トップページ 日程表 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 9日目 10日目 11日目 12日目 13日目 14日目 15日目 16日目 17日目

 

 

5日目 19981121()

ラージギル→ナーランダ大学→パトナ

 

 

H1601

 

朝、停電していました。停電というよりもバンガロー側が電源を切ったようです。私は風邪でお腹の具合も悪く、脱力感があります。薬はまったく効きません。

7:30 タンガーで温泉に向かい、昨夜食事をした店で朝食をとりました。

 

第一回結集をした七葉窟

8:44 温泉(Kund)から七葉窟に向かう前に、温泉にいる警官に護衛を頼みました。ラージギルは強盗が出ることは昨日も書きましたが、特に、七葉窟は人が少ないので危険のようです。公務員の警官に個人の護衛を頼むというのは日本ではありえない話ですが、インドでは可能です。

 七葉窟までの道は、まず温泉の施設の中を通り抜けます(写真下)。インドで温泉は珍しく、ここが大昔の火山の跡であることを示しているのでしょう。一風呂浴びたい気持ちもあるものの、衛生の問題があるので入る勇気がありません。

 

H1605 H1609

 

 山はそれほど高くありませんから、最初に登りがあるだけで、いったん尾根に出てしまうと、比較的平坦な道が続きます(写真下)。道がしっかりと作ってあるから、体調さえ良ければ、どうということのない山道です。私はおそらく微熱が出ており、他の人たちからどんどん遅れてしまいます。

 

H1610

 

 ここにはジャイナ教の寺院もあるので、そこに行くために、江戸時代のようなカゴで担ぎ上げてくれます(写真下)。体調が悪いのだから、これを利用すれば良かったと、下山してから気が付きました()

 

H1629 H1634

 

 天気もよく、山は低い灌木があるだけで木がないので眺望は申し分ありません。

 

 

下の写真は四枚が続き写真になっています。四枚のうち上段の左の一枚目が北方向で、温泉や竹林精舎の方向です。下段の右にある四枚目は昨日行った霊鷲山の方向です。

 

H1633 H1632

H1631 H1630

 

 何種類も蝶が飛んでいます。こういう時は一眼レフの望遠レンズが欲しくなります。

 

H1611 H1612

 

9:30 尾根から北側の斜面を少し下りた所にある七葉窟に到着しました(写真下)。この斜面には洞窟がいくつかあります。奧はかなり深いとのことでした。しかし、いずれも崩壊のおそれがあるので、立ち入り禁止です。

 

H1624

 

 七葉窟は、お釈迦様の死後、弟子たちが教法をまとめるために集まった場所とされています。洞窟で行われたのはスピーカーの代わりになったからでしょう。

ここで口述され確認された内容が後に文字になり、南伝ではアーガマ、漢訳経典では阿含経となりました。つまり、これらの経典なしには仏教は成り立ちません。今の日本では、阿含経は無視されたり、逆にオカルト宗教の宣伝の材料に使われているのはたいへん残念なことです。

 岩波文庫から中村元博士が和訳したわかりやすい日本語の阿含経が何冊か出ています。その一冊『ブッダ最後の旅』は、ここラージャガハ(ラージギル)も出てきます。ぜひ、お読みください。

 七葉窟から下を見ると、北側に昨日訪れた日本山妙法寺などが見えます(写真下)。フラフラの状態で私は登って来たから遠く感じるが、これらの建物から見たら、裏山にあたるようです。

 

H1627 H1626

 

9:58 七葉窟を後にして、来た道を引き返しました。

10:35 温泉に到着して、警官にはお礼をしました(Rs50)

タンガーでバンガローに戻りました。

11:20 前日の夜クマリさんに手配を頼んだタクシーで出発。

 

ナーランダ大学

11:45 ナーランダ大学遺跡に到着。到着したとたん、物売りや物乞の手厚い大歓迎を受けました。客がいないせいか、彼らも必死です。

あわてて遺跡の中に逃げ込みました。こちらは有料であり、観光客もろくにいません。

12:23 遺跡の中に一軒だけある店でクッキーとペプシコーラを買い、昼食にしました。食事にもならないようですが、インド料理が身体に合わないので、このほうが食べやすい。

遺跡の見学をしました。しかし、私は体調が悪い上に、暑くて、身体にこたえます。

 

H1703 H1710

 

ナーランダ大学はお釈迦様時代の遺跡ではなく、精舎のあった所に建てられた後世の仏教大学の遺跡です。玄奘三蔵がここに訪れて仏教を学び、ついには学長代理にまでなったというのですから、彼がいかにすごい人だったかわかります。仏跡の多くは彼の『大唐西域記』の記述から発掘されています。

興味深いのは、玄奘三蔵がナーランダ大学を訪れた600年代、数千人が学んでいたというのですから、仏教はそれなりに繁栄していたのです。ところが、玄奘がブッダ・ガヤーを訪れてみると、そこは砂に埋もれていたために、号泣したという。この温度差は、当時すでに仏教は民衆の信仰からは離れてしまっていたということなのでしょう。

 

H1707 H1706

 

 この周囲は二大弟子と呼ばれたサーリプッタとマハー・モッガラーナの出身の村が今でもあるそうです。塔の上から周囲を見渡すと木が茂っており、豊かなのではないかと思われます(写真下)

 

H1708

 

13:00 遺跡の外にある博物館を見学しました。当たり前のことだが、仏像がほとんどで、個人的な興味をひきませんでした。ここも写真は撮影禁止。

13:37 道端の店からバナナ18(Rs15)、レム(Rs10)、ガヴァ(Rs8)を買って、タクシーで90kmほど北にあるパトナに向けて出発しました。周囲は農村地帯で(写真下)、窓を閉めると暑いし、開けるとホコリがすごく、手ぬぐいでマスクをしてもほとんど効果ありません。

 

H1712

 

16:30 パトナに到着。60万人の都市ですので、カルカッタほどではないが、排気ガスとホコリがすごい(写真下)

予定していたホテルが満室で、紹介されたホテルも満室で、三つ目のリンクウエイ・ホテルでようやく決まりました。

 タクシーの後ろの荷物入れにリュックを入れたら、リュックに軽油がかかり、すごい臭いがします。帰国後、何度洗濯しても、未だに臭いが抜けません。ガソリンタンクから軽油が漏れているのだから、よく考え見れば恐ろしい話です。

 

H1713

 

18:40 最初に予定していたホテルのレストランで夕食を取りました(Rs435.75)

街中でコダックのフィルムを売っているのを見つけました。フィルムが心細くなり始めていたので、Rs130Rs120にまけさせて、私が10本、もう一人が3本買うが、在庫がなく、どこからかかき集めてくるのに30分ほど待たされました。彼らの表情から推測するに大もうけができたようです。

 

ホテルに戻り、隊長が明日のタクシーの手配をホテルに頼むと前払いを要求されました(Rs724)。隊長が領収書を要求し、従業員はしぶしぶ「ちぎった紙の端きれ」に、内容と金額と自分の名前を書きました。日本だったら、金を受け取って領収書も出さないなんてありえない話だが、インドでは珍しくもなく、そしてこれがとても危険なことです。

このホテルの部屋の窓にガラスが入っていません。シャワーはお湯も出ません。建物と建物が隣接して、ガラスのない窓からは隣の建物も、ビルとビルとの間のゴミだめまで全部見えます。インドでは珍しくもない停電があり、1時間ほどで復活しました。その間、発電機を回すが、もろに音が部屋に響いてきます。シーツにしみがついているので、交換してくれと言っても、「それは洗ってある」と言う。これでもインドでは中級ホテルです。

体調が悪く、交渉する気力がなく、明日に備えて21:30に寝ました。しかし、このホテルの本当のスゴサは翌日知ることになりました。

 

 

 

 

トップページ 日程表 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 9日目 10日目 11日目 12日目 13日目 14日目 15日目 16日目 17日目