トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ペルシャ北部の初夏の花 2日目 2019年5月16日(木) → ドーハ → テヘラン → ラシュト 朝六時頃、周囲の動く音で目が覚めました。もっとも、その前に寝苦しいので何度も目を覚ましました。飛行機はちょうどイラン領空に入るところで、このまま下ろしてくれたらありがたい(笑)。 間もなく朝食が出ました(07:19)。 12時間近い飛行を終えて、ドーハのハマド国際空港(Hamad-International-Airport)に到着です(ドーハ時間03:40、日本時間09:40)。
お金持ちの国のさえない空港 テヘラン行の飛行機は八時で、約四時間ほどありますから、少し空港内を見物しましょう。ここには名物が二つあります。
写真下が一つ目です。広場に巨大な黄色いテディベアのヌイグルミがあります。素材は布ではなく金属です。時々、この塑像を前に記念撮影する人たちもいます。 一見、電気スタンドの下に置かれた可愛らしいテディベアのヌイグルミのように見えます。ところが、良く見るととても不気味です。
写真下左を見てください。電気スタンドのカサがヌイグルミの頭に突き刺さっています。写真下右は後ろから見たもので、電気スタンドの足の部分がヌイグルミを食い破っています。どうしてこんな公共の場に、不気味な雰囲気の物を飾るのか、何度見ても、その感性が理解できない。
この空港の二つ目の名物が通路に並行して高架式で走るシャトルです(写真下)。現代的で格好が良い、と誉められるのはそこまでです。実は移動用してはあまり役に立たない。
下図はこの空港の略図で、真ん中の赤で示したのがシャトルの路線です。シャトルの駅は二カ所しかなく、しかも、そのどれもがゲートから遠い。特にAとBの実際のゲートまでかなりの距離があり、ほとんど移動に役に立たない。
線路を見ると、ワイヤーが張られていますから、電車はロープで引っ張るケーブルカーらしい。お金持ちの国なら、どうしてこんなアナログではなく、最新のリニアモーターカーにしなかったのか。
ゲートDからバスに乗って飛行機まで移動で、前回までもそうで、飛行機までかなりの距離を移動します。これも金持ちの国の国際空港にしては変です。日本と違い、土地は広いし、空港内に電車を走らせる余力もあるなら、意味不明のテディベアではなく、バスで移動などという前近代的な方法ではなく、建物を大きくして、シャトルで建物内を移動して直接飛行機に乗り込むようにするべきです。 まるで経済力のない国の空港か、間に合わせに拡張や追加をした空港みたいで、とても大金持ちの国が2014年に開港したとは思えないような前近代的な空港です。それでいて、この空港のラウンジは世界最高級だという。ラウンジとは私のようなエコノミークラスではなく、ファーストやビジネスクラスの人が入れる所です。 このチグハグぶりを見れば、空港の設計に指示を出した責任者は、いつもファーストクラスでしか旅行をしたことがなく、荷物を持ったままゲートからゲートへと移動するとか、ゲートから飛行機まで混んで揺れるバスに立ったまま乗ったことのない人だとわかります。その意味では、やはり大金持ちが作った空港なのでしょう、とエコノミークラス専門の私は皮肉を並べておきます(笑)。
飛行機はカタール航空のQR482で、8:00にドーハを飛び立ち、2時間5分飛行して、11:35にテヘランに到着予定です。機体はエアバスA320です。
私の座席は28Aで、進行方向左の窓側です(下図)。これは午前中の飛行なので、太陽が右側から射してくるだろうと予想したからです。日本で前日確認した段階では隣の席は予約が入っていませんでした。実際、通路側にお客さんが来たが、彼は後で他の席に移動したので、私は三座席を占領できてとても楽でした。エコノミー席でありながら、ビジネス席並の広さが使えるので、私は「エコノミー・ビジネス」と呼んでいます(笑)。
上の予約の一覧表では灰色になっているのは予約されていることを意味しますから、私の後ろ29列と30列の6座席は予約されていることになっています。その予約の入っているはずの席が写真下左で、実際にはお客さんは来ませんでした。私の席の通路側のお客さんはこの空いている席に移動しました。 つまりこの6座席は予約が入らないようにしているのです。これはこの航空会社だけでなく、しばしばみられることで、客室乗務員が荷物を置いたり、休息するために開けてあるようです。
ほぼ定刻どおりに離陸(08:06)。着陸した時は夜だったので良く見えなかったドーハの街並みが見えます(写真下)。ご覧のように、計画的に作られた街です。
ドーハを出て(写真下左)、ペルシャ湾を横切り、離陸から三十分ほどでイランに入ります(写真下右, 08:32)。
朝食が出ました(写真下左, 08:39)。ところが、写真下右をごらんください。私と同じ列で右側の座席に座っている三人は食事も取らず、眠っています。これは今はイスラム教のラマダン、つまり約一カ月の断食の月なので、彼らは忠実に教えを守っているのです。ラマダンでも旅行中は食事を取っていいことになっています。ただ、後でその分を断食しなければならない。周囲にはうまそうな匂いが立ち込めて、楽しそうに食事をしているのですから、彼らにとってはかなりの苦行です。
飛行機はイラン上空を飛んでいます(写真下)。時々、雪山が見えるが、それ以外は砂漠のような印象です。
たまに集落や耕作地も見えますが、大半は赤茶けた台地です(写真下)。
写真下左など周囲と土の色が違っているから、おそらく干上がった湖でしょう。
イランは初めてで~す 飛行機が高度を下げ始めると、眼下に街並みが見えてきました。
テヘランの南西にあるエマーム・ホメイニー国際空港に到着しました(13:47)。
飛行機が停まると女性客たちはいっせいにスカーフをかぶります(写真下)。イスラム教では成人女性は髪を隠すように言われているからです。もちろん、日本人のお客さんにはイスラム教徒は一人もいません。 カタールもイスラム教を国教とする国だが、外国人にこんなうるさいことはいいません。互いの信仰は尊重されるべきで、これでは宗教の押し付けです。モスクなどの宗教施設に入るなら、規則に従うのは当然でしょう。しかし、入国するだけで異教徒にまで彼らの信仰の習慣を強制されるのは不愉快です。イランは良い国なのだから、こういう時代錯誤のやり方をやめたら、もっと観光客も増えるでしょう。 空港は表玄関だけあって、整備され近代的な建物です(写真下)。ただ、人はそんなに多くありません。
空港で日本語ガイドのモハンマド・アブカーさんと(写真下左)、植物ガイドのノルジーさん(写真下右)に合流しました。私以外のお客さんは二人に会うのは初めてなので、私も二人に「イランは初めてで~す」と挨拶しました(笑)。
車は最新型のフォルクスワーゲンのワゴンで、外も中もとてもきれいです(写真下)。個人的には、泥靴で汚しても気にならない古い車のほうがありがたい(笑)。実は、去年イランの「ド根性の泥」に悩まされたのです。
車のダッシュボードの上にはヌイグルミなどがたくさん置いてあります(写真下)。日本でも女性ドライバーが時々こんなふうに置いていることがあります。男性にしては珍しい趣味だと思っていたら、ドライバーのラヒットさんの子供たちからのプレゼントだそうです。運転手はヌイグルミを見るたびに子供たちを思いだして安全を心がけるだろうから、その意味では本当のお守りです。写真下右は歯です。乳歯が取れたのでしょう。
私たちはこれからテヘランの北西部にあるラシュトに向い、途中で花の観察をする予定です。 早速、イランの名物が出ました。路上のスイカ売りです(写真下)。スイカはペルシャ語でヘンダワネで、私が覚えた唯一の言葉です(笑)。通行する車に看板を示し、この先で下段の青いトラックでスイカを売っている、という宣伝です。ちょっと気になるのが、写真下の四人が持っている看板はどれも似たような図柄で、しかも、四人とも足元にもう一枚看板を持っていることです。
彼らの後ろで、白い花を咲かせているのはユッカでしょう。北米や中米の乾燥地帯が原産で、日本でも園芸用に販売されています。私の山形の自宅でも、湿った木陰で花を付けるほど丈夫です。
写真下のように、道路脇に建てられた看板はどれも大型で、形や形式もそろっており、見た目がよく、日本のように勝手放題に立てて乱雑になっているのとは違います。ただ、見方によっては、ここに広告を出せるのは大きな企業だけで、小さい所は看板も出せないことになります。
写真下は「はみ出し看板」で、この国ではしばしば食品の広告に見られます。これはウケを狙っただけでなく、様々な規制をなんとか回避しようとする努力の跡ともみられます。 最初は車も少なく順調に進んでいたのに、だんだん車の数が増えてきました(写真下)。
ついに渋滞です(写真下)。ここは街中ではなく、街の郊外に作られた自動車道で、しかも通勤時間でもないのに渋滞するほど車が多い。
この渋滞がたまたま今日だけおきたのではなく、いつも渋滞するらしい証拠が写真下です。ノロノロ運転の車を相手にした物売りです。写真下左で売っているのは車の窓用の日よけ、右はDVDのようです。
動いている車の間を歩くのだから、かなり危険で、日本ではまずできないでしょう。海外では、窓拭きなど、それほど珍しくありません。これも商売ですから、個人的には賛成で、写真下左のカーネーション売りなど、買ってあげたいくらいです。日本はこういう個人の商売への規制が多すぎます。
しかし、写真下には賛成しない。写真下の上段の男性は商品を持っていませんから、子供をネタにした物乞でしょう。同じ場所にいても物乞と商売は違います。イスラム社会では弱者への寄付が奨励され、収入の何パーセントなどと決めて寄付をするので、イランは都市部でも物乞はそれほど目につきません。
車の進行方向右側、つまり北側に雪山が見られます(写真下)。
これらはテヘランとカスピ海との間にあるアルボルズ(Alborz)山脈です。この山脈からの水でテヘランなどは乾燥地帯なのに水に困らない反面、この山脈にカスピ海からもたらされるはずの雨雲がさえぎられています。この後、カスピ海側にあるラシュトに行くとその劇的な差に驚かされます。 進行方向の左、つまり南側の景色が写真下です。平野の向こうになだらかな山が見えます。 周囲には緑地も広がり、のどかな地方の風景です。テヘランは標高1200mほどありますから、今私たちが走っている道はたぶん1400mくらいあります。
写真上のようなのどかな風景の中に、唐突に写真下のようなビル群が出現します。しかも、建築中のもありますから、大規模な宅地開発が行われているようです。
日本と大きく違う風景がモスクです。ただ、あまり大きなモスクは目につかず、写真下のように、日本の町のお寺や神社という印象です。
ラマダンのレストラン Hasar Kharvanという街の、Parastooというレストランで昼食です(14:21)。今年は5月5日から6月3日まで、イスラム教ではラマダン(ラマダーン)という断食の時期で、日中はいっさい飲み食いはできません。当然、レストランはガラ空き・・・あれ?客がいるじゃないか(写真下右)。それもけっこう混んでいる。
ラマダンでも、旅人や妊婦は日中の飲食が許されています。モハンマドさん、ノルジーさん、ドライバーは旅行中ですから食事ができます。私はモハンマドさんに、旅行とは具体的にどのくらいの距離をさすのかと質問すると、45kmという返事が来ました。つまり、車で高速道路を30分ほど走って「旅行」をすれば、食事がとれるようです(笑)。ただ、さぼれるわけではなく、その分の断食をやり直すそうです。
この習慣のおかげで、人々は夜、大食いをするため、普段の月に比べて食料品の消費が増えるだけでなく、肥満などの病気の原因にもなっています。つまり、この制度は、大きな声でいうと怖いから小声で言いますが、害が大きい。特に酷暑の中、水も取らないというのは、身体に非常に悪い。若い人たちの中には従わない人たちもいるそうです。ラマダンに限らず、日本でも合理性のない習俗はやめるべきです。
赤いケシ イランでの初めての花の観察は赤いケシです。 写真上 Papaver
macrostomum
これらの写真には色を変えるなどの画像処理はしていません。また、実際に目で見てもこんな感じで、風景から浮き上がったようなベタベタした赤です(笑)。
イランだけでもこの仲間が28種類あるというから、もちろん、私は自分で名前を特定しようなんて根性はありません(笑)。
分布はアフガニスタン、インド、イラン、パキスタン、ロシア、トルコなどのアジアのかなり広い地域で、4月から7月にかけて見られます。
ケシが生えている所は果樹や麦がありますから、明らかに農地です。ネットの記述では麦畑に良くみられるとありますから、どうやら人間と相性の良い花らしい。
英語名の一つはLarge-Mouth Poppyとネットにありますが、これはこのポピーだけの名前ではなく、たぶんこういう大柄な赤いケシ一般についている名前でしょう。
こういう真っ赤なケシが私の畑にも咲いていたらいいのにと、ネットでケシの種を買ってはまいたが、やり方がまずいのか、発芽さえもしないのが大半でした。ケシはアルカリ土壌を好むのに、日本は酸性土壌が多いからでしょう。
自分の畑でうまく残ったケシは、オレンジ色のナガミヒナゲシとカリフォルニア・ポピーくらいで、残念ながら、このような真っ赤なケシ畑の再現に成功していません。
周囲に咲く花 ケシは目立つのでついそちらにだけ目が行ってしまうが、春ですから、周囲にはいろいろな花が咲いています。写真下の見るからの強そうな植物はすでにアメリカまで進出しています。
写真上 Centaurea
benedicta 写真下のナデシコの仲間はトルコ、イラク、コーカサス、イラン、アフガニスタン、パキスタンなどに分布します。
写真上 Gypsophila
pilosa 写真下は日本名がカミツレモドキで要注意外来生物に指定されています。欧州原産で、世界中に広がっていますから、たぶんイランでも外来種です。
写真上 Anthemis
cotula 写真下は「イタリアのアザミ(Italian thistle)」と呼ばれ、欧州から北アフリカ、西アジア、コーカサスからインドが原産で、今では世界中に広がり、有害な雑草として嫌われています。
写真上 Carduus
pycnocephalus アブラナの仲間は判別が難しい(写真下)。 写真上 Brassica
deflaxa 写真下のノコギリソウの仲間は今回の旅行ではしばしば見かけました。北アフリカから中東、トルコ、コーカサスからイラン、そしてパキスタンなど、かなり広い範囲に分布します。
写真上 Achillea
santolinoides subsp. wilhelmsii 写真下は外見どおりのwhitetopという名前で、西アジアや南東ヨーロッパが原産ですが、百年ほど前、北米に上陸して、さらにオーストラリアにも進出しています。 写真上 Lepidium draba 写真下のヒルガオの学名を検索しても、あまり出てこないのに、中国の「百度百科」に出てきて、中国とロシアに分布するとあります。
写真上 Convolvulus pseudocantabrica 中央アジアや西アジア原産のヤグルマギクです。一般名は「イランのヤグルマギク(Iranian knapweed)」で・・・そのまんまだ。
写真上 Centaurea
depressa アマの仲間はイランでは15種類ほどもあり、写真下のアマは抗ウイルスや抗がん性もある薬用植物だというから、立派な植物らしい。(Biologia, vol.69, pp.32–39,2014)
写真上 Linum
album 写真下は欧州が原産で、日本ではナツザキフクジュソウという名前で売られています。
写真上 Adonis
aestivalis 写真下は一般名はweed silene(雑草のシレネ)というくらいで、南欧州、北アフリカ、北米など世界中に広がっています。
写真上 Silene
conoidea 写真下はいずれも小さな花で、色はなかなか強い。左はムラサキの仲間で学名にペルシャが入っていますから、たぶんイランの固有種なのかもしれないが、調べても良くわかりません。右はこれも学名にイタリアが入っているが、イタリアの固有種ではなく、ヨーロッパから西アジアまで広い範囲に分布します。
写真上左 Nonea
persica 写真上右 Anchusa
italica 道の周囲には緑の畑が広がっています(写真下)。ただ、樹木は少ない。
乾いたイメージのイランなのに、上下の写真を見てもわかるように農業生産国です。北部や西部は雨や地下水が多いので農業に適しています。2015年の統計では、サフラン、ピスタチオの生産量は世界一で、スイカ、キュウリ、羊肉も5位以内に入っています。スイカは先ほど道端でも売っていたように、この国の名産物で、うまい。
アルボルズ山脈を横断 平原を走っていたのが、しだいに山に近づいてきました(写真下)。これからアルボルズ山脈を横断してカスピ海側に出ます。
山脈を横断するというと、山を登り、峠を越えて行くイメージですが、そうではなく、下るだけです。これまで走ってきたアルボルズ山脈の南側が標高1400mくらいあり、道は山脈の隙間を通って下がって行きます。写真上の麦畑よりも写真下の山のほうが標高が低い。
アルボルズ山脈で見つけたのが本日2種類目のケシで、ツノゲシの仲間です(写真下)。 写真上 Glaucium
corniculatum
このケシは元々はイランなど西アジアやヨーロッパが原産のようですが、今では北アフリカ、北米、オーストラリアまで広がっています。
3種類目のケシは数も少ないし、花はなおさら少ない(写真下)。花も小さく、目立ちません。ただ、この花の命名には自信がありません。昨年見た同じ名前のケシはこれとは違い、写真上のように大きく、きれいでした。 写真上下 Glaucium
elegans
このケシの花弁の周囲が白っぽいのはこういう色なのか、それともここに生えているのが特別なのか、はっきりしません。
4種類目は見慣れた姿のオレンジ色のケシです(写真下)。イランにある28種類のPapaverの一つです。
写真上 Papaver
tenuifolium 写真下のシソの学名をネットで検索すると、たくさんの研究論文が出てきます。伝統医学に使われていたことから、その成分を抽出して研究しているらしい。
写真上 Scutellaria
pinnatifida 写真下は野生のザクロだという。イランはザクロの原産地の一つとされていて、また栽培も盛んです。
写真上 Punica
granatum おや!タチアオイではないか(写真下)。前にジョージアに行った時、道端に薄黄色のタチアオイがたくさん生えていました。日本ではこういう色のタチアオイは珍しい。おもしろいことにジョージアのタチアオイは薄黄色しかありませんでした。ここにも薄黄色しかありません。
写真上下 Alcea
calvertii
写真下は先ほど赤いケシのある畑にもあったノコギリソウの仲間です。 写真上下 Achillea
santolinoides subsp. wilhelmsii
写真下はマツムシソウの仲間です。茎が長いので、全体どころか、葉と一緒に撮るのも難しい。
写真上 Lomelosia
calocephala 写真下は名前はわかりません。花の形からしてAllium、つまりネギの仲間のように見えます。
写真下はヤグルマギクを小さくしたような花の印象で、地中海と周辺では普通にみられる花です。 写真上 Crupina
crupinastrum 写真下のシソの仲間は、イラク、パキスタン、アフガニスタン、コーカサス、トルコなどに分布しています。
写真上 Salvia
macrosiphon アルボルズ山脈の花の写真を撮り終えて、山を下りて、車に戻りました。
風景が変わる ここまでの風景は写真下のように、草花の緑はあるものの、山には樹木もなく、乾燥していて、いかにもイランという雰囲気です。ところが、この後で風景が変わりますから、とりあえず、この風景を覚えておいてください。
ルードバール(Rudbar)という街で車を停めました(写真下)。テヘランから270kmほど西にある人口11,000人の町です。
モハンマドさんが停めた理由が写真下のニンニクなどの漬物で、味は悪くはありません。このあたりは冬はかなり寒いらしいから、漬物を作るのには向いているのでしょう。私はモハンマドさんに頼んで、コカコーラを3本買いました。300mLという奇妙な容量で、後でまとめてドルで払っているので、残念ながら値段はわかりません。
写真下はニンニクを積んだトラックです。ニンニクは古代エジプト時代にすでに栽培され、日本に来たのは明治以降というから、日本人との付き合いはまだ短い。 道沿いには土産物屋が軒を連ね、看板にクッキーが描かれているから、ここの名物だろうか。
ルードバールから少し行くと、風景がずいぶん違ってきました(写真下)。先ほどまでの荒涼した雰囲気と違い、緑が豊かで、モスクなどの建物を見なければ、日本の風景とそれほど違いはありません。
私たちはアルボルズ山脈を横切り、カスピ海側に降りてきたのです(下図)。アルボルズ山脈の南側でも農地には緑があったが、平地の樹木は少なく、山にはほとんど樹木はありませんでした。山を下りて、カスピ海側に来ると、山にも平地にも樹木があります。 そして登場したのが田んぼです(写真下)。セフィド川と山との間に田んぼが広がっています。イランと田んぼの組み合わせは私の頭にはなかったので、自分の目を疑いました(笑)。
ラシュトに到着 七時半頃、ラシュトに到着しました。人口68万人で、イランの中ではヨーロッパの玄関口の役割をはたしている都市です。
田んぼまであったように、ここはイランの中でも雨が多く、年間降水量が1200mmを越えます。東京が1500mmほどで、テヘランの平均年間降水量(1988~2005年)が429mmというから、平均の三倍もの雨が降ります。道端で多くの作物が売られているのも、この豊富な雨のおかげでしょう。
写真下の店には行列ができるほどはやっています。何の店だろう?
写真下のように、イスラム社会の女性たちはスカーフをかぶり、身体をすっぽりと覆う黒っぽい服をまとっています。
写真下の若い女性たちも同じような服装だが、赤など色のついたガウンと、細いズボンをはいて、しかも、その足を積極的に出しています。
ライオンの門番 ラシュトのカダス・グランド・ホテル(Kadus Grand hotel)に到着しました(19:37)。 二頭のライオンがお出迎えです(写真下右)。日本の狛犬と同じ配置で、普通、狛犬はインドから仏教とともに伝えられたとされています。インドの仏教遺跡ではライオンを柱に刻んだ頭柱などが見られます。しかし、ライオンの門番なんてあるのでしょうか。一方、ヒッタイトやペルシャの遺跡では、門の守りにしばしば使われているのを見れば、二頭のライオンはペルシャからシルクロードを通ってやって来て、中国で仏教と一緒になって、日本に渡り狛犬になったとみたほうが筋が通ります。
ライオンだけではなく、ロビーもなかなか豪華で、5階建て、96室の五つ星ホテルなのに、後で点数を下げることになりました。
到着が遅かったので、部屋に荷物を入れてすぐに、八時からホテルに隣接するレストランで夕食です(写真下)。 レストランへの外側の通路では建物に付ける塑像を製作中です(写真下)。針金で骨組みを作り、そこにモルタルで肉付けをしていくらしい。こういう塑像は工房で作るのかと思ったら、現地製作なのだ。たしかに、これだけのコンクリートを運ぶのは容易ではありません。 像の持っている器は何を意味しているのでしょう。目の前には水路のようなものでありますから、器に水を流して、手を洗うなんてのは、どうでしょう。
店内は広く、かなりのお客さんで混んでいます(写真下)。ラマダンで、彼らの多くが今日初めての食事なのでしょう。
前回の旅行で、イランの食べ物は口に合いましたから、旅行中の心配事が一つ少ないのはありがたい。この点でもイランは私にとっては旅行しやすい国です。
写真下左の黒い玉が食後のデザートです。ギンギンに冷やしたチョコレートの玉です。これにお湯をかける(写真下右)。
するとチョコレートが溶けて、中のアイスクリームが現れます(写真下左)。これをモハンマドさんが切り分ける(写真下右)。
ガラスコップに入った紅茶で、甘いチョコレートをいただきます(写真下)。 写真下が私の部屋で、赤い絨毯が敷かれ、見るからに重厚で立派です。創業は1983年で、2012年に改修しているから小奇麗です。ところが、いくつも問題がありました。
細かい点からいうと、トイレの前にシャワーがあるので、便座が水でずぶ濡れになります(写真下左)。
さらに困ったことに、何とお湯が出ない。ホールで天井板を外して工事していたのがそれらしく(写真下左)、当初の話では、夜には給湯されるという話でしたが、ダメでした。他のお客さんによれば、翌日の朝には出たようです。 私から見て大きいマイナス点は、部屋に避難経由が示されていないことです。私は階段が自分の部屋の斜め前にあるのを確認しました。しかし、廊下を歩いていても、避難経路がわかりにくい。 しかも、その階段も途中から急に狭くなっていて危険でした。日本でも、たまに商業ビルなどにこういう階段があります。たくさんの人が階段に殺到した時、階段の幅が急に狭くなれば、そこで下りる速度が遅くなり、後ろから来た人が衝突して、将棋倒しになりかねず、非常に危険です。
五つ星ホテルとあるが、私のホテルへの個人評価は五段階の3.0で、これだけのホテルにしてはかなり低い。原因がなんであれ、お湯が出ないのは論外だし、2012年に改修したというわりには、安全への配慮が足りない。私の場合、見た目の豪華さとライオンはほとんど評価の対象ではありません。 かなり疲れており、ようやく寝ようとすると、ホールのテレビでサッカーを見ている人たちの騒ぐ声がうるさい。ペルセポリスというテヘランのサッカーチームが勝ったらしい。 |