トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 雪ふるキルギスに初夏の花 4日目 2019年6月12日(水) ソンクル湖の周囲 六時前起床。部屋の温度は16℃で寒い。昨夜はもう一つのベッドの布団もかけて寝ました。 今日は、コチコルの南西にあるソンクル湖の近くまで行き、花などを観察します。今日もここに宿泊するので荷物をまとめる必要がなく、楽です。 朝の散歩に出かけます。遠くまで行かなくても、ゲストハウスの前の道から南側に素晴らしい雪山が見えます。地図で調べると4000~5000mもある山々です。このコチコルが標高1800mほどありますから、それほど高くは感じません。 振り返った北側にも遠くに雪山が見えます。これらも4000m級の山々です。 道端には昨日も群落を見た黄色い偽ルピナスが咲いています(写真下)。
写真上 Thermopsis
turkestanica 雪山にすっかり心を洗われて、七時からそれぞれのゲストハウスで朝食です。
お茶だけでなく、皿もBeta Teaという銘柄です。調べると、アゼルバイジャンのメーカーで、旧ソ連の解体で、旧ソ連の国々とその周囲を中心にお茶を輸出して成功しているようです。成功しているとは、おまけの皿を出しているほどだからという私の推測です。
ソンクル湖へ 八時にゲストハウスを出発。コチコルは人口一万人弱の小さな街です。
写真下左が街の繁華街で、通りで見かけたモスクは小さく、ミナレット(塔)もない(写真下右)。これを見ても、あまり大きくない街のようです。 小さな街なので墓場を通り過ぎると(写真下)、あっという間に郊外に出てしまいました。墓は昨日見たようなドーム型の他に、遺影を刻んだ墓石が目につきます(写真下右)。
コンビニ併設のガソリンスタンドで給油です(写真下)。ガソリンスタンドの周囲の風景は日本のそれとは違います(写真下の下段)。
写真左は警察の車両でしょう。頭部にランプがついていないが、車両に電話番号などが書いてあります。
ガソリンの値段は、液晶の右側下に小さく表示されている40.50ソムです(写真下左)。写真下右の他のガソリンスタンドの価格も39.50とありますから、おおよそ40ソムが相場らしい。1ソム=約2円ですから、約80円ということになります。この時期の日本のガソリン価格は130~140円ですから、日本より4割くらい安いことになります。石油は国際価格である程度決まりますから、価格の違いの多くは税金です。日本はガソリン価格の半分くらいが税金で、しかも二重税です。
併設しているコンビニは日本と同じような品揃えです(写真下)。
手頃な大きさの蜂蜜が売られていて、白い蜂蜜「White Honey」があります。これが昨日、飼料として畑にお花畑を作っていたピンク色の花の蜜らしい。後日、これを買いました。
車は南の雪山を目指して進みます。
奥の雪山もすごいが、手前の岩山も陰影がすごい(写真下)。おろし金ならけっこう削れそう(笑)。
白い雲かと思ったら雪山です(写真下)。朝晩、この角度で宙に浮かんだような雪山を見ていたら、人生観が変わりそう。 いよいよ山の中に入ってきました(写真下)。
黄色いケシから 今日、初めての花の観察です。昨日も見た、細長い種を付ける黄色いツノケシです。
写真上 Glaucium
squamigerum
高山植物の定番であるエーデルワイスが咲いています(写真下)1。 写真上 Leontopodium
ochroleucum
写真下はロック・ジャスミン(Rock jasmine)などという商品名で売られていて、天山山脈を中心にカザフスタンに多く分布します。ここは花弁が白ですが、ピンクもあるようです。 写真上 Androsace
sericea
写真下のシソの仲間は中央アジアの他にアフガニスタン、パキスタンなどにも分布します。
写真上 Dracocephalum
paulsenii
見上げると雪山が迫っています(写真下)。
おっ!シカだ(写真下左)・・・と思ったら、作り物です。オウム貝のような角のヒツジを連れた人の像や(写真下右)、ワシの像が崖の上にあります(写真下の下段)。車からだとかなり上を見上げないと見えない。個人的な感想を言わせてもらうなら、風景の邪魔だ(笑)。
周囲には遊牧民たちのユルタが点在しています(写真下)。
ユルタの代わりのトレーラーハウスも見かけます。トレーラーの下を見ると、キャンピングカーのように移動するのではなく、夏の放牧の時に使うために、ここに置いたままのようです。写真下のトレーラーに大きなペットボトルの容器がまとめてぶらさげてあり、おそらく飲料水を汲むためのものでしょう。近くに川がないのだ。
お父さんと一緒に乗馬です(写真下)。子供の頃から馬に親しんでいる彼らはアトピー性皮膚炎、喘息、花粉症とは無縁なはずです。
これも高山植物の定番のようなアズマギクです(写真下)。ユーラシア大陸だから、日本や中国のアズマギクとあまり変わりありません。しかも、これはアジアだけでなく、ヨーロッパやアメリカまであるというから、大陸が地続きだった頃からの生き残りらしい。 写真上 Aster
alpinus
たぶん写真下も同じアズマギクで、花弁に奇形が生じたのでしょう。キクの仲間には時々、こういう花びらが欠けたような花があります。
昨日は雪の中で大群落だったサクラソウで、ここは数は多くありません。写真下右が薄いピンクが混ざっているのは、古くなったからではなく、元々、こういう配色なのでしょう。
写真上 Primula
algida
山は登りは急峻だが、頂上部分は写真下のようにわりと平坦です。 昨日も雪の中で見たオキナグサがここでは群落しています(写真下)。 写真上下 Pulsatilla
campanella
日本のオキナグサに比べて地味な印象なのは、花の色だけでなく、花の近くの葉が開いていないからでしょう。日本のオキナグサは、キンポウゲに良くあるように、花のすぐ下にヨダレかけのように葉が開いて、これが大きなアクセントになっています。ここのオキナグサもその葉はあるのに、小さくて開いておらず、目立ちません。
車を停めたあたりに地元の家族がやってきました(写真下)。お母さんと四人の子供たちのようです。お父さんは放牧に出かけたのでしょう。
写真下がこの家族の家らしい。 進むにつれて、谷が深くなっていきます。
ソンクル湖への観光客目当てなのか、露店が並んでいます(写真下)。
子供がホウレンソウのような野菜を持って売っています。たぶん山菜でしょう。小さい子供をダシにされると、いらないのに買ってあげようかと言う気になるが、幸い車は停まらない。
写真下の道端にある建物はたぶんこのあたりの遊牧民のためのモスクです。壁は貨物列車のコンテナなどに使われているドアのように見えます。鉄だから丈夫で、雪でつぶれることもない。 谷川が作った両側の平地にユルタがあり、馬たちがいます(写真下)。ここは水があるから、生活には困らない。
幹線道路から山道へ 谷を出て、幹線道路を離れ、舗装されていない道を湖に向かって走ります(写真下)。
川が流れて緑豊かな谷を見ながら、さらに西に進みます。
写真下左は道のポツンと建っていた看板です。このあたりの案内板かと思ったら、どう見てもただの風景画です。遊牧民が描いた絵を展示している屋外自然美術館で、入場無料です(笑)。
ユルタはボズウイとも呼ばれ、直径6mで約1000ドルほどで、キルギスのユルタの大半を生産している専門の村があるそうです。キルギスのユルタの特徴は天井(トゥンドゥク)が開くことです。
さっそうと馬に乗っていると格好良いですね(写真下)。昔、観光用の小さな馬(ラバ?)に恐る恐る乗ったことがあるが、とても気持ちが良かった。
写真下の人たちは牛を連れています。これまで見かけたのは大半が馬で、牛は珍しい。
キルギスは日本の半分ほどの面積に人口は600万人です。単純な人口密度は日本の十分の一ですから、街中や電車で10人のうち9人がいなくなったと考えれば、その少なさがわかります。人混みが苦手な田舎者の私はこちらのほうが好きです。
遊牧民の国のように見えますが、旧ソ連時代に強制的な定着が進んだこともあり、遊牧民の数はかなり少なく、前にも申し上げたように、普段は定住し、夏の間だけ放牧に来ているようです。
道路は標高2500~3000mくらいあり、草原と岩山が広がっています。
その中にも樹木の生えている斜面があります(写真下)。生えている所とそうでない所が、理髪で剃りを入れたように明瞭に境界があるのは、環境でたまたまこうなったのか、それとも植林のせいでしょうか。
ユルタだけでなく、木造のような建物が現れました(写真下)。ここは森林があるから、木材を簡単に調達できる。ユルタであちこちと移動しているのではなく、夏の間、こんなふうに一カ所に定住しているのでしょう。
周囲に放牧されている家畜は馬が多いが、ヒツジもいます。ただ、先ほど牧童が連れていた牛は見かけません。
車を停めて川べりにいる人たちは遊牧の人たちというより観光客という雰囲気です(写真下)。
やがて谷は狭くなり、谷に沿ったなだらかな道はここで終わりです。
峠まで登る 道は谷の奥から川を離れ、峠に向かって七曲りの上り坂になっているので、車から降りて、登ることにしました(写真下)。車を降りたあたりで標高2800mほどで、峠は3000mを越します。一部には樹木も生えており、何か花がありそうです。
斜面にはシャボテンのような刺だらけのマメ科の植物が一面に生えています(写真下)。
写真上下 Caragana
jubata
花はマメ科らしくかわいいが、なにせすごい刺で、これが密集して生えていますから、その中に入るなど無理です。キリンでもない限り、こんな刺だらけの植物は餌にもならないでしょう。動物よけの生垣に使えそう。
途中の道の両側にもこの植物の群生がみられました(写真下)。
斜面には地元の人らしい、たぶん親子がいて、山菜取りをしているようです(写真下)。先ほど、通りで子供が売っていたあの山菜のようです。
薄黄色のスイカズラが咲いています(写真下)。紫色の果実を付けるらしいが、それまで待てない(笑)。 写真上 Lonicera
stenantha
写真上 Lonicera
hispida 写真下は日本の高山でも良く見かけるハクサンイチゲの仲間というよりも、本人です(笑)。ヨーロッパ、アジア、アメリカまで広範囲に分布します。
写真上下 Anemone
narcissiflora protracta
写真下のマメの仲間にしては珍しく名前がわかります。透明感のあるピンクがきれいです。 写真上 Oxytropis
humifusa
中央アジアから南はインドやカシミール、パキスタン、東はチベット、新疆など広い範囲に分布する花です。
写真下もマメの仲間だが、これはこのままの白や半透明な花なのか、それとも咲き終えてしまった後なのか、よくわからない。 写真下の青がきれいなアマの仲間は中央アジアからモンゴル、ロシア、中国のチベットや新彊などに分布します。
写真上 Linum
pallescens
茂みの中にキンポウゲが咲いています(写真下)。 写真上 Trollius
dschungaricus
写真下の葉は切れ込みが入っています。
ところが、写真下は細い葉が付いているように見えます。上とは別な所に生えていたので、別種のキンポウゲでしょう。
写真下はネギの仲間で、真ん中の写真ではハエがとまっていますから、ハエが好むような匂いが出ているのでしょう。
写真上 Allium
carolinianum 写真下は、背が高く、すっきりした印象のキクの仲間です。ドロニカム(Doronicum)はこの名前で日本でも園芸種としては売られています。 写真上 Doronicum
turkestanicum
写真下は二日前の雪山でもみかけたシオガマギクの仲間です。 写真上 Pedicularis
amoena 写真下左の川近くから歩いて登ってくる予定だったのですが、標高3000mの山道は空気も薄く、きついので、あっさりとあきらめて車で登り、いつものように花のありそうなポイントで停めてもらうことにしました(笑)。
写真下のロック・ジャスミンは先ほども見かけました。中心部分が赤、ピンク、黄色といろいろあって、かわいらしい。 写真上 Androsace
sericea サクラソウを手前に皆さんおそろいで記念撮影です(写真下)。 写真上下 Primula
algida
写真下は花弁が下に垂れていて、舌を出したようなランです。ユーラシア大陸だけでなく、イギリスやアメリカにも分布しているようです。
写真上 Coeloglossum
viride 写真下はキタダケソウの仲間です。私は南アルプス北岳のキタダケソウは見たことがない。 写真上下 Callianthemum
alatavicum
天山山脈を中心とする中央アジア、パキスタン北部、中国の新疆などに分布します。
写真下は漢方で紫根と呼ばれるムラサキの仲間で、昨日も見ました。中央アジア、アフガニスタン、北西インド、ネパール、パキスタン、ロシアなどに分布します。
写真上 Macrotomia
euchroma 写真下は日本でも中部以北の高山地帯に生えるチシマアマナです。ユーラシア、ヨーロッパ、アメリカまでの北半球の寒帯に広く分布します。
写真上 Gagea
serotine 黄色いチューリップです(写真下)。栽培品のチューリップとはだいぶんイメージが違うが、花よりも葉を見ると、たしかにチューリップです。
写真上 Tulipa
heterophila 峠のスミレ 峠の頂上近くで花を見ます(写真下)。雪があるし、風も強く、寒い。このあたりで標高は3100mほどあります。
日本でも見慣れたフデリンドウで、大きさや形も日本のフデリンドウに良く似ていますが、名前がわからない(写真下)。
スミレが二種類あります。一つ目の写真下は中央アジアよりも、アフガニスタンからインドやネパールや中国などのヒマラヤに分布しています。
写真上 Viola
kunawurensis 写真上と下は葉の形が違うので明瞭に区別がつきます。こちらはアフガニスタン、パキスタンから、インド、ネパール、チベット、西中国などヒマヤラにも分布します。
写真上下 Viola
kunawurensis 岩の隙間に苦労して咲いているように見えますが、逆に岩の保温性や保湿性が彼らには良い環境なのでしょう。「今日は、ぬくいわねえ」と言っているかどうかはわかりません(笑)。
ソンクル湖周囲の放牧 峠を越すと、道はゆるやかな下り坂になり、目的のソンクル湖までは10kmほどです。峠を越えるといっても、ソンクル湖の標高は公式には3016mですから、先ほどの峠と100mくらいの差しかありません。10kmで落差100mで、ほぼ平地です。つまり、峠というよりも、谷から台地の上に出て、台地の上に水が貯まってできた湖に向かっています。
道の両側の斜面には黄色いキンポウゲが一面に花を咲かせています。
遠くに雪山が見えてきました(写真下)。稀に車とすれ違うこともあります。
道はソンクル湖に注ぐ川を渡ると(写真下左)、そこからはほぼ平原で、標高は約3000mです。もう湖が見えてもいいくらい近づいているだが、平らなので、はっきりとはわかりません。
たぶん湖の近くの道なのでしょう。でも、雪山方向に向かって進んでいます。
平原には家畜が放牧されています。ヒツジが道路を横切る(写真下左)。
これまでは放牧といえば馬が大半でしたが、ここではヒツジもたくさん放牧されています(写真下)。 平原だから家畜も移動に楽で、そばに湖があるくらいで水分もあり、草がうまく繁茂するのでしょう。 日本ではまず見られない光景です。環境は厳しくても、日本の家畜小屋と違い、動物たちがのびのびしている。 茶色のカモを大きくしたような鳥が二匹います(写真下)。ツクシガモという大型のカモで、ユーラシア温帯に広く分布し、日本にも少しだけ飛来することがあるそうです。
写真上 Tadorna
tadorna 草原の花 草原の中に花が咲いているのを見つけて、停車しました。 写真上下 Chorispora
bungeana
ピンクと黄色の二種類のアブラナの仲間です。両方とも中央アジアから西シベリアにかけて、標高4000m 以下の、ここのように栄養や水分に乏しい石だらけの土地を好みます。 写真上下 Chorispora
macropoda
写真下のように、混ざって生えているが、ハイブリッドはないようです。
だいぶん進んだはずなのに、昼食を取る予定のユルタ・キャンプが見えません。左側にソンクル湖が見えるのに、道はむしろ湖から遠ざかっている雰囲気です。ユルタのある所で車を停めて、地元の人に道をたずねます。こんな広くて見通しの良い所で道に迷うなんて、さすがはキルギスです。
カメラに気が付いて子供たちが顔を隠す(写真下右)。すかさず、私はそれを撮る(笑)。
ここにあるユルタも遊牧民の住居ではなく、観光用の宿泊設備らしく、道の脇に唐突にHOTELと書いた看板が立っています(写真下)。何もない平原のど真ん中に、雪山を背景にしてポツンとホテルの看板があるのはさすがはキルギスだとまた感心する。
ちょうどこのあたりが湖に行く道の交差点らしい。「らしい」というのは、道路標識などあるはずもなく、平原を車が勝手に走ってしまうので、道は有るような無いような状態です。写真下のように、車のわだちがたくさんできていて、車が平原に入るのは自然環境に良いはずもなく、観光を持続させるためにも車の通る道はきちんと決めるべきでしょう。
横長の風景 雄大な雪山と放牧された家畜を見ながら、車は湖に沿って、ユルタ・キャンプに向かいます。 ソンクル湖がようやく見えてきました。距離的に遠くないのに、平らなので、かろうじて見える程度です。 横長の写真ばかりになっていますが、実際に風景はこのままの横長です(笑)。キルギスはこんなふうに横長の風景が多い。 馬は立っているか走り回っているのに(写真上)、牛はねそべっている(写真下)。食べた後、横になると牛になるという話があるが、食べる時から横になっていたローマ人たちは牛になったのだろうか(笑)。 ここまでは放牧された動物がたくさんいたのに、写真下左丘を通り過ぎたあたりから、急に家畜の数が減りました。
ごらんのように、横広の風景を見ても、家畜は見当たりません。 写真下のようにたまにまとまっていることもあるが、これは例外です。 遠くにユルタの集団が見えたので、到着かと思ったら、もっと先のようです。こんなふうに湖に沿って、ユルタ・キャンプがいくつもあります。
このあたりは少し高くなっているらしく、湖がはっきりと見えるようになりました(写真下)。 そこで増えてきたのが、黄色いキンポウゲです(写真下)。 キンポウゲは毒性がありますから、家畜がいないのは、このキンポウゲのせいかもしれないが、実際には少しいます。しかし、良く見ると、キンポウゲが群生しているあたりには馬はいません(写真下)。昔、北海道で牛がキンポウゲを食べて中毒を起こしたという話があるようです。 こうなると、車を停めて見ないわけにはいかない。 黄色い花のほとんどが写真下のキンポウゲの仲間で、他にもタンポポなどが少しあります。
写真上 Ranunculus
alberti
写真上左 Primula
algida お待ちかねの昼食 二十分ほど走って、湖の近くにあるユルタ・キャンプに到着です(14:08)。
「ずいぶん遅かったじゃない」「道がわかんなくてねえ」と会話しているかどうかは知りません(笑)。
ユルタがいくつかあって、たぶんこれらはこのホテルの部屋です。ネットで見ると、湖の周囲にこの種のユルタ・キャンプが点在しており、一泊30~35ドルからあり、三食付きでも55ドルです。
ネットでのユルタ宿泊の評価はかなり高い。宿泊設備はともかく、晴れれば、朝夕の風景、夜の星空など、一度見たら一生忘れられないような素晴らしい体験ができるからでしょう。私も泊まってみたい気持ちはあるが、水洗トイレでないといやだなどという軟弱な人間なので、あきらめています(笑)。 写真下左が広々とした無料駐車場、右が広々とした所にある無料トイレです。入ってみませんでしたが、たぶん水洗ではありません。
食堂はユルタではなく、写真下左のプレハブで、調理場はその隣のテントらしい(写真下右)。
すごい色彩の食事だなあと良くみると、赤いテントウムシがいっぱいいる(笑)。
山道を戻る 三時すぎ、お腹いっぱいになったので、横長だらけのソンクル湖の風景を離れ、山道に戻り、帰ります。
空気の薄い山道を走りながらも、私の頭の中では、ソンクル湖のユルタで一泊する案と水洗トイレが交互に出てきます(笑)。
雪の積もった山道を通過します(写真下)。山形でも春になると、ここのような雪の壁のある観光道路を作ります。このあたりで標高は3400mほどです。
降りていくと、雪はなくなり、やがて放牧された家畜たちが見えてきました(写真下)。
道端に人家が見えてきました(写真下)。しかし、不思議なことにユルタはまったく見当たりません。
下がるにつれて、ようやく集落が現れました(写真下)。
集落だけでなく、あの遺跡型の墓場まで現れました(写真下)。さして大きくもない集落の道路側だけでなく、奥の山の斜面の二カ所にたくさんの墓があり、まるで墓場の中に集落があるように見えます。 こんな小さな村になんでこんなたくさん墓があるのか、あまりの光景に私は衛星写真で調べてみました・・・もの好き(笑)。該当するのが下の集落で、この前後に大きな集落はなく、墓場が二カ所あり、私は車の右側の席から撮影していますから、位置関係もそのままです。ただ、道路のそばにある墓が衛星写真を拡大しても、良くわかりません。数えてみるまでもなく、村の戸数よりも墓石の数のほうが多い。 墓だけでなく、写真下のようなクラシック・カーが現役で走っているのにも驚きます。動いているのだから、ネットで売ったら、案外、高値がつくかもしれない。ただ、日本は車検があるから、公道は走れないでしょう。 子供はここでも元気で楽しそう(写真下)。
それに比べると、老人はここでも暇で、つまらなそう(写真下)。
もちろん、働いている大人たちもいます(写真下)。
地ならしなのか、地面に丸太のように布を丸めた物をロバに引かせています(写真下)。この青年がロバに乗らないほうがロバは楽になるから、仕事の効率も良くなるような気がする。ロバ君、辛そう。
トイレ休憩をはさみながら山道を降りて、五時すぎ、ようやく幹線道路に戻りました。
コチコルまで41km(写真下左)、ソンクル湖まで56kmとありますから(写真下右)、半分をすぎたことになり、しかも舗装道路で、ここからは楽です。
コチコルの街まで戻ると、緑がまぶしく感じます(写真下)。
道路への実効支配 ゲストハウスに戻り、夕飯までまだ時間があるので、周囲を一周してくることにしました。ここは雪山の景色は雄大で素晴らしいが、街そのものは小さく、しかも郊外なので、住宅地が広がっているだけです。
下の地図の青い線が私の散歩コースです。 地図のピンク色のマークはゲストハウスで、小さい街のわりにはたくさんあり、しかもこの地域に集中していて、写真下のような看板も出ています。 縦横に道がついていますから、おそらく旧ソ連時代に人工的に作られた街です。その証拠がゲストハウスの南側にある、小さな街に似つかわしくないほど大きな運動競技場です(写真下)。旧ソ連時代に作られ、その後、放置されたのでしょう。ここは周囲の野山は運動競技場だらけで、意味がない(笑)。 運動競技場としては使われていなくても、今でも有効活用はされています。おじさんが家畜を連れて中に入りました(写真下)。トラックに生えた草を食べさせるのでしょう。元の牧草地に戻りつつある。
写真下左は道端に置いたままの廃車のようです。ゴミを道端に捨てるのは良くないと牛クンも言っています。
ここも建物は平屋がほとんどで、写真下右のような二階建てはかなり珍しい。集落の外れに建築中でしたから、二階建てはモダンな家のようです。
写真下はゲストハウス前の通りで、ちょっと変だと気が付きませんか。手前の家のフェンスと奥の家のフェンスが、同じ道路に面しているにもかかわらず、道路側への「出方」がかなり違う。奥のフェンスのほうが道路に2メートルくらい突き出ています。狭い道を道路拡張でもしたというならともかく、ここは道幅が一定な直線道路なはずなのに、どうしてこんなデコボコ状態になっているのか。 下の衛星写真はゲストハウスとその前の通りの部分です。少々わかりにくいが、家が線を引いたように、道路から同じ位置にあるのがわかります。各家の前に道路に突き出た茶色の長方形の部分を見てください(赤で囲った部分)。これは家と道路との間にある写真上のフェンスで囲まれた部分です。赤で囲った二カ所を比較すればわかるように、道路側に出ている長さが家によって違っており、これが写真上の差です。 おそらく、家を建てたときには旧ソ連時代だったのが、キルギスが独立して土地家屋の個人所有が認められるようになり、道路という公共用地と宅地という私有地との境の問題に初めて直面した。共産主義時代にはそれが曖昧だったのをいいことに、各人が勝手にフェンスで囲って「実効支配」をしている、ということでしょう。 日本の都会に住んでいる人たちから見たら、あきれる話だが、私の住んでいるような田舎では、土地の境界の問題は、国が長年放置したままだから、これよりももっと深刻です。日本人は記録を取り残すという習慣が希薄な上に、デジタル化が著しく遅れているからです。
やはりこの街の良さは周囲に広がる平原と雪山でしょう(写真下)。
七時半から本館のゲストハウスで夕飯です(写真下)。
声をかけながら順番にシャワーも済ませ、明日はここを出ますので、荷物をまとめます。 |