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11日目 2012719()

ドーハ → 関空 → 成田

 

 

帰国

 

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 3時間と少しの飛行の後、予定よりも少し遅れてカタールのドーハに着陸(カタール時間0:38、ジョージア時間1:38)。夜中なのに空港は混んでいます(写真下)

 

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 ジョージアもそうだったが、飛行機に乗る時の身体検査が厳しい。少々、ウンザリさせられるが、テロで飛行機が落ちるよりは良い。

 

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飛行機はB777-300ERで、三座席が三つの横に9列の座席です。私は希望どおりの通路側で、しかもエコノミーの一番前です。ここは前の隙間が十分にあるので足がのばせるし、私が立ち上がらなくても窓側の人たちは自由に通路に出られ、とても良い席です。

 飛行機は二時に離陸して、間もなく食事が出ました(2:41)。私はもちろん断りました。しかし、毎度、断るのは私くらいで、周囲の人たちはお酒を飲みながら、楽しく食事をしています。

 

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 眼下にはドーハの夜景が広がっています。前にも書きましたが、日本はこの国から天然ガスを言い値で買っていますから、あの灯りにも日本人が寄与しているのです。

 

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 足をのばせるので、しばらく眠ったようです。目が覚めると朝食が出ました(カタール時間8:03, 写真下)

 

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 飛行機は十時間近くの飛行の後、ほぼ予定時間どおりに関西国際空港に到着(日本時間17:06)。朝飯を食べ、午前中だと思ったら、ここで時間をカタール時間より6時間進めるので、いきなり夕方です。

 

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関空で大半の客が降りてしまい、私の隣にいた欧州を旅行して来たというご夫婦も下りました。偶然にも、私と同じカメラとレンズのセットを使っていました。夕暮れの関空を離陸(18:29)

 

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あら?窓から見ていると太陽がたくさんある!良く見ると、島の向こうの海に反射している。単に海の上に反射するだけなら、こうはならないはずだから、屈折率が違っているからでしょうか。

 

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 来た時と同じように、軽食が出ました(18:37)。朝食兼昼食を取っただけなので、これでは量が足りない。

 

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予定よりも早く成田空港に到着(19:28)。トビリシから18時間に及ぶ飛行も終了しました。

 

 今回の旅行は何といっても天気に恵まれました。一緒に行った人たち、添乗員、現地ガイドなど人物にも恵まれました。初めて見るコーカサスの花も素晴らしかった。

 

 参考のために、今回の旅行でかかった主な費用をまとめました。

 

主な内容

金額()

備考

旅費

298,000

 

再利用割引

-5,000

 

成田空港使用料

2,540

 

燃油サーチャージ

32,500

 

一人部屋

30,000

 

成田での駐車料金

3,000

成田エアーポートパーキング

ポーター 50ラリ

2,500

 

ポーター $45×2日=$90

7,200

 

旅行保険

8,750

AIU、救護費用無制限

 

 

 

合計

379,490

 

(1ラリ=50円、1ドル=80円として計算)

 

 

[追悼]

 一緒に旅行したWさんが、201211月に万里の長城の旅行中に亡くなられたという訃報を聞きました。Wさんからは「旅日記ができたら、連絡をちょうだい」というのが最後のメールで、残念ながら、間に合いませんでした。

 訃報を聞いてから思い出したのが、メスティアのゲストハウスの夕食での会話です。

私の向かいに座ったWさんと、このジョージアの旅の後、どこに行くかということが話題になりました。Wさんは「万里の長城を百キロ歩くのに参加しようかどうしようか考えている」と言いました。すると、隣にいたグループの中でも最年長のNさんが、

「あんたね、一週間も万里の長城ばかり見てたら、飽きてしまうわよ」

と、かなり強い口調でWさんの計画を否定的に言いました。

 Nさんは子育てが終わった後の五十代から山登りを始め、三十年間、日本はもちろん世界中の山を登っている正真正銘の山女です。今回のハイキングではいつも先頭を歩いていました。Wさんとは登山仲間ですから、その大先輩からの助言です。

 しかも、周囲で聞いていた人たちも、Nさんの意見に同調し、誰もWさんの案に賛成しません。私は、万里の長城など危ない所ではないのだから、かまわないじゃないかと、味方しようかと思いました。しかし、私以外は全員が山女、山男で、誰も賛成しないのは何か彼らなりの経験から言っているかもしれないので、登山について何も知らない私が口出しすることではないと黙っていました。

 Wさんは皆さんの否定的な反応にすっかり迷っていました。成田空港で別れる時も、「どうするの?」と私が聞くと「わかんない」と、いよいよ迷っている様子でした。そして、八月の最後のメールでも彼女は「まだ決めていない」との返事から、私は彼女は行かないだろうと推測していました。

 万里の長城で死者が出たというニュースを聞いた時、「まさか」と添乗員の光田さんに問い合わせると、ご本人らしいとの返事でした。

心より、ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

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