トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ヒマラヤの青いケシ 3日目 2015年7月7日(火) テーズプル → ディーラン 5:40頃起床。雲はあるが晴れています。下の写真方向が北で本来ならヒマラヤが見えるはずなのに、雲がかかっているのが気になります。 本日は、テーズプルから標高1700mのディーランまで行きます。下の衛星写真を見てもわかるように、平野を離れて、いよいよ、ヒマラヤへと入っていきます。 散歩の地図がない 朝食の前に朝の散歩です。門の守衛さんはまだ眠っていますから、起こさないように静かに行きましょう(写真下)。 私はたいてい散歩のためにホテルの周囲の地図をグーグルから見つけて印刷して持って来ることにしています。今回、グーグルの地図でホテル名の「The Fern Residency Tezpur」を検索すると、テーズプルの南のブラマプトラ川の近くにある「The Fern Residency」という別なホテルが出て来ました。住所を確認しなかったので、このホテル付近の地図を準備して来ました。もちろん、まったく役に立ちません(笑)。 地図がないので、適当に歩くことにしました。写真下の赤い線が私の朝の散歩コースです。 ホテルは幹線道路(後で国道52号だとわかった)に面しており、朝の出勤や通学が始まっています。 道端で白ヤギさんと黒ヤギさんはのんびりと寝そべっています(写真下)。もちろん、通行人たちは誰も気にしません。実家で飼っていたので旧友と会ったような親しみを感じて話しかけるのだが、彼らは私を知らないらしく、近づくと逃げる(笑)。 道に並行して線路があるが、半ば草や土に埋もれているところを見ると廃線になったようです。 幹線道路から集落の中に入る道路はどれも小型車がかろうじて通れるくらいの幅しかなく、私が行った先は行き止まりでした。どうやら、区画整理されたのではなく、自然発生的な集落らしい。 住民たちはカメラを向けても嫌がりません。 犬クンたちも嫌がらない。写真下左の犬クンは逆光で顔が良く見えなかったので、反対方向からも撮りました。どちらから撮っても嫌がらない。 あちらこちらに池があります。ここはブラマプトラ川などによって作られた平地だからでしょう。しかし、驚くことに蚊がいない。 写真下は、牛が池に入り込んで出られないらしい。言うことを聞かない大きな牛をどうやって引き上げるのだろう。 水が多いので、水辺の植物もたくさんあります。写真下の花は高さも花の形もタチアオイのようで、大きな花を咲かせ、薄いピンクがきれいです。池の中に生えているので花はたくさんあるのに撮りにくい。 日本でもお馴染みのホテイアオイがきれいな花を咲かせています(写真下)。 写真上 Eichhorania
crassipes (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.741) 写真下も日本では悪い意味でお馴染みのボタンウキクサ(ウォーターレタス)です。見るだけならきれいな緑です。 水辺にはたいていあるのが写真下のサトイモの仲間です。花はないが、大きな葉を茂らせています。写真上のボタンウキクサもサトイモの仲間だそうです。 ここに住んでいる人たちは必ずしも農家ではないようだが、いくつかの家では家畜が飼われています(写真下)。 庭先にジャック・フルーツがいくつも実を付けています(写真下)。木の幹から直接実がぶら下がっているのはいつ見ても奇妙です。 街路樹や家の庭木で花を咲かせているのは珍しくないが、樹木は背が高くて花の写真が撮りにくい。 写真上 キバナキョウチクトウとハイビスカス 写真下右は落下していた樹木の花です。落ちたばかりのような花弁がたくさん地面にあるのに、どの木から落ちてきたのか、いくら頭上を見上げてもわからないのは奇妙です。 道端の野草も花を咲かせています。 七時から、ホテルのレストランで朝食です。色からして辛そう。もちろん私は試しません。 田園地帯を走る 八時に荷物を運びだし、8:15にホテルを出発。 街を少し出ると緑豊かな田園風景です。 昨日と同じように、広々とした田んぼで人々が田植えに忙しい。おそらく今年二度目の田植えでしょう。年に二度も米が取れたら、豊かでしょうね。 暑さに慣れているインド人も日傘を差している女性が多い。 ノボタン 一号車の松森さん(仮名)が道路脇にノボタンを見つけて車を停めました(8:46)。 写真上 Melastoma
malabathricum (Flowers
of India) 周囲は田んぼが広がり、集落があります。子供たちが集まって来て、魚釣りをしています。今日は平日なのに、学校はどうなっているのだろう? ここに来る途中でも、魚釣りをする人や子供の姿を見かけました(写真下)。 本日初めての花の撮影を終えて出発。少し行くと、先ほどまでの田んぼがなくなり、野原や林が広がるようになりました。 日差しは強く、天気は良好です。車は山に近づいています。手前の低い山はきれいに見えるが、高い山には雲がかかっているのが気になります。晴れていれば、五千メートル級の山々が見えるはずなのだが・・・。 アルナーチャル・プラデーシュ州に入る バルクポン(Bhalkupong)という街の検問所に到着(9:29)。アッサム州をすでに越えてアルナーチャル・プラデーシュ州に入っています。検問所といっても、写真下左のようなヤクの頭部をイメージした印のある門があるが、これがゲートではありません。 私たちは外国人ですから、事前に50ドルを払い許可証(Restrict Area Permit )を取らないとアルナーチャル・プラデーシュ州に入れません。また、ブータンなどと同じで、インド人のツアー・ガイドなしには入れません。インドがこの州に入るのを許可したのは1992年からで、2010年でさえも外国人の訪問者はわずか三千人ほどでした。 初日にも述べましたが、観光客が増えるきっかけは2012年に、旅行ガイド本を出版しているロンリー・プラネット社がこの地域を「最後のシャングリラ」として紹介したことでした(「インド北東部地帯のツーリズム」脇田道子、120頁)。翌年2013年から、日本でも西遊旅行などがツアーを催行し、2014年には日本橋トラベラーズクラブが青いケシのツアーを行っています。 検問所は実際には踏切のような遮断機があるだけで、あまり仰々しい雰囲気はありません(写真下)。ただ、許可の手続きを得るまでに四十分もかかりました。これは厳重という意味なのか、それともインドの常で、手続きに時間がかかるだけなのかはわかりません。雰囲気的には後者だと思います。 バサントさんが煩雑な手続きをしている間、私たちはのんびりと通りを散歩しましょう。 ここでもマンジガーZのような顔つきのタタのトラックが轟音をあげて通過して行きます(写真下)。 あまり大きな街ではなく、小さな店が通りに並んでいるだけです。果物は豊富です。朝の散歩で見たジャック・フルーツが売られていて、でかい(写真下右)。 果物屋の店先でパイナップルを切っています。なかなかの妙技です(写真下右)。でも、この後、これをどう切るのだろう? 写真下左は藤製品のように見えますが、竹です。別な店ではおじさんが熱を加えて竹を曲げています(写真下右)。熱くてたいへんそう。でも、コンクリートの床が冷たくて気持ちよさそう。 竹籠に入れられてニワトリが売られています(写真下)。この暑いのに狭い籠に身動きも取れないほど入れられたら、たまらないでしょう。食料といってもちょっと可愛そうな気がします。 日差しが強くて、歩き回るのもつらいくらい暑い。 蝶々もきれい ようやく無事手続きを終えて、出発です(10:10)。これまでと違い、山が間近に迫り、道路は川に沿った谷を上っていきます。 さっそく土砂崩れに出くわしました(写真下)。雨などで土砂崩れを起こすと、通行止めで先に進めないことがあります。ちょっと不安になりましたが、幸い、今回の旅行では足止めを食ったことはほとんどありませんでした。 滝の流れている所で車を停めました(10:27-11:00)。花がありそうです。 目立つのはツリフネソウで、さきほどの検問所の周囲にも雑草として生えていました。 ツリフネソウは私も簡単に見つけられますが、以下は他の人が探し出したものです。強烈な日差しの中、崖の影になっていて薄暗い中で、よくこんな小さい目立たない花を見つけるものだと他人の目のすごさにいつも感心させられます。 写真上 Globba
andersonii (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.716) 私は他の人が「こっちにあるよ」と見つけてくれると、走って行って真っ先に撮る(笑)。 写真上 Argostemma
sarmentosum (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.223) 写真下は葉を含めて見ると、シュウカイドウ(秋海棠)と良く似ています。 写真上 Begonia
josephii (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.356) 観葉植物のような模様の葉が崖の一面を覆っています(写真下)。しかし、いくら見ても花はありません。 写真上下 Rhaphidophora
grand (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.731) ところが、誰かがついにその花を見つけました(写真下)。指をさされてもわからないような薄暗い所に花が咲いています。花よりも、探し出した人の眼力に感動。 写真下はインドのツユクサです。日本のそれよりも色がぼけていて、きれいという点では日本のツユクサに軍配があがります。 滝のそばなので、水を求めて蝶々が集まっています。ペットボトルの下に頭をつっこんだまま動かない。ペットボトルから甘いジュースが流れているのかもしれません。アオスジアゲハとミカドアゲハに似たキロンタイマイです。 写真上左 アオスジアゲハ(Graphium sarpedon) (http://naukrituts.blogspot.jp/2015/08/butterflies-of-andhra-pradesh-graphium.html) 写真上右 キロンタイマイ(Graphium chironides) 写真下のヒョウモンチョウは日本のそれよりも色がややオレンジで、模様が薄い。これらと、この後の蝶は、蝶の専門家の竹野さん(仮名)に鑑定をお願いしました。 写真上 ミナミヒョウモン(Cirrochroa aoris) バナナの山 道路の両側の山の斜面で目を引くのがバナナ(芭蕉)です・・・たぶんバナナだと思うが。あんな急斜面に人が植えたはずはないから、自生なのでしよう。斜面にたくさん生えていて、日本ではまず見られない光景です。私はバナナの実を見つけたら、車を停めてタダでバナナを御馳走になろうかと探したのですが(笑)、時期が外れているのか、種類が違うのか、見当たりません。 標高千メートルほどで、紫色の花を松森さんが見つけて停車です。ごらんのように、斜面のヤブの上にあり(写真下左)、300mmの望遠レンズで撮っても写真下右くらいしか写りません。よくそんな所にある花を走る車の中から見つけるものだと驚かされます。 私など男性たちは斜面を強引に登って写真を撮りました。 写真上 Rhynchoglossum
lazulinum (Flowers of India) 写真下はショウガの仲間で、これから花を咲かせるところです。 さきほど見たシュウカイドウと同じベゴニアの仲間が少しだけ花を咲かせています。 写真下も目立たないが花なのでしょう。こんなふうにちょっと車を降りて探すといくらでも花が見つかる。 BRO 道は一応走れるが、あまり良い道路ではありません。舗装もいい加減だし、ガードレールなんてもちろんない。一昔前のインドの道路のままで、車とすれ違うのに、かなり気を付けないといけない。 写真下のように、道路脇の看板で目につくのが「BRO」で、こういう辺境の道路工事の責任を負う国境道路公団(Border Road Organization)のことです(http://www.bro.gov.in)。道路の整備を担当しているはずのBROが、逆に整備が今一つ進まない原因になっています。地元の工事業者との癒着が噂されているのです(「インド北東部地帯のツーリズム」脇田道子、127頁)。 日本も高速道路などの建設費用が欧米と比べて異様に高いことが何度か指摘されていますが、いつの間にかそんな話は消えてなくなる。利用料金が無料という話まであったのに、相変わらず料金は海外に比べてバカ高い。 道路が整備されていないのを看板の警告で補おうという魂胆なのか、看板は良く立っています。写真下右は森林局の自然保護を訴えた内容です。 「一本の木は多くの人の役に立つが、切ってしまったら一人の役にしかたたない (A standing tree benefits
many, a cut tree benefits one)」 写真下のドクロの羅列をごらんください。全部は撮れませんでしたが、見事に並んでいます。番号がついているのが良い。これが逆に「5,4,3・・」と並んでいたら、1の後はどうなるのでしょう(笑)。 ドクロと交通事故の写真はなかなか衝撃的だが、標語はいたっておとなしい。 「安全運転を Drive safely」 「気をつけろ、この先急な坂 Drive carefully, steep fall
ahead」 「登りの車に道を譲ろう Give way to uphill vehicles」 花と蝶 樹木にからみつく黄色い花を見つけて車を停めました。けっこう派手に花を咲かせています。蔓状でウリの仲間のようです。 写真上 Thladiantha.
cordifolia (Flowers of India) 写真上 Ophiorrhiza
rugosa (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.223) ハンゲショウのような白い葉をした植物に黒い蝶が蜜を吸いに来ています(写真下)。旅行会社から、キシタアゲハのメスではないかと教えてもらい、また蝶の専門家の竹野さん(仮名)からも同様の鑑定をもらいました。この地域のキシタアゲハ属は、キシタアゲハとヘレナキシタアゲハしかいないそうです。 写真上左と中 キシタアゲハ(Troides aeacus) 写真上 Mussaenda
roxburghi(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.224) 黄色いショウガの仲間です。葉がつやつやして元気そう。 細い柱の上で昼食 車はテンガ川沿いのデコボコ道を進んでいきます。 ナマンディ・バザール(Nag Mandir bazar, New Kaspi,
West Kameng)に昼食と、出入りのチェックを受けるために停まりました(13:24-14:25)。ここから先は軍事施設が多数あるために、チェックを受けます。 下の衛星写真を見ればわかるように、ナマンディ・バザールは崖っぷちの街で、北側は野生のミツバチの巣があるほどの岩でできた崖で(写真上右)、南側にあるテンガ川は街よりもはるか下にあります。 この街は対岸の道路からは写真下のように見えます。 道の両側に小さい店が並んでいます。写真下左では袋詰めのリンゴがあり、拳ほどもないリンゴが入っていて、日本円で三百円近くもします。 写真下右はチベット仏教のイベントの広告です。タワンという、我々が行くセラ峠のさらに向こうにある街の僧院で6月に行われた法要の広告です。ダライラマ14世も写真に載っているが、彼が来るという意味ではなさそうです。いずれにしろ、チベット仏教圏に入りつつあるのがわかります。 この街並みで目立つのがケータイのvodafoneの広告です。この街に限らず、道路の建物のあちらこちらで、これでもかというくらいこの赤い看板が出ています。 私たちの入った食堂の上にもでかでかと看板があります。 店の中は青く塗られた壁と赤いプラスチックの椅子に、電気がついていないので薄暗く、食欲をそそるような雰囲気ではありません(笑)。 部屋の壁のメニューにはJanta Hotelとあり、宿泊設備もあるのでしょう(写真下)。 店の入り口には小さな売店があります(写真下右)。その左側奥が厨房になっています(写真下左)。 部屋に飾られたポスターと(写真上左と下左)、売店に祭られた神様(写真上右と下右)は、真ん中がラクシュミー、その両側に楽器を持ったサラスヴァティーと象頭のガネーシャです。ここの一家がヒンドゥー教なのがわかります。 ラクシュミーは美と豊饒の女神で、怒りっぽい神様の多いヒンドゥー教の中では穏やかで、密教の吉祥天です。 サラスヴァティーは楽器を持っているのを見てもわかるように、技芸の神様で、密教の弁天(弁財天)です(下図中)。弁天が水に関係しているように、サラスヴァティーという名前の川の神様で、この川は伝承だと長い間信じられていたが、古代にそういう大きな川があったらしいことが衛星写真の解析からわかっています。象頭のガネーシャは学問や商売の神様で(下図右)、密教の聖天(歓喜天)です。 この三者に共通しているのは財産やお金の神様であることです。だから、ここで祀られているのでしょう。 上左からラクシュミー、サラスヴァティー、ガネーシャ (いずれもWikipediaより転載) 私の関心は神様よりも厨房です(写真下)。厨房の真ん中には土でできたカマドがあるではないか。日本ではほぼ絶滅しています。ここでは赤々と木が燃えて、鍋から湯気が上がって、厨房の主人公です。写真下右の真ん中で男性が一人座って何か作業しています。この家の家長で、きっとあの席が彼の定位置なのでしょう。 部屋の一方にある台所では女性たちが四人ほど忙しく働いています。たぶん親子と姉妹でしょう。灯りがないのでけっこう暗い。 厨房の外には洗い場があり、若い男性が忙しく動き回っています。食器を洗うのだろうか。 食事です。各人が盛って食べます。 店のネコは最初はおとなしかったが、客が食べ始めると、「ちょうだいよ」と客の膝の上まで乗ってきます(写真下)。ただし日本人にはあまり近づきません。目が緑色に見えます。 食事をしながら、店の中の変な物に気がつきました(写真下)。柱の他に丸太が中途半端に突き出ている。写真下右では、一つの部屋なのに、柱の手前はコンクリートのしっかりした床だが、奥は板間です。これはいったい何なのだ? 柱の正体が写真下です。これは建物の裏からの写真で、左側が私たちが食事を取っている建物で、斜面の下から見上げています。部屋の中に突き出ていた丸い柱は写真下の柱の先です。建物は崖に建っているので、道路側の半分は地面に乗っているからコンクリートだが、そこから先の板の床は、写真下のように細い柱で支えられているだけで宙に浮いている。地震大国の日本から来た者の目には恐ろしい光景です。地震が来たら、簡単に崩れ落ちるでしょう。 私はこの細い柱の上で飯を食っていたのだ。ここのカマドは気に入ったけど、地震が来る前に、早く飯を食べ終えて出発しましょう(笑)。 峠の街ボンディラ 道路はあまり良くなく、あちこちで修復工事は行われています。しかし、どこでも重機が少なく、ほとんど手作業です。これでは大雨などで起きる災害に間に合いそうもない。 働いているのは女性が目立ちます。 道はテンガ川にそってしばらく上った後、川から離れて右の斜面を登っていきます。 斜面を登っていくと、標高が二千メートルを越えたあたりで唐突にボンディラ(bomdhila)の門が現れました(写真下)。龍の模様が、インドというよりもチベット風です。 街に入る直前に交通渋滞を起こしています。原因は軍のトラックです。軍の車両を先に通そうとして通行止めにしたのです。それだけなら大したことがないのだが、ここはインドですから、軍の車両など物ともせずに我れ先に隙間を狙って車を突っ込むから、混乱に拍車がかかります。 下の衛星写真がボンディラで、これだけ見ると普通の街に見えますが、写真の下部分が標高2200mで上部分が2700mで、水平距離が2kmほどで500mほどの高低差があります。どこもここも斜面で、平らな所がほとんどありません。 こんな斜面だらけの所にどうしてこれだけの街ができたのか良くわかりません。 斜面であること除けば、インドの普通の街並みです。 ボンディラは一番高いところだと標高が2700mもあり、峠の頂上付近に作られた街なので、街を通りすぎると、ここからは今日の目的地であるディーラン(標高約1800m)まで千メートル近くも下ります。せっかく上ったのにまた下るのは惜しい(笑)。 峠から少し下りたところで、トイレ休憩です。 少し歩き回ると花が咲いています。 写真下の植物は葉の根元の茎を取り囲むように花が咲いているので、まるで花の先からさらに茎がのびているかのように見えます。 花の咲いている斜面を見ると、あちらこちらから水が流れていて、湿地帯みたいになっているところもあります。山の上なのに十分な水があります。 下がるにつれ、斜面のあちこちに集落があります(写真上下)。家はおおよそ立派とは言い難い。 子供たちが住んでいる家を崖の下から見ると、写真下のようになっています。先ほどの食堂と同じように、柱が細いので地震が来たらひとたまりもないでしょう。 道の脇や山の上に仏塔を見かけるようになりました。チベット仏教圏のシンボルのようなものです。 瀟洒なホテル 本日のホテルHotel Pemalingに到着(17:46)。 http://www.hotelpemaling.com/ 斜面に建てられたホテルで、外見はなかなかオシャレです。 窓の上に円い窓があるのが良い。正面からわかりにくいが、斜面に沿って複数の建物があり、それらを回廊でつないであります。 写真下が入口から入ってすぐ横にあるロビーと受付のカウンターです。受付をしている最中に停電になり、ランタンがすぐに出てきました(写真下右)。インドでは停電は常に覚悟しなければなりません。 この州は水が豊富で山が多いから落差もあり、水力発電には適しています。しかし、大型ダムを作ろうにも住民や下流のアッサム州住民の反対で難しいようです(「インド北東部地帯のツーリズム」脇田道子、6頁)。 ロビーの飾り棚かと思ったら、どうやらお土産品を売っているらしい(写真下)。チベット系のお土産で、残念ながら、どれも安っぽい。 その中で目を引いたのが写真下左の木の枝です。真ん中に芯が入っていて、実際に書ける鉛筆だという。使いやすいとは思えないが、ちょっとおもしろい。チベットらしいと言えば、このホテルの入り口にはタンカ(仏画)が飾られていました(写真下右)。 私の部屋は入り口からは階段を上がり、だいぶん奥の三階建ての二階です(写真下)。 斜面に建物を増築して廊下伝いに他の建物に移るので最初は迷路みたいで、実際迷っている人がいました(写真下)。 多様な民族 写真上の通路に飾られていたのが写真下です。ガラスの反射が写しこまれ、二重露出のように見づらいのは勘弁してください。写真下はネクタイをしめたインド人らしい人が現地の人たちから歓迎されているように見えます。同一人物なのか、下段では軍服を着て後ろに立っています。ここは長くて複雑な政治的な歴史があります。ただ、この写真を飾ってあるということは、少なくともこの軍人は地元からは歓迎されていたのでしょう。 写真下は政治的なものではなく、このあたりの人たちを撮影したのでしょう。写真下中と右ではヒトデのような奇妙な帽子を頭に乗せています。東インドやブータンに住むモンパ族に見られる習俗で、現在でもこの帽子をかぶっている人たちがいます。これは雨の滴が先から落ちるようにしてあるのだと聞いたことがありますが、真偽はわかりません。 写真下の写真が掲載された本の説明には「ヤクでできた帽子をかぶるモンパ族の女性(A Monpa woman, wearing a cap
of yak’s hair)」とあります。モンパ族はこの地方に一般的に良く見られる種族です。明日行く予定のセラ峠の向こうにタワンという街があり、モンパ族の多く住む街です。 写真上 “The Art of the North-East Frontier of India”(p.192)より転載 特徴あるのは写真下左で、顔に入れ墨をしている。また、どういう状況なのか、眉をひそめた不機嫌な顔です。これと同じような顔の写真が本に掲載されています(写真下右)。本の説明文には、「アカ族の少女の踊り(Hrusso(Aka) girls dancing)」とありますから、顔の入れ墨はアカ族の習俗のようです。 写真上右 “The Art of the North-East Frontier of India”(p.86)より転載 下図左は民族の分布を表し、地図下右はほぼそれに対応する地域で、青線が今回の私たちのルートです。テーズプルの北側にモンパ族がいて、アカ族はこの近くではなく、もっと東に住んでいることになります。 上右図 「アルナチャルにおける民族の分布」(『北東インド諸民族の基礎資料』66頁) 上図 民族の分布(『アッサムとインド北東部』68頁) 広い食堂で夕飯 七時からホテルの食堂で夕飯です。広々としているというか、部屋の隅まで照明が行き渡らないほどです。客は私たちのみで、料理を運ぶ女性が一人のみで、ちょっと物寂しい雰囲気です。 壁には仏像の頭が三体飾られています(写真下)。カタという白い布がかけられたほうはたぶんお釈迦様でしょう。右にある仏像は頭部には冠など飾りがついていますから、チベット仏教系の菩薩や明王です。お釈迦様本人を拝むのはどちらかというと南方の上座部仏教で、ここではカタが掛けられ信仰の対象です。チベット仏教は菩薩や明王を拝むのに、ここではカタがかけてありませんから、信仰の対象というよりも、飾りです。 この州ではチベット仏教とタイの上座部仏教が混在しているようです(「インド北東部地帯のツーリズム」脇田道子、125頁)。 写真下右の白い箒のような物はヤクのシッポの毛を束ねたもので払子(ほっす)です。威厳を示すために日本の僧侶も払子を持っています。面白いことに、日本で販売されている払子もヤクの毛が使われているそうです。元々は虫などを払うための道具です。 写真下が私の今日の部屋で、第一印象は広い。街中のホテルなら二部屋分くらいの広さがあります。見た目はそれほど悪くありませんが、いくつか問題がありました。木造なので、窓の立て付けが悪く、隙間からたくさんの虫が灯りにひかれて入って来て、ベッドの上など虫だらけになりました。 写真下がシャワー室で、左上のピンク色のタンクが湯沸かし器です。最初スイッチがわからず、夜遅く、従業員を捜しに行きました。従業員ではなく、その娘さんが来てスイッチを入れてくれました。スイッチが入っていなかったのだから、お湯は沸いていない。明日から三日間、テントでシャワー無しですから、今日は何としてでも浴びたい。 この湯沸かし器では一人分は何とかなるが、二人分は無理で、二人部屋の人たちは困っていました。私はまず、お湯を下のバケツ二つに取り出して、一つで頭をもう一つで身体を洗いました。お湯が途中から水になるのは悲惨だからです・・・何回か経験がある(笑)。 このホテルへの私の評価は甘くつけて3.5、「まあ満足」です。都会のホテルに比べて設備は良くないが、山奥の木造であり、お湯がいちおう出て、トイレも流れるし、大きな問題もありません。眺めは良く、建物の外見が私の好みに合うので、これでWiFiが使えれば4.0をあげても良いくらいです。ただし、女性客たちからの評価はもっと低いでしょう。 写真上が部屋の窓からの景色です。眼下の谷に見えるのがディーランの中心街で、このホテルは街の数キロ手前にあります。夜になると街の灯りが見えます(写真上右)。気になるのが、と言うよりも、気に入らないのが山にかかった雲です。明日行くセラ峠の方向に雲がかかっている。いよいよ4千メートルまで上り、花を見るのに、あの雲はありがたくない。 トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 |