、たしかにヨーロッパの風景のように見える。 ホテルまで戻った頃に、西日が差し始め、対岸の旧市街をきれいに照らしました(写真下)。 初のジョージア料理 七時から夕食です。バスでトビリシ市内の西側の山の中腹にあるレストランに向かいました。橋を渡り、旧市街を通過します。写真下左は2010年に作られたばかりの平和橋と呼ばれる歩道橋、写真下右は旧市街の中心部の自由広場です。 バスから見える旧市街は古い石作りの街という印象です。旧市街の道は、当然のことながら、広いとは言えず、大型バスが一度では曲がりきれない角もありました。 写真下の看板にある文字は古い歴史があるジョージア文字です。一説には紀元前に、また確実なことはキリスト教が国教化された4世紀にはできていたようです。 先ほど散策した所と同様に、路上で小売りしているのが目に付きます。 山の中腹にあるレストランに到着。眼下にはトビリシの市内が見えます。 登ってくる途中の道端にも様々な花が咲いていました。ここは標高八百メートルほどありますから、レストランの前の空き地にも亜高山地帯にありそうな草花が咲いています。ただ、夕方なので撮影には向きません。 山の斜面の草原に、この大きなレストランがポツンと建っています。 店内は広々と開放的でとてもよい(写真下左)。ただし、これは窓ではありません。我々は屋根のついた屋外にいるのです。今は暑くも寒くもないから良いが、真冬などどうするのでしょう。 店の中央で生演奏をしています(写真下)。なんでもジョージアの古い音楽だそうです。聞いていて私はとても気に入りました。七十年代のフォークソングみたいな雰囲気です。歌詞はわからなくても、演奏や歌に何か感情が伝わってくるものがあり、それなりにうまい。ところが、演奏が終わってもジョージアのお客さんは誰も拍手しない。私は二曲目から拍手をしたが、それでも他のジョージアの客は誰も拍手しない。 冬はこのレストランはどう使うのか、なぜこんなに素敵な演奏に誰も拍手しないのか、さっそくジョージアの不思議に出会いました。 いよいよジョージア料理です。結論から言うと、総じて食べられました。一番心配していた辛さも、幸い杞憂に終わりました。 食後のデザートも豊富でおいしい(写真下左)。食後のお茶に緑茶があるというので頼んでみましたが(写真下右)、もちろん、一口飲んで後悔しました・・・今日は後悔がちょっと多い。 店を出るとあたりはすっかり薄暗くなっており、眼下の市内も灯りがともり始めています。隣のムタツミンダ山(Mt. Mtatsminda)の電波塔が点滅しています(写真下)。 ベランダからの夜景 ホテルに戻ると、あたりはすっかり暗くなり、周囲の教会などがライトアップされています。明るいうちにベランダから見ると写真下のような景色です。 ホテルのベランダから見える夜と昼の風景をご紹介しましょう。写真下はベランダからは正面の北西の電波塔の方向です。電波塔の建っている山がムタツミンダ山( Mt. Mtatsminda)はあれで標高が727mあるといいますから、この街自体の標高が高いのがわかります。 写真下はベランダからは右側(やや北)に見えるツミンダ・サメバ大聖堂(Tbilisi Sameba
Cathedral samebis tadzari)です。大きくて目立ち、2004年に作られたばかりの教会です。コーカサス地域の最大の教会と言いますから、近くからみると相当にデカイのでしょう。ホテルからは歩いても行ける距離ですが、私は興味がないこともあって、行きませんでした。 ベランダから見て、左側、南西の方向にあるナリカラ要塞(Narikala)もライトアップされています。 さらに左側、つまり西に見える教会は・・・調べてみたのですが、何なのかわかりません。 今日の私の部屋はすごい!!二部屋をぶち抜いた広さがあります。特別料金を払ったからではなく、たまたま当たっただけで、他にももう一人、こういう部屋だった人がいました。 ドアも二つついていますから、二部屋分です。部屋の左は普通にベッドとバス、トイレが付いてます。右側は写真上右、写真下右のように椅子と机の他にソファーなど応接セットまであり、ファックスもあります。つまり、この部屋はビジネスマン用に改装されたのでしょう。 普通ならスーツケースをどこに広げようかと迷うくらいなのに、ここは運動ができるくらい広い。なかなか素晴らしい作りなのに、真ん中にある背の低いタンスのような引き出しの中に、有料の食品などが雑然と入っている、と言うより、転がっているのには驚きました(写真下右)。せめて箱にだけでも入れればいいのにと思うのは過剰包装に慣れている日本人だからでしょう。 部屋の中を歩き回っていると、突然、テレビがつきました。誤動作かと思ったら、どうやら、鍵を開けてから何分かたつと自動的にスイッチが入るように出来ているらしく、画面には私の名前入りで歓迎の文章が表示されました。この部屋なら私も歓迎します。 写真下の右側のプラスチックの留め具のような代物は部屋の鍵です。こんな形の鍵は初めて見ました。解錠は鍵の側面の小さな突起をドアに押しつけますから、この中に磁気情報が入っており、持ち運びする時、落とさないように、クリップ状にしたのでしょう。 トップページ 日程表 1 2
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