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10 11 7日目 2012年7月15日(日) メスティア → ウシュグリ ←→ タマラ女王の城跡 六時に起床。空は薄曇りです。今日はこれからウシュグリ(Ushguli)まで移動して、午後からハイキングです。ハイキング三日目なので、何とか天気が持ってほしい。 七時から本館で朝食です。チーズにヨーグルトに蜂蜜があるので、私の食欲を満たしてくれます(写真下左)。相変わらず、チーズは私以外は誰も食べませんので、私が責任を持っていただきます。 昼食用の弁当を自分で袋に詰めます(写真下右)。トマト、キュウリ、パン、チーズ、卵、それに小さなリンゴです。 スーツケースはこのホテルに置いて、一泊分の荷物だけ持って、車二台に分乗して出発です(8:10)。メスティアからの南東に約50キロほどですが、ほとんどが舗装もされていない山道ですから、4〜5時間かかります。 メスティアの街を出る前から道を間違えました。ゲストハウスから数百メートルの所で右折します。写真上のように、大通りにウシュグリ(Ushiguli)の道路標示が出ています。上の写真はこの街に二日前に来た時撮ったものです。メスティアを出て間もなくもまた別な標識を見逃して行きすぎてしまい、引き返しました。ジョージアは日本に比べて道路標識が少なく、特にここは田舎ですから、さらに少ないので、運転手は標識など見ないで走っているようです。 道路標示どおりに右折して、川を渡り、対岸の山の斜面を登っていくと、ベチョーで朝晩拝んだウシュバ山の山頂が現れました(写真下)。ちょっと車を停めて撮影です。「いってらっしゃい」と見送りしてくれているみたいで、ウシュバ山はなかなかサービス精神に富んだ女神様です。 ウシュバ山が見事に見える地点で車を停めました。他の観光客も車を停めて見ています。 眼下の対岸にはムラヒ、ザベシなどの村が広がっています。 赤い花かと思ったら、葉のようです。 道端にはここにも薄ピンクのバラが咲いています。 写真上 Rosa oplisthes (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.91) 自転車で旅行している人たちです(写真下)。ただ、ここはまだ千メートル代ですから、四千メートルのチベット高原を自転車で旅行している人たちを見てしまうと、それほど驚きません。 峠を越えて、反対側の谷に降りて行くと、ボルゲシ(Borgeshi)の集落が見えてきました(写真下)。ここから谷にそって、南東に進み、谷の奥にあるウシュグリまで行きます。 トイレ休憩(1510m 10:19)。周囲には花が咲いています。 写真下の蛾は昨日のハイキングでも見かけたのと同じです。 写真上 Lysimachia verticillaris (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.159) 写真下の道路を見ると悪路には見えませんが、走り出すとデコボコ道で、時速は20キロも出せるかどうかです。 道の途中にある集落のあちらこちらも塔があります。こんな人の少ない山の中でまで争いをしていたなんて、ちょっと絶句します。 写真下左のように、中には朽ち果てている塔もあることから、少なくとも最近は使われていないのでしょう。 上スヴァネティにはこんなふうに塔が広く分布しているのに、7月12日に泊まったベチョーにまったくなかったのは興味深い。可能性としては、ベチョーは最近作られた村である、塔があったが壊れてしまった、争いが少なく作らなかった、そしてもう一つは、私が気がつかなかっただけ、などがあります。『旅行人 163号』によれば、ベチョーの谷の入口のラルホル(Lalhor)と、谷の上流のマゼリ(Mazeri)には塔があることになっていますが、ベチョーそのものには記載されていません。 ウシュグリに到着 ウシュグリ(Ushguli)に到着(11:56)・・・と言っても、道が悪すぎて、村の姿が見えてから、ゲストハウスに到着するまで二十分はかかりました。ここは世界遺産なので、道路を広げたり舗装したりできないのです。 村は石でできた家が並び、さすがは世界遺産に登録されただけあって、独特の景観を保っています。メスティアなどで見た塔があるのが、とても自然に感じるほどです。 ゲストハウスに到着。写真下が食堂になっている本館です。入り口に、Ushguli Guesthouse
“LileO”と看板がついていますから、このゲストハウスの名前はLileOというのでしょう。 ネットでも次のようなオシャレなタイトルで出ています。 (http://lileo-ushguli.blogspot.jp/より転載) ホームページにある写真を拝借するなら、写真下の赤で丸く囲んである建物がゲストハウスです。塔そのものをゲストハウスにしたらうけるでしょうね。一階がトイレ、二階が入口兼居間、三階がベッドルーム、それより上はご自由にお使いくださいで、一番上の部屋にはテーブルと椅子を置き、山と村の眺望を楽しみながら、お茶を飲んだら、素晴らしいでしょう。でも、七階までどうやってお茶を持ち上げるかが問題です。
(http://lileo-ushguli.blogspot.jp/より転載) 一人を除いた全員の宿は、本館の北側にある二階建ての別館です(写真下)。一人だけ外れる時にはたいてい私なのだが、いつの間にか他の人が名乗り出たらしく、私も光田さんも皆様と一緒の別館になりました。 写真下右は別館を入り口側(写真下左の左側)から見たものです。写真下左の建物を見てまず気がつくのは、増築を重ねているという点です。実際、緑色にペイントされた部分は部屋を増やすために強引に付け加えた部分です。建物の右側の石作りの部分はたぶんここの家族が使っているのでしょう。同じ建物でも、完全に仕切られ、ちょうど二階の深緑色の部分だけが宿として独立しています。 写真上右の階段左に白く塗られた部分があり、これがトイレ兼シャワーです。中の設備は清潔で、トイレットペーもあり、悪くありません(写真下)。ベチョーと同じように洗濯機までついている。お湯も少ないがちゃんと出ます。問題はトイレが一つしかないことです。 写真下左は、このゲストハウスを後で南側にあるタマラ女王の城跡から撮影したもので、赤で囲ったのが、私たちが泊まったゲストハウスです。 一方、写真上右は、写真下の本の表紙の一部分を拡大したものです。少々わかりくにいが、赤で囲ったのが同じゲストハウスです。彼らが取材したのは1980年といいますから、三十年前のウシュグリの光景です。単純に両者を比較するなら、三十年間、それほど大きな違いはないように見えますが、写真上右の赤い矢印で示した塔が、写真上左の現在の写真には写っていません。塔が崩壊したのでしょうか。 この本の表紙にウシュグリとシハラ山が写っているので(写真下)、私はてっきりこの本はウシュグリも取材したものと思い購入しました。ところが、ウシュグリは出てこない。取材先にないのだから、当然なのだが、それならいったいこの写真は誰が撮ったのか。私はちょっと騙された気になりました。
写真上 『ユーラシアシルクロードA万年雪の大コーカサス』 (加藤九祚, 加藤久晴、日本テレビ放送網、1981年) ゲストハウスの水洗トイレ 我々の泊まった別館にはトイレが一つしかないので、離れた所にもう一カ所トイレがあります。 写真下左は建物の間の広場を別館側から撮っています。右側に見えるのが食堂のある本館です。広場は夕方など皆さん集まってのんびりする所です。広場の向こうに白い車が停まっていて、さらに向こうに物置のようなのが見えます。それが写真下右です。プレハブのように見えますが、実際は木で作られたトイレです。しかも、これが並普通のトイレではない「力作」です。そのままドアを開けて中を直接ご紹介できないのがとても残念ですので、間接的にご紹介します。 写真下をごらんください。右端にちょっとだけ写っているのがトイレで、その左側に小川があるのがわかるでしょうか。この小川はトイレの下を流れている。もうおわかりでしょう。これは「川屋」、つまり天然の水洗トイレです。 日本ではトイレを厠と書いてカワヤと呼びます。元々は、こんなふうに川に渡した川屋だったと言われています。この川屋の中をお目にかけたかったのですが、さすがに撮りませんでした。小川と言っても水量はかなりのもので、水洗トイレで水を流した時くらいの勢いがあります。 下流を見ても、ため池のようなものは見当たりませんから、そのまま川に流しているようです。別館の水洗トイレの水もたぶんそのまま川に流しているのでしょう。今はまだ問題になっていないのだろうが、客が増えれば、当然、汚染の問題が出て来ます。 写真下はゲストハウスの犬君です。 広場でメスティアから持ってきた野菜などで昼食を済ませました(写真下)。トマトがうまい。 花を見にハイキング 食事を終えて、本日のハイキングであるタマラ女王の城跡を目指して出発です(13:12)。前のコースの人たちからもここは花が期待できるとの情報がありました。 城跡は村から山の上に見えます。写真下ではちょっとわかりにくいが、写真の山の上に何か塔のような建物が二つ見えます。これが城跡です。村が標高2100mくらいで城跡が2300mくらいですから、それほどの標高差はありません。ちょっとした裏山に登る程度です。主に花が咲いているのは、写真に写っている北側ではなく、裏の南側なので、我々はまず川に沿って村を南下して、写真の右側から大きく迂回して南の斜面を登り、帰りは北側の斜面を下りてくる予定です。 ウシュグリは一つの村ではなく、東からジビアニ、チビビアニ、チャザシ、ムルクメリの四つの村から成り立っています。ただし、『旅行人』(163号、2011年)に載っている地図とGoogleの地図では、ジビアニとチビビアニの位置が逆で、どちらが正しいのかわかりませんので、ここではGoogleの地図の地名を採用します。我々のゲストハウスは川の上流のジビアニにあります。 上の地形図の村の部分だけを拡大して衛星写真で見ると下のようになります。上の地形図よりも見やすい。ところが、この衛星写真は今は手に入りません。私が下の衛星写真を保存したのは旅行の二週間ほど前です。その少し後、同じ場面がひどく暗い衛星写真に置き換えられてしまい、使い物になりません。ですから、下の衛星写真は貴重品です。 我々は一番上流のジビアニ村から出発して、チビビアニ村とチャザシ村の集落の中を通過し、ムルクメリ村を対岸に見ながら城跡を目指します。さあ、出発。 村の中から花だらけで、それも建物に生えている(写真下)。木造の家屋ではありえない光景です。 宿泊している村も、次の村にもメスティアで登ったのと同じ塔がたくさんあります。こんな狭い村に塔だらけです。ここも激しい争いを続けていたのでしょう。 私の雇った今日のポーターさんが写真下の若者です。スイバの茎をむいて、食べてみろとみんなに差し出しているところです。酸っぱくて、なかなかおいしい。 ポーターなんてここにはいないので、光田さんは探すのにたいへん苦労していたようです。メスティアで雇ったポーターをそのまま連れて来ることも考えました。しかし、そうなると宿泊代なども持つことなり、金額が大きくなります。 ようやく直前になって探し出せたのがこの彼で、値段は一日$45で、メスティアの1.5倍です。今日と明日彼を雇ったので$90ドルです。金額はともかく、役立つ度合いから行くと、駄目でした。ポーターなのだから、私の近くにいてくれるように頼んでいるのに、まったく関係なしに離れて歩く。光田さんやダリさんを通じて何をするのかを指示してあるはずなのに、彼はまったくわかっていない。 リュックに入っている水を飲むために私が坂道を必死に追いかけるはめになりました。私が息を切らせながら追いつくと「おまえはどうしてそんなに荒く息をしているのか。おれは何ともない」というゼスチャーをする・・・オイオイ。 リュックに入っているカメラの機材を取り出そうと、彼を大声で呼んでも、他の人たちが気がついているのに、彼はなかなか気がつかない。つまり、そのくらい離れて歩いている。ようやく気がついたので、手招きすると、なんと彼が私を手招きして、「こっちに来い」という。性格は悪くないし、悪気もないのだけはわかるから、もう怒る気にもなれず、「やはりメスティアのポーターを連れて来るんだった」と後悔した瞬間です。案外、宿泊費を払っても安くあがったでしょう。少なくとも、ストレスはなかった。 三つ目のチャザシ村が見えてきました。 チャザシ村の中を通過します。 ソリを牛に引かせて家具を運んでいます。荷車ではなくソリです。ここは冬は2〜3メートルの雪が積もるといいますから、道も悪いし、ソリのほうが一年中使えて便利なのでしょう。 前の二つの村に比べて、チャザシ村は特別変わった点はありません。ただ、地図を見ると、他の三つの村にはそれぞれ教会があるのに、この村にだけはありません。 ここにもタマラ女王の城跡と博物館があるようです。ブタ君たちがいるだけで、おおよそ博物館があるような雰囲気でもなく、どれなのかよくわかりませんでした。 ブタもヤギもいるチャザシの集落を通りすぎると(写真上右)、右前(南西方向)にたくさんの塔の立っている一番下流の四つ目のムルクメリ村が見えてきました(写真下)。 私のポーターの若者はこの村に住んでいるそうです。 我々は村を対岸に見ながら、山裾をぐるりと迂回します。 村の周囲は牧草地なので、そこには家畜が食べない白いアザミがたくさん咲いています。トゲだらけでさすがのブタも食べられないのか、たくさんあります。ブタも食わないブタアザミなんてどうでしょう・・・花はきれいなのにひどい名前。 赤いアザミも食べられないのか、村の周囲にあります。 写真下は山の斜面で一本だけ見つけたアザミです。ノアザミのような見慣れた姿で、上のアザミとも種類が違うようです。 スイバも家畜から味で嫌われて残っているでしょう(写真下)。それにしてもすごい群生です。あまり絵になる花ではありませんが、数に圧倒されます。 写真上下 Rumex alpinus (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.33) 今回の旅行ではキンポウゲはどこでも見つかりましたが、いずれも中型か小型のものが多く、ミヤマキンバイのような見栄えのするキンポウゲはありませんでした。 写真下はシロツメクサではなく、白いアカツメクサです。シロツメクサに比べて、花が大きく、アカツメクサのように花のすぐ下に葉がついています。 写真上 Trifolium canescens (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.115, The
Caucasus and its Flowers, p.144) 写真下だけはシロツメクサではないかと思います。赤みを帯びたのがシロツメクサで、真っ白なのがアカツメクサというのだから、なんとも面白い。 ムルクメリは対岸から見ただけで、中には入りません。中は他の村と同様の石の建物と泥だらけのデコボコ道があるのでしょう。対岸から見ると、魔法使いと妖精でも出てきそうな不思議な光景です。 今回初めて見たオレンジと黄色の混ざったような独特の色のポピーです。この日はここに数株しかありませんでした。ちょうどムルクメリと川をはさんで反対側のあたりです。 村と村の間のちょっとした土手にわりと大ぶりのサクラソウが・・と思ったら、帰国後、調べてみると、これはサクラソウではなく、シソに近い仲間です。ベチョーでは花の数も少なく、見栄えもしませんでしたが、ここでは後で、山の斜面でもたくさんみかけました。 写真上下 Betonica macrantha (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.189, The
Caucasus and its Flowers, p.238) 写真下もベチョーで見かけた花で、こちらのほうがやや小柄です。 写真上 Verbascum laxum (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.) 振り返ってもムルクメリの村が見えなくなる頃(写真下左)、行く手に谷川が見えてきました(写真下右)。 鮮やかなピンク色の花、と思いきや、良く見ると花は白で、花をつけているガクがピンクなのです。これなら長期間、花が咲いているよう見せかけられますから、虫を引きつけるための作戦でしょう。 写真上下 Melampyrum caucasicum (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.195) 私は花の写真を撮っているので次第に遅れ、南斜面を登り始める頃にはかなり離れていました。山の斜面を登り始めると、ポーターが谷川のほうに行く先頭グループとは別な道を歩き始めました。目的地ははっきりしているし、樹木がないので先頭グループも見えますから、私は地元の人間であるポーターに従いました。 実はこれは正解で、山岳ガイドに連れられた彼らは谷川を渡るようなコースを進んだため、けっこう大変だったようです。この時だけは間違いなくポーターは役立ちました。 写真上下 Geranium renardii (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.117) メスティアでもフウロソウが見事でしたが、ここでも斜面にたくさん咲きそろっています。 数は少ないが色の薄いフウロソウもあります(写真下)。 ここから下のフウロソウは上とは別種ではないかと思われます。花が赤みをおびて、やや小柄で、しかも、その多くは日陰に咲いていました。 写真上下 Geranium ibericum (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.117) 白いヤグルマギクです。ただし、これをヤグルマギクと言っていいのかどうかわかりません。日本の栽培品のヤグルマギクに比べて、花が大きく、背丈が低い。後で同じような外見で、紫色のヤグルマギクがありました。 写真上 Centaurea cheiranthifolia (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.243, The
Caucasus and its Flowers, p.313) ベチョーで良く見かけたハクサンチドリの仲間です。 写真上 Dactylorhiza urvilleana (The
Caucasus and its Flowers, p.367) 写真下はオミナエシの仲間のように見えます。 写真上 Pastinaca armena (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.151) 谷のほうから登ってきた先頭グループと斜面で合流し、斜面を登っていきます。 写真下はフランスギクと花が似ていますが、花の下の葉までの茎が長く、葉がシュンギクのようで、違います。 写真上 Pyrethrum parthenifolium (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.255) ほんの少しですが、ワスレナグサの仲間が咲いています。 写真上下 Myosotis alpestris (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.177) 写真下左が斜面の下にある川の上流、写真下右が下流です。 紫色が鮮やかなキキョウです。写真下左の岩場に咲いていたのが、小柄で一番きれいでした。 写真上 Campanula collina (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.225, The Caucasus and its Flowers, p.273) 写真上のキキョウに対して、写真下のキキョウは大ぶりで花の付き方も違うから、別な種類でしょう。インドの花の谷にたくさん咲いていました。 写真上 Campanula latifolia (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.221, The
Caucasus and its Flowers, p.272) こちらは白いキキョウです。いずれもそんなに数は多くありません。 写真上 Campanula ochroleuca (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.221 斜面にはたくさんのノイバラがあり、私は大いに喜ぶ。 写真上 Rosa oplisthes (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.91) 私はノイバラの素晴らしい香りに頭をクラクラさせている内に、どうもメスティアなどでかいだノイバラの香りと微妙に違うように気がしました。バラの種類は同じでしょう。でも、匂いが違うなんてあるのだろうか。 バラをたくさん載せましたので、皆さんもバラの香りに酔いしれてください・・・と言われても無理か。 ベチョーやメスティアと同じように、白の中に薄いピンク色のバラが混ざっていて、これまた本当にきれいです。 こちらは地面からわずか十センチほどの高さに生えて花を咲かせていたピンクのバラです。背の高いバラにはこれだけのピンク色のバラはありませんでした。 写真上 Rosa canina (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.93) イブキトラノオが咲いている斜面をかき分けながら登っていきます。 写真上下 Polygonum carneum (Mountain Flowers
and Trees of Caucasia, p.33) 写真上 Genista flagellaris (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.99) 写真上 Anthemis marshalliana (The
Caucasus and its Flowers, p.303) 写真上 Tragopogon reticulatus (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.269, The
Caucasus and its Flowers, p.417) 上と下では花がとても似ていますが、花の付き方、葉などが違いますから、別種です。 一種類の花が咲いている所もあれば、様々な花が混ざっている所もあります。とにかくどこもここも花だらけ。 写真上 Rhynchocorys elephas (The
Caucasus and its Flowers, p.251) しばらく行くと、今度は白いマンテマの大群落です。 写真上下 Silene wallichiana (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.43) 城跡らしい建物の下を少し通りすぎます。あと少しです。 アズマギクが日陰にいくつか咲いています。薄いピンクが私はとても気に入りました。 写真上下 Kemulariella caucasica (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.253, The
Caucasus and its Flowers, p.298) 写真上 Silene spergulifolia (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.47) タマラ女王の城跡の周囲には斜面とはちょっと違う花も咲いています。写真下はきれいなヤグルマギクです。登ってくる途中の斜面のヤグルマギクは白でしたが、こちら青とも薄紫ともつかない微妙な色がとてもきれいです。 写真上 Centaurea nigrofimbria (The
Caucasus and its Flowers, p.314) 写真上 Vicia variabilis (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.107) タマラ女王の城跡 タマラ女王の砦跡に到着しました。強者どもが夢の跡という言葉どおりで、砦の外壁と塔が残っているだけで、草に覆われています。 ウシュグリ自体が今でも山奥なのに、その山奥のさらに山の上にどうしてこんな砦をわざわざ築いたのでしょう。日本でいう山城です。タマラ女王(Tamar Bagrationi, 1160年? - 1213年、在位:1184年 - 1213年)は1200年前後に在位した女王で、ジョージアの領土も拡大し、文化も最盛期だったので、死後は聖人に列せられたほどでした(下)。彼女の二人の子供たちも王位に就き、モンゴルが攻めてくるまでのこの治世がジョージアの黄金期でした。
(ウィキペディアから転載) 1925年頃、ジョージアを旅行した冒険家は、次のような歌が歌われていたのを聞いています。 ・・かくて山々は頭を垂れたり。 タマラは王冠を戴きスヴァンの土地に来りぬ。 タマラの眼差しは宝石のごとくありき。 絹の短衣の上に鎧を着け 黄金の帯を締め 腰に王の剣をおびいたり (『コーカサス紀行』F.ナンセン、科学主義工業社、昭和17年,81〜82頁) どうやら、こういう歌や、各地にタマラ女王の遺跡があるところを見ると、彼女がこういう山の奥まで出かけてジョージアという一つの国にまとめたようです。 いずれにしろ、この塔の遺跡があるおかげで、日陰を好むような草花が咲いています。黄色い花が石垣に似合っていますね。 斜面ではあまりなかったシシウドがたくさん生えています。 写真上下 Heracleum wilhelmsii (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.155) 斜面の途中にもあった大柄なキキョウがここでも見事に咲いています。石積みと良く合う。 写真上 Campanula latifolia (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.221 写真上 Stachys balansae (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.187) 写真下の菜の花の仲間は、こういう岩場を好むようで、村の石垣の壁などにも生えていました。 頂上からは北側に、我々の泊まっているウシュグリ村と背景にはシハラ山が見えます。明日は村から山のほうに向かってハイキングする予定です。せめて今日くらいの天気が維持できれば良いのですが・・・。 ここは地元の人たちから見れば裏山みたいなものです。ここからは村の北側だけが見えて、我々のゲストハウスも見えます。写真下の、右上に集落とは離れてぽつんと立っているのは教会です。 シャクナゲがかろうじて一つだけ花が残っていました。 写真上 Rhododendron caucasicum (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.157) 写真上 Pastinaca armena (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.151) 同じ道を戻る タマラ女王の城跡が今日の目標地点でしたので、村に戻ります。ここから眼下に見えるウシュグリの村に北側の斜面を直接降りて行くルートもあるのですが、道が険しく、花も少ないとのことで、ここまで来た道を引き返すことになりました。頂上付近からして植相が違うのだから、山の北側はもっと違うだろうと期待していたので、ちょっと残念です。北側の斜面は林ですから、たしかに花の数は少ないはずです。 引き返すと言っても、山の斜面ですから、道はあるようなないような、歩けばそこが道になってしまいます。他の人たちが登ってきた谷川ルートを戻るのかと思っていたら、谷川を渡るのに靴を脱ぐなど苦労したようで、それは避けたいとのことでした。 どうやら、ポーターの示したルートのほうが正しかったらしい。 写真上 Hypericum perforatum (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.135) 写真上 Tragopogon reticulatus (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.269, The
Caucasus and its Flowers, p.417) 写真下の光田さんの持っている地図を見ても、本来は谷川を三度渡り、タマル女王の西側の尾根に到着するのが正しいルートのようです。先頭グループは谷川をわたる所まではこれと同じルートを取ったのでしょう。一方、ポーターに従った我々数人は川を渡らず、そのまま斜面をつききってタマル女王の塔の東側にたどり着いています。 城跡にたくさん生えていたシシウドが川のそばにも生えています。 写真上下 Heracleum wilhelmsii (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.155) 写真上 Asyneuma campamuloides (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.231, The
Caucasus and its Flowers, p.293) 山岳ガイドもそんなに道を知っているわけではないらしく、道なき道を上がったり下がったりしています。道でない草の生えている斜面を降りるのは滑るのでけっこう大変です。草原を道を作りながら降りて行くという感じです。 写真上右 Alchemilla tredecimloba (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.89) 斜面を適当に下って行くと、また別なお花畑が現れます。 写真上下 Betonica macrantha (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.189) 村の近くでも見かけたサクラソウに似たシソの仲間です、 写真下はメスティアの氷河の近くでも見かけた黄色のキクの仲間です。メスティアでは小柄でしたが、ここは川のそばで日当たりが良いせいか、大きい。キンセンカを大柄にしたような感じで、このまま切り花に使えそうです。 写真上 Inula gradiflora (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.259) ポーターが写真を撮れと指さすので見るとイモムシです。彼のお手柄で、さすがは地元で目が良い。これだけ花が咲いているのに、風が強いせいか、あまり蝶々などは飛んでいません。 写真下左はハイビャクシンの仲間のようで、草を押しのけて広がっています。この斜面にはほとんど木らしい木が生えていません。このハイビャクシンも気がついたのはこれ一つで、後はせいぜいバラくらいです。 周囲の山は樹木もあるのに、南斜面のここだけが木が生えないのはどうしてなのでしょう。村の周囲に木がないのはたぶん家畜が芽を食べてしまうからです。しかし、ここは家畜に荒らされた様子もありません。もっとも木がないおかげでお花畑ができたのです。 谷を下り終わる頃、ポーターの村・ムルクメリが見えてきました。 彼が対岸の村の方向に指笛を何回か吹くと、薪割りをしている人が手を振ります。きっと家族なのでしょう。 三番目のチャザシ村が見えてきました。雪山を背景にして石の塔が並ぶ集落を見ると、おとぎ話にでも出て来そうな村です。 村の中は犬がたくさんいます。足にじゃれつくようなかわいい犬もいれば、猛然と吠える犬もいる。ここでもネコは見かけません。 ネコはいないが、ブタ君は大勢(写真下)。 村の中では我々は見られる側です。狭い村だから、東洋人でなくても、よそ者はすぐにわかるのでしょう。 写真下はベロニカというときれいな名前ですが、日本名はイヌフグリです。ジョージアには固有種のベロニカがあるようですが、これは村の中に咲いているくらいだから、一般的なほうでしょう。 写真上 Veronica filiformis (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.) 集落の中に入ってくると、私のポーター君は会う人と必ず挨拶をします。つまり、村の中は皆さん知り合いなのだ。おそらく何かあれば一日で村中に噂が広がるのでしょう。 おばさん「あ〜ら、あんたリュックなんか背負って、どうしちゃったのお?」 ポーター「あ、これ、軟弱な日本人が裏山に行くのに荷物も背負えないっていうから、代わりに持ってやってんのさ」 などという会話があったかどうかは知りません。 写真下の花は村の中にありました。図鑑を見ると世界中どこにでもある植物のようです。 写真上Hyosciamus niger (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.195) 荷車ならぬ荷ソリにまた会いました。黒猫ならぬ茶牛の運送業は流行っているようです。 教会に行こう ゲストハウスに無事到着(16:48)。 夕飯まではまだ時間があるので、希望者だけ村の北側にある教会(Lamaria)に行くことになりました。タマラ女王の城跡から村はずれに見えたあの教会です。教会は目の前に見えるのだが、そこに行くには、グルっと迂回しないと行けない。直線的に行こうにも、良くみると緑色の塀で囲まれていますから、やはり迂回するしかありません。 ゲストハウスからは北東にあるシハラ山が見えませんが、この教会を下から望遠レンズで撮ると、二十キロも先にあるシハラ山が教会の真後ろにあるかのような写真が撮れます。すでに紹介したゲストハウスのホームページがまさにそういう構図です。残念ながら雲がかかっていて、同じ構図で撮っても、雲しか写りません(写真下)。 (http://lileo-ushguli.blogspot.jp/より転載) そういう面白い写真が撮れないことよりも、心配なのは天気です。明日はハイキングの最終日です。村の近くタマラ女王の城跡があれだけのお花畑なのだから、シハラ山のほうもすごいに違いありません。我々の前のコースでは最終日に雨に降られたと言っていたので、気になっています。しかも、教会のある丘から見たシハラ山は雲に覆われています(写真下)。 教会の周囲を百八十度迂回して、ようやく北側から敷地内に入りました。上から見ると、教会の南側は我々が歩いた道に沿って柵があり、内側はどうやら墓所です(写真下左)。下のほうにゲストハウスのある村やさらに下の村が見えます(写真下右)。 遠くから見えた写真下左の塔は教会そのものではなく、戦争時に逃げる塔のようです。まさか神父が剣で戦ったというわけではないと思いますが・・・。教会そのものは、塔の東側にあり、写真下のように丸く塀で囲まれています。 Googleの地図を見ると、ここはChurch(教会)という記載ではなく、Lamariaとあります。ラマリア教会(Lamaria church)は11世紀建立の教会で、地元の人はタマル女王がこの教会の下に埋葬されていると信じているそうです。 下記の警告はたぶん短パンやジーパンがいけないという意味なのでしょう。ジョージア正教会は服装についてずいぶんとうるさい。 ダリさんなどが司祭に交渉してしばらく待つと、鍵を持った司祭がこの小さな教会を開けてくれました。狭い入り口から入ると、そこは写真下左ように廊下になっています。祭壇のある部屋はこの写真の右側です。 マリア様の光輪! 堂内はかなり狭く、光は入り口側の上に小さな窓から差し込んでいるだけです。壁や天井にフレスコ画が残っており、フラッシュは焚けないので、薄暗いのは勘弁してください。その代わり、肉眼で見た雰囲気もこんなものです。壁画は判読が難しいくらい痛んでいます。 この赤いカーテンの向こうを見てみたいが、開けてくれとも言えない。 祭壇の両側に並べられたイコンはイエス本人の絵は一つだけで、特に左側四枚はすべてマリアの絵です。他の教会同様に、ジョージア正教はカトリック系のマリア信仰が盛んのようです。 光田さんが祭壇と反対側の高窓の写真を撮った時、奇跡は起きたのです! 光の輪が写ったではありませんか!(写真下) 皆さんは、強い光にレンズを向ければフレアなどのゴーストが出るのは当たり前だ、などとおっしゃるでしょう。いいや、そんな科学的説明など断固拒絶しましょう(と激しく決心する)。 私と光田さんはすぐに直感し、確信しました。 明日は晴れだ!!ヤッター、ヤッホー!! (撮影:光田翼氏) マリア様から「明日も晴れにしてあげるよ」というお告げに決定です(笑)。 山の天気ですから、二日も晴天が続けば積乱雲が出来て雨が降ってもおかしくありません。 我がグループの黒石さん(仮名)は、旅行の最初から晴れ男を告白し、ハイキングはすべて晴れになると断定していました。確かに今日の三回目のハイキングまで晴れ男の力でなんとか持ちましたが、私は黒石さんの顔を横目で見ながらかすかな不安を持っていました。前のグループだって、晴れ男や晴れ女がいたはずなのに、最終日に雨だったではないか・・・。 ところが、ここにマリア様から最強の保証を得たのです。我々は明日の晴れを確信して、「素晴らしいマリア様だ」と感動しながら、意気揚々と教会を出ました・・単純。 教会の敷地で、雑草の間になんとも奇妙な花を見つけました。葉はなく、花だけが咲いています。日本でいえばヤセウツボに似ています。ヤセウツボは帰化植物で、原産は地中海だというから、親戚なのでしょう。 黄色(上)と茶色(下)がありますが、古くなったから茶色になったのではなく、元々違うようです。今回の旅行で、唯一ここで見かけた植物です。 帰りは来た時とは別の道を通ります。ちょうど教会を反時計回りに一周したようなものです。周囲の風景は雄大です。写真下の山を、左下に写っている人と大きさを比べてください。 夕方の高原は暑さもいくぶん和らぎ、ゆっくりと散歩するのにはちょうどよい。 周囲の原っぱにはブタ君たちがエサを探しています。トゲのあるアザミだけは避けるから、白いアザミの花だけがいっぱい咲いています。 家畜たちが草原で草を食べてしまうので、草原はまるで草刈りをしたかのようです。しかし、その中でも食べられずに残っているのが、写真下のアザミです。ただし、これがアザミなのかどうか、今でもわかりませんか。こんなにわかりやすい植物なのに、図鑑から見つけられませんでした。 西側の対岸には馬が放牧されています。家畜を見ると、総じて肥え太っているという感じではありません。豚や馬の中には痩せているのもいました。 写真下左は天高く馬肥ゆる夏で、写真下右はロバでしょうか。換毛なのか、元々こういうロバなのか、毛がボロボロです。 写真上 Pyrethrum parthenifolium (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.255) 写真上 Myosotis alpestris (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.177) Googleの地図によれば、写真下の小さな建物はChurch Jgragという教会となっています。一方、我々が訪れた教会はLamariaと表示されているだけで、教会(church)という表示になっていません。写真下左で、後ろに我々が訪ねたLamaria教会が見えるように、このChurch Jgragはすぐ西側にあります。 こんな人の少ない地域に、隣接して教会が二つあるというのも奇妙な話で、ラマリア教会がタマラ女王の埋葬など、何か特別な理由で建てられた可能性は十分にあります。 写真上右 Verbascum laxum (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.201) ゲストハウスに戻って来て(18:12)、全員が真っ先にかけつけたのが、ゲストハウスの東側にあるビアガーデンです(写真下)。なんと生ビールが3ラリ(約150円)で飲める。私はコカコーラを注文すると2ラリですから、メスティアの1.2ラリよりも高いが、五十キロの悪路の運送料としてはそんなところでしょう。 七時から本館で夕飯です。メニューはこれまでとそれほど変わらず、私は三食とも野菜はトマトとキュウリ、主食にはチーズとパンです。 ここに来て初めて出たのがイチゴジャムとレモンジャムです。イチゴジャムは甘すぎて私の口には合いませんでしたが、レモンジャムは癖になりました。元々、私は渋みのあるマーマーレードが好きなこともあって、このレモンジャムはその代わりになります。パンにつけても、紅茶の中に入れてもおいしい。 私が入り口の台に置いてあった紅茶を入れて飲もうとすると、ミントの生の葉を差し出されました。ウシュグリのミントティーをいただきました。私も自分の庭で採れたアップルミントを良く飲んでいました。 テーブルで同席したついでに皆さんをご紹介しましょう。写真下左の二人がドライバーです。写真下右の右側の人が登山ガイドです。一見、とっつきにくそうだが、実際にはかなりフレンドリーです。 食堂の窓の所にシャボテンの花が咲いています。冬は2メートルも雪が積もるといいますから、屋外ではシャボテンは育たないでしょう。 写真下左が私の今夜の部屋です。特に良いも悪いもなく、ゲストハウスとしては合格でしょう。部屋には番犬もおります(写真下右)。 部屋の作りは粗雑です。部屋は板で仕切られているだけで、話し声などは丸聞こえで、隣の部屋だけでなく、廊下を隔てた他の部屋からも聞こえます。もっとも日本の家屋も防音という点では先進国の中では最低レベルだから、あまり大きなことは言えません。 私の部屋は入り口に面して窓があり(写真下)、窓の前はトイレの入り口です。他人がトイレに入っているのがすぐにわかるので、トイレに行く時は便利。 私の部屋には窓の他にもう一つカーテンがあるので、開けて見ると、本棚がありました(写真下)。壁に埋め込まれた本棚ではありません。元々は窓だった所に本棚を置いたのです。窓の向こうに増築したため、その窓の目隠しに本棚を入れたのでしょう。 本棚の中に家族のアルバムが二冊ありました。1982年〜1990年と書いてあります。この地方の古い行事の写真が残っていないかと見たのですが、ありません。いずれも家族そろっての記念写真ばかりです。しかも、大半が白黒写真です。日本で白黒写真だったのは1960年代までで、1980年代は趣味でもない限りカラーでした。 おそらくは一家にカメラはなく、撮ってもらっても白黒写真だったというのは、旧ソ連時代のこの国の経済状態を示しているのでしょう。 私の部屋はまだ良いほうで、光田さんの部屋は窓がない。窓があることはあるのだが、カーテンを開けると目の前に隣の部屋の窓があるという状態です。つまり、増築したのです。 ベチョーでもそうでしたが、私の部屋は観光シーズン以外は誰か家族の人が使っているのでしょう。私の部屋は化粧台やヌイグルミ、本棚に家族のアルバムなど、ゲストハウスの客室にしては奇妙な物がありすぎます。今の時期は部屋を開けて、稼げる時に稼いでいるのでしょう。 トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7
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