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12日目 19981128()

スノウリ→ピプラーワー→ノーガル駅→バルラームプル

(ジャーカンディー駅)

 

 

 

 

6:00 起床。

7:14 出発。ホテルで雇ったタクシーは日本製の軽四輪ワゴンです。道路は朝早いこともあり、交通量も少なく、ほこりも少なく快適です。

7:27 道路を踏切で閉鎖して通行税を取られました。途中で8リットルだけガソリンをつめました。この車はガソリン車なので、運転手にとっては値段の高いガソリン代は負担なのでしょう。

 

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8:29 第二の通行税をとられました。税金徴収人のオジサンにカメラを向けると、ちゃんとポーズを取り、しかも二枚撮れと催促されました(写真上)。でもねえ、被写体がオジサンではオレのカメラは嫌がるのよ・・・。

北側にヒマラヤの山々が雲のように見えます。ちょっと下の写真ではわかりにくいが、木々の間にある白い雲みたいに見えるのがヒマラヤです。

 

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9:00 ノーガル駅到着。ここに来たのは、今日乗る予定の列車の正確な時刻を調べるためです。旅行ガイド本の時刻表はインドでは信用できませんから、直接調べるのが一番です。

9:16 道を二十分ほど引き返し、ピプラーワーに向かいしまた。

 

 

ピプラーワーはシャカ族の都か?

9:51 ピプラーワーに到着。ピプラーワー(Piprahwa)の遺跡は、幹線道路に面しています。ここがインド側が主張するシャカ族の都・カピラヴァットウです。

遺跡でまず目につくのが、大きなストゥーパです(写真下)。ここから、1800年代の終わり頃と、1970年代の二度にわたり、仏舎利の入った容器が発掘されています。今日、世界中にはたくさんの仏舎利がありますが、学者たちが本物のお釈迦様の遺骨であろうと折り紙を付けているのは、ここから二度発掘された仏舎利のみです。

 

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 我々がコルカタの博物館で見た仏舎利や、この後、デリーの博物館で見た仏舎利は、このピプラーワーから1970年代に発掘された二度目の仏舎利です。

 

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 1800年代に発掘された一度目の仏舎利はタイやスリランカに分骨され、後に日本にも来ています。名古屋の日泰寺と高尾山の薬王院に祭られているそうです。逆に言うなら、日本ではこの二箇所以外の仏舎利は本物ではありません。

 

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 地図を見ていただければわかるように、実は、ネパールのティラウラコットなどの遺跡は国境をはさんで目と鼻の先で、ルンビニーまで15kmほどだといいます。実際、この遺跡から国境まで1kmもありません。我々は国境があるためにぐるりと迂回したが、昨日の遺跡ツアーでここに寄ろうと思ったら、できるくらいの距離です。当時は国境はなかったから、このあたりもまたシャカ族の支配地域であっても不思議ではありません。

 

 

 大きいストゥーパの上に上がり、周囲を見渡すと、南側にも大きな建物の跡らしい遺跡があります(写真下左)。西側には森があり、そこにも何か遺跡が見えます(写真下右)

 

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北側にも、何か遺跡がありますから、ストゥーパを中心に両側に建物が建っていたようです。(写真下)

 

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 東側は僧院の跡らしい遺跡で、その向こうに我々が通ってきた道路が見えます(写真下)

 

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この僧院から発見されたテラコッタ製のシール、つまり簡単に言えば、ハンコに刻まれた文字がこの地がカピラヴァットウの証拠だというのです。

 

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他にも、たとえば、ここには焦げた米が遺跡から見つかります。写真下左男性は、僧院の土の中から、拾い出して私たちに見せてくれました。カピラヴァットウは後に、コーサラ国王のヴィドゥーダバに攻め滅ぼされましたから、その時に炎上した証拠だと言いたいようです。

 

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 だが、よく考えてみれば、滅ぼされたのはカピラヴァットウなのだから、後にできた僧院と同じ高さの土から焼けた米が出てくるというのはおかしい。

 そういう目でもう一度よく見ると、ストゥーパと両側の建物の配置を見てもわかるように、ここはストゥーパを中心として作られた場所のように見えます。しかし、カピラヴァットウは政治や軍事の城だったはずなのに、後世の人間が作ったにすぎないストゥーパを中心とした配置というのはおかしくないか。

 また、もう一つここがカピラヴァットウだというにしてはおかしいのは城壁が発見されていない点です。阿含経の記述から見ても、城壁で囲まれた城だったはずなのに、それがありません。ここは城壁都市の遺跡ではなく、ストゥーパを中心とした僧院跡のように見えます。

 

 

ガンワリヤの遺跡

10:28 ピプラーワーを出て、道の1kmほど手前あったガンワリヤの遺跡に行きました。こちらは間違いなく寺院の遺跡です。中庭のある四角い建物の壁に一列に小部屋が並んでいますから、これは僧坊でしょう。つまり、発見されているのは、城や民衆の住居跡ではなく、全部、後に作られた仏教の遺跡ばかりです。

 

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 ピプラーワーのそぐそばになぜ同じような僧院があるのかよくわかりません。

 

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 発掘されている遺跡はわずかですが、下の四枚の写真をごらんください。地面に、何か遺跡らしいものが埋まっているらしく、他の土とは違い、黒く浮き上がっているのが見えます。

 

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北側にピプラーワーの遺跡が見え、カラシ菜の花畑が広がり、その向こうにヒマラヤの峰が見えてとてもきれいです。

 

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10:46 ガンワリアの見学を終わると、頼みもしないのに、ドライバーは近くのホテルのレストランに入りました。チャイを飲んで一休みというつもりらしい。日本語で宣伝が書いてあるから、日本人もくるのでしょう。Rs55人分とられる。ドライバーの分を払うのはインドの常識のようです。それはいいとしても、彼らは礼は言いません。

11:15 ホテルを出て、再びノーガル駅に向いました。

 

ノーガル駅は地方の小さな駅で、駅舎の外側に仏陀の絵が描いてあります(写真下左)

 

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駅の周辺には店で、ザクロ4(Rs10)、リンゴ5(Rs16)、バナナ(Rs30)を買い、近くの店でペプシを飲みながら昼食代わりに食べました。店の人も持ち込みは文句言いません(写真下)。子供が手伝って、油で揚げたようなものを売っていますが、私など即刻腹をこわしそうです。

 

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13:45 ノーガル駅の待合室で列車を待つと、三十分ほど遅れて列車が到着(写真下右)

 

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ところが、予想以上に混んでいて、座る席などありそうもありません。何時間もかかるので、乗るのを中止しようかと思ったとき、隊長の「こっちだ!」という合図で、インド人で混み合う列車の中に突撃。

後で聞くと、列車に乗っていたチベット人僧侶と目があい、彼らが来いと合図したそうです。寝台車両なので、隊長が座席の上の寝台に寝て、後の三人が座席に座ることができました。1時間ほど走ると座席が空いて、隊長も座れました。

4人のチベット人僧侶はなんと中国のチベットから来たという(写真下左)。一人だけが英語がしゃべれます。モンゴロイド系の顔を見るとほっとします。

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列車は典型的なローカル線で、列車の中を時々ピーナッツなどの物売りが来ます。

チベット人僧侶たちはジャーカンディー駅、我々はその次のバルランプール駅で降りる予定でした。だが、予定よりも早く列車が進んでいることを知らず、まだ時間があると僧侶たちに言ってしまったため、彼らはジャーカンディー駅を乗り越してしまいました。

17:15 バルランプールに到着し、あわてて僧侶たちといっしょに降りました。こちらの情報がまちがっていたので、一駅戻るために彼らをリクシャーに乗せ、その分のお金を渡しました。最初遠慮したが、結局受け取ってくれました。

 

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17:50 乗ったリクシャーは、街で一番いいホテルだというパシックホテルに向かうが、私たちはそこは通り過ぎて、ツーリスト・バンガローに行きました。設備は悪くなさそうです。しかし、お湯は出るが出があまりよくなく、風邪を引きそうでした。

バンガローのレストランで食事をとりました(Rs353)

 

 

 

 

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