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13日目 19981129()

→ジャーカンディー→シュラヴァッスティー

 

 

 

6:30 起床。

7:00 バンガローのレストランで朝食をとる(Rs200)。朝なので少し寒い。

 

 

ホテルの受付は客を無視して長電話

8:20タクシーで祇園精舎のあるシュラヴァッスティーに向けて出発(Rs100)

祇園精舎までは7kmほどです。まず今日泊まる予定のホテル・ロータス・ニッコーに行きました。ところが、一人しかいない受付がずっと電話をしたままです。目の前に客がいるのは百も承知で、客を待たせたまま長話をしています。日本ではありえない光景ですが、インドでは珍しくありません。しかも、ここは一流ホテルなのに、この有様。二十分待ちましたが、さすがにウンザリして、もう一つの候補になっているツーリスト・バンガローに行くことにしました。

ツーリスト・バンガローはベッドが二つ入った部屋が二つ、その間にリビングが二つの合計4部屋あるだけです。お湯が出るというふれ込みで、たしかにチョロチョロとお湯がでますから、嘘ではありません。だが、当然シャワーを浴びるなんて論外です(Rs630)

 

9:50 バンガローは祇園精舎(サヘート)へ行く道のそばにあるので、祇園精舎に歩いていけて、地の利だけはよい。

物乞の猛攻撃に耐えながら、まずは祇園精舎の入口の前にあるスリランカ寺を訪問しました(写真下)

 

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ここで仏舎利(お釈迦様の遺骨)を拝観させてくれるというのです。すでにコルカタで本物の仏舎利を見ましたから、どんなものだろうと興味があります。

銀色のストゥーパのケースに入った仏舎利が物々しく運びこまれました(写真下左)。上のカバーをとると、中に透明なガラスでできた小さなストゥーパがあります(写真下右)

 

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 仏舎利は金色の小皿の上に乗っかっているようです(写真下左)。「ようです」というのは、あまりに小さくて、よく見えない()。これ以上の分骨は顕微鏡がないとできません。

 ケースに戻して、頭に乗っけてもらいました(写真下右)。これで少しは脳味噌がお釈迦様に近づいたでしょうか(まっさか)

 

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 僧院の中で、昨日、列車でいっしょだったチベットの僧侶と会いました。彼らはここに泊まっていたようです。

 

 

物乞のいない祇園精舎

 物乞の攻撃をかわして祇園精舎(サヘート)に入りました。ところが、ここは写真撮影は許可されるが、ビデオ撮影禁止。どういうことなのか理由はよくわかりません。

 「祇園精舎の鐘の声」というあの平家物語に出てくる祇園精舎です。しかし、平家物語の暗くて湿った感じは実際の祇園精舎にはありません。日本の仏教もそうだが、どうしてあんなに湿っているのでしょうね。

 

 

 二十年前もそうだったように、祇園精舎の中に入ると、何かとてもホッとした感じがします。さすがにお釈迦様が長年滞在した場所だけある、と信心深い方は思うのでしょうが、理由は簡単で、物乞がいないからです。

 祇園精舎の周囲にいる物乞もすさまじい攻撃力をもっており、病気でやせ衰えた赤ん坊をこちらに突きつけて、金をよこせというのです。あまりのすさまじい光景に普通の日本人は精神的にまいってしまいます。しかし、祇園精舎の中は有料ですし、彼らは入れません。その結果、入口の所までは阿鼻叫喚の地獄絵図を生で見せられるが、中に入ってしまえば、静かな公園だから、ホッとします。この意味では物乞たちも役立っているのかもしれません。

 

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 この遺跡は南側に入口があり、南北に道路があり、その両側に様々な遺跡が残っています。たとえば、写真下左の菩提樹はアーナンダの菩提樹と言われています。

 

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 一番人気の遺跡はお釈迦様が住んでいた場所とされる香堂です(写真下)。円錐状のストゥーパにミャンマーやタイの人たちが供養のために金泊を貼り付けたのでしょう(写真下左)。どうも彼らのこの習慣にはなじめません。香堂の跡で、訪問者たちはそれぞれに勤行をするようです。この日も台湾からの参拝者たちが勤行した後、記念撮影をしていました。

 

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休日なので参拝者や観光客がけっこう多いようです。

 

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遺跡の北西にある沐浴場に行ってみましょう。ここは関西大学の網干教授らが1986年以降発掘した場所です。

 

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 二時間近くもうろうろと歩き回り、お腹も空いてきましたので、そろそろ食事に行くことにしました。

 遺跡の周囲は農村地帯が広がっています。沼地にはハスが咲いているのが、いかにもインドです(写真下)

 

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 道端では、所々に店を開いています。写真下右は、黒い木の実をゆでたような物を売っていたので、試しに買ってみると、中身は白く、食べた感触はサトイモのようでした。

 

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12:40 ホテル・ロータス・ニッコーのレストランに行き食事をしました。台湾の団体が入っていて、その中に加えてもらいました(Rs1395)。彼らはベジタリアンでした。「中国人のベジタリアン」とはいかにもイメージが合わないので、驚きました。彼らは、たぶん仏教徒としてベジタリアンになったのでしょうが、残念ながら、それは誤解で、阿含経の中のお釈迦様はベジタリアンではなく、肉も食べています。

 

14:00 ホテルのさらに先にあるオーラ・ジャルに歩いて行きました。

道の南側に山というよりも丘があり、全体はヤブに覆われて、頂上までの道ができています。スリランカの団体さんがバスで訪れていました(写真下左)

 

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 伝承ではオーラ・ジャルは、お釈迦様が神通力を示した場所とされています。よく仏教遺跡のレリーフにこの主題が用いられています。当時の他の宗教家と神通力の一騎打ちをして、負かしたという伝承です。ただし、これは伝承のみで阿含経にはありません。

オーラ・ジャルの頂上までの道の途中もレンガが露出しています(写真下)

 

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頂上部にもレンガが散乱しています(写真下)。おそらく丘全体が人工的に作られたストゥーパだったのかもしれません。これだけ巨大なストゥーパを立てたのだから、やはり神通力を示した場所など、当時の仏教徒にとって何か特別な場所だったのでしょう。

 

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オーラ・ジャルのすぐ北側にもパナヒナ・ジャルという遺跡があることになっています。畑の中に、そこだけヤブになっていて、何かの遺跡のようですが、何もありません。スリランカ寺で由来を聞きましたが、わからないとのことでした。たとえば、祇園精舎とスリランカ寺の近くには写真下右のような何かの遺跡がありますが、これも何なのかよくわかっていません。シュラヴァッスティーにはこういう由来不明の遺跡があちこちにあります。仏教がいったん途絶えてしまったので、考古学的な発掘を待つしかありません。

 

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来た道を引き返す途中にある日本人が作った鐘突き堂に寄りました(写真下)。「祇園精舎の鐘の声」という平家物語をそのままここに再現しようとしたのでしょう。日本人には除夜の鐘など、仏教には鐘があると信じている人が多いようですが、ありません。鐘は中国の早鐘が仏教取り入れられただけで、インド仏教には鐘はありません。そのことを知っていて作ったのでしょうか。

 

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15:21 我々の一人が午前中の祇園精舎の見学で使い捨てカメラを落としたようです。大事なものですから、みんなで捜しに行きましたが、みつかりません。他人に拾われたら、まず戻る可能性はありません。

 夕方の陽射しの中で見る祇園精舎もなかなかきれいです(写真下)

 

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17:00 夕方になり暗くなったので、いったんバンガローに戻りました。

18:00 私たちが受付の長電話で泊まり損ねたホテル・ロータス・ニッコーに夕飯を食べにいきました(Rs1743)

 

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