トルコ北西部の早春の花 8日目 2019年4月5日(金) イスタンブール → (成田) 朝、散水車らしい水をまく音で目が覚め、六時過ぎに起きて、窓を開けると、ブルーモスクが目の前にあります。塔がライトアップされていたのが(写真下左)、やがて消えました(写真下右)。 今日は午前中に市内にある植物園を見学し、その後、ホテルの周囲の観光地をまわり、夜、トルコを発ち、帰国の途につきます。 朝の散歩 朝の散歩にでかけます(07:07)。ここは旧市街なので、特別な観光施設がなくても、街中を歩くだけても楽しそう。 下の地図の青線が私の朝の散歩コースです。見てのとおりで、計画や予定はなく、適当に住宅街と思われる所を歩き回りました。 旧市外の城壁に沿った空き地にセリの仲間が花を咲かせています(写真下)。 朝早いので、あまり人通りはありません。写真下左の男性がぶらさげている荷物はパンです。 朝の街角で良くみられるのがパンの店というよりも、パンそのものです。写真下左など、たぶん「配達パン」なのでしょう。ただ、写真下の下段のように、袋に入れないパンは日本人には違和感がある。 店を開いていたオジサンから、朝食とコーヒーをどうだい、と言われました(写真下)。 朝食を出す店はそちらこちらにあって、写真上の店から少し行った所にある写真下でも、朝食を取る人たちがいます。このレンガ造りの建物は表面がボロボロで周囲からもかなり目立つ(笑)。二階、三階は窓が壊れ、人が住んでいない廃屋で、地震が来たら倒壊しそうで、朝食どころか、近づきたくない。 街中には、数は少ないが、他にも廃屋があり、つい写真を撮ってしまう(写真下)。 下の二枚の白黒写真は通りの壁にはってあったものです。イスタンブールの古い街並みなのでしょう。説明は何もありません。この写真はわずかに縦方向に引き延ばしたような歪みがあります。 写真上左の真ん中頃に写っている路面電車(トラム)を拡大したのが写真下左で、これと同じようなレトロな車両が写真下右のように、イスタンブール市内をまだ走っているようです。これならちょっと乗ってみたい。 写真上右 ウィキペディアから転載 トルコでも屋外に洗濯物を干すのは珍しくありません(写真下)。 トンビリ 街中には当然いろいろなネコがいます(写真下)。私は基本的に地元の猫には挨拶することにしています(笑)。 写真下の二匹のネコからは「ナ、なんだ、コイツ?」とまるで宇宙人でも見るようなビックリ眼で見られました。おいおい、そんなに日本人が珍しいか?カメラのレンズが大きな眼に見えて、驚いたのでしょう。 窓の所にうずくまったまま動かないネコがいます(写真下左)。どうしたのだろうと近づいてみると、まだ眠っていた(写真下右)。人間みたいに座ったまま寝るとは器用な奴だ(笑)。 トルコには横座りするネコがいました。イスタンブールで有名なネコ「トンビリ」で、ネットに残っている写真下を見てください。太ったネコがまるで人間みたいに肘をつき、道を眺めている。オッサンのような態度だがオバサンです。 2016年にトンビリが死ぬと銅像まで作られたという(写真下)。写真のトンビリはリラックスしているのに、銅像は身体の角度が違うから、どこか固まっている。こういう時は写真から立体映像を再現し、3Dプリンターで製作すればそっくりのができます。お土産品としても売れるのではないか。 住宅街から少し戻り、ブルーモスクの南側に入ると、ここは小さなホテルがたくさんあります(写真下)。 イスタンブールにもう一度来るなら、今泊まっているホテルでも良いと思っていましたが、これらのおしゃれなホテルを見ると、試してみたくなります。 窓の格子も写真下のような曲線ならおしゃれなのに、どうして日本は直線ばかりなのでしょう。 ドアは上に丸い窓がついています(写真下)。日本ではほとんど見られない。最小限の高さにしてしまうから、こういう「余計な」窓を取る余裕がない。 室外機 ホテルに戻り、八時半から四階の食堂で朝食です(写真下)。 外が肌寒いせいか、お客さんたちは部屋の中で食べています。いや、やはりここは寒くても、モスクの見えるベランダで朝食でしょう(笑)。 ベランダで食事をしていた私の関心を引いたのが、斜め前にある建物のエアコンの室外機です(写真下左)。どうやって取り付けたのだろうか。こちらが四階ですから、たぶんあそこも四階です。右にある斜めの小さな屋根に乗ったのか、小さな窓が見えるから、エアコンを乗せる台を先に取り付け、少しずつ室外機を壁のほうに押し出したのか。取り付けの様子を想像すると、かなり怖い。 近くの屋根にいたカモメ君に、どうやって室外機を取り付けたと思うか、君の考えを聞かせてくれ、と質問したのですが、返事せずに、飛び去ってしまいました(写真下右)。 高速道路の植物園 09:30に黒塗りのベンツに乗りホテルを出発しました(写真下)。スーツケースはホテルが夕方まで預かってくれるので、とても助かります。 下の地図のように、ホテルから時計回りに出発して、ボスポラス海峡の大橋を渡って植物園に行き、帰りはそれとは違う、海峡の地下道を通って戻ります。 車はボスポラス海峡に沿って北上します。平日の朝ですから、車も人通りもそれなりにあります。 イスタンブールは紀元前からの歴史を持つ街で、高校で習った世界史でもこの街が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルや、繁栄をきわめたオスマン帝国の首都として出てきます。 歴史はとてもおもしろいのに、私には、歴史という科目の印象は悪い。例えば、信長、秀吉、家康が偉くて立派な人として取り上げられる意味が私にはわかりません。むしろ、その間で巧みに頭を使って逃げて争いを避け、部下や庶民の命を守り、文化や文物を大事にしたほうが立派な人たちです。私たちが生き方を学ぶなら彼らこそ対象にすべきです。と、他人にお説教する気はなく、私の興味や関心はそういうマイナーで、NHKの大河ドラマにはならないような人たちです。 ボスポラス海峡にかかるボスポラス大橋を渡って、アジア側に行きます。 橋の上から、ボスポラス海峡に面した海岸にオルタキョイ・モスク(Ortaköy Camii)が見えます(写真下)。19世紀半ばにゴシック様式で建てられたモスクで、海峡の風景と良く合う。 写真下左の、バスの進行方向左側(北側)に見えるのがチャムルジャ・モスク(Çamlıca Camii)で、収容人員63,000人、6本あるミナレットの高さが107mという巨大モスクです。観光名所かと思ったら、完成したのは今年2019年で、エルドアン大統領が国の威信をかけて造ったと聞くと、急に私の関心は薄れる。 そのすぐ右の同じ丘の上にテレビの電波塔があり、こちらは普通の公園です(写真下右)。 やがて道は近代的な高層ビルが立ち並ぶ地帯に入ってきました(写真下)。 高速道路に植物園 Nezahat Gökyiğit
Botanical Gardenという植物園に到着(10:18)・・・えっ、ここが植物園?!周囲には高層ビルや立派なモスクが立ち並び、とても植物園とは思えない場所です。 http://www.ngbb.org.tr/en/index.html それもそのはずで、この植物園は高速道路のインターチェンジの中にあります。下の地図が植物園の全体図で、ごらんのように高速道路の十字路です。私は古くからある植物園の上に後で高速道路を作ったのかと思いました。逆で、高速道路の隙間に植物園を作ったのです。 最初はこんな騒がしい所に植物園を作ることを疑問に感じましたが、だんだんその着想のすごさに気が付きました。高速道路の交差点は大きな土地を必要とする割には、道路以外の部分は、道で仕切られてしまっているから利用価値が低く余剰な土地で、たいてい芝生などになっていて、維持費がかかります。こういう土地なら買うにしても、借りるにしても、安く済むだろうから、お互いにメリットがあります。しかも、イスタンブール市内から高速道で簡単に来れます。 こんなおもしろい場所に植物園を作った人が写真下の銅像になっています。Gökyiğit夫妻は1995年にここを公園化するために植林事業として道路局と契約し、2002年には公園として公開され、2003年には現在のNezahat Gökyiğit
Botanik Bahçesi (NGBB)として運営を始めました。 写真下は植物園のホームページにあった植物園ができる前の写真です。高速道路を作るのに土を掘り起こしてしまい、荒れ地になっていた所に樹木を植えて、少しずつ作り上げていったのがわかります。 私たちのガイドをしてくれるのが、写真下左の紺色の服を着た職員です。 高速道路のインターチェンジの真ん中にありますから、植物園は道路によって寸断され、それぞれを「島」と呼んでいます。島と島をつなぐのが道路下に作ったトンネルです(写真下)。たぶん、道路を作ってからこれらの地下通路を作ったのでしょう。こういう点、道路を作る側も全面的に協力しているのが素晴らしい。 ただの通路だと思って、中に入って驚きました。植物の写真、絵、花の模様など、植物に関するパネルが両側に並べられています。トンネルは何ヵ所かあって、それぞれに特徴を出しています。トンネルを展示室として使うというのもアイデアだし、何よりも、その展示物に驚きました。 私の興味を引いたのは、花の写真よりも、写真下のような絵です。植物図鑑に載せるような細密さと、花の美しさをうまく引き出しています。 私はこういう絵柄が好きなので、前に植物図鑑のようなキクの絵の描いてあるイケアの布団カバーを買いました。現物を見て気に入ったので、もう一枚買おうとしたら、もう生産されていないらしく、いきなり千円以上も値上がりしていて、あきらめました。 さらに写真下になると、イスラム文化の真骨頂というか、花をモチーフにした模様です。イスラム圏では珍しくないものの、私が感心したのは、こういう花の模様を丁寧に集めていることです。写真上も下も、撮影もしっかりしており、よほど好きで、時間と労力をかけないとできない。単に植物だけでなく、こういう美術関係の資料も集めているのはすばらしい。今回、植物園を訪れて、一番感心したのはこんな所に植物園を作るという発想と、この展示施設と展示物でした。 最初に案内されたのは写真下で、絶滅危惧種など特別な植物を栽培する花壇です。もちろん、普通の観光客はここには入れません。花壇の作りを見て感心したのは、台の上に植えることで作業がやりやすいことです。農作業は腰をかがめてやらなければならないから、重労働だが、これなら立ったままだから、負担が少ない。 写真下の緑のジャケットを着た男性が植物園の園長(Director)のAdil Gunerさんです。肩書は博士と教授とあります。 彼は、昨日まで植物ガイドをしてくたれたガードナーさんの義父、つまりガードナーさんの奥さんの父親です。私たちが園内のこの特別なところにも立ち入れたのも、園長自ら案内してくれるのも、ガードナーさんの紹介によるものです。 下の写真で、彼が首からかけているストラップにはNikon D600とあります。どうやら彼の愛用機は私と同じらしい、と妙なところで共感しました。初心者向けの古いカメラだが、さすがニコンと思わせる良いカメラです。 写真上 Prof.Dr.Adil Guner 私たちは昨日、砂漠のような所で1999年に発見されたばかりのムスカリを見ました。学名はMuscari adiliiで、昨日も紹介したように、後半のadiliiはAdil Gunerさんの名前から取ったものです。 植物園のこの花壇は二週間ほど前、日本のテレビで放送されています(『世界ふしぎ発見』(2019年3月23日放送、TBS)。トルコで絶滅したチューリップの原種がイギリスのキュー植物園(Kew Gardens))に残っていて、それを分けてもらい、ここで育てたという話でした。今後は自然の中での復活を期待したいものです。 写真下左はバイモのコーナーです。私たちがその一つを昨日見たというと、ガイドの女性がこちらを疑わしそうに見ました(笑)。トルコに来たばかりの日本人がそんな珍しいバイモを見たなんてあるだろうかと思ったのでしょう。後で、松森さんが花壇の植物の一つの学名が間違っていることを指摘したから、きっとバイモの件も信用してくれたでしょう。 台の上に大事に植えられた植物よりも、その足元に勝手に生えているありふれた花のほうがきれいに見える(写真下)。 写真上左 Anemone coronaria 公開されている花壇の中で興味を引いたのが、写真下です。平たい石を並べて、その間に土を入れて植物を植えています。これなら、手入れする時も土を足で踏んづけてしまう心配がないから、根の保護には最適です。ただ、中に入って手入れするのにたいへんそう。 春の花が園内のあちこちに咲いていて、時に花の香りが漂ってきて、散歩するだけでも楽しい。 季節が季節なので、この国の象徴のチューリップが咲き誇っています(写真下)。ただ、私はこういう整列したチューリップはかなり苦手です(笑)。 皆さん、熱心にガイドの説明を聞いているのに(写真下左)、約一名は通路に出てきた緑色のトカゲの撮影に夢中になっている(笑)。このトカゲはItalian wall lizardやİstanbul lizardと言われるくらいだから、ここでは珍しくないのでしょう。 写真上 Podarcis
siculus トルコはあちこちで水飲み場をみかけました。日本の公園の水飲み場は無機的に蛇口がついているだけなのに、ここのは蛇口そのものがおしゃれな形をしています(写真下)。日本でネットでおしゃれな蛇口を探しても、なかなかない。こういう文化が日本にも根付いてほしい。 ここにも当然、トルコのネコがいます(写真下)。人がいて餌をもらえるし、木々が生い茂っているから、狩りもできるだろうし、生活はしやすいでしょう。 中高生くらいの女子生徒がたくさんいます(写真下)。イスラム教徒のスカーフ(ヒジャブの一つ)をかぶっている人とかぶっていないのは半々という所でしょう。預言者ムハンマド(モハメッド)が、成人女性は顔と手以外は隠すように指示したからだと言われています。 大きな声で言うと怖いから、神様に聞こえないように陰でヒソヒソと言いますが、その指示は今の時代には合わない。 園内は子供たちもたくさんいます(写真下)。この植物園には子供たちのための教育プログラムもあります。 写真下は子供たちよりも引率の先生のほうが元気いっぱいで、気迫がすごい。子供たちが私のカメラに駆け寄るというよりも、先生が「ほら!カメラよ」と走ってくる(笑)。 無駄にしてしまった 昼食は植物園側が準備してくれたようで、長さが50cmほどもある大きなピザです(写真下右)。食いきれそうもないと思いながら努力しましたが、結果は予想どおりでした。他のお客さんと半分分けを申し出るべきだったと反省。 食べ物を無駄にすると、前はちょっとだけ良心がとがめたが、今はおおいにとがめる。また、地球温暖化に貢献してしまって、スウェーデンの女子高生に怒られそうです。「国連気候行動サミット2019」でのグレタ・トゥンベリさんの主張が正しく、トランプ大統領や日本の環境大臣のほうが間違っています。 食後、植物園での活動についての話を聞きました。大人用に実習的な園芸の作業や、植物のイラストの描き方を教えたり、子供たちには自然についての教育プログラムもあります。 建物の中には標本室などもあり、研究を含めた総合的な活動が行われているのがわかります。 建物のドアに使われているアヤメのステンドグラスです(写真下)。写真下左が内側から、右が外から撮ったものです。ステンドグラスを自分の居住に使おうとは思わないが、こういう所にあるとちょっとおしゃれです。アヤメの絵が本物のステンドグラスなのか、それともペイントなのか、近づけないので、確認できません。この植物園のマークもアヤメです。 最後に、ガイドの人に、野生のままの植物を見られないだろうかと頼み、案内されたのが写真下です。植物園の西端で、歩道があるだけで、斜面は手が加えられていません。道路工事をした跡ですから、純粋な自然ではないが、元々あった植物が残っているのでしょう。 3月31日、サリフリから出発して間もなく、道の両側にツルボランが群生していました。写真下はそれと同じ種類です。 写真上 Asphodelus aestivus 写真下はセリの仲間で、ヨーロッパから西アジアにかけて分布します。葉はサラダやハーブとして利用されます。 写真上 Tordylium apulum ラベンダーは今回の旅行では初めてです。スペイン、イタリア、ギリシャなど地中海を中心に分布します。 写真上 Lavandula stoechas 今回の旅行ではずいぶん小型のアヤメを見ました。写真下のアヤメは初めて見ます。バルカン半島からトルコにかけて、岩だらけの斜面に分布するとあります。 写真上 Iris suaveolens 見学を終えて、植物園の駐車場に戻ると、おや!カップルです(写真下)。ここは結婚式の披露宴もやるのだ。 植物園は午前中で終わるだろうと思っていたら、意外にも三時近くまでかかってしまいました。来た時とは別なルートで、ホテルまで戻ります(14:56)。 午後の街の中では、人々がカフェに集まって、おしゃべりに興じています(写真下)。日本もこういう習慣がもっとひろがらないものでしょうか。人口が減るとぼやいているが、何を言っているのでしょう。老人の人口は急速に増えるのだから、労働力や消費する客とみなせば、何の問題もない。一杯のお茶で一日いられるようなカフェを作り、老人たちを集めれば、別な形での経済が回ります。 観光:ブルーモスク ホテルに戻り、車にスーツケースを積み込んで、スーパー・マリオにお礼を言って、徒歩で観光に出かけます。 最初の観光はホテルの近くにあるブルーモスクです。ものすごい数の観光客を見て、私はたじろぐ(笑)。個人の旅行なら、さっさと引き返していたでしょう。 観光施設なので、入場する時の注意の看板もあり、女性には頭を覆うスカーフも貸してくれます。入口には日本語の表示もあるから、日本人の観光客も多いのでしょう。 建物内が工事中です。写真下は一見きれいな模様に見えますが、実はただの絵です。一部は工事中なので、代用品で我慢してくれというわけです。 工事でない部分は荘厳で立派なのは見てのとおりです。 イスラム文化の緻密な模様が壁を埋め尽くし、その多くが花で、写真下左は足元の絨毯です。 ただ私にはさしておもしろくないし、早く出たい。なぜなら、これだけ大勢の人が靴を脱いで歩けば、足の臭いが室内に漂う(笑)。 威圧的な建物から外の陽ざしの中に戻るとホッとする。 観光:地下宮殿のメドゥーサ 次にお客さんの要望で地下宮殿を見に行きます。写真下の建物がその入口で、かなり混んでいる。 地下宮殿と言っても宮殿ではなく、ローマ時代に作られた地下の貯水槽です。水利土木に優れた技術を持っていたローマらしい施設です。西暦500年頃に作られたというから、1500年間、この姿を保っていることになる。 日本みたいに五十年も持たずに橋や水道が壊れるのとはえらい違いです。水道管の破裂や台風で大規模に電柱が倒れても、共同溝を作ろうという当たり前の考えが出てこない。お金がかかるからだというが、では、日本よりも経済力のない国が共同溝を使っているのをどう説明するのでしょう。理由は単純で、日本には長期的な視野をもった優れた政治家がトップにいないからです。 薄暗い地下の中で、一角だけ明るく照らされて、そこでサルタンのような格好した人たちがいます(写真下)。映画の撮影かと思ったら、こういう格好をして記念撮影をする商売のようです。ここは宮殿ではなく、貯水槽なのだから、ピント外れのような気もするが、人気はある。 写真撮影用にはあれだけ電気を使えるなら、もっと通路を明るくしてくれれば良いのに、隣の人の顔もよくわからないほど薄暗い。明るい所なら目立つジジさんのピンク色のジャケットも、ここではわかりにくく、付いていくのが大変です。そこで役立ったのが写真下のお客さんの背中に付けたランプです。暗がりの中、彼のランプを探して付いていきました。 写真下がここで有名なメドゥーサの首です。頭髪が蛇で、彼女の目を見た者は石になるという怪物で、ペルセウスに首を切られ、今は逆さや横に地下神殿の土台にされています。しかし、こういう伝承はたいてい先住民族の神を怪物や悪魔にして退治するというパターンで、実際、メドゥーサはギリシャの先住民族の神です。 メドゥーサを怪物に変えたのはギリシャの女神アテーナー(アテナ)です。メドゥーサは元々は美少女で、髪の毛の美しさを誇ったので、嫉妬したアテーナーが髪の毛を蛇に変えた。いったいどっちが怪物なのでしょう。 首を切られ、逆さまに地下の台座にされ、やっつけられたはずのメドゥーサなのに、しっかりと生き残っています。写真下の青いのがメドゥーサの目玉です。今では彼女の目は魔除けのお守りになっています。アテーナーは神殿の奥で威張ったままで、メドゥーサは庶民の間で人気者になっている。 メドゥーサのような事例は日本の伝承にもあり、古事記でスサノオが倒したというヤマタノオロチです。そういう大蛇がいたのではなく、冶金技術に優れた八つの家族がいて、スサノオは彼らに酒で取り入って、寝込んだところを切り殺し、刀や鏡を盗んだのでしょう。私から見ると、スサノオは乱暴者などという甘いものではなく、盗賊、殺人鬼です。 暗い地下室から外に出るとホッとします。通りでは人々が椅子に座り、お茶を飲んでいる。観光地なのに、のんびりしていて、とても良い。 トルコ人はほとんどカメラを嫌がらないばかりか、たいてい、撮ってくれという(写真下)。そのたびに私のカメラは「むさいオッチャンはやめてほしい」と撮影を嫌がる(笑)。 サルタンのような格好した人が客引きをしています(写真下左)。肉を串刺しにして切り取るシシカバブが売られていると、ここがアジアの一部なのだとわかります(写真下右)。 観光:グランドバザール 最後の観光がグランドバザールです。グランドと付いているほどの大きなバザールで、店は4400軒あり、入口の門だけでも21あると言う。私はたちはバザールの東側にあるヌルオスマニエ門から入ります(写真下右)。 通りに名前がありますから、地図があれば、何とか動けます。しかし、案内板はなく、建物内はどこも似たような雰囲気なので、一人で入ったら、元の入口に戻るのはまず無理でしょう。 食料、衣類、日用雑貨、土産物、宝石、陶器など、なんでもあります。 通りによって、同じような品物を売る店はまとまっているから、買いたい物がある人には便利です。 トルコはガラス細工が多く、ここでも様々なランプのシェードが売られています。なかなかきれいです。ただ、総じてデザインが派手すぎて、私の好みからは外れる。 観光:お茶と買い物 バザール内でも茶店はそこここにあり、人々が楽しんでいます。 私たちもバザール内の店でお茶にしようということになりました。それが写真下の店で、どこかレトロな雰囲気が良い。幸い、それほど混んでもいません。 この店はシャルク・カフヴェスィ(Sark Kahvesi)という五十年以上も続く老舗です。 写真下で紅茶の左にあるのは、お茶代として払うつもりの6トルコリラです。店で飲んで130円ほどですから、安い。街中でも人々が気軽にのんびりとお茶を楽しんでいられるのも、この値段の安さがあるからでしょう。 一休みしたところで買い物です。お客さんの一人が襟巻を、もう一人がタンバリンが欲しいという。こういう時は現地ガイドがいるのは強みです。写真下の襟巻では私も値引き交渉に参戦して、少し安くしてもらい、一同で記念撮影をしました(笑)。 もう一つの買い物、タンバリンはジジさんが二軒目で発見。普通のタンバリンと違い、胴の周囲にシンバルがついていないタイプです。写真下左のおじさんが売り手で、彼が演奏すると、おっ、うまい!私も叩いてみたが、彼のような澄んだ大きな音は出ません。特殊な楽器なので探すのは難しいと思っていただけに、お客さんもとても喜んでいました。 バザールを出て、夕方の市内をホテルの方向に戻ります。写真下右はゴミの回収です。ゴミの入った道路脇のコンテナをクレーンで釣り上げ、端をひっかけて倒し、中身をトラックの中に入れる。日本のように専用のゴミ袋などはないから無料で、回収は夕方から夜にかけて行われます。 ちょっとした空き地にネコがうじゃうじゃいます(写真下)。ネコの餌がちらばっていて、太っているから、人間が十分な餌を与えているのでしょう。カラスとおいしい餌の取り合いになっている。 街中は猫は良くみるのに、犬はあまり見かけない。 写真下は路面電車(トラム)です。イスタンブールではいったい廃止されたが、1992年に復活しました。写真下はカナダのボンバルディアの車両です。ボンバルディアは飛行機の製造だけかと思ったら、列車も製造しているのだ。ずいぶんにぎやかにペイントしてある。 写真下はフランスのメーカーであるアルストムの車両です。こういう現代的な車両よりも、朝、壁に貼られた写真で見たレトロなトラムを探したのですが、出会いませんでした。ボスポラス海峡をはさんだ東のアジア側で使われているようです。 展望レストランで夕食 宿泊したホテルの近くのレストランFive dine istanbul restaurantで夕食です。レストランはここのホテルの最上階らしい。 9階とありますから、ということは10階で、二面にベランダがあるので、眺望は270度くらいあります。寒いのでベランダでの食事は無理です。 夕陽のあたるアヤ・ソフィア(写真下左)とブルーモスク(写真下右)が同時に見られます。 やがて、太陽が沈んで行きました。 陽が沈んだところで食事です。反対側の席にはたくさんの中国人が食事をしていて、その上、生演奏なので、かなりうるさい。私の苦手なタイプのレストランです。もっとも、日本の学校では給食の最初の10分を会話禁止というところがあると聞いて、仰天しました。食事は会話を楽しみながら、ゆっくりと食べるもので、子供たちに「葬式の食事」を教えるのはやめたほうが良いでしょう。 いつものくびれたガラスコップの紅茶で食事は終わりです。写真下はずいぶん暗く写っています。実際にこのくらいの明るさというか暗さで、容器の中の食べ物がよく見えない。紅茶の後ろにある灯りは電池式ですから、補助灯にすぎません。外の光景が良く見えるようにレストラン内の灯りを暗くしているのはわかるが、やりすぎです。また、暗さもさることながら、料理のラムはおいしくありませんでした。 食事が終える頃にはアヤ・ソフィアもブルーモスクも灯りの中に浮かび上がっています。 空港の最後の便に乗る イスタンブール・アタテュルク空港(Istanbul Atatürk
Airport)に到着(21:50)。ここで二日間お世話になったジジさんともお別れです。 大混乱を覚悟して空港に入りました。私は、本当に飛行機が飛ぶのかさえ疑っています。旅客については、この空港は4時間ほど後の4月6日午前2時で閉鎖になり、新しいイスタンブール空港(Istanbul Airport)に機能が全面的に移転します。私たちの飛行機は1:40発ですから、この空港の最後の便の一つです。 中は予想どおりで、夜の空港とは思えないほどの大混雑です(写真下)。 店舗の中にはすでに閉鎖し、移転が終えている店もあります(写真下)。 写真下が記念すべき最後の便の掲示板で、右側のハノイ行の2:00の便の後は空白になっています。ところが、0:55発のベイルート行の便からゲートが決まっていません。出発の二時間ほど前だから、普段ならこんなことありえない。ゲートが決まらないから、これらの便のお客さんたちは右往左往して、これが混雑に拍車をかけています。 松森さんがなんとか座れそうなラウンジを探し出して、一同そこで一休みです。大した距離も歩いていないのに、あてもなくさまようのは、くたびれる(笑)。 空港の移転で、飛行機がキャンセルされたのはこの日の便だけではなく、玉突き状態になって、松森さんは今回の旅行中も大忙しでした。次のギリシャへの旅行の便にまで影響したらしく、日本と頻繁に電話でやり取りして、頭を抱えているのがわかりました。幸い、次のギリシャ旅行の植物ガイドも同じガードナーさんなので、本人に直接変更を伝えることができました。 ひどいのはトイレの一部は閉鎖されてしまい、女子トイレは長蛇の列で、トイレットペーパーさえもないというのです。閉鎖直前は客が混みあうのは当たり前だろうに、トイレまで閉鎖してしまうなんて、管理者は自分の都合しか考えていないらしい。 私たちの座っているラウンジで従業員らしい人たちが食べ物や飲み物の準備を始めました(23:47、写真下)。彼らはもう仕事が終わってしまい、ここでお別れパーティーを開くから、私たち客に出て行ってくれというのです。幸い、出発ゲートも決まったようなので移動します。 ターキュッシュエアラインズ52便(TK52)は、ここを01:40に発って、11時間30分の飛行の後、成田に19:10に到着予定です。 機体はボーイング777-300ERで、座席は当然のことながら、ほぼ満席です。 ほぼ予定どおりに飛行機は「最後」の飛行場を離陸しました(01:54)。何事もなく、予定の飛行機が飛んだのだから、良しとしましょう。今後、トルコに来ても、この空港に来ることないのだから、記念すべき飛行となりました。 食事が出ました(02:43)。私の胃袋はこんな真夜中は、空港と同様に閉鎖です。 時間も時間で、朝起きてから21時間近くたっているので、私はすぐに眠ってしまいました。 |