トップページ 日程表 1日目 2日目 3日目 4日目 日目 6日目 7日目 8日目 9日目 10日目 11日目 12日目 13日目 14日目 15日目 16日目 17日目

 

 

7日目 19981123()

ヴァイシャーリー→パトナ→(夜行列車)→バナーラス

 

 

7:00 起床。風邪がまだ抜けていないので、とにかく身体がだるい。

 

 

アンバパーリーのマンゴー園

9:00 自転車でアンバパーリーのマンゴー園跡といわれるアンバパーラー村を探しに行きました。ただし、具体的にどのあたりなのかはまったくわかりません。途中は穏やかな農村風景を広がっています(写真下)

 

H1837 H1901

H1909 H1912

 

10:00 看板や遺跡があるわけではないのでよくわかりません。現地の人に聞いて、このあたりがアンバパーラー村という名前であることを確認しました(写真下)

 

H1903 H1904

 

 アンバパーリーは、ヴェーサーリー(ヴァイシャーリー)の遊女だった人です。お釈迦様が自分のマンゴー園に逗留しているのを聞いて、食事の招待を申し出ました。遊女といっても、いわゆる娼婦とは違い、美貌だけでなく、たいへんな教養と財産を持っていて、その地方を活性化させるほどの影響力を持っていたようです。今で言えば人気タレントといったところでしょう。供養の約束を取り付けたことを聞いた貴公子たちがその権利を譲るように迫っても、彼女は拒絶しています。つまり、そのくらいの力を彼女は持っていたことになります。

 アンバパーリーはお釈迦様が逗留していたマンゴー園をそのまま献上しました。だが、献上されたはずのマンゴー園の位置は今ではどこにあったのか、わかりません。アンバパーリーの名前が残っているアンバパーラー村がそれなのだろうと言われています。

 

H1905 H1906

H1908

 

来たときの農道とは別の道を通って帰りました(写真上)

 

ストゥーパ

10:59 ユースホステルの近くにあるストゥーパ跡を訪ねました(写真下)。公園としてよく整備されています。遺跡のストゥーパは、真ん中にストゥーパの形を真似た被いがかけてあります。

 

H1913 H1921

 

 ストゥーパというよりも、その跡というべきでしょう(写真下)。ここからはお釈迦様を火葬にした時の灰の入った壺が発掘され、パトナの博物館に納められています。

 

H1914 H1915

H1918 H1919

 

11:25 ユースホステルに戻りました。

 

12:20 タクシーでパトナに向けて出発。タクシーはジープタイプでほこりっぽいが、広いのでインドの国産車・アンバサダーよりも楽です。タクシーを手配してくれたユースホステルの従業員がいっしょに途中の街まで乗ってきました。

 

H1923 H1924 H1926

 

13:49 パトナにある高級ホテル前に到着。ここで両替しました。

15:10 ホテルのレストランで焼きそばと紅茶で食事をしました(Rs.457.28)。高級ホテルだけあって食えました。ただ、閉店時間なので、まだゆっくりしたいのに追い出されました。

16:00 駅までリクシャーで行く途中、リクシャーが前の車に衝突して、私と一緒に乗っていた一人が荷物ごと道路に投げ出されました。幸い打撲だけでケガはありませんでしたが、本人はかなりショックを受けていました。このリクシャーは仕切のパイプに金属板が溶接されているために、手でつかまるところがなく、衝突したら、自分の身体を支える手段がありません。

16:20 駅に到着したがリタイヤリング・ルームが開いておらず、6時間ほど待合室で待つことになります。駅前にホテルがあることを隊長が思い出して、部屋一つを確保してくれました(Rs311.59)。お湯が出るので、シャワーを浴びて洗濯をしました。電気とお湯が本当に有り難く感じます。ただ、シャワールームの鍵の具合が悪く、隊長が閉じこめられるという一幕がありました。

 

隊長ともう一人が買い物に出かけるというので、私の分の買い物もお願いしました。仏跡は田舎にあることが多いので、パトナのような都会で手に入る時に買っておく必要があるからです。

お祭りなのか、寺院のイベントなのか、もの凄い騒音と、派手なネオンサインがホテルの窓から見えます(写真下)

 

H1927

 

22:30 駅に移動。

24:07 列車出発。四人一組の寝台車だが、前回と違い、通路との間仕切りはありません。

 

 

 

 

トップページ 日程表 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 9日目 10日目 11日目 12日目 13日目 14日目 15日目 16日目 17日目