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10 11 3日目 7月11日(水) トビリシ → クタイシ 朝六時に起床。窓を開けると、見事に晴れています。 写真下右のように、ホテルから見て北側に新しい街が広がっているのがわかります。 本日はトビリシからクタイシまで西に235km走り、クタイシにある二つの世界遺産を見学します。 ホテルの十階にある素晴らしい眺望のレストランで朝食です。 一流ホテルですから、素晴らしいメニューです。ただここでも今ひとつ野菜が足りない。チーズは何種類もあり、私は片端から食べました。予想外にうまかったのが、イチジクです(写真下右)。日本のイチジクに比べて、ずいぶん長い。うまいのでお代わりをしました。帰国直前もこのホテルでしたから、朝食にさっそくイチジクを食べましたが、ダメでした。つまり、この種類のイチジクがうまいのではなく、この時のイチジクがうまかったのです。 8:35にホテルを出発。昨日と同じ大型バスなので、私は後ろの4席を占領して、左右に流れる景色を撮りました。 遠くに低い山が見え、周囲は農村と畑が広がっています。所々に街がありますが、大きな街はほとんどみかけません。 ジョージアは人口が400万人で日本の約30分の1、面積が70万平方キロメートルで日本の約5分の1ですから、人口密度は6分の1程度です。ジョージアの人口が少ないというよりも日本が多すぎるのです。日本のような狭い所に1億2千万人も暮らしていて、もっと増やそうという人の頭が理解できない。 道の周囲には静かで緑豊かな農村地帯が広がり、バスから見ている分には平和そのものです。ジョージアは日本と同じ山の多い国で、我々が行くロシアとの国境にあるカフカス山脈が盾になって、ロシアからの寒気団を防いでくれるので、ジョージアの平地は気候が比較的温暖です。 この国が独立したのは1991年ですから、まだ二十年ほどしかたっていません。しかも、2008年にはロシアと戦争して敗北し、翌年には軍事クーデターの未遂事件が起きるなど、この静かな農村風景とは違い、必ずしも平和な国ではありません。 写真下は、ジョージアには珍しく形のそろっている家なので、大規模な宅地開発かと思ったら、難民の住居だそうです。2008年のロシアとの南オセチア紛争で生じた26万人の難民の住宅です。クタイシに行くまで、何カ所か目につきました。 ドライブインの草花 ゴリ(Gori)を少し過ぎた所にあるドライブインでトイレ休憩です(〜10:17)。ガソリンスタンドと店がある道の駅で、Xを組み合わせたような奇妙な建物です。ドイツ人の設計だそうです。 (http://gypsy-village.blogspot.jp/2012/05/architectural-wonders-rest-stops-in.html) 下の衛星写真はまだこのドライブインが工事中だった頃のようです。こうやって上から見ると、ものすごく敷地が広いのがわかります。緑地の部分に横に線が入っていることから、ここは元々は畑だったのでしょう。 駐車場の上の空き地にたくさん花が咲いています。 写真では区別つきにくいが、たぶん上と下のアザミでは別種です。 ヒルガオが地面を這っています。 写真上と写真下は同じヒルガオと思われますが、写真下はピンクが混ざっていて、なかなかきれいです。 写真下の青い花はトビリシにも道路脇に生えていました。旅行中、他の所でも良く見られました。 写真上 Cicerbita racemosa (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.275) これまたどこにでもあるカモミールのような白いキクです。 花弁の青と中心部が赤いのがとても印象的なヤグルマギクです。 写真上 Centaurea nigrofimbria (The
Caucasus and its Flowers, p.314) 写真上 Lycopsis orientalis (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.) 日本でも栽培品として売られているニゲラと良く似た花です。 写真上右 Melampyrum caucasicum (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.195) ジョージアに来て、ようやくいろいろな花が咲いている所に来ました。休憩時間内でちょっと時間が短かったのが残念で、この日、一番花が咲いている場所でした。 車は再び穀倉地帯を西に走って行きます。 菜の花のような黄色い花が一面に咲いています。 西ジョージアに入る クタイシまでのちょうど真ん中頃にあるハシュリ(Khashuri)を通過しました。ここの街はハンモックで有名です。道路の両側の歩道で売っています。 道はハシュリの真ん中にあるロータリーで右に曲がります(写真下左)。ここでも売られている花はグラジオラスです(写真下右)。 ハシュリから北西に数キロ行くとスラミという街があります(10:58、780m、写真下)。ここは空気がとてもきれいなところで、呼吸器に病気のある人などここで療養するそうです。 下の衛星写真を見てもわかるように、ハシュリやスラミまでは茶色の平地なのに、スラミをすぎたあたりから緑が多くなり、道が山の中に入っていくのがわかります。スラミの空気の良さもこの山のおかげなのでしょう。 スラミをすぎて間もなくトンネル(11:06, 850m)があり、ここが東西ジョージアの境になっています。それまでの平地の道から山道になりました。 山道に入ってから目立つのが、道端で果物などを売っている人たちです。写真下左のように店らしきものがあるのは珍しく、大半はパラソル一つの下に少しばかり果物などを並べて売っています。自分の所で作った物をそのまま売っている雰囲気です。 写真下のように火にかけた鍋も見かけます。ヤカンではなく鍋ですから、お茶やコーヒーではありません。スピードをあげて通過するバスから見ているので、よくわからないが、たぶんトウモロコシをゆでて売っているのでしょう。 写真下左のオジサンは蜂蜜を売っています。きっと自家製なんでしょうね。蜂蜜大好きな私としてはぜひジョージアの蜂蜜を味わってみたい。 周囲は山に囲まれ、谷に沿って走ります。山の中腹にも家が建っています。あんな所まで水道が引いてあるのだろうかと余計なことが心配になる。 写真を見てもわかるように、建物はどれもほぼ四角です。これは今回旅行した範囲では、郊外の庶民の家はみんなこんな家でした。 壺の街 壺を売っている店でトイレ休憩です(〜11:53, 215m、写真下左)。ここは壺の産地らしく、この店の前後でも壺を売る店をたくさん見かけました(写真下右)。 オジサンが自家製のワインを飲めと車から出して、角状のコップを差し出します(写真下)。角状だから置くことができず、次から次と酒を飲むことになります。飲んだ方たちの感想では、まずいと言った人はいませんでした。 すっかり遅れてしまいましたが、我々のツアーの現地ガイドを御紹介します。写真下の赤いTシャツを着ているのがガイドのダリさんです。二十代前半で、新婚と言ってもいいくらいで、結婚して数年です。 彼女が若いのに結婚したのは、二十歳をすぎた頃から、親が早く結婚するように強く勧めたといいます。これはジョージアでは普通で、今でも25歳くらいまでに結婚するのが普通だそうです。三十年くらい前の日本がそうでした。 店の敷地にネムノキが咲いていて、壺となんとなく絵になっています。 私の関心は壺よりも周囲に咲いている花です。店の脇の川岸の道の周囲には少しですが、花が咲いています。 写真上 Sambucus ebulus (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.213) ツユクサは色といい形といい、日本と同じです。 今回の旅行ではあちらこちらに咲いていたカモミールのような花も道端に生えている。 写真上 Pyrethrum parthenifolium (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.255) 朝食べたイチジクの木があります。日本でも良くみる葉の形のイチジクと(写真下左)、別な葉の形のイチジクがあります(写真下右)。 チーズなど乳製品が豊富なのだから、牧畜が盛んだろうと思って窓の外を見ても、放牧してある牛などはそれほど多くありません。 山道をすぎて、再び周囲に畑や農村の広がる平地を西に走ります。 道端ではしばしばスイカが売られています。暑いのでスイカはうまそう。 マスのフライで昼食 クタイシに到着しました(12:46)。 クタイシ市の南にあるレストランで昼食です(12:50)。クタイシとは、偶然にも、石という意味だそうです。その意味どおりに、レストランは石でできた建物です。 写真下は入口であり、シュロが二本立っているのだが、そのシュロを石で囲んで電柱のようにしてあります。当然、シュロは枯れてしまった。いくらクタイシでも、何もシュロまで石にしなくてもいいだろうに。 写真下は入り口です。鉄の扉は日本人の感覚ではちょっと重苦しいが、ちょっとした装飾をつけているのがおしゃれです。 敷地内に離れのような建物がいくつかあり、そこで食事を取るようになっています。日本のように狭くて、他の客の声で、隣の人の話も聞こえないのと違い、ここなら大騒ぎしても他の人には迷惑をかけることはなさそうです。 料理はマスのフライが出ました。奇妙なことにマスが人数分がありません。食べた人たちはけっこうおいしいというので、人数分の追加注文をしました。 食事を終えて、クタイシにある二つの世界遺産、ゲラティ修道院とバグラティ大聖堂を見学します。まずは、郊外にあるゲラティ修道院に向かいます。 ゲラティ修道院 ゲラティ修道院はクタイシから東北方向に十キロほど離れた山の中にあります。 道の両側のなだらかな山の斜面に家が建ち並んでいます。 山の間の817号を北東に進むと、やがて右側の山の中腹に教会らしい塔が見えてきました(写真下左)。817号から道を右に曲がり、斜面を登ります。 ゲラティ修道院(The
Monastery of the Virgin - Gelati)に到着(14:40)。 修道院の参道には店が並んでいます。しかし、客が少ないから、オバサンたちは暇そうです。特に熱心に客引きもしません(写真下左)。古い石畳の門を通って、修道院の敷地に入ります(写真下右)。 教会の敷地は上から見ると、下の衛星写真のようになっています。 教会にはってあった図面で主な建物の配置をご紹介します(下図)。敷地の東北位置から入ると、目につくのが@ABの塔のある建物です。Aが一番大きな聖母マリア教会、@とBはたぶんどちらかが聖ジョージ教会と聖ニコラス教会です。Eは鐘楼、Cはアカデミー、Dは元はこちらが門で、この修道院を作った王様の墓があります。 番号と建物とを対応させています。 @ A 写真上左が@、右がA、写真下左の中央の塔がBで、右の小さな塔はたぶん鐘楼E、写真下右がC、さらに下段の写真がDです。 BE C D 円錐の三角屋根もよく見ると、おもしろい。写真下左@は工事中で屋根にビニールシートがかけてあり、その端からのぞいているのは緑を中心とするカルフルな瓦屋根です。写真下右のBと、その向こうにある鐘楼も同じようなカラフルな瓦屋根です。 @ B ところが、一番大きい聖マリア教会Aの屋根は、写真下のようにトタン葺きで、しかも錆びている。ここから推測するなら、前は間に合わせでAのようなトタン葺きにしていたが、みっともないので、全体を瓦屋根に改修している。つまり、いずれAも他の教会のように瓦屋根になるのでしょう。 A Bの建物は下が通路になっていて(写真下右)、教会そのものはその上にあるようです(写真下)。入ってみなかったのでどういうところなのかわかりません。 B 写真下はBの建物の北側にある鐘楼らしい建物です。 E E いよいよ、一番大きな建物であるAの聖母マリア教会の中を見学します(写真下)。 A 西の入り口を入ると天井などにはフレスコ画が残っています。写真下は入口にある聖人の遺体を安置する場所です。誰の遺体なのでしょう。 聖者の遺体やフレスコ画よりも私の関心を引いたのは水です。この修道院のブランド品として売っているようです。この水を飲んで病気が治った、なんて話が出てくれば、ここも巡礼者たちが押しかけるでしょう。「このマリアの奇跡の水を飲めば美人になる!」なんてのはどうでしょう。ジョージア中の女性が押しかけます。 教会の中に入るのには、女性はスカーフをかぶり、もちろん、帽子は取ります。 写真上が祭壇正面です。その上に描かれているのは、つまり中心になっているのはイエスを抱えたマリアです。写真では良くわかりませんが、マリアは青いマントを着ています。青い染料はラピスラズリなどの貴石を用いるので値段が高かったはずです。当時、ここが非常に繁栄していたことを示しています。 壁や天井や描かれたフレスコ画は、もちろん建築された九百年前(1106年)そのままではなく、17世紀頃までに描かれたというから、それでも三百年くらいたっていることになります。 壁面にフレスコ画が残っているのは、ソ連時代の破壊を免れたからです。たぶん、これをもっと色どり鮮やかにすれば、ジョージアの教会の元々の姿でしょう。この壁面を覚えておいてください。7月18日にはトビリシ市内の教会を訪れます。ここと違い、それらの教会の壁面には何もありません。 写真下が祭壇正面です。手前の十字架のある台などにイコン(聖者の遺影)が、さらに奥の左右にマリアとキリストのイコンが、さらに壁には左右に三つずつ、合計六つのイコンが描かれています。 祭壇向かって左側(写真下左)には、手前にマリアのイコンがあり、壁にも最初にマリアがあります。右側(写真下右)も手前にイエスのイコン、壁にも最初にイエスの写真があります。 ゲラティ修道院の最大の教会はここ聖マリア教会です。聖母マリアに重点が置かれているのは当然としても、マリアとイエスがほぼ対等に扱われています。この教会は1106年に建てられたと言われますから、カトリック同様に、当時のジョージア正教はキリスト教というよりも、マリア教に近かったのがわかります。 写真下は後日乗った車のミラーにぶら下げられていたイコンです。ここでもイエスというよりも聖母マリアです。 祭壇正面の一番左端(写真上左)、一番右端(写真上右)のイコンは衣服の色が緑と青の違いだけで、同じ図像ですから、たぶん天使などでそれほど重要な意味はなさそうです。 次に、マリアの左にいる青い服の女性です(写真下)。聖書と十字架を持つポーズから、ジョージアにキリスト教を伝えた聖ニノ(Nino,
296–338年)でしょう。彼女の布教によってジョージアではキリスト教が国教になりました。彼女の持つ十字架は葡萄の枝を髪の毛で縛った物で、現物がまだあるそうです。本人の髪の毛があるなら、どういう人種だったのか、調べられます。 髪の毛で縛った葡萄の十字架を「ニノの十字架」と名付け、髪の毛も金髪や茶髪といろいろと取りそろえて売れば大もうけ、などと不信心のヤカラはつい考えてしまいます。
写真上左:ウィキペディアから転載 祭壇の手前の代の絵と(写真下左)、祭壇の右側中央の絵(写真上右、写真下右)は内容的に同じです。真ん中に高い椅子に座った聖者が何か儀式をしているような絵ですから、ジョージア正教にとっての重大な出来事を表しているのでしょう。 ダリさんも静かに祈っています。参拝者はそれほど多くなく、また圧倒的に女性が多い。 写真下は右側の壁にあったローソクを乗せる台です。葡萄をイメージした足の作りが素晴らしい。修道院の建物の中で一番感激した物です・・・オレって変な物に感激する。 南側にある建物Dが写真下です。これは門であり、元々はこちらが入口だったそうです。 D 建物の中に入ると、入口の床の下にこのゲラティ修道院を建てたダヴッド4世(1073–1125年)が埋葬されています。 写真下左の一番手前の床、写真下右の、青いシャツの光田さんと赤いシャツのダリさんが立っている向こうの床が王様の墓です。何も知らなければ、床として踏んづけてしまいます。 キリスト教では床に埋葬されていることが珍しくありません。人が踏んづける床に埋葬するというのは、日本人的な感覚からはちょっと違和感があります。でも、王様はこの修道院に入るためには誰もが通過する床に埋葬されることで、彼を全員が思い出すようにしたのでしょう。 千年後も思い出すようにという王様が写真下左の王様です。彼の墓は床としては役立っているのだから、日本の墓みたいに場所をとり、しかも気味が悪いだけで景観を台無しにする無用の長物とは違います。 彼はセルジューク・トルコを撃退し、「建設王」としてジョージアでは有名です。 我々がこの後で行くバグラティ大聖堂を作って、1089年に国土を統一したバグラト三世、その後にセルジューク・トルコを撃退したダビッド4世(1073 – 1125年)、その後のタマラ女王(1160 - 1213年)などが、ジョージアにとって国としても文化的にもの最盛期で、今日残っている有名な遺跡などがこの時代に集中しています。 最後に一番西にある建物Cを見学しました。中は何もなく、修復されているところです。ここはアカデミーの跡です。この修道院は単なる宗教施設ではなく、学問や教育機関でもあったようです。 展示してある昔の写真を見ると(写真下)、壁などが残っているだけで屋根が落ちていますから、写真上左の瓦屋根は最近作られた新しい屋根です。屋根瓦の渋めのオレンジ色は壁の石の色とマッチしていて、なかなか良いですね。 入口は東側(写真下右)、窓は西側にあり、見晴らしが良い。 写真下が修道院から見た風景です。山の斜面に家々が見えて、とてもきれいです。 九百年前は宗教だけでなく、学問の中心でもあった場所とは思えないほど、人が少ない。神父さんらしい人がいることはいます。 九百年前と変わらないのは花でしょう。バラやユリは聖母の象徴なのだから、もっと植えれば良いのに、赤いバラが一本だけです。 敷地には植えられた花が少ない。写真上のゼニアオイももちろん植えられたものではなく、雑草です。バラなど花をたくさん植えれば、石でできた建物との対比で、とてもきれいに見えるはずです。花に囲まれた聖母マリアの教会なんてロマンチックで女性には受けるのに、ここの神父さんはセンスが悪い。 写真上 Galeopsis bifida (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.189) 写真上下 Prunella vulgaris (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.189) 写真上 Sambucus ebulus (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.213) 店のある参道に戻ると、道のそばに赤い実をつけた木があります(写真下)。大きなサクランボかと思ったら、野生のスモモだそうです。手の届く枝の実はすでに食べられていますから、ワイワイ言いながら手をのばし、熟した実を取って食べました。実は小さいが食べられます。皆さん、教会を見学している時よりも、スモモを食べる時のほうが圧倒的に活気づいています。 牛と犬に見送られて、クタイシの街に戻ります。 バグラティ大聖堂 クタイシ市内に戻り、次の観光地であるバグラティ大聖堂に行きました。修復中で、中には入れないという悪い予感がしたが、やはり当たりました・・・こんなのは予感とは言わない。 工事中で中に入るどころか、そばに近づくこともできません。ウィキペディアによれば、足場がなければ写真下左のように見えるはずでした・・・あれ?目の前にある写真下右の建物となんか違う。 写真上左:ウィキペディアから転載 中央のドームが新たに作られています。元々ドームがあったのに1692年にオスマン帝国が大砲でぶっ飛ばしたのです。世界遺産に登録されたこともあり、建築された11世紀当時の姿に戻そうというのでしょう。個人的には興味がないが、たしかにドームがあったほうが様になります。 暑いので木陰で、ダリさんが一生懸命にバグラティ大聖堂について説明して、皆さん熱心に聞いています。約一名のみが説明を無視して、花の写真を撮っています。 写真上 Mentha longifolia (Mountain
Flowers and Trees of Caucasia, p.191) ここは白いマツムシソウがたくさん生えています。 写真上 Cephalaria gigantea (The
Caucasus and its Flowers, p.271) 写真上 Hypericum perforatum (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.135) 写真上 Trifolium pratense (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.113) 写真上左 Galeopsis bifida (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.189) 写真上右 Cicerbita racemosa (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.275) バクラティ大聖堂はクタイシの北側にある丘の上に建っているので、見晴らしが良い。私が城壁に登り、写真を撮っていると、地元の若い女の子たちも登ってきました。すると、管理人らしいオバサンが血相を変えてやって来て、危険だから降りるように叱りました。彼女たちが登ってきた所には立ち入り禁止の看板があったのです。しかし、私はもっと手前から花を探しながら登ったから、看板には気がつきませんでした。おかげで、私だけは市内を一望する写真が撮れました。 このあたりはゆるやかな丘になっていて、緑の多い住宅地が広がっています。 葡萄棚のある家が多い。ゲラティ修道院に行く途中の道に面した家にも葡萄棚がありました。さすがはワインの発祥地と言われるだけあって、よほどブドウの栽培に適した気候なのでしょう。 高台のゲストハウス ゲストハウス泊に到着(16:42、18 DEBII shkhnelebi STREET,KUTAISI)。バスで来ましたが、バクラティ大聖堂からは歩いても来れる距離です。ゲストハウスは住宅街にあり、おしゃれな白い建物です。 部屋が足りず、一人だけ別だというので、すぐに私が名乗りを上げました。私は「それでは、皆さん、さようならア」と、にこやかに挨拶して、家主のナテラおばさんに手を取ってもらい案内され、別なゲストハウスに行くのかと思ったら、単に二階の部屋がなく、一階の一番奥になるという話でした。 部屋はちょっと狭く、設備も平凡だが(写真上)、何よりもここの魅力は窓の外の景色です。建物が斜面に、それも南斜面にあるので日当たりも良く、一階からでも市内がきれいに見えます(写真下)。 二階のベランダで、ネスカフェのインスタント・コーヒーをご馳走になりました。味はともかく、風通しのよいベランダでいただく午後のコーヒーはおいしい。 先ほど修道院で食べた野生のプラムがここにもあります。実が小さいだけで野生ではないのかもしれません。写真下左のプラムを持っているのがナテラおばさんで、きさくでとてもおもしろい人でした。 庭には写真下のような大きなアザミも咲いています。 市場に行ってみよう コーヒーをいただいた後、皆さんで散歩に出ることになりました。私は光田さんに市場に行けないか提案してみました。バスで市内を走っている時、眼下のリオニ川の左側に大きな市場があるのを見たからです。ここからなら歩いても行ける距離です。 ゲストハウスは丘の斜面にあるので、下まで降りるのには迂回しないと行けません。南側にある遊園地の中を通っていきます。 掲示板を見ると、ずいぶん色々な遊具が準備されています。 メリーゴーランドがあります(写真下)。私は乗りたいのに乗ったことがありません。小さい頃に見た映画の記憶なのか、音楽に合わせてあの木馬に乗って回っていると別な世界に行ってしまうので、恐くて未だに乗れないのです。 遊園地の崖を下りて行くと、薄暗い木立の下にソバナのような花が咲いています。 写真上 Campanula codifolia (Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.223) 崖を降りて川沿いの通りに出たところに、奇妙な銅像があります(写真下)。男性が腰に手をあて立っており、女性がその上から真っ逆さまに落ちてくるという構図です。サーカス風に、女性が男性の上で倒立しているとも見えますが、それなら彼女のローブのような衣類はめくれているはずです。宇宙遊泳でもないようだし、いったい何を意味しているのでしょう。ジョージア人ならすぐに思い浮かべるような何かの場面なのか、それとも彼らにも訳わからん像なのか、聞いてみようとしているうちに皆さん先に行ってしまいました。 リオニ川の橋を渡ります。けっこうな水量です。我々のゲストハウスは、写真下左の左側上にあります。 橋を渡ってすぐのところにある建物の壁面にレリーフがあります。ジョージアの人にとっては何か意味のある内容なのだろうが、外部の私が見ても、何を言いたいのかはわかりません。葡萄模様がきれいだなくらいです。 橋を渡りパリアシュヴィリ通りを少し行って市場に到着。市場、トイレ、食べ物、音楽はその国を知る上で簡単で重要な項目です。トビリシでは市場がなかったので、クタイシの市場に大いに期待しました。 市場の野菜は種類も豊富なのに、これまで食べたジョージア料理はどれも野菜が少ない。たいてい野菜は生のキュウリとトマトが主です。それはそれでおいしいのだが、私はイモムシが親戚にいるので、青い野菜をもっと食べたい。 写真下に写っている人たちを見てください。私がカメラを向けていることへの反応です。誰も嫌がっていません。にらんでいるように見えるのも、実はそうではなく、むしろ好奇心から見ているのです。 この市場の人たちの反応がジョージア人の典型で、取っつきが悪そうに見えるが、交流してみると、フレンドリーな人たちが多いという印象でした。 フレンドリーな証拠に、光田さんは、ワインでほろ酔い気分のオジサンたちに捕まって、「一杯やれよ」と飲まされています。ちなみに光田さんは下戸です(笑)。 市場から出て、通りに沿った店を見てみましょう。写真下右のキリストなどのイコンを売る店があるのがいかにもキリスト教国らしい。 パリアシュヴィリ通りをさらに東に少し行くと、ブルヴァリ公園があります。噴水のある市民の憩いの公園といった雰囲気です。 ネット上の旅行記を見ると、ジョージアで一番犯罪が多いのはこのトビリシで、公園などの若者は危険だから、近寄らないほうが良いと書いてありました。しかし、我々が行った範囲では、街も公園も危険な雰囲気はなく、危なそうな人も見かけませんでした。 何よりも警察官をあまり見かけないのは、治安がそれほど悪くないからでしょう。 クタイシは意外な点で日本とつながっています。第二次世界大戦でのシベリア抑留者のうち、五十人ほどがジョージアで亡くなっており、このクタイシで墓所が確認されているといいます。今でも日本からは丸一日かかるこの国で、望郷の念にかられながら亡くなったかと思うと、胸が痛い。 芝生の中に小さな白い花が咲いています。 公園を過ぎると、街の中心地ともいえるダヴィド・アグマシェネベリ広場に行き着きます。中心の噴水にはダヴィド4世の騎馬像があります、という説明だったが、馬は見えても王様が見えない(写真下左)。先ほど訪れたゲラティ修道院を建てたあの王様です。 写真下の通路がおもしろいと思いませんか。建物の一部が歩道に突き出ており、そこがアーチ式の通路になっているのです。歩道の上に建物が建っているわけで、日本だったら法律の規制があって、こんなおもしろいことはできないでしょう。 建物の中から人が出て来るところです(写真下)。これなどもちょっとユーモアがあり、設計した人の遊び心がうかがえます。 写真下は街中の芝生の中に植えられていた花です。とても大きく、堂々とした花です。 写真下左はフジの仲間、写真下右はノウゼンカツラで、いずれもゲストハウス近くの民家の庭で咲いていました。フジとノウゼンカツラが同時期に咲くというのもおもしろい。 写真下右はリオニ川の川辺に咲いていたモクレンのような花です。写真下右は民家の庭に生えていた樹木で、丸い実の上にオレンジ色の小さな花が咲き、花が終わるとそのまま実になるようです。 ゲストハウスに戻り、風通しの良い二階の通路で夕飯です。 部屋のベランダからの眺めが良いので、見飽きません。写真下の4枚はほぼ同じリオニ川の橋のあたりを撮ったものです。 トップページ 日程表 1 2 3
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