トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ヒマラヤの青いケシ 4日目 2015年7月8日(水) ディーラン → セラ峠 → シャングリラ また曇り 五時過ぎに目が覚めました。室温は23度で、昨日までの暑さと違い、暑くも寒くもありません。真っ先に見たのが写真下の、今日行く予定のセラ峠のあたりです。完全に雲に隠れています。 雨こそ降っていないが、どんよりした空で、ホテルの標高は1700mほどですから、同じくらいの高さの雲が周囲にかかっています(写真下)。 今日は、四日目にしてようやくヒマラヤの四千メートル級の高地まで行きます。ここから標高4200mのセラ峠まで行って花を見て、その後、標高3000mのシャングリラまで戻り、テント泊になります。 朝の散策 食事は七時からなので、まだ時間がありますから、ホテルの周囲の山を散歩することにしましょう。私の部屋からはディーランの街が良く見えます(写真下)。街中を歩いてみたいのだが、ここからは朝の散歩にしてはちょっと距離がある。 下の衛星写真の朱線が私の散歩コースです。 ホテルの裏山に道があったので、そこを行ったら、やがて道がなくなり、おまけに花は少ない。 山の上に行くのは意味がなさそうなので、ヤブをかき分けて斜面を降りていくと、チベット寺院があります。朝早いせいかドアは閉まっています。 僧院の前の塔で男性が火を入れています。これはチベットで良く見られる習慣で、香木を燃やして仏に供養しているのでしょう。ヒンドゥー語の「ナマステ」ではなく、チベット語の「タシデレ」と声をかけると彼も「タシデレ」と返して来ました。 果樹園があり、クルミやクリが実を付けています(写真下)。 庭になっている斜面には栽培品の他にも野生と思われる植物がいくつか花を咲かせています。 写真上 Persicaria
runcinata (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.667) 写真下は日本でも良く植えられているヒメヒオウギズイセンかヒオウギズイセンのように見えます。南アフリカ原産ですから、人が植えたのでしょう。 道端には外来種があります。写真下とまったく同じ組み合わせの花を、インドの花の谷の手前にあるコンビタガートで見かけたことがあります。オオセンナリはまだ花が開ききっておらず、開くとアサガオみたいになります。両方とも日本では普通に見られます。 写真上左:マルバアサガオ、写真上右:オオオセンナリ ホテルの前の道を軍人たちがジョギングしています(写真下)。迷彩服を着た人たちは走り、その後を白い服を着た人たちは歩いています。たぶん、迷彩服の人たちは若い兵隊、白い服は幹部でしょう。 ホテルに戻り、食堂に行くと、ここのオーナーか従業員の家族なのか、孫をおぶった女性が散歩をしています。 彼女に教えてもらったのが食堂脇にあったアボガドの木です(写真下)。いつもお世話になっているのに、実になっている姿は初めて見ました。雄株と雌株があり、当然ここではその両方が植えられています。 敷地には様々な木が花を咲かせています。 庭にはフヨウとオニユリが花を咲かせています。ただ、ムカゴがないので、オニユリかどうかははっきりしません。 気になったのが写真下の穴です。写真下左は表の玄関の脇、写真下右は裏の食堂の脇の穴で、ゴミが捨ててある。いくら土地が狭いとは言え、何も目立つ庭の真ん中で、しかも芝生をわざわざくりぬいてゴミ捨て場を作る必要もなかろうに、感覚が理解できません。 食堂の裏手にある厨房をのぞいて見ました。食器類はきれいに整理され、広々して衛生的な雰囲気です(写真下)。 七時からホテルの広い食堂で朝食です。客は私たちしかいないようです。眺望は良い。窓側の眺めの良い席でいただきましょう。 子供たちの登校時間 八時半にホテルを出発して、すぐ近くのディーランを通過します。 私の部屋からも見えたディーランの中心部に来ました。店も人も多く、けっこう賑わっている。 街中で見かけるのが兵士です(写真下)。しかし、警備しているというよりも彼らもまた買い物にきたような雰囲気で、緊張感はありません。 ちょうど子供たちの通学の時間です。 写真下の女子生徒の制服は白いシャツに青いズボン、そして青いスカーフのようです。青ではなく、暖色系を使えばデザイン的にもよかったのではあるまいか。 青のズボンに白いシャツというのが制服なだけで、カバンについてはバラバラであるところを見ると、決まりはないようです。 写真下左と中の女子生徒はリュックにウサギのぬいぐるみをぶらさげています。どうやら、今、彼らの流行らしい。 道路の周囲 川沿いに少しずつ登っていきます。道の両側の斜面には所々に畑が作られています。 道の周囲には時々集落があり、豊かではないものの、極端に貧しいという雰囲気でもありません。 家の周囲にマキが積み重ねてあります(写真下)。燃料に樹木を使っているのだろうが、人口増加で森林伐採の原因にならなければよいのですが。 顔立ちがインド・アリーリア系から、モンゴロイド系増えています。写真下の女性などチベット人のような顔立ちなのに、抱えている赤ん坊はインド・アーリア系に見えます。 どこでも子供は屈託がない。 交通量が多いせいか、集落の中の道のほうが悪いような気がします。 昨日よりもさらに道端には立派な仏塔が増えています(写真下)。建築中や真っ白に塗られて真新しいことをみてもわかるように、最近このあたりの人たちは景気が良いのでしょう。 悪路は人災? 三十分ほどして、小さな街で車を停めました(8:57)。今日から三泊四日のテント暮らしになります。そのスタッフとここで合流しました。彼らは我々と別行動で、今日のテントの設営をしてくれます。 道路と並行している川のほとりでたくさんの人が何か作業しています。写真下右の子供は学校に行かないのだろうか。 写真下左の子供を背負った女性は手作業で石を砕いて砕石を作っているらしい。左側に積み上げられた石が彼女の仕事の成果なのでしょう。この砕石は道路工事に使われるようです。 山岳地帯なので道路事情は元々良くないのでしょう。昨日と同様に、あちらこちらで道路工事が行われています。 道路工事で目立つのは圧倒的に女性です。重機は少なく、大半が手作業です。ただ作業員たちは暗い感じではなく、どちらかというとのんびりした雰囲気です。 こういう作業員の家なのか、時々、道路の脇にかなり粗末な家が建っています(写真下)。子供たちがたくさんいる。この州の貧困率はかなり高いが、ただ、写真下のようなバラックの家はそんなに数は多くありません。 道路は良くないのに交通量は意外に多い。量が多い理由の一つが軍用トラックです。写真下左に車列が出来ています、三台の小型車は私たちのツアー用の車で、他はすべて軍用のトラックです。こんな状況がこの州に入ってからずっと続きました。 軍用トラックが道を悪くしている犯人だそうです。さらに昨日も書きましたが、道路整備の責任者である国境道路公団(BRO)の問題などがあり、その結果が、国境付近の重要な道路であるにもかかわらず、悪路のままだということのようです。 私たちと前後して、ものすごい数の軍用車両が峠方向に向かって登っていきます。悪路の犯人です。拒絶されることを覚悟で、恐る恐るカメラを前の軍隊の車両に向けてみました。ご覧のように、あまり緊張感はなく、笑っており、カメラを向けると写真下左ようにおどけてみせる人もいます。 「Wel come to Mon Camp」とありますから、キャンプとは軍の陣地のことでしょう。 軍の車両に馬が乗っています(写真下)。斜面が多く、自動車が使えないことも多いから軍馬は重要なのでしょう。馬も三千メートルをこす高地では苦しいでしょうね。 急斜面を登る 道は川から離れて、いよいよ四千メートルに向けて急斜面を車は登って行きます。斜面が急なので道路に面した家の土台は写真下右のように石積みです。昨日の細い木の柱よりはよいだろうが、鉄筋は入っているのだろうか。 道端に穀物を敷いて車に脱穀してもらうというインドなどでは昔は良く見られる光景ですが、今回はここで見ただけでした(写真下左)。 高度が上がり、人家がだんだん少なくなっていきます。道路はスイッチバックのように斜面を登っていきます。 ユリだ! 松森さんが崖の上にユリを見つけて停車です(10:08)。擁壁の上なので、崩れた所から登ってユリに近づきます。 私を含めた何人かが上り、足場が悪いので、交代で近づいて撮影しました。下にいる人たちは望遠で撮るので、邪魔をしては悪い。 市販のユリでいえば、色や形がカサブランカ系のユリと良く似ています。 見事なハマウツボの仲間が斜面に咲いています。被写体としては最盛期です。 ユリの生えている崖の上から見ていると、先ほど追い抜いた軍隊のトラックがもうもうと排気ガスを出しながら、追い抜いていきます。 ピンク色のショウガ 道路脇の崖にショウガの仲間を見つけて、二度目の停車です(10:35)。 写真上下 Roscoea
megalantha 日本でも、ショウガの仲間のミョウガは花もきれいだが、白いので、ここのような派手やかさはありません。 写真下は目立たない花だが、清楚な感じがいいですね。 写真上 Chlorophytum
nepalense (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.755) 道路の下は火薬庫 標高が3300mくらいになったところで、霧雨が降り始めました。雨雲が来たのではなく、私たちの車が山にかかった雲の中に突入したのです。その雨の中を軍人たちが椅子を担いで移動しています。 山の尾根づたいに軍の施設があります。標高が3400m近くもありますから、下からいきなり来たら高山病になります。 ここでは道路には軍事車両が走り、道の両脇には軍のキャンプがいたるところにあり、ホテルの周囲では朝早くから兵隊たちが訓練に走っていました。これまで私がインドを訪れた範囲でいうなら、ここまで軍事色が強い地域は初めてです。それは、中国がアルナーチャル・プラデーシュ州を自国の領土だと今でも宣言しているからです。 1962年、私たちが今通っている道を中国軍が侵攻してきてインド軍と戦争になりました。日本では中印国境紛争、インドではJaswantgarhの戦いと呼ぶようです。 三十年後の1992年から、ようやくこの州への外国人の立ち入りが許可されました。 1962年の戦争の博物館Nyukmadung war memorialもあります(写真下)。 下は初日にも紹介した中国語のウィキペディアの「达旺」に載っていた地図です。真ん中の赤い部分の「阿鲁纳恰尔邦(アルナーチャル・プラデーシュ)」と緑色の达旺を中国側は領土であると主張しています。达旺はインドのタワン(Tawang)県のことで、私たちがこれから行くセラ峠の向こうです。タワンは、また、1959年にダライ・ラマ14世がインドに亡命する時に通過した街です。つまり、私たちは今、中国に言わせると中国領にいることになる(笑)。 こんなふうに話を聞いただけでも、私たちが走っている道路の下には火薬が埋まっているのがわかります。今でもここは許可なしに外国人が入ることができません。 中国語のWikipediaから転載 3500mもある高地の霧雨の中、火薬の埋まっている道路を工事する労働者がいます(写真下)。たぶん全員が女性です。彼らのおかげで私たちは楽して旅行できるのだから、熱いお茶でもご馳走してあげたいところです。 黄色い青いケシ 道端に黄色いケシ「パニクラタ」を見つけて三度目の停車です(11:22)。これもメコノプシスで、青いケシの仲間ですから、黄色い青いケシです。 写真上下 Meconopsis
paniculata (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.546) 軽く人の背丈を越すくらいの大柄なケシで、遠くから見ると、タチアオイのような植物が生えているみたいです。日本人の持つケシのイメージとはだいぶん違います。 霧雨はうれしくないけど、雨しずくのついた花びらはとてもきれいです。 葉の形も付き方は青いケシとは違うし、これまで私がチベットで見た黄色いケシとも違います。 立派なイチゴが道端に生えています。 写真上 Fragaria
daltoniana (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.454) 写真下の青い実は霧雨で薄暗くても目立ちます。実は薄甘いそうです。 写真上 Gaultheria
trichophylla (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.306) 写真下はシャクナゲです。 写真上 Rhododendron
keysii (Flowers of India) 写真上 Ponerorchis
chusua (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.696) 写真下は葉を見るとランのようですが、よくわからない。葉が全部途中でちぎれているところをみると、ヤクに食われたのでしょう。 緑色のランで、景色の中に紛れ込んでしまい、教えてもらわないと気がつかない(写真下)。 写真上下 Platanthera
latilabris (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.700) ウツボグサは曇りや雨の中でも目立つ。先ほどの青い実もそうで、紫外線が強いからでしょうか?(写真下) 高山なのに、ウスユキソウがわりと少ない。 写真下のマメの仲間は葉はカタバミのような恰好をしていて、実際、カタバミの仲間です。たくさん生えているのだが、なかなか良い被写体がない。 写真上 Parochetus
communis (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.425) チベット圏で良くみかけるアマビレがここにも咲いています(写真下)。花一つ一つは小さいのに、目に突き刺さるような青がすごい。 写真上 Cinoglossum
furcatum (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.216) 上と下は似ているが、花の付き方や色がちょっと違います。 3500mを越える山の霧雨の中、犬クンが道端で休んでいます。軍隊か道路工事の人たちに飼われているのでしょうか。 セーターを着たアザミ 開花したアザミを見つけて停車(12:38)。写真だけだと大きさがわかりにくいが、ピンク色の花の部分だけで子供の拳くらい、下の白いセーターの部分は大人の拳くらいの大きさがあります。 写真上下 Cirsium
eriophoroides (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.67) 車窓からは写真下の花が斜面にたくさん見られたのに、どうして松森さんは車を止めないのだろうと不思議に思っていました。それもそのはずで、これらは花が咲く前の蕾で、花の咲いたのを探していたのです。まだ咲き始めらしく、咲いているのは数個しか見られませんでした。 シャクナゲが咲いています。日本流に言うとツツジですが、ツヅシもシャクナゲも同じです。 写真上 Rhododendron
setosum (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.333) 写真下のシャクナゲは上とは色が違うだけなのか、別種なのか、はっきりしません。 もっと背の低いシャクナゲがコケの上に生えています。 写真上 Rhododendron
lepidotum (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.333) 写真下はチベットでは良くみられるが、それだけに種類の判定がとても難しい。 写真上 Potentilla
lineata (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.442) 写真上 Salvia
campanulata (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.362) セラ峠で昼食 セラ峠の山頂に到着(13:09)。このあたりで標高4200mほどあります。峠の頂上には写真下のような門がありますが、霧雨で霞んでおり、周囲の風景もほとんど見えない。昨日、ホテルから見上げた峠には雲がかかっていたが、そのまんまです。ここにはセラ湖があるはずなのだが、霧で良く見えない。 晴れていれば外で昼食を取りたいが、この天気では無理です。峠の門から少し下りた所にある食堂を借りて食事を取ることにしました(13:12)。 中は部屋が二つあり、手前が食堂、奥が厨房になっており、ストーブもあります(写真下)。他のお客さんたちは食堂で食べていますが、私だけ運転手たちと一緒にこちらで食べました。食堂のオバサンや厨房に興味があるのと、こちらが暖かいからです。 写真下が昼食です。写真下左はスタッフが朝作って持って来たものです。右上の銀紙に包まれたのがジャガイモ、ゆで卵、バナナ、ナッツ類にお菓子です。ジャガイモは見た目はあまり良くないが、冷えててもうまい。さらに後で、写真下左のインスタント・ラーメンが出てきました。 写真下左がガスコンロを借りてバサントさん(黄色の雨合羽)がインスタント・ラーメンを作っているところで、写真下右はインスタント・ラーメンの空き袋です。 夫婦と小学生くらいの男の子がいます(写真下)。興味深いのは、私は弁当のゆで卵を食べたくなく、捨てるのがもったいないので、子供に差し出すと、彼はすぐに受け取らず、親の同意を求めたことです。インド人の子供でこういう反応を見たのは初めてです。 店の食堂の横に祭られている神仏が写真下です。左からパドマサンバヴァ(Padmasaṃbhava)、その隣に灯明の影になっているのは、絵の雰囲気からお釈迦様、その後ろにダライ・ラマ14世、右隣の仏像はターラ菩薩(Tara)、その後ろのタンカは千手観音(thousand armed Chenrezig)でしょう。 ネットからもっとわかりやすい図像を拾ってみました(下図)。お釈迦様を除けば、すべてチベット仏教で広く信仰を集めている神仏です。ダライ・ラマは人間ですが、チベット仏教では観音菩薩の化身とされています。お釈迦様があるのは、この地域がタイの上座部仏教の影響があるからでしょう。 上左からパドマサンバヴァ、お釈迦様、ダライ・ラマ14世 上左はチベットのターラ菩薩(Tara)、右はチベットの千手観音 見たとおりで、ここの店の家族はチベット仏教を信仰しています。バサントさんに聞いてみると、彼らはモンパ族だという。モンパ族はこのセラ峠の先にあるタワンに多く住んでおり、ほぼ全員がチベット仏教です。 ところが、写真下の通路の上に貼られた絵は、ちょっと小さくわかりにくいが、たぶんラクシュミーで、下のノレンには象頭のガネーシアや、テーズプルのホテルにもあったミナクシが描かれており、これらはヒンドゥー教の神様です。 入口のドアにはチベットでは歓迎を表す白いスカーフがドアを止めるのに使われ(写真下左)、部屋の奥にはインドのイスラムの王が作った愛妻の墓であるタージ・マハールのポスターが飾ってあります(写真下右)。基本はチベット仏教だが、あまり細かいことは気にしていないようです。仏教もヒンドゥー教も宗教的な排他性が少ないのが良い。 セラ峠の花 食事を終えて、再び雨の中、花を見にいきます。峠の山頂の門の近くの看板にはこの地域の花が紹介されています(写真下)。上半分はシャクナゲですから、これが多いのでしょう。 何日もかけてここまで来たのですから、霧雨くらいにめげてはいられません。土砂降りではないだけでも良いと、峠の頂上から周囲を散策します。霧雨の中で真っ先に目についたのが、写真下のセンブリの仲間です。 写真上下 Swertia
hookeri (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.246) 立派というか見事というか、人の背の高さくらいあり、このまま園芸種になりそうなくらい豪華な花を付けています。もっともここは四千メートルの高地ですから、栽培は難しそう。 霧だから遠くまでは見えないが、たぶんこの花がずっと先まで生えているようです。花の感じからいうとちょうど今が盛りです。 霧の中からヤクが現れましたか(写真下)。すぐ近くで鳴き声が聞こえるかのように声が反射しています。どうやら、子牛が母親からはぐれて探している声らしい。 黄色いポピーがあります。プライニアナと言い、さきほどの大柄なポピーと違い、背も低く、葉にギザギザがなく、トゲのようなものがたくさん生えています。 写真上下 Meconopsis
prainiana (The genus of Meconopsis, p.236,p.264, 『ヒマラヤ植物大図鑑』p.560) 写真下はなんともまあ、面白いというか、変わった花です。青いホウキのように見えているのが雄しべでしょうか?ツユクサの仲間だというから、さらに驚きです。 写真上 Cyanotis
arachnoidea (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.741) 写真上 Androsace
nortonii (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.295) タデのありふれた小さな花なのに、水玉が付いてきれいです。 黄色いサクラソウはあちこちに咲いています。 写真上 Primula.
dickieana. (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.269) 他のお客さんに呼び止められて、山の上のほうに登ってみると、メガコドンという怪獣のような名前の花がありました。これでもリンドウ科の植物です。私はお目にかかるのは二度目で、前回は15年前のブータンですから、このすぐ隣です。 写真上 Megacodon
stylophorus (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.248) 午前中、岩の上に小さく咲いていた薄黄色のツツジ(シャクナゲ)がここでは茂みのようになっています(写真下)。 写真上 Rhododendron
lepidotum (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.333) バラの仲間です(写真下)。晴れていれば匂いがあるのだろうが、顔を近づけても何も匂わない。 さらに花を探す 峠から、来た道を引き返し、下りながら、所々で車を停めて花の写真を撮ります。 写真上左 Juncus
Ieucanthus (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.737) 写真上左 Cremanthodium
decaisnei 写真上右 Acanthocalyx
Nepalensis (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.126) 写真上左 Rhodiola
sherriffi (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.519) 写真上 Pedicularis
siphonantha (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.173) 写真上 Rheum
acuminatum (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.673) 写真下のタデの仲間は花もきれいであちらこちらに群落しています。 写真上 Bistorta
griffithii (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.659) シャングリラ 本日の宿泊予定のシャングリラに到着(17:25)。標高3050mほどで、道路のすぐ脇のちょっとした平地です。写真下が私たちのテント村で、到着時にはすでにスタッフたちが設営していました。 疲れていたので、すぐに休めるのは有り難いと、適当に入ろうとすると、お客さんの一人が不平等だと言います。トイレのテントが写真下左の奥にあるので、便利さが違うという・・・平等は重要だが、大した違いはないように思うし、私が選んだのはトイレからは二番目に遠いテントです。ツアーリーダーの松森さんがすぐにクジ引きをしました。私は15人中8番目で、結局、最初に選んだテントを選びました・・・疲れがドッと出た(笑)。 写真下左が調理用のテント、写真下右は食堂テントです。ここは桃源境を意味するシャングリラ(Shangri-la)という地名ですが、いくら見渡しても、どうしてこのキャンプ地がシャングリラなのかわからない。グーグルの地図にもこの名前は載っていません。中国では合計三カ所がシャングリラを名乗っており、その内、二カ所を訪れましたが、そこよりももっと意味のわからないシャングリラです(笑)。 テント泊が辛いのは、今日のように雨に濡れて戻って来ても、乾かすことができないことです。濡れた衣類とそうでないのとを混ぜないようにするのが精一杯。だが、この日はまだ良かったのです。ここは標高三千メートルほどで、ごらんのように雲から出ていますから、曇っていても霧雨がありません。 夕飯です(18:45)。この日から三泊四日間、朝食と夕食、そして昼食の弁当とスタッフの料理を食べました。キャンプで作るのだから、ご馳走とは言えないが、毎回彼らなりに工夫して努力して作っているのがわかりました。 写真下が本日の私のテントの中の寝床です。これが私がこの日を含めて三日間使ったテントです。広さは実質的には畳なら二畳くらいですから、テントとしては狭くはありません。 テントは二重になっており、見えているのは内側です。内側のテントのおかげで、外から水が入ってきません。青く見えるのが地面に敷かれたビニールで、その上に水色のスポンジ状のシートが敷かれており、この上に寝袋に入って寝ます。シートは薄いので断熱性はありません。柱のそばに白く見えるのは空気枕です。 夜八時頃に寝たが、スタッフたちの話し声で眠れず、時計を最後に見たのは十一時半頃、眠ったのは十二時頃でしょう。 トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 |