トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 雪ふるキルギスに初夏の花 8日目 2019年6月16日(日) カラコル → チョルポン・アタ → バラサグン → ビシュケク 朝、五時すぎに起きました。部屋の温度は21℃だから、寒くはありません。
写真上右 Lysimachia
punctata 今日は、イシク・クル湖の北側を通って、チョルポン・アタとバラサグンで遺跡を見て、今回の旅行の出発点の首都ビシュケクに戻ります。 出発の準備で荷物をまとめるのに手間取り、朝の散歩に出かける頃には、昨日の朝の牛の出勤時間より遅くなったので、村の東側から、昨日行った広場までを時計回りに一周することにしました。 後ろに雪山がありますから、集落には水が激しい勢いで流れています(写真下)。こういう水量の多い流れは何度も見かけましたが、見かけないのが池です。タムガのゲストハウスは庭がきれいで、近くの用水路は豊富な水があったのに、池はありませんでした。たぶん、四季を通じて水が豊富だから、ため池は必要としないのでしょう。これだけの水があるなら、魚を飼えば、現金収入にもなるはずです。
集落の中を歩いても、牛糞が落ちていることもなく、ここがあれだけの牛を飼っている村には見えません。静かで、誰とも会わない。写真下左は店らしい。
牛があれだけいるなら、羊や山羊がいるのではないかと期待したが、出会った家畜はニワトリが少しだけでした。写真下左は落書きかと思うような派手な絵が描いてあるので、調べると一泊が1000円くらいのゲストハウスです。ただ、この絵は村の雰囲気には合わない。
七時半からホテルで朝食です。ジャムは手作りらしい。
予定どおり、九時に二泊したホテルを出発です。
白い蜂蜜 幹線道路に出て、すぐに街の土産物屋に寄りました(9:04)。おしゃれな作りで、品物の品質も悪くありません(写真下)。
写真下はホテルでも売られていたウールを使ったヌイグルミやバッグなどです。質感も良く、デザインもかわいい(写真下)。
どこか日本人には親しみが持てると思ったら、これらを指導したのは日本のJICA(国際協力機構)だという(『未来世紀ジバング』2019年5月1日放送、テレビ東京)。「一村一品」運動のように、元々あったフェルトを作る技術をベースに、廃校の施設を利用して、村の女性たちに技術指導して開発した商品で、日本では「無印良品」が販売しています。
ハーブ入りの石鹸が売られていて、壁には伝統的な手作りを強調した写真も飾ってあります。お客さんから、石鹸の元の材料の油は何を使っているかという質問が出て、残念ながら、店側は答えられませんでした。たしかに自然素材を強調するなら、材料に何を使っているのかは重要です。
私を含めた多くの人が買ったのが「白い蜂蜜(White Honey)」です。250gで260ソム(約520円)ですから、この種の蜂蜜としては安い。お土産としてあげた人たちからは、うまかったと評判でした。蜂蜜の元なった花は、昨日も道の両側に咲いていたピンク色のセインフォイン(Sainfoin)です。家畜の飼料としても、また蜂蜜としても役立つエライ花です(笑)。
写真上右 Onobrychis
viciifolia 今日は移動距離が400kmと長いので、花の観察は最小限です。
時々、クラシック・カーが走っている(写真下)。色が違うが四台とも同じタイプの車で、ロシアのラーダ(Lada、旧ジグリZhiguli))というメーカーの大衆車でLada 1500(Zhiguli VAZ-2103)です。イタリアのFiat社のFiat124をモデルにして1972~1984年に作られました。
道ではスカーフ姿の女性たちが目立ちます(写真下)。この後、首都のビシュケクに行くと、これが減ります。手をあげているのは、私のたちの車を乗り合いバスと勘違いしているからです。
馬に乗った人が目につきます。車並とはいわないが、これだけ一般的なのに、馬に乗った女性は見ません。
日本では、ロバや馬はもちろん、家畜そのものが減っています。私の住んでいる所は昔からの農村で、私の家ではヤギや羊を、隣の家では牛を飼っていたし、ニワトリはどこの家でもいたが、今はいません。家畜がいる家の子供はアトピーや喘息などのアレルギーになりにくいと言われています。
またバス停の話 道端にはたまにあまり意味のわからないモニュメントがあります(写真下)。私個人の感覚とは合いませんが、戦いを鼓舞するような戦勝記念碑がないのは幸いです。
今日も好評のバス停シリーズです(笑)。姿形は様々でも共通点が一つあり、いずれも古くて、屋根などの破損の修理が十分に行われていないことです。
一部は修理されているが、その修理がひどい。写真下左のバス停の壁では、雪山を背景にしたイシク・クル湖の上を二匹の白い鳥が飛んでいます。写真下右も横の壁には野生のチューリップが咲いています。ところが、それを修復するのに、白いモルタルで塗りつぶしてしまった。おいおい、それはないだろう。タイルを貼りつけて、前の絵と同じようにするか、新しく書き加えればいいのに、なんて無粋なのだろう。
写真下左など、鹿か山羊が川をジャンプしている。出来の良し悪し、好みは分かれるどころでも、単に機能性だけでなく、芸術性にもお金がかけたのがわかります。
写真下左では、壁一面にかなり凝ったレリーフが掘られていますから、手間暇とお金がかかったはずです。
写真下のようにタイルを用いた模様をほどこしたバス停などは比較的保存状態が良いのがわずかにあります。
総じて形には一貫性がない中、写真下の三組のように共通したデザインもあります。
まったく同じ形のバス停がほとんどなく、しかも、離れた所で共通したデザインが見られることから、これらはおそらく旧ソ連時代に一括してデザインして作られ、独立後はキルギスの経済状態から、最小限の修理しか追いつかなったのでしょう。
古びてろくに修理もされないバス停ですが、振り返って、日本を見た時、バス停の美観にお金をかけるどころか、そもそもこういう建物がない。屋根のついているバス停は珍しい。雨がはるかに多いはずの日本で屋根もなく、あっても最小限で、田舎のバス停など、どこの掘っ立て小屋なのかと思うようなみすぼらしい建物が多い。新しく道路を作っても、バスが停まれるような引き込み線を作らないから、停車したバスが車から迷惑がられる有様です。 日本は、バス停のような庶民の日常に関わるような公共施設がお粗末で貧しい。庶民が雨の中、傘をさしてバスを待たなければならないことは、私の感覚では貧しいと言います。
バス停の他に時おり目につくのがモスクです。イシク・クル湖を一周してみると、他のイスラム教国で見られるような大きなモスクは見かけませんでした。
このあたりに大きなモスクがないということは、二つ理由が考えられ、経済的に豊かではないということと、宗教に狂信的ではないことです。
ミナレットは祈り時間を告げるための塔ですから、本来なら一番上から人が呼びかけるのだから、一番上に窓や展望台のある「二階建て」で済むはずです。ミナレットが進化すると、三階建て、四階建てなどが出てきました。一段式のロケットが多段式になったような外見です。
たまにですが、写真下のようにミナレットのないモスクらしい建物があります。こういうのは個人の霊廟のこともあるが、写真下は人が集まるようにできていますから、墓ではなくモスクでしょう。
セインフォインとアブラナ 今日は急いでいるのであまり花を観察する時間はありません。でも、やはり道の両側に広がるピンク色のお花畑を見ると、ちょっと停めたくなる。
先ほどの店で買った白い蜂蜜はこのピンク色のセインフォイン(Onobrychis viciifolia)から採ったものだという。蜜蜂は一生かかってもスプーン2杯分くらいしか蜜を集められないそうです。ミツバチ君たちに協力するためには、多くの種類の花を植えることだとミツバチの学者が言っていましたので、私もそのように心掛けてています。
セインフォインだけでなく、アブラナの畑も広がっています(写真下)。
両者が混ざるともっときれいです(写真下)。 畑の周囲の空き地にいろいろな花が咲いています。
写真上左 Salvia
nemorosa 背の高いシオガマギクの仲間がたくさん咲いています(写真下)。中央アジア、パミール山脈からヒマラヤの西部に分布します。
写真上 Pedicularis
dolichorrhiza 写真下のナデシコの仲間は北アフリカ、ヨーロッパ、西アジアだけでなく、南北アメリカ、オーストラリアなどあちらこちらに帰化していて、日本にも来ていることになっています。
写真上 Silene
latifolia subsp. alba 写真下はゴマノハグサ(Rhinanthus)の仲間で、名前がわかりません。
セインフォインとアブラナの花畑を道路の左右に見ながら、車はイシク・クル湖の北岸を西に進みます。
畑仕事をしている人たちがいます(写真下)。こんなに広いと私のところみたいに手作業ではまず無理でしょう。
今日も青いイシク・クル湖の上に雪山が連なっている。
水路のそばの花 車を停めて、二度目の花の観察です。ここでも水路には水が音を立てて大量に流れています(写真下右)。
犬クンが、あの人間どもは何をしているのだろうと見ている(写真下右)。
マメ科のなんとも鮮やかなピンク色の花です。
写真上 Lathyrus
tuberosus 写真下はヨーロッパやアジアが原産で、アメリカで広がって迷惑がられているトウダイグサの仲間です。
写真上 Euphorbia
virgata チョルポン・アタ 遠くに見えていたイシク・クル湖が近くなり、道はやがて海岸通りになりました(写真下)。
ここはチョルポン・アタ(Cholpon-Ata)という街で、北部にチョン・アクスー溪谷や、これから私たちが行く岩絵野外博物館などがある観光地で、海水浴などのリゾート地として有名です。
バザーがあるようで、この国にしては珍しく人でにぎわっています(写真下)。
浮輪を売っているなど、リゾート的な雰囲気になってきました(写真下)。
通りには、この国にしては人の数も多い。
子供たちの姿も目につきます。日本だったら、当たり前の光景だが、ここ数日、人のいないところばかりいたので、たくさん人がいると奇妙に感じる(笑)。
ここのにぎわいは、これまであまり見かけなかった広告用の看板があることでもわかります(写真下)。毎度、こういう看板で気になるのが貼りつける時にできたシワです。看板によっては貼り付け方が下手で、シワが寄ったり、デコボコがある。カザフスタンとウズベキスタンでも同じで、中央アジアの人たちはあまり気にしないらしい。
ヒツジ君は腕組みをして何か考えていて、七面鳥は蝶ネクタイをしてどこかに出かけるようです(写真下)。Gozu Grillとあるから、たぶん焼肉です。
ここはイスラム教が75%を占める国なのに、写真下はビールの広告かと思ったら、アルコールが0.0%と表示されています。
道端で目についたのが薄ピンク色のバラで、人が植えたというよりも、写真下右のように自然に生えているようです。
岩絵野外博物館 チョルポン・アタの北西にあるチョルポン・アタ岩絵野外博物館に着きました(12:15)。北側にあるのがクンゲイ・アラトー山脈です。
博物館と名前はついているが、ごらんのように大きな石がゴロゴロしている公園です。
南側にイシク・クル湖が見えます(写真下)。この有料の博物館に入らず、このまま南に行っても、同じような岩絵が無料で見られるそうです。
岩絵は、ウィキペディアではイラン系のカサ族によって描かれた4000年前(つまり紀元前2000年)のものという説や、同じウィキペディアでも紀元前800年から紀元後1200年とされる説や、数も約900という説と、2000個という説があります。古いほうがありがたそうですから、4000年前ということにしておきましょう(笑)。数は絵として判別が難しいくらい薄れている物を数えるかどうかで違ってい来るのでしょう。
角の生えた動物は山羊(ヤギ)で、これがもっとも多いようです。家畜だったのか、それとも狩猟の対象だったのだろうか。
絵そのものより、雨ざらしの炎天下で、なぜ四千~千年も絵が保ったのか、興味深い。専門家によれば、雨風と日光にさらされ、金属成分が長年かけて岩の表面に集まり黒くなったという解説でした。しかし、それは岩の表面の黒い部分の説明で、絵はその金属成分を削り取ったのですから、それが残った理由の説明にはなっていません。
私の憶測ですが、後の人間がさらに手を加えたのではないか。写真上のように絵は大半がぼんやりしており、写真に写すのにちょうど良い絵はそれほど多くありません。絵がはっきりしているのは紀元後1200年で比較的新しいからだという説明もできますが、それよりも、後の人が風化してぼんやりした絵を見て、近くの石を拾って線をなぞったと考えれば説明がつきます。それも、この遺跡の価値が見直された近代かもしれません。
遺跡には写真下のタカを連れた少年がいます。タカと一緒に写真を撮るなどの何かパフォーマンスをしてお金をもらうアルバイトらしい。彼の写真を撮ってもお金の要求はしませんでした。
街に引き返して、昼食です(12:52)。
写真上の建物の前に駐車しているのはアイスクリーム屋です。日中は暑いから売れるでしょう。店のお姉さんが積極的に売り込みをかける(写真下)。
私たちは建物の二階の広々としたレスランで昼食です(写真下)。
ところが、出てきた料理が全て辛く、私は食べられませんでした(写真下)。これまで食べた料理が辛くなかったのは日本人のための特別注文だったのだ!キルギス人はチベット人やインド人のように辛い料理を普通に食べているのかと、帰国後、調べてみたのですが、良くわからない。
別料金で注文したジュースが写真下で、果物の味はほとんどしない甘いだけのジュースで、これも途中で断念。竹野さんが気を使って、私のためにお菓子を買ってくれたので、皆さんで分けて食べました。まあ、海外ではこういうこともあります。人生と同じで甘くはない(笑)。 干物街道 観光地らしく、道の両側にはたくさんの露店が並んでいます(写真下)。
露店の大半が丸めたトタンで出来ています。鉄の柱で建物の骨組みだけでなく、ベンチや販売用の台を作り、トタンを屋根と壁に一枚、台に一枚使うだけの簡単で機能的な作りです。なかなか良く考えた。
どの店にもあるのが魚の干物です(写真下)。目の前のイシク・クル湖で獲れたマスでしょうか。切られたシャケの切り身を描いた高橋由一の「鮭」を連想します。
蜂蜜や漬物などおもしろそうな物がたくさん並んでいます。荷物の重さを考えると手が出ない。
南側から見た時もイシク・クル湖の向こうに雪山の山脈が見えて、今日、北側から見ると、やはり湖の向こう側に雪山が見えます(写真下)。つまり、この湖は四方を雪山に囲まれている。キルギスのほとんどが天山山脈の中にあり、その真ん中に湖があるからです。
私たちは今回の旅行でイシク・クル湖をほぼ一周したことになります。 写真下の道のそばの噴水には、先ほどの岩絵にも出てきた山羊と、なぜかイルカとペンギンもいます (笑)。
さらに先に行くと、また「干物通り」がありました。先ほどの露店の大半がトタンを使ったプレハブなのに対して、こちらはすべて鉄の枠にビニールをかけただけです。両者がはっきりと違うのは、何か理由があるだろうか。 若い女性の売り子が手を振っている!これは降りて干物を買わねばならないと激しく決心したところで、このツアーは干物ツアーではなく、花のツアーであることを思いだしました(笑)。
貫禄の良いオバサンたちは座ったまま手を振るので、迫力に負けて買うかもしれない(笑)。
ところが、総じて男どもは愛想が悪い(写真下)。3号車の運転手のアレクサンドルさんのようなハンサムに手を振らせて、女性客を集めればいい(笑)。
干物を見た後はガソリンスタンドで休憩です。ここでは2組5種類の油が売られているようです(写真下)。日本ならレギュラー、ハイオク、軽油の3種類で、灯油を含めても4種類ですから、他に何を売っているのだろう?
ここでも白い蜂蜜を売っています(写真下左)。同じ瓶なのに320ソムですから、私たちが買った店の260ソムよりも高い。土産物屋だからといって、ボッているわけではないことがわかります。
ここで私が買ったのは写真下のエナジードリンクです。隣の1本はドライバーが買ったもので、他にもエナジードリンクがあったのに、二人がたまたま同じのを買ったのは、これが一番安かったからです(笑)。エナジードリンクは、奇妙なことにパッケージの違う缶をどこの国で飲んでも、似たような味です。 道路の脇にユルタが並んでいて、これは店なのでしょう(写真下)。中を商売と居住とをどう使分けているのか、のぞいてみたい。
ユルタとは別に、本格的な店も見られます(写真下)。
下の地図でいくと、私たちはイシク・クル湖を後にして、天山山脈を横断するために山の中に入ってきました。
片側二車線の良い道路なので速度が出ますから、しっかりと捕まっている車がある(写真下)。
間もなく山から出て平野部を走ると、道端での売り物が違ってきます。
たぶん焼いたトウモロコシです(写真下)。今回の旅行ではここでしか見られませんでしたから、このあたりがトウモロコシの産地なのでしょう。トウモロコシはアンデス原産だから、キルギスには向いていて、どこでも育ちそうだが、そうでもないのかもしれない。
ここは天山山脈の北側なので、カザフスタンへと広がる広大な平野との境に位置します。
写真上下を見てもわかるように、ビシュケクに近づくにつれて、女性たちのスカーフが減っています。
だいぶん走ったので、道端に花を見つけてちょっとだけ停車です(17:04)。道端ですから、ほぼ雑草で、写真下はユーラシアに広く分布し、北米にもわたり、毒性があるらしく牧畜関係者から嫌われています。
写真上 Rhaponticum
repens 写真下はドライフラワーのような花で、永遠の花(annual everlasting,
immortelle)と呼ばれています。永遠に咲く花を不凋花(ふちょうか)というそうで、私は知りませんでした。花はやがて枯れてしまうから良いであって、永久にそのままって、どうなんでしょう。
写真上 Xeranthemum
annuum ブラナの塔 世界遺産の「ブラナの塔とバラサグン遺跡」に到着しました(17:20)。ここはビシュケから60kmくらいしか離れていないので、キルギス観光の定番です。ここは10~13世紀のカラ・ハン朝の首都バラサグンです、と説明を丸写ししながら、私はそのあたりの歴史はまったく知りません(笑)。 ブラナの塔は11世紀に作られたイスラム教のミナレットで、元は45mあったが地震で崩れて今は24mです。傾いているように見えるし、実際、傾いている塔の頂上まで登ったお客さんによれば、長蛇の列だったそうです。
下図の右側の駐車場(番号9)から入ってきて、番号1が塔があるところです。他にも三つの墳墓や礼拝所があるそうですが、どれ何なのか、文字が読めないというよりも、興味がないので探そうという気がない(笑)。 塔の北側にあるバルバル(Balbal)と呼ばれる人の姿を掘った「石人」があります。これは墓標、つまり墓石で、元々ここにあったのではなく、キルギス全土から集められたようです・・・やることが乱暴(笑)。
この遺跡と10kmほど離れたアク・べシム遺跡は突厥が支配した都市で、7世紀に玄奘三蔵が訪れています。ただ、ブラナの塔は11世紀ですから、ここは玄奘三蔵とは関係のない時代の遺跡です。
普通の人はここで出土品を展示した博物館に行くのだろうが、私には石よりも生きている雑草のほうが良い。花がありますよ、と呼んでいます。傾いた塔を入れて花を撮ってみましょう。
写真上中と右 Salvia
nemorosa 中央アジアに分布する青いネギ坊主が、何か遺跡らしい丘の斜面に咲いています(写真下)。昔、王様がここで権勢を誇り、すべては我が天下と自惚れていたのだろうが、今は何もなくなり、ネギが生えている。
写真上 Allium
caesium 写真下のアザミは、ゴロツキアザミというすごい和名がついていて、冗談かと思ったら、本当の和名らしい。ヨーロッパから西アジアにかけてが原産で、世界中に広がっています。写真下の下段のように、花に虫がたくさん集まっていると、ちょっと気色悪い(笑)。
写真上下 Onopordum
acanthium
この世界遺産のトイレは最悪でした。私は入口まで行って、引き返しました。世界遺産に指定するなら、トイレも審査の中に入れるべきです。入場料を取っているのだから、予算の問題ではありません。写真下のキンミズヒキの仲間はトイレとは関係ありません。
写真上 Agrimonia
asiatica 写真下はウラルカンゾウという和名が付いているマメ科の仲間で、日本では甘草として漢方に用いられています。ユリ科のカンゾウとはまったく別種です。花の咲いている漢方の甘草を見るのは初めてです。
写真上 Glycyrrhiza
uralensis 写真下は道端にたくさん咲いていました。キバナノコギリソウという和名があり、日本には明治に入ってきたようで、そう言われると、どこかで見たような気がします。ヨーロッパから西アジア、中央アジアが原産です。
写真上 Achillea
filipendulina
ビシュケクへ 遺跡の観光を終えた頃には六時をすぎて、あたりは夕方です。ここからビシュケクまで約60kmほどあります。
道の両側には様々な花が咲いているのが見えます(写真下)。
写真下左の白い服のオバサンは「ちょいと、あんた、あっちだよ」と指さす。帽子をかぶったダンナさんは「いや、オレの人生はこっちだ」と言っているかどうか、わかりません(笑)。
道の両側では写真下左のように常設の店もあるが、大半は車を停めて、その場で勝手に店開きしている雰囲気です。
写真下左では、スイカもメロンも少なくなっているから、かなり良く売れたらしい。
写真下左はたぶんイチゴで、彼女の両側に空になったバケツが4~5つあるから、三分の一は売れたらしい。写真右は何だろう?金属製の注ぎ口をつけたボトルがありますから、ガソリンをこの場で詰める?
写真下のように、道端では黄色いタンクで何か飲み物を売っています。タンクが同じタイプで、写真下右など、右側に水色の容器とその下に何か装置のようなものが見えます。タンクにはPAXAT KBACのように見えるキルギス文字の名前がついています。さらにオレンジ色の日傘、赤い洗面器、赤いゴミ箱が共通しています。
写真下の女性四人は同じエプロンをしています。この人たちはどこか一つの会社の社員か、あるいはこれを借りて来て、道端で商売しているらしい。 売っているのはクワス(Квас)という、ライ麦と麦芽を発酵させた1~2.5%のアルコール飲料です。発酵させるから、発泡しているのでしょう。昼間から車が通る道でアルコール飲料を売るというのもおもしろい。クワスはキルギスだけでなく、旧ソ連邦の国々では非常に一般的な飲み物で、それらの国ではこういうタンク売りもあるようです。だから、このタンク売りは外国資本の会社かもしれません。
私が撮った中で写真下だけが違っています。タンクの形や蛇口の位置はそっくりだが、タンクの横に書かれた名前が違い、パラソルとゴミ箱は緑色です。タンクのホイールの色が写真上は銀色で、写真下は黒です。 数は少ないが、写真下のような3つの容器に入れた飲み物を売っている人もいます。写真上はクワスのみで、写真下はクワス(茶色の容器)を含めた三種類を売っています。こちらも帽子、容器、パラソル、赤いテーブル掛け、緑色のゴミバケツが共通していますから、一つの企業が売りだしているのでしょう。数の上で黄色いタンクが圧倒していますから、クワスが人気です。
写真下の白い車は側面に赤い花を付けた胴長のリムジンで、結婚式をした花嫁と花婿が乗っていました。この後、この車が停まっており、追い越す瞬間に見たのは、花嫁と花婿が外で何か言い争っている様子でした。他の車のお客さんの目撃によれば、花嫁が花婿の顔を叩いたそうです。それは惜しい場面を見逃した(笑)。 雨降って地固まるとは限らず、土砂崩れになることもあります。二人のスタートからしてその有様では、先は知れたもので、早目にケジメを付けたほうが人生とお金が無駄にならないばかりか、周囲にも迷惑をかけずに済みます。 道が良く、スピードが出ますから、ここでも交通取り締まりの警察の姿を時々見かけます。
都会に近づいたことが写真下のバス停でもわかります。これまでの古く汚れたようなバス停ではなく、最新の広告が貼ってあります。ただ、相変わらず、ポスターのシワが寄っているのが気になる(笑)。
道路の広告も都会的で洗練された物が増えてきました。写真下左はこの横断幕の向こう側に屋外レストランがあり、写真下右のお姉さんは「椅子が安いよ!」と叫んでいます。
歩いている人たちの服装もこれまでと違い、特に女性のスカーフが減ります。
ユルタで夕食 夕飯を取るためにテーマパークのようなレストラン「Ethno-Complex Supara」に到着しました。ここはビシュケクの南側にあります。 (https://supara.kg/en/ethno-complex-2/) この施設で最も驚いたのがトイレです(写真下)。私の好みからは外れるが、樹木の特性を活かした凝った作りです。先ほどの世界遺産のトイレとは大違いです。
外の階段なども木材をふんだんに用いていて、手すりには鹿が走っています(写真下)。
工事中らしく、あちらこちら幕が張られている(写真下)。
ここもキルギスの伝統を重んじていますから、まっすぐレストランには入れてくれません(笑)。まずは建物に囲まれた広場で歓迎のダンスです(写真下)。
お姉さんたちの踊りに拍手して、ようやくレストランへ、と思ったら、写真下の炭火焼きの所に案内され、調理の様子の説明を受けました。だが、写真下右のように、そばのスピーカーからガンガン音楽が鳴っていて、何だかよく聞き取れない。食うことだけで、調理法にはあまり興味がないから、どうでもいいけど(笑)。
ようやくレストランであるユルタの中に入ろうとすると、ここでも手を洗う儀式が待っています(写真下)。
ユルタの中でも手拭きが待っています(写真下)。私のようにズボンにこすりつけてはいけない(笑)。
ユルタの中は広く、天井はゆうに二階建ての高さがあります(写真下)。
円形のユルタの壁には何か模様のある掛け軸がかけてあります(写真下)。図柄は抽象的なので、よく意味がわからない。
お客さんがワインを頼んだら、Piccini chiantiというのだから、イタリアのワインです。どうやら、この国ではワイン生産はあまり盛んではないらしい。
給仕の女性たちが甲斐甲斐しく盛り付けをしてくれます(写真下)。勝手に好きな物を食わせてくれ、と言いたいが、ここでは通用しない(笑)。
辛い物はなく、味は問題ありません。現地ガイドのアイピリさんが席を立った間に、彼女の皿に給仕の人が盛りつけたので、彼女は隣にいた私が入れてくれたのかと質問しました。「違う」とそっけなく答えた後で、「私がアイピリさんだけのために、特別に取ってあげたんですよン」と言えば良かったと反省しました(笑)。
羊の肉が出ました(写真下左)。意外にも癖がなく、うまい。ただ、ちょっと筋があり、やや硬い。
お腹いっぱいになり、すっかり暗くなった広場に出ました(写真下)。広場に面したいくつかのユルタは、売店などで、ユルタの中に自動販売機があるのはおもしろい。
到着日のホテルに泊まる 十時すぎ、ビシュケク市内のAsia Mountains 2 Hotelに到着しました(22:13)。到着した最初の日に朝食を取ったホテルです。
私の部屋は二階の一番奥の北側の部屋です(写真下)。端なので部屋が広いのかと思ったら、間取りはどれも同じです(写真下右)。
設備に高級感はないが十分な広さがあり、湯沸かし器やバスタブもあり、個人的な評価は余裕で4.0で、満足です。この時期のこのホテルの宿泊費をネットで見ると6475円とありますから、個人で連泊してもいいくらいです。
いよいよ、明日は帰国です。旅の終わりはいつも早く来る。 |