トップページ 日程表 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 9日目 10日目 11日目 12日目 13日目 14日目 15日目 16日目 17日目

 

2日目 19981118(水)

(夜行列車) → ガヤー → ブッダ・ガヤー

 

3:50 周囲のざわつきで起床。

4:37 ほぼ予定どおりの時間にガヤーの駅に到着しました。

 

 

朝なのでやや寒い。ここで夜が明けるまで待ちます。駅についているゲストルームを借りようとしましたが、空いていません。待合室の椅子のほとんどには誰かが寝ていて、床にも人がころがって寝ています(写真上)

白い布でくるまれているから、一瞬、遺体かと思ってしまうが、寝ているのです。インド人は、頭からすっぽりと布をかぶって寝ている。

こういう中途半端な時間では私は寝付けそうもないが、荷物を椅子にチェーンでくくりつけて、目をつむりました。

待合室の壁にはお釈迦様に関する古ぼけた絵があり、ようやく仏教の聖地にきた雰囲気がします(写真上)

 

 

 六時頃、明るくなり人が活動しはじめたので、起きて駅から出ることにしました。駅の中まで牛が入ってきても、誰も気にしません(写真下)。牛は神聖視されて大事されていると説明する人がいますが、見ている限りでは、大事にされているのではなく、日本人が道路に犬や猫がいても気にしないのと同じで、風景の一部なのでしょう。

 

 

6:28 リクシャーを二台雇って(Rs20)、ブッダ・ガヤー行きのバス停まで行きました。駅前にバス停がないというのも奇妙ですが、そう、インドでは奇妙なことがたくさんある。

 

image004

 

6:40 バスは日本なら間違いなく廃車どころか、引き取り手もないくらいのボロボロです(一人Rs4)。椅子はボロボロで、床も歪み、穴が開いている。つまり、くず鉄の状態です。しかし、そこが不思議な国・インドだけあって、とにかく動きました。

6:50 出発。窓から見ると、皆さん働き、子供たちも遊んでいます。

 

 

 通学用なのか、リクシャなどに乗っている子供たちをよくみかけました(写真下)

 

 

 

ブッダ・ガヤーはガヤーの駅から直線で10キロほど南にあります。左手にネーランジャラー河を見ながら、農村風景の中を行くと(写真下)、間もなくブッダ・ガヤーに到着です。

 

 

 

7:50 ブッダ・ガヤー到着。リキシャーを二台雇って、エンバシーホテルに到着。一室Rs350税込みの中級ホテルです。

 

image011

 

乾期なのに曇天で昨夜は雨が降ったらしく濡れています。ホテルの窓から見ると、タイ僧院が右手に見えます(写真下)

9:00-10:09 ホテルで朝食(Rs215)

 

 

10:15 情報収集のために印度山日本寺に行きました(写真下)。まだ若い僧侶が対応してくれました。1年以上いるらしいが、あまり周囲を歩いたことがないようです。もう少しいろいろと聞きたいのだが、予定があるから、という理由で途中で僧侶は席をたちました。でも、とりあえず、我々が訪問する所が安全らしいことを確認できました。

 

 

 前正覚山(プラグ・ボーディー)

日本寺で日本語のできるインド人がついてきました。前正覚山(ドゥンゲーシヴァリー, Dongesvari)に行きたいという話をすると、自分のランドクルーザーをRs500で出してくれるという。後で自分の店に来てくれればその金額でいいという。店に来るだけで、買わなくてもいいという話です。うまい話だが、話にも車にも乗らないと隊長が判断。私たちはそのままオートリクシャーのたまり場に行き、そこで値段の交渉をしました。

下の地図を見ればわかるように、前正覚山はブッダ・ガヤーの北東の方向に見えるし、距離的にはそんなに遠くありません。だが、橋がないので、ガヤーのほうにいったん戻り、橋を渡り、迂回しないと行けないような位置にあります。

 

image015

 

11:14 オートリクシャーで、朝来たガヤー方向に戻ります。

 

 

 

ネーランジャラー河に沿って北上すると(写真上左)、東側の対岸の向こうに、目指す前正覚山がぼんやりと見えます(写真下)

 

 

 

前正覚山が後ろになるほど進んで(写真上右)、後で訪ねるガヤー・シーサーの近くにある橋からネーランジャラー河を渡りました(写真下)

 

 

対岸に渡ると、今度は南に向けて進みます。周囲は稲田が広がる農村地帯です(写真下)。だんだん細い道に入り、オートリクシャーしか走れないような細い農道が続き、道が悪いので、ひどいゆれです。

 

 

 

次第に山に近づくにつれて、周囲は乾いており、田んぼなどはありません。ところどころに村があり、子供たちが追いかけてきます。

 

 

 

12:30 ようやく前正覚山のある麓の村に到着(写真下)。村の人らしい人たちが、1ドルと小銭のRs10を交換してくれという。$1=120円として、それをRs10=33円と交換してくれるというのです・・・おいおい。彼らは、そのドルをさらに観光客に売るつもりらしい。また交換した小銭は周囲にいる子供たちにあげたり、寺へ喜捨しろという。要するに身ぐるみおいていく仕組みである。私はこういう意味のわからない慈善に寄付するつもりはないので、無視しました。

 

 

 

麓から見上げると山の中腹に白いお寺が見えます(写真下)。そこまで、道がついていて、参拝が来ているらしく、比較的整備されています。

 

 

 

前正覚山とは、悟りを開く前のお釈迦様がこの山に登り、解脱するために瞑想したとされる洞窟です。しかし、山の神が悟りには適さないと助言したので、ここを去ろうとした時、洞窟の竜が引き留めたので、お釈迦様は自分の影を洞窟の壁面に残したといいます・・・ピーターパンみたい。ただし、この話は経典にはなく、玄奘三蔵が伝えた伝承のようです。つまり、日本や中国の信仰で作られた仏跡です。

その洞窟が、写真下左の左側にある赤い柱の入口です。その洞窟の対面で、白人の仏教徒らしい人たちが勤行をしています(写真下右)

 

 

 

なにせ二千五百年前の話ですから、仮にこの話が本当だったとしても、この洞窟であったかどうかは何の証拠もありません。とにかく入ってみましょう。

靴を脱いで洞穴に入ると、四畳半程度の広さで、ここを守っているらしい人がいます。仏像が正面と右側にあります(写真下)。なにせこの広さにローソクをつけているのだから、中は蒸し暑い。

 

 

信心深い人には今でもお釈迦様の残した影が見えるそうです。「おまえは見えたか」って?もちろん、よく見えたので写真に写してきました。え?皆さんには見えませんか。上の写真にDONATION BOX(喜捨箱)と書いてあるのが見えるでしょう?(スペルがちょっと間違っていますけど。)お釈迦様が残した影は今では喜捨箱になって、たぶん、あの洞窟にいた人の生活費になっているのでしょう。

洞窟の右側にも入口があり(写真下左)、中にはチベット仏教風の仏像が飾ってあります(写真下右)

 

 

 

前正覚山はこの小さな洞穴がすべてです。しかし、左側にチベット寺、下にも何か施設があり、その手前の坂に何軒かの店があり、物売りがしつこい。

穴の下にある建物の前で持参のビスケットで昼食をとりました。左()にブッダ・ガヤー、眼前にネーランジャラー河、右()にはガヤー・シーサーなど、煙っているものの眺望はすばらしい。

 

 

 

13:20 チベット寺に喜捨と記帳をして、物乞や押売や子供たちを従えて下山しました(写真下)

 

 

 

オートリクシャーで走り出すと、子供たちがついてきます。特に、裸の男の子が約15分近くもひたすら追いかけてきました(写真下)。すごい根性です。デコボコ道だから、オートリクシャの速度は遅いとはいえ、これだけの時間を走り続けるのは容易ではありません。途中、運転手が停めて、子供に何かやりました。たぶんいくらかの金を渡したのでしょう。しかし、それでも彼は追いかけるのをやめません。

他の子供は服を着ているのに彼は裸だったから、よほど家も貧しく、幾ばくかのお金を得ようと必死になって追いかけて来ているのでしょ。それでお金をやるのが良いことかどうか、判断はたいへん難しく、よくわかりません。だが、隊長はインドを何度も旅しているし、私も二度目だから、心を鬼にしてお金はやりませんでした。

こういう光景に日本人のほうが精神的に参ってしまいます。あとの二人はこの光景にかなりショックを受けていました。

 

 

橋を渡る前で車を止められ、通行税をとられました(Rs5)。河を渡るとき、運転手から川沿いにあるヒンドゥー教の寺院に行かないかと誘われました。ガヤーはヒンドゥー教の聖地ですから、この種の寺院がたくさんあるのでしょう。時間がないので、断りました。

 

ガヤー・シーサ (Gayasisa)

ガヤー・シーサは漢訳経典では象頭山と訳され、お釈迦様がこの山の上で眼下の集落が火を焚いていることを指して、「すべてのものは燃えている」有名な説法をした所です。燃えているというのは、火の話ではなく、人間が五感など様々な煩悩に囚われていることを指摘したたとえです。

ガヤー・シーサはガヤーとブッダ・ガヤーの中間にあり、ガヤー駅から来る途中の西側に見えます(写真下)。今は仏跡というよりも、ヒンドゥー教の聖地の一つです。

 

 

山のふもとには村があり(写真下左)、そこから階段を上っていきます(写真下右)

 

 

 

さっそく、子供たちがよってきます(写真下)。我々一行は子供軍団を引き連れて、山頂を目指します。

 

 

 

  後ろを振り返ると、西に、さきほど我々が行った前正覚山とネランジャラー河が、南にはブッダ・ガヤーのほうまでよく見えます(写真下)

 

 

 

 なるほど、ここなら、お釈迦様が夕方になり、集落に灯りがともったのを見て、「燃えている」という説法をしたのもうなずけます。

 

 

 

お釈迦様が説法した弟子は、元々はガヤーなどにいた有力な宗教家とその弟子たちで、彼らは護摩を焚いていたようです。仏教では護摩は禁止ですから、彼らは護摩を捨ててお釈迦様に帰依しました。ところが、日本では仏教を名乗りながら未だに護摩を焚いている教団があるのには心底驚かされます。

14:40 頂上に到着。頂上は小さな広場のようになっており、眺望がきき、ガヤーの街が見えます(写真下)

 

 

 

頂上の広場には小さな祠が二つあり、上がヒンドゥー教、下の方が仏教のようです。中に入れと誘われました。祠に祭られているのは仏様ではなく、露骨な寄付を要求です。うんざりしているので、入るのをやめました。

客は少なく、我々のほかには学生風の男女二組がいます。どうやら、デートらしい。インドでは珍しい光景です。

15:20 下山。

15:44 ブッダ・ガヤーに戻りました。

16:08 チベットマーケットに行きました。日常雑貨が売られています。

 

 お釈迦様の頭はネオンサイン!

まだ明るいので、ブッダ・ガヤーの大菩提寺に参拝しました。お釈迦様が解脱した場所ですから、仏教徒にとってはもっとも聖なる場所です・・・が、大菩提寺の周囲の店は、ご覧のように、

「仏 石 おみやげ よい品あります。見ていって下さい。いらっしゃいませ」 (写真下)

などと日本語の売り込み文句が壁に書いてあります。日本人はやはり最高のカモなんだ。

 

 

 

 インド商人の根性に圧倒されながら、入場料とカメラ代を払って大菩提寺の敷地に入ります。

 

image007

 

中心にそびえるのが、ブッダ・ガヤーを象徴するピラミッドのような大菩提寺の大塔です(写真下左)。入り口にも日本語で表示されています。

 

 

 

  大塔の中には僧侶が門番のように立っており、柵もありますが、日本人だとわかると中に入れてくれます(写真下左)。部屋はそれほど広くなく、その奧に鎮座しているのが、チベット風のブッダ像です。金色に塗られ、赤い衣をまとい、この極彩色がいかにもインド的です。だが、顔はりりしい・・・ン?なんだ?お釈迦様の頭の後のところで灯りが点滅しているではないか。

 下右の写真で後光に相当する金色の輪に赤や青の点々が見えます。これがネオンサインのように、チカチカと外に向かって放射状に点滅しているのです。つまり、お釈迦様の頭から後光がさしている様子をネオンサインで表現したつもりらしい。

 あまりの光景に目が点というか、絶句というか、これではゲームセンターか夜店のオモチャみたいじゃないか。おそらく日本人が見たら、信仰心があろうがなかろうが、ほぼ全員が凍りつくか、クスクスと笑い出すでしょう。

 

 

 

入り口の左右に階段があり、そこから二階に上ります。側面のテラスから寺の境内をみると、チベットの僧侶などが五体投地を繰り返しています(写真下)。チベット僧は熱心で信仰が篤い人が多いように見えます。

一階のブッダ像の上にあたる部屋には、僧侶たちが安置されたブッダ像を中心に瞑想しています。悟りの邪魔をしては悪いので、入り口で参拝しました。 

 

 

 

大塔の外に出て、お寺の真後ろにある金剛座を参拝しました。

金剛座とは、ここでお釈迦様が悟りを開いたといわれる場所です。金剛座と菩提樹の周囲は石造りの囲いはしてありますが(写真下)、中に入ることができます。菩提樹が生い茂っているので、十人座れるかどうかくらいの狭い場所です。

 

 

 

写真下で、赤い布がかけてある長方形の石のある場所こそがそれです。長方形の石は1800年代の後半に発掘されたものです。

その手前に赤と緑の線の入った黄色い布が巻き付けてあるのが菩提樹です。菩提樹は、もちろん、お釈迦様の時代のものではありませんが、なかなか立派に生い茂り(写真上)、きっと二千五百年前もこのようなものであったろうと思わせます。

 

 

 

僧侶たちが中で瞑想や勤行をしています。

ところで、ここまでの説明を読んで、皆さん、なんか変だなと気が付いたことはありませんか。

 

金剛座は何で大塔の裏にあるのか?

 大菩提寺はお釈迦様が悟りを開いた場所であり、中心は金剛座です。だが、金剛座は大塔の影に隠れ、まるで裏手の物置みたいにポツンとあります。二十年前、来る前はてっきり、大塔の中に金剛座があるものと思っていました。ところが、そうではなく、大塔の裏手にあるのです。

 下の写真で、金剛座の向こうに金ぴかのお釈迦様の像がみえますが、これは大塔の「裏」の壁面なのです。

 

 

 大塔と金剛座の「主従関係」が逆転して、大菩提寺の中心であるはずの金剛座は後の見えない所に追いやられ、大塔がデカイ面をしています。

 なんでこんな奇妙な構造ができてしまったのでしょうか。一説によれば、大塔の建物は、金剛座の供養のためのものだったようです。ところが、増改築を繰り返しているうちに、発達しすぎて、ついには本尊の金剛座を隠してしまい、本末転倒の現在の形になったのだというのです。

 

大塔の後ろでローソクによる供養が行われています。ローソクを手渡していた中学生くらいの少年が2人追いかけてきて、お金を要求します。ローソクは寺が用意したものだし、手渡しなどしてもらう必要もないから、この2人は何も関係ありません。ボランティアのように見せかけて、後でちゃっかりと金を請求する。インドは大人も子供もこの有様は珍しくありません。ただ、こういう手法をはびこらせているのは金離れがよく、騙されやすい日本人であることも事実です。

 

18:00 あたりは暗くなっています。ホテルに帰る途中の店で買い物をしました。たちまち物売りに取り囲まれ、金額はその場しのぎのメチャクチャで、買ったものも後で調べると数がごまかされていました。インド人には勝てません。

 19:30 ホテルの近くのレストランGINZAで夕食(Rs327)。日本人がよく来るので、情報交換のための日本語のノートがおいてあります。

 

 

 

 

トップページ 日程表 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 9日目 10日目 11日目 12日目 13日目 14日目 15日目 16日目 17日目