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10 11 12 4日目 2012年6月6日(水) 香格里拉→奔子欄 昨日と同じように、七時起床、八時から食事です。空は昨日よりももっと晴れています(写真下)。 あまり変わり映えしないホテルの食事を取り(写真上)、予定通りに出発(9:04)。 今日の予定は、香格里拉の近くの納帕(ナパ)海に立ち寄り、その後、奔子欄に向かって山を下りて、古学郷のお寺を見学し、道を引き返し、奔子欄に宿泊します。 香格里拉の街を通り抜け、北に向かいます。 道端のノイバラ 香格里拉を出発して、小さな山を越えた所に広々とした放牧地があり、車を停めて撮影しました。逆光なので、撮影にはいまいちの条件です。 湿原で草が生えるのでしょう。牛がたくさんいて・・・でも、やはり牛です。 私の関心は牛よりも、道端に生えていたノイバラです。日本のノイバラに比べると一回り花も大きい。バラの甘い匂いが漂っています。香水用のバラの香りはどうとも思わないのに、本物のバラの香りはすばらしい。 写真上下 Rosa sericea (『雲南花紀行』p.157) この後も道路の脇にノイバラが咲いているのが見られました。しかし、良い被写体があってもノイバラごときでは車は停めてくれません。当然、私以外はこの時も誰も撮りません。眼下の牛よりもきれいだと思うのですが。このノイバラは貴重な撮影になりました。 我々が眺めている道路脇に、自転車に乗った若い男性が来て、写真を撮り始めました(写真下左)。自転車に装備はなく、ヘルメットもかぶっていないから、、香格里拉に滞在して、自転車を借りて周辺を回っているのでしょう。 さらに北西に車を走らせると、南西側に納帕(ナパ)海が広がっています。長年かけて、周囲の山から泥が流れ込んで、三千メートルの山の上に広大な湿地ができたようです。納帕海は七月には高山植物などが見られる観光地です。 納帕海旅遊景区 「納帕海旅遊景区」に到着(3425m,9:54-10:21)。 地図ではこの近くに中甸高山植物園があり、他の人の旅行記などを見ると、7月にはブルーポピーなども咲いていたそうです。しかし、見渡してもそれらしい建物はありませんから、こことは別のようです。 ここから納帕(ナパ)海が一望できます。納帕海の海とは沼や湖のことを指します。ここは湿原地帯が広がり、先ほど見た草原のように、元々は牧畜をしていたが、観光地にしたようです。 受付のお姉さんは日本のテレビに出たことがあると言う。最初マスクをしていて、なかなか顔を見せてくれません(写真下左)。運転手の一人が強引に彼女のマスクを引っぱがした(写真下右)。おっ、なかなかかわいいじゃないですか。 展望台からの納帕海の風景です。ここが三千メートルの高地とは思えないほど広々としています。納帕海というくらいで、今は湿原になっていますが、春先に旅行した人たちのネット上での写真では湖ができています。 写真下左のタルチョのあるマニ塚が展望台の上にあり、緑の平原は五十〜百メートルほど下です。写真下右の道路は立っている人の前にあるのではなく、はるか下にあります。 これだけの湿原ですから、夏には多くの花が咲きます。湿原は観光用に解放されていますから、私も行ってみたいが、今日はこの後、奔子欄近くの太陽谷に行きますので、時間がありません。 ではせめて、展望台の周囲の花だけでも撮りましょう。 崖を降りていくと、斜面にピンク色のノウゼンカツラの仲間が咲いています。花がまとまって咲いていて、なかなか良い被写体のように見えます。しかし、そこは崖の急斜面で、おまけにものすごくすべりやすい。時間もあまりなく、あきらめようか、ちょっと考えましたが、もちろん、ヒヤヒヤしながら近づき、撮りました。 写真上 Incarvillea zhongsianensia (『雲南花紀行』p.170、Guide to the Flowers of Western China,p.466) ノウゼンカツラの写真を撮り終えて、崖の上を見ると、オレンジ色の花が咲いています(写真下)。もう少し近づいて撮りたいのだが、さすがにそこまでは登れません。 写真上 Androsace bulleyana (『雲南花紀行』p.121) 崖はこんな感じです(写真下)。急斜面なだけでなく、崩れやすいので、立っているだけでズルズルと滑り落ち、危ない。 ここのノイバラは、先ほどの道路脇のと違い、トゲが大きく鋭い(写真下)。しかし、図鑑で調べると、これも同じ種類のバラとされています。 写真上 Rosa sericea (『雲南花紀行』p.157) 写真上 Oxytropis lapponica (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.416) 山を千メートル下る 納帕海の展望台は高さが3400mほどで、ここをピークにして、この後、道は下りになります。 走っていると良く会うのが自転車で旅行している若者たちです。荷台に積んでいる荷物がすべてなのでしょう。三千メートルの高地を自転車で走る体力はとにかくすごい。 香格里拉のスキー場です(写真下左)。ホテルの壁に貼ってある旅行案内にも載っていました。チベットは冬は意外に雪が少ないのに、このあたりはスキーができるほど雪が降るようです。 道路はここでもあちこちが工事中です。 道は下がりつつあります。谷の左先に尼西鎮の集落が見えてきました。と言っても、我々は上から見ながら通過です(写真下)。写真ではわかりにくいが、家屋の屋根は水色です。 きれいな集落があったので、撮影のために車を停めました(3050m)。遠くから見る分にはとてもきれいなチベットらしい風景です。 写真上にも、また道のあちこちに仏塔があります(写真下)。チベットでは珍しくありません。ただ、ごらんのようにどれも新しいか、もしくはペンキ塗り立てです。つまり、この近辺の人たちは最近経済的にとても潤っていることを意味します。 高度を少し下がった所でトイレ休憩です(写真下、2640m)。 トイレとビリヤード以外は何もありません。日差しも強く、暑い。 ここに休憩所が出来たのはたぶん水が出るからでしょう。高度も三千メートルを切っているので風景も特にきれいという訳ではありません。目の前の谷の下に集落があります(写真下)。我々もこの後、高度をさらに下げ、谷に降りていきます。 人間以外にいるのはヤギです。彼らは急斜面の崖に降りて行き、食べ物を探しています。暑くて乾いているので、植物もまばらです。作物を作れるように見えないし、ヤギと給水所だけが彼らの生活の糧でしょう。こんな所でも暮らせるんだと妙に感心しました。 子供が嫌がる子ヤギを抱きかかえて、ポーズを取ってくれました(写真下)。 さらに車は山を下ります。風景を見て気がつきませんか。先ほどまでの三千メートルをこえた高地では樹木もあり、緑が見られたのに、下りるにつれて斜面の樹木は減り、赤茶けた乾いた土地がむき出しになっています。低い地帯のほうが雨が少なく、乾いているのでしょう。 ようやく金沙江まで降りてきました。ここから河の上流を目指します。 道はあちらこちら工事中です。新たに作っている橋をみてもわかるように、今とはまったく別に道路を作っているようです(写真下右)。 ピンクのゲストハウスで昼食 奔子欄の少し手前のゲストハウス(招待所)で昼食です(2100m, 12:14)。天気が良く、日差しが強烈です。測ってみなくても、紫外線が強烈なのがわかります。 ゲストハウスは入り口から入ると、中が吹き抜けになっており、客室がこれを囲むようにあります。一部が三階建ての二階建てです。建物は新しく、三階などは今でも建築中です。 吹き抜けの真ん中には玉突きの台が置いてあります。中国人は玉突きが大好きです。天窓があるので雨は入って来ませんが、横が開いていますから、外の空気がそのまま入ってきます。 食事までは少し時間があるようなので、見学してみることにしましょう。宿泊客らしい姿は見えません。また、三階などに行くと、まだ工事中の部屋もあります(写真下右)。 写真下左の調理室は別な建物にあります。写真下右は、実はトイレです。奥の洗濯機が置いてある右側に便器があります。水洗トイレで清潔という点は問題ありません。しかし、ドアなどありませんから、洗濯機を使っている時はどうするのでしょう、と日本人は心配してしまいます。 食堂は一階の奥にあり、広い(写真下左)。我々以外にも、食事に立ち寄ったらしい中国人のグループがいました。食事は特においしくもまずくもなく、まあ、食べられました。 清濁の交わる所 ゲストハウスを出発してすぐに、進行方向左側の対岸に今日の宿泊予定の奔子欄の街が見えました(写真下)。 奔子欄の街を対岸に見ながら、我々はさらに河の上流に向かいます。このあたりはちょうど雲南省と四川省の境で、我々が走っている道も、これから行く古学郷なども四川省です。 河に沿ってさかのぼるのにつれて、周囲の山々が険しくなっていきます。 周囲の山は岩がむき出しになり、水が轟音を立てて流れているのに、緑は川縁などほんの少しです。 河に大きな橋がかかっています(2115m)。ここは河の合流地点で、それがこの場所の見物です。標識には香格里拉からここまで102kmとあります。 写真下をごらんください。左の金沙江本流からは茶色に濁った水が、右側の支流である定曲川からは緑色の水が流れてきます。 上空から見ると写真下のようになっています。左上と右上(古学郷の方向)から来た二つの河が橋の手前で交わり、写真下(奔子欄の方向)に流れていきます。この衛星写真では河の濁りがないところを見ると、季節的なものなのかもしれません。 左から流れてくる茶色の河(写真下左)と、右から流れてくる緑色の河(写真下右)が橋の手前で混ざります。 写真下左で混ざり、結局、茶色に濁った河になって、我々が今まで登ってきた下流(写真下右)に流れているのです。私は思わず、「朱に交われば赤くなる」を連想しました。清い水と濁った水が混ざったら、結局、両方とも濁ってしまう。 石碑が三つ建っています。背の高いほうの石碑は最後の一字が読めません。「保護長江珍稀魚○」と書いてあるように見えますから、何かこの河には珍しい魚がいるという意味でしょうか。これだけ凄い流れに棲む魚だから、龍みたいながいてもおかしくありません。なにせ、ここは中国ですから。 写真下左の石碑には「保護区界」とあり、雲南白馬山国家級自然保護区管理局が2008年にこの石碑を建てたことになっています。 三つ目の看板(写真下右)の漢字を、中国語を知らない私が日本語読みするなら、2008年から2012年までの四年間、この一帯での放牧、伐採、柴取、採石などを禁止するなど封鎖状態にするということのようです。 河には大量の水が流れているのに、炎天下で強い風が吹き付け、土地はカラカラに乾燥しているので、かろうじて花が少し咲いている程度です(写真下)。 写真上 Incarvillea arguta (『ヒマラヤ植物図鑑』p.145) 古学郷へと登る 我々はこの橋を渡らずに、このまま右に進み、古学郷を目指します。金沙江の本流を離れ、右側の緑色の定曲川に沿って登ります。 やがて検問所と仏塔のある所から(写真下左)、本道から右側に折れて、ジグザグの斜面を登り始めます(写真下右)。 写真下右の川の上流に向けて本道をこのまま進むと得栄という街に行きます。我々のツアーは当初、この日は得栄に泊まる予定でした。ところが、数日後に行く予定の徳欽から維西に行く途中の道が通れないという情報が入って来たのです。烏里さんは得栄に行くのを中止して、宿泊予定を一日早めて、今日は奔子欄に泊まることにしました。中国はまだまだ予定どおりには事が進みません。 斜面を車はうなりをあげながら登っていくと、途中に小さな集落があります。こんな乾ききったようなところでも段々畑があるところをみると、麦が育つようです。 写真下は定曲川の本道から斜面を上がってお寺までの経路です。道が七曲がりになっているのを見てもわかるようにもかなりの急斜面です。もちろん舗装などしてありません。 斜面を登り切って、谷に沿って東に進むと視界が広がります。 このあたりは太陽谷と呼ばれています。この谷のことではなく、先ほどの橋から見て北44kmにある得栄を中心とした一帯を太陽谷と呼び、観光開発が行われているようです。 昼食を取ったゲストハウスの手前で、写真下右のような大きな看板が出ていました。「中国西部 太陽谷 得栄」とあります。日本では知名度がかなり低く、ここを観光コースに入れているツアーは見たことがありません。近くに香格里拉や徳欽など観光開発で成功しつつある地域があるから、遅れまいと頑張っているのでしょう。ここは太陽谷の南側ですから、これだけで判断するのは早急ですが、観光客を呼ぶのはかなり難しそうです。 谷の向こうに、小さく仏塔を含めたお寺らしい建物があるのが見えて来ました。 タチアオイ寺 古学郷興文寺に到着(2675m,14:56)。興文寺の「文」は、正しくはクサカンムリがついています。古学郷とは先ほど食事をした地域を含めたこの地方の名前ですから、その意味では寺の名前は興文寺なのでしょう。 お寺の名前を示す看板は、後で寺を一周してもなく、写真下のみでした。しかし、これは寺にある店の看板です。商人が寺の建物の一部を借りて商売しているようです。日中だというのに、店は開いていません。 中国とチベットのお寺の違いの一つがこの看板です。総じて、中国のお寺には寺名を示す看板や標識があるが、チベット寺はたいていない。ですから、ここはチベット寺です。 訪問したのはお寺の見学が目的ではなく、ここから東側の谷に見えるチベット村の写真を撮るためです。寺の東側の通路がちょうどその展望台になっています。 お寺で私の目を引いたのはタチアオイです。お寺の敷地や周囲にたくさん咲いています。しかし、いろいろな色や形に多様化しやいすタチアオイにしては、色は大半がピンクで多様性がありません。これはこの花の種を持ち込んだのが一度だけだからでしょう。 これだけタチアオイが見事に咲いているので、このお寺を「タチアオイ寺」と私が名前を決めました。 土のない石の間にも種がこぼれて、タチアオイが生えてきています。お坊さんたちはこれを取らずにいるのが素晴らしい。周囲の村にも広がってくれるとうれしいのですが。 タチアオイ以外にも花を咲かせている植物があります。たぶん野生ではあるまいか。 お寺の周囲の散策 撮影目的の一つ目の村は、寺と同じ斜面の南東方向の眼下にあります。 もう一つの村は川をはさんで対岸の、たぶん3〜4kmくらいの北西方向の斜面に見えます。 タチアオイと集落の写真も撮り終えたので、せっかくですから、お寺の周囲を回ってみましょう。 下の写真はこの寺の衛星写真です。本堂と南側にある僧院はあるが、北側の広場にはまったく何も建物がありません。 写真下は、上の衛星写真の左側(西側)から撮ったものです。ごらんのように、本堂の左側、つまり上の衛星写真の上側に僧坊などの低い建物とさらに白い仏塔が二つ見えます。本堂以外は衛星写真の後に作られたことがわかります。 この種のチベット僧院には良くあることで、我々から見たら無計画に次々と増築を重ねていき、やがてはお寺というよりも、お寺の集合体のような姿になります。ここは田舎だから、それほど大きくはならないだろうが、後で中に入ってみるとわかるように、今でも増築を重ねています。 東側の道に沿って寺の北側に行くと、二階建てくらいの低い住宅が並び、どうやら僧坊になっているようです。 僧坊の前には小さな庭などもあり、僧侶たちは花を育てています。こういう花の好きなお坊さんがタチアオイを持ち込んだのでしょう。 何台かバイクがあります。この時はまだ車が見当たらなかったから、僧侶たちの移動はもっぱらこのバイクに頼っているのでしょう。 さらに北側に行くと、真新しい二つの仏塔があります。 仏塔が二つあるところを見ると、このお寺の偉い僧侶のお墓かもしれません。 仏塔から建物の西側に回ると、門があり(写真下左)、中庭に面した本殿の正面玄関らしい入り口があります(写真下右)。 お寺の中に入ってみましょう 本殿の入り口から中に入ると、チベット寺院に良くあるように、極彩色にペイントがほどこされ、四天王はじめとするどちらかというと守護を司る神仏が描かれています。これは他でもない、ここが本堂の入り口であることを示しています。 私が本堂に入りたかったのは、本尊を見てみたいというのと、ここのお坊さんたちは嫌がる様子もなく写真を撮らせてくれ、歓迎してくれたので、少し寄付をしようと思ったからです。しかし、正面の大きなドアは閉じられていて、押しても引いても開きません(写真下)。 横に階段があるので二階に上って見ました。しかし、空き部屋で、その一つの部屋には、チベット仏教の舞に使う仮面などが床に並べられていました。仮面がゴロンと床に並べられているのはなかなか壮観です。 二階から通り抜けられる通路もなく、私は本堂に入るのをあきらめて、いったん建物の外に出て、迂回して、南側の入り口を探しました。ペイントされた大きなマニ車のある通路を通って、建物の中庭に出ました。 中庭に面したドアが開いています。勝手に入っても良いのかって?さあ、どうでしょう。開いていますし、入るなとも言われませんから、まずは入ってみましょう。 開いている部屋をのぞいても、誰もいません。後でわかったのですが、お坊さんたちがここにいないのには理由があったのです。私は事情を知らなかったので、二階に上がってみました。ここも増築された所らしく、真新しい。 その廊下から北側の汚い窓を見ると、本堂です(写真下左)。これは天井から下げられた瓔珞で、この下に本堂の祭壇があるはずです。私は二階から本堂の天井付近を見ているのです。しかし、汚れたガラス越しに見えるのはそこまでで、下の部分は暗くて、良く見えません。おそらくこの窓は元々、本堂の明かりを採るために外に面していたのに、そこに増築したために、こんな変な位置関係になったのでしょう。別な窓からはこの寺の屋根にある塔も見えます(写真下右)。 三階もあるようなので、さらに登ってみましょう(写真下)。 三階は真新しいというよりも、建築中です。開いている部屋をのぞいてみると、建築用の資材や取り付ける予定のマニ車が雑然と置いてあります。 個人の部屋もありました(写真下)。ベッドがあり、お坊さんが寝泊まりしている8畳くらいの部屋です。ドアが開いており、いちおう私は声をかけましたが、もちろん、誰もおらず返事もないので、写真だけ撮らせてもらいました。意外なほど持ち物は少ない。 三階からも本堂には行けません。外から見るとここは四階か五階まであるはずで、煙と同じで高い所が好きな私はそこまで行きたかったのだが、階段がなく、あきらめて建物の外に出ました。 お出迎え 門の上で楽器を演奏する人がいる一方で(写真下)、お寺の少し手前の道端に僧侶たちがたくさん集まっています。皆さん、暇そうに道端に座り、おしゃべりをしている。私が建物に入っても誰もいなかったのはこれが理由で、彼らはここに集まっていたのです。 休憩時間ならお茶でも飲めばいいのに、ただ道端に、たぶんお寺の僧侶の大半が集まっている。後で理由がわかりました。 彼らはカタという客人を歓迎する時に使う白い布をもっており、私が写真を撮ろうとすると、それを風に凧のように飛ばしてくれます。 素朴で気取らない良い人たちだなあ、という印象です。要するに、すれていない。 彼らが集まっている道路の脇に香炉があります。岩の上に炉があり、そこに香木や香草を燃やして煙を出します(写真下)。 私が香炉の写真を撮っているうちに、その僧侶もいつの間にかいなくなりました。私が後ろを振り返ると、先ほどの僧侶が全員、到着した車の人に挨拶をしています(写真下)。カタという白い布を差し出して敬意を表し、祝福を受けていますから、偉い人です。 車はそのまま私の前を通り過ぎました。私も失礼がないようにと帽子も取る暇もなく頭を下げると、中にいたお坊さんがニコッと笑いながら手を上げて挨拶しました。チベットのお坊さんは、ダライ・ラマがそうであるように、気さくな人が多く、地位の高い人でも威張っている人を見たことがありません。この点は日本の僧侶とは違います。 お坊さんはお寺の前に車を停めて、僧院の中に入りました(写真上左)。烏里さんを通して聞いてみると、このお坊さんはこのお寺のトップで、仏教の博士だそうです。おそらく旅行から戻って来たので、お坊さんたちが歓迎するために音楽を演奏し、香を焚き、みんなで寺の前に出て待っていたのです。 お坊さんに写真を撮らせてくれというと誰も断りません。これはありがたい。たぶん、こんな田舎のお寺を観光客が訪ねてくることもないのでしょう。 写真下右のお坊さんが持っているのはギャリンというチベット仏教の楽器です。周囲から、吹いてみせろよと煽られても、彼は恥ずかしがって、ついに吹きませんでした。 日本仏教でも楽器を演奏する習慣がありますが、これは元々のお釈迦様の教えからいったら、ありえません。僧侶は歌舞音曲、囲碁や将棋なども全面禁止です。 感じの良いお坊さんたちに見送られながら、我々も元来た道を戻ります(16:00)。 残念ながら、ここは観光寺にはなりそうもありません。わざわざ来てみるほどのこともないからです。しかし、それが幸いして、あのお坊さんたちの素朴さが保たれるかもしれません。 お寺のほうを振り返りながら、車は元来た道を戻ります。 奔子欄に到着 ほこりだらけの急斜面を下りて、緑色の定曲川を下り、茶色の金沙江を下り、金沙江を渡って、対岸にある奔子欄(ベンズラン)に行きます。 奔子欄では河川敷を利用して葡萄が栽培されています(写真上)。奔子欄は金沙江の両側に集落があり、我々が泊まるのは、国道214号沿いにできた西側の宿場町のほうです。 本日の宿である吉茎園酒店(茎は当て字)に到着(17:18, 2125m 、写真下)。 ゲストハウスの向かいにある果物屋でリンゴを二つ買いました(写真下)。6元(84円)ですから、日本的な感覚からいっても安くはありません。地元では採れないのでしょう。水は1.5Lで4元(56円)ですから、相場です。ここの水道水は金沙江の水を使っているせいか、茶色に濁っています。沸かしても飲む気がしません。もっとも、食事で出された料理やお茶は全部この濁った水道水なのでしょう。 夕食までまだ時間があるので街を散歩しました。国道に沿った小さな街ですから、ものの十数分も歩くと街の外れに出てしまいます。道幅を見るとまるで裏通りみたいですが、これが国道214号です。いずれ集落の外にバイパスを作るしかないでしょう。 通りでは綿飴や女の子が欲しがるような人形などを売り歩いています(写真下)。日本ならお祭りでもないと見られない光景です。 通りに面してブーゲンビリアが咲いていて、ここがかなり暑い気候なのがわかります。 車で来た時、曲がり角に市場の看板があるのを見ていたので、そこに行ってみました。 夕方なので市場はもう終わっているということの他に、市場自体が小さい。この街の規模を表しているのでしょう。売れ残りらしいナマズが一匹浮いています(写真下右)。でも、残りは売れたんだ。 ブラスチックのケースなどに詰められているのはニワトリです(写真下)。この暑さで詰められたら、ニワトリもかわいそうです。これもたくさん売れ残ったらしく、引き上げようとしているところでした。 奔子欄のコップ 市場から戻り、七時から招待所の一階の食堂で夕飯です(写真下)。 写真下が私の部屋です。窓の下は国道214号です。時間帯のせいか、交通量はそれほど多くないので、車の騒音は気になりません。 招待所(ゲストハウス)ですから、ホテル並の設備は期待できません。シーツなどもそれなりの清潔さで、水回りなど大きな問題はありませんでした。宿泊料金が二千円程度ですから、文句は言えません(写真下)。 もちろん、私は写真下右のオレンジ色のタオルで身体や手を拭いたりはしません。いちおう洗ってはあるが、前の客が何に使ったかわからない、正体不明のタオルだからです。中国はこういう点、よほどの一流ホテルでもないかぎり、信用しないほうが良い。 写真下左は部屋にあったコップです。水滴がついているが、私が使った後のコップではありません。形が不揃いなのはともかく、とても汚い。ガラスの表面は油分が落ちておらず、汚れでコップが曇っています。今の暑い時期に台所の流しに数日放置すればこんなふうになるでしょう。 写真下はこの招待所の入り口で食器洗いをしていた様子です。ホースから水を大きな金タライに入れて、そこで洗っています。写真下右は食器洗い用の金タライではなく、最後のすすぎ洗いのための金タライです。私は読者の皆さんのためにも、これはぜひ撮影しなければならないと強い使命感に燃えて、狙って撮りました。こんな油の浮いた汚い水溜まりでコップを洗ったらどうなるかという結果が写真上左のコップです。 一つ弁護するなら、ホースからの水道水は最初から濁っていますから、この水の濁りは食器を洗ったことによる濁りだけが原因ではありません。 日本の食堂でこんなコップを出したら、客が来なくなるが、表通りの人前で洗っているのを見てもわかるように、中国では特におかしいわけではありません。 この様子は中国では普通です。先ほど食べたうまそうな夕飯も、このようにして洗った食器に盛りつけます。神経質な人はこういう現場を見たら、食べられないでしょう。大腸菌だけでなく、恐いのが肝炎です。中国人が食べているのだから、大丈夫という理屈は成り立ちません。日本は清潔が行き届いているため、日本人は免疫力が低いからです。 その免疫力が低下している日本人の中で、さらに免疫力の低い私は、茶碗など食器は殺菌成分の入ったウエットテッシュで徹底的にふき、割り箸とプラスチックの使い捨てスプーンを持参します。ウエットテッシュを一日10枚一袋ずつ使う計算で持ってきています。ポケットからいつでも出せるように、二カ所に入れてあり、さらに持ち歩いているリュックにも入っています。 このように私は自分では用心深くしているつもりでした。ところが、この私が不用心を自覚する出来事が次の日にありました。それは明日お話しましょう。 トップページ 日程表 1 2 3 4
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