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11日目 2012613()

麗江古城

 

 今日は麗江に滞在し、丸一日が自由時間になっています。窓を開けると、目の前にブーゲンビリアが咲いています(写真下)。陽射しのある曇りです。

 

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 八時から、客すぐそばの道端で朝食です(写真下)。地元の人たちもたくさん来ています。

 

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萬古楼に上る

 食事の後、自由時間になり、12時の昼食に戻るまで三時間ほどあります。男性五人が、下の地図のように、四方街を通過して古城の南西にある萬古楼と木府の見学に行くことになりました。

 

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 九時をすぎているのに、古城内は静かで、店もあまり開いていません。どうやら、観光客は夜型らしい。

 

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四方街に行くと、いつものように納西(ナシ)族の衣装をつけたオバサンたちが広場で踊っています(写真下)。観光用でしょうが、本人たちは結構楽しそうです。

 

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 道は少しずつ上り坂になっていきます。坂の両脇には他と同じように家が建ち並び、人々の日常生活があります。

 

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 道端ではおばさんが料理をしています(写真下)。中国では道端は台所や食堂の一部です。

 

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 ここでは四方街のような繁華街と違い、普段着として民族衣装を着ている人たちがいます。

 

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 しかし、通行人の若い人たちの大半は普通の服装です。服装を見ると、彼らは観光客だけではなく、この街に住んでいる人たちもいるようです。

 

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 万古楼の入り口に到着。ここで15(210)の入場料を払います。

 

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 この山というか丘は獅子山といい、その頂上に立っているのが万古楼で、そこからの麗江古城のながめが良いとのことでした。我々一行の中には写真のセミプロみたい人もいますから、麗江古城の甍を写してみたいのです。ちなみに私はついて来ただけで、興味がありません。

 

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文書名 _雲南資料001-16_ページ_2

 

 道はコンクリートで固められているので登るのは楽です。日本語の表示もあるなど、日本人観光客の多さを示しています(写真下右)

 

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 少し歩いて行くと、林の中に人がたくさんいます(写真下)。樹木に鳥のカゴがたくさん下がっているところを見ると、鳥好きの集まりでしょう。

 

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 籠の鳥はどれも同じような鳥で、特にきれいなわけではないから、たぶん鳴き声がきれいなのでしょう。

 

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 万古楼の境内に到着(9:35)。五階建ての塔はあまり外見はさえません(写真下)。こういう建物を見ると、私は『西遊記』に出てくる妖怪が住んでいる館を連想してしまいます。「やい、金角、銀角、出て来て勝負しろ」などと私は孫悟空ゴッコをして一人で遊んでいました()

 

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 私の目を引いたのは、境内や池の周囲にある鉢植えです(写真下)。ただの鉢植えではなく、盆栽もあります。日本の盆栽は唐の時代の「盆景」が平安時代に入ってきたものとされていますから、こちらが本家です。最近は欧州などに日本の盆栽が輸出されています。

 

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 ナシ族の民族服を着たオバサンが現れて、写真を撮っている我々に、池を指さし、撮れといいます(写真下左)。池には万古楼が水面に映っており、それを撮れとのことでした(写真下右)。でもねえ、元々があまり美しくない建物ですから、水に映ってもさして違いがない。

 

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 5階建て万古楼の中は金角も銀角もおらず、一階に仏像が祭ってあるだけで、その上はいずれも掛け軸などを売る店になっています。

 

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こういう塔は展望のためのタワーとして作られたのではなく、元々は仏塔(ストゥーパ)、つまり仏の骨を祭った塔です。日本でもお墓に卒塔婆といって板きれに死者の名前を書きますが、あれと出身が同じなのがこの五重の塔です。仏塔は中国に入ってきてただのタワーに変身して、今では元の意味すら失われ、掛け軸の販売所になっています。

 

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 五階の展望台からは東側を中心に麗江古城の瓦屋根が見えます(写真下)

 

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 北には玉龍雪山があるはずなのに、雲が多くて良く見えません(写真下)。この日、午後に一時、山頂が見えたそうです。

 

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 光の当たり方にも問題があるのだろうが、この高さから撮ると、写真としてはイマイチで、期待したほどではありません。これには全員の意見が一致して、降りることにしました。

 

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 地図を見ると、次に行く木府は南東にあるはずなのだが、道が良くわかりません。私が近くにいたオバサンに聞くと、反対側から行けると言います。「小心地滑」(滑るので足下注意)の看板を見ながら(写真下左)、降りていくと、展望台がありました(写真下右)

 

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 ここは店もあり、ここで写真下のような民族服を着て、記念写真を撮るようです。客はほとんどいません。

 

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展望台というだけあって、萬古楼よりもこちらのほうが麗江古城の雰囲気が出ています。

 

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1996年の大地震で壊滅的な打撃を受けたと聞いていますが、見事に復興しています。

 

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木府にでも行きましょう

 目の前に見える朱塗りの建物群が木府のようです。正直の所、私はこういう建物に興味がないのだが、今さら山道を引き返すわけにもいかないし、目の前にあるのだから、とにかく行ってみましょう。

 

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 写真下左で60元の入場料を払い、色取り鮮やかな裏門をくぐって木府に入ります(写真下右)

 

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文書名 _雲南資料001-9

 

 写真下が木府の表玄関です。我々は裏口から入りました。

 

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外見はお寺のようですが、昔の領主の政庁というから、簡単に言えば、お城や役所です。しかし、建物はどれも新しく、「ペンキ塗り立て」と張り紙をしてあげたいほどです。1996年の大地震で全部崩壊してしまい、すべても観光用に作り直したのです。こういう建物には何の興味もない私には60元はあまりに高い。

 木府の一番奥にあるのが道教の寺院です。我々は裏から入ったので、最初に見たのがこの寺院です。見てのとおり、ゲテゲテに新しい。

 

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 本堂に祭られていたのは写真下の三体の道教の神様で、撮影禁止です()60元に腹を立てて警告を無視して撮ったのではなく、私は外から撮り、その後、他の人が本堂に入って撮ろうとして禁止だと知ったのです。

 

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 左から、太清道徳天尊之神位、玉清元始天尊之神位、上清霊実天尊之神位とあり、いずれも男性です。この三人は「三清(さんちん)」と言われ、道教ではとっても偉い神様です。老子(太清道徳天尊)の思想と孫悟空(齋天大聖)はおもしろいと思うが、道教には興味がないので、これくらいにしましょう。

 

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 建物よりはノイバラのほうがきれいです。

 

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写真上 Rosa filipes

(Guide to the Flowers of Western China, p.282)

 

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写真下右のランは維西の街中で鉢植えにされていたのと良く似ています。

 

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 朱塗りの柱よりお姉さんのおみ足のほうが良い()。中国人の女性の足はきれいだと言われています。しかし、日本人と民族的な違いはありません。理由は、日本のように正座など座る習慣がないから、足が曲がらないのです。日本も早く正座という悪習慣をやめるべきです。あれは正しい座り方などではありません。

 

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 トイレは、さすがに60元を取るだけあって、清潔で、ドアもしっかりと閉まり、問題ありません。

 

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 中庭を歩いていると、どこからともなく、ドラや笛の中国らしい音楽が流れてきます。もちろん周囲で演奏している人などいない。音の発信源は写真下左の灯籠です。下の段の石の中にスピーカーがあるらしく、そこから音楽が流れていました。

 

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 建物はどれもこれも新しく御立派です。日本の古い寺院なども作った頃はこんなもんだったのでしょう。金閣寺や平泉の中尊寺のように金ピカで極彩色が普通だったようです。

 

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仏像などもそうで、京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像など、物思いにふけった静寂そのもののような仏像ですが、あの作者は「時間」です。元々はここの建物のように色鮮やかに塗ってあったようです。制作時の再現写真を見て、あまりのお姿に私は人生観が変わる思いをしたことがあります()

 

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我々がその精神性の素晴らしさに感動している仏像の作者は、実は仏師ではなく「時間」だったりします。ですから、ここの建物も数百年もたてば、美しいと感動・・・しないなあ。

 

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 人生を測る秤があります(写真下左)。オレなんか、相当に偏りそう。

 

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古城に戻る

 ペンキ塗り立ての威圧的なだけの建物に少々ウンザリしていた私は、木府を出て街に戻り、ホッとしました。

 

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 安田さん(仮名)がおみやげに布を買いました(写真下)。機織りのパフォーマンスをしている店もあるから、納西族の伝統なのかもしれません。安田さんもお土産に買うだけで、中身は知らないと言っていました。

 

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 その布を売る店の前を観光客が馬に乗って通りすぎます(写真下)

 

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 民族衣装を着ているのは圧倒的に昔若かった人が多い。

 

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若い人で民族衣装を着ているのは、商売用だけです。

 

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 観光客は圧倒的に若い人が多い。

 

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 食べ物屋の前を通ると、お腹が空いてきました(写真下)。客に戻りましょう。

 

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市場で納西族の伝統の鍋料理

いったん客に戻り、女性二人を除く六人と運転手たちで昼食に出かけました。

の前の小石橋で、頭にバンドを巻いた人たちが座って、食事をしています。烏里さんに聞くと、苗(ミャオ)族だそうです。

 

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 苗族というと頭や身体に銀色の飾りをつけた姿が有名で、こういう鉢巻き姿の写真は少数です。三十年ほど前に中国で発行された『中国少数民族』では写真下のように紹介していますから、少なくとも当時はこういう格好が一般的だったのでしょう。

 

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写真上 『中国少数民族』(中国人民出版社、1981)より転載

 

 私が写真を撮ったので、他の人たちも撮り始めると、彼女たちは撮られていることに気がついて、やおら烏里さんに金を出せと言い出しました。私は言葉がわからないが、オバサンの身振り手振りと、そのすごい勢いは明らかにお金の要求です。激しくまくしたてるオバサンの大迫力を撮りたかったのだが、さらに請求額が高くなりそうなので、やめました()

 

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烏里さんは写真撮影にお金を出すべき時はちゃんと払う人です。また、直接お金を渡すのではない形を取るなど、相手に応じてかなり細かい気遣いをします。しかし、このオバサンの雰囲気では、出しかけた財布も引っ込んでしまいます。烏里さんも断固拒絶。まくしたてるオバサンを後に、我々は食事に出かけました。

 

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 食事は車で十分ほどの市内の北部にある市場の中です。道を聞きながら、市場の混雑した狭い路地を進みます。

 

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 真向かいの店は満席なのに(写真下左)、我々が入った店は席が空いている(写真下右)

 

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 この市場を良く知っている人たちは向かいの店のほうがうまいことを知っているのでしょう。我々の隣のカップルもどうやら観光客らしく、男性が写真を撮っています(写真下)

 

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 この鍋料理も、ワゴンに野菜などを入れた皿が準備され、食べた皿の分だけ請求されます。そこで、例によって、私は片端から放り込み、ちょっとずつ味わいました()

 

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 店内の看板には「腊排骨火鍋」とあります(写真下)。腊排骨とは骨付き肉(スペアリブ)のことです。看板にはテレビでも放送されたとあります。

 

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この腊排骨火鍋は納西族の伝統料理であり、この市場での売りのようで、他の店もこの名前の看板を出しています(写真下)

 

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 納西族の郷土料理の昼食を終えて、いったん麗江古城の客に戻ります。

 

 

納西族の小学校

 古城の駐車場から泊まっている客に行く途中に小学校があります(写真下左)。普通、小学校は門が閉じられており、入れません。ちょうど休憩時間なのか、門が開いて、子供たちが遊んでいます。

 

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 門の近くに出てきたのは女の子が圧倒的に多い。中国は一人っ子政策と男尊女卑の風潮から、男子が一割近く多いと言われています。ここは納西族という少数民族だから一人っ子政策は関係ないし、母系社会だから、こういう偏りは少ないはずです。

 

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 学校の壁面に「天天向上 好好学習」とあります。「日々向上しましょう 良く勉強しましょう」というくらいの意味でしょうか。漢字の下に象形文字があります。納西族のトンパ文字(東巴文)で、世界で唯一、現役の象形文字です。

 

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 写真下は麗江古城内の建物や他の小学校の建物に書かれたトンパ文字です。おもしろいのが、女性を表す文字は「大きい」という意味を、男性を表す文字は「小さい」という意味を持っているそうです。つまり、納西族が女性を中心とする母系社会であったことを意味します。だから、納西族が漢民族のように男の子を欲しがるということはないでしょう。

 

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勝手に客にお邪魔します

 我々の客に戻る途中で、烏里さんがとても気に入っているという他の客に入りました(写真下)。勝手に入っていいのかどうかよくわからないが、みんなで入れば恐くない()。瑞和園とありますが、麗江には同じ名前のホテルや客などたくさんあります。

 

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 敷地内は「静寂」という文字がはってあるような雰囲気です。中国がいつもこんなに静かだと良いんですが。

 

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 ここ以外にも、麗江古城はちょっと入ってみたいようなおしゃれな客たくさんあります。裏通りなど客だらけです。

 

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水路の汚染が進んでいる

 客に戻り、パソコンを持って、昨夜、烏里さんとコーヒーを飲んだ川縁の喫茶店に向かいました。20元の雲南コーヒーを飲みながら、ネット接続してメールを取り込みました。ところが、メールを取り込んだところで接続が切れて、それっきりつながりません。他の客はつながっているようなので、何度か試したが、結局ダメであきらめて、コーヒーを飲みながら、ゆっくりと窓の外の水路をながめることにました。

 

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 麗江に来て、一番がっかりしたのは水路でした。ここは北にある玉龍雪山から豊富な水が流れてきていて、それが街の水路となっています。昔はこの水をこのまま飲めるほどきれいでした。私は昔、麗江のきれいな水路に水草が生えている写真を見て、とてもあこがれていました。

 ところが、期待したほど水路はきれいではありません。写真で見るように、このあたりは汚れているとは言わないが、濁っています。写真下は水草が生えている所を撮ったが、少数です。また、麗江古城でも下流の南側は水量が減り、干上がってドブのようになっている所もありました。

 

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 写真下左では川の中のゴミを掃除しているところです。浄化に努力はしているのだろうが、水そのものが汚れ始めています。元々、これだけの街に人が住み、そこにこれだけの水路をめぐらせても十分に水が供給されていたということは、玉龍雪山の水量がいかにすごかったかを物語っています。

 しかし、どんな水量でも有限ですから、人口が増えて取水が増えれば、自ずと水量は減り、川は浄化能力を失います。私の少ない経験から言うなら、ここの水路はすでに浄化能力の限界を越えています。

 

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 麗江古城をめぐって、ようやく見つけたのが下の水場です(写真下)。写真下左で、右側の囲ってある池が飲み水、真ん中が野菜などを洗う池、一番左が洗濯をする池です。私はてっきり麗江の街中にはこんな池があちらこちらにあるものと思っていましたが、見つけたのはここだけでした。それも水が汚く、流れておらず淀んでおり、飲めるはずもありません。これでは使えないし、使っている形跡もなく、この水場はすでに死んでいるのかもしれません。

 

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 麗江は玉龍雪山からの豊富の水によって発展した街だけに、それがこんな状態になっているということはもっと危機感を持つべきでしょう。

 

「麗江は、このような何本もの急流が編の目のように流れていて、家々の裏には何本子もの橋がかかり、小ベニスといった感じだった。」(『忘れられた王国』ピーター グラード、社会評論社)

 

 これは1940年代、麗江に住んだことのあるロシア人の記述です。水路こそが麗江の血管であり、それが今は老化し枯れ始めている。

 水路を眺めながら、コーヒーを飲んでいると烏里さんが入って来ました。二人で川縁に座り、店の前にいた納西族のオバサンのブドウを買って食べました(20)。まあまあの味です。

 

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古城巡りに出発

 夕飯は七時半だというので、残りの時間を利用して古城を回ってみることにしました。一人で気楽にいきあたりばったりに歩いていくのは楽しいものです。まずは昨夜と同じように、まず四方街に行くと、例によって納西(ナシ)族のオバサンたちが踊っています(写真下)

 

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 納西族の女性たちの民族衣装の特徴は、写真下左のような飾りです。丸い飾りは七つあり、北斗七星を表し、結んで垂れ下がっている白い帯はその光を表すのだそうです(『中国の秘境を行く 雲南少数民族の天地』NHK出版協会、1985)

 背中に背負っているのはヤギの皮で、青蛙の形だという。北斗七星まではいいして、なんでヤギの皮が青蛙なのか訳がわからん。

 

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 踊りを横目に、昨夜と同じように水車のある玉河広場に行ってみます。

 

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 犬クンは暑いから冷たい石の上で気持ちよさそうに昼寝です。

 

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 写真下は昨夜の「大騒音通り」です。もちろん日中は犬クンも寝ていられるほどいたって静かです。

 

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 騒音はないが、客引きだけは健在で、民族衣装のお姉さんだけでなく、孫悟空までいます(写真下)。これで猪八戒、沙悟浄がいたらもっと楽しいのですが。

 

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 玉河広場の、世界遺産と書いてある壁の前では今日も記念撮影をする多くの人がいて、私は撮ろうという意欲すらおきません(写真下左)。その近くには日本で言えば願い事を書いた絵馬がぶら下げられています(写真下右)。きっと「素敵な彼氏が見つかりますように」などと書いてあるのでしょう・・・いや、中国なら「大金持ちの彼氏が見つかりますように」かもしれません。

 

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 玉河広場に来たのは、古城の北側を散策してみようかと思ったからです。しかし、人混みにウンザリして、泊まっている客まで引き返し、そこから古城の東南を歩いてみることにしました。

私の泊まっている客の前の通りをそのまま東に進むと、しだいに店はなくなり、人もいなくなり、昔はこんなのだったのだろうと思わせるような静かな街並みになりました(写真下)。石造りや土壁が多く、木造の多い中心街とは建物とも違います。

 

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 あちらこちらにブーゲンビリアが咲いていて、とてもきれいです。

 

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 広場のそばに見事なブーゲンビリアが咲いています。南米原産のこの植物は人間に気に入ってもらい、二百年ほどで世界中に広がっています。きっと丈夫で育てやすいんでしょうね。

 

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 ブーゲンビリアの下に出で立つ乙女と言いたいところですが、昔の乙女が三人話し込んでいます(写真下左)。ブーゲンビリアのピンク色は花ではなく、花を取り囲む葉の色です。

 

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下校時間

 広場に小学生とその父兄らしい人たちが集まっています(写真下)

 

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これから何かイベントでもあるのだろうかと見ていたのですが、少したつと、三々五々、親に連れられた子供たちが帰っていきます。どうやら、親が迎えに来たらしい。四時半ですから、下校時間です。中国では親が送り迎えするのでしょうか。

 

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 下校する親子の後を私もついていきました。大半の人は私が来た麗江古城の中心部とは反対方向に歩いて行きます。

 

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 道の途中には、やはり子供たちと親に期待してか、店がいくつかあります(写真下)。子供にねだられると、親としても嫌と言えないのを見込んでいるのでしょう。

 

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 そう言えば、子供の頃、学校帰りに買い食いするのは楽しかった()。今から思い出すと、身体に悪そうなジャンク菓子でした。ここで売られているのは手作りで、身体にはよさそうです(写真下)

 

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 麗江古城のような美しい街の中で生まれ育ったことが、子供たちの精神衛生や美的な感性に大きな影響を与えます。街を誇れるだろうし、大切にしようという気持ちを育てるでしょう。大人が背中で教えているのは素晴らしい。

 

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 日本も、誇りや愛着が持てるような街作りをするべきではないでしょうか。麗江古城のような小ぎれいな街は自然にできるものではなく、住人が街をきれいにしようという意識を持たないとできません。

 

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 日本のように、古都と言われる京都ですら、街に電柱と電線が散乱しているようでは話になりません。 古城の街並みには御覧のように、電柱も電線もありません。とてもすっきりした風景です。

 

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写真下は、麗江古城での数少ない家屋の屋根の下に巻き付いた電気などの配線です。とても醜いと思いませんか。古城内は家屋の色や形が統一され、すばらしい景観を作っているのに、こんな配線はとてもみっともない。

 

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 だが、写真上の配線がみっともないと思った方はぜひ窓の外の日本の風景を見てください。日本はこんなどころではなく、街中が電柱と電線が垂れ下がって、景観をぶちこわしにしています。

 

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古城の南に出た

 南に向かって歩いているうちに、麗江古城の南端らしく、車の走る大通りに出ました(写真下)。つまり、古城はここで終わりです。

 

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 麗江古城から出ても普通の街が広がっているだけでおもしろくありませんので、ここで引き返すことにしましょう。看板に南門入口という看板があり(写真下左)、それに従って行くと、「麗江古城」という立派な門があります(写真下右)

 

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 その門を入ると・・・すごい、入り口近辺は大きなホテルらしく、入るのが気後れするほど黒と朱で塗り分けられた荘厳で巨大な木造の建物があります(写真下)。まるで黒檀で作ったような建物は重々しすぎて、水に入れたら絶対に沈みそう。好き嫌いはともかく、中国風の豪華絢爛さだけはすごい。たぶん、内部はもっとすごいのでしょうけど、気軽に入れる雰囲気ではありません。

 

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 門をくぐりぬけると、そこには直線道路が走り、両側に二階建ての土産物店がズーーーーッと続いています(写真下)。建物はどれも黒檀や紫檀で作ったような重厚な作りで、明らかに入口のホテルと一貫して作られた商店街です。ホテルといい、この土産物店といい、巨大な資本がここに投入されたことは、経済音痴の私にもわかります。

 

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通りに入って何より驚いたのは、その規模の大きさのわりには客がほとんどいないことです(写真上下)。これなら通りを全力疾走しても、誰にもぶつからない。美術で習った一点消失みたいに、道路と建物が見事に一点に集まっているのに誰も客がいないと、両側の店主たち全員が私だけをじっと見ているようで、小市民の私は思わず財布を押さえて足がすくむ。

 

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 麗江古城は夜はあれだけ人がいるのに、ここは閑散としています。食堂などが並ぶ通りまで来ると、さすがに少し観光客らしい人たちが歩いています。

 

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 写真下の店はお茶など取り扱っている土産物屋兼スーパーのような雰囲気でした。ここで普洱茶の熟茶を一袋買いました。

 

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 夕方の麗江は晴れて、石畳の道で麻雀をしています(写真下左)。通りの向こうの空に雲がかかっています(写真下右)。これは麗江の北にある玉龍雪山にかかる雲です。通りからあんな位置に雪山が毎日見えたら、人生観が変わりそうですね。

 

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庶民の台所

 南門の高級ホテルや土産物屋から少し西に進むと、忠義市場という市場がありました。古城内の黒檀のようなホテルとか、土産物屋のいかにも作った感じと違い、庶民の市場らしい雑然とした雰囲気にホッとします・・・オレって庶民なんだなあ。

 

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 市場にはたくさんの南国の果物があり、私は片端から買って食べてみたい気分だが、胃腸がついて来てくれそうもないので、見るだけにしました。写真下の黄色いマンゴーなんかうまそう!

 

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 市場は五時すぎのこの時間は夕飯の買い物なのか、けっこう客がいて、場所によっては混んでいます。

 

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 この市場は専ら食料が売られている中、食料でないのが写真下です。写真下左はたぶん玉、いわゆる翡翠の原石です。翡翠は緑色が主流ですが、ここで売られているのは白色に緑の模様がちょっと入ったような石です。周囲の黒い石も、磨くと中はこんなふうになっているのでしょう。写真下右は紐を編んだもので、何かの飾りに使うのでしょうか。

 

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 石と言えば、写真下左の豚足のように見えるのも石で出来た作り物で、麗江古城の土産物屋にありました。写真下右の維西の市場で見たあの切られて売られている豚足を、切断面の肉の赤さなどもそのまま石で再現しています。わざわざこういう代物を石で再現してみせるのは、やはり中国です。

 

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 古城内は店だらけなのにお土産屋が大半で一般向けの店はほとんどありません。コンビニやスーパーが一つくらいあると助かるのに、何か規制があるのか、歩いた範囲では見つかりませんでした。この忠義市場は古城の南に位置しますから、古城内に住んでいる人たちの台所になっているのでしょう。

 

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 市場は建物の内と外でかなりの広さがあり、丁寧に回ったら一時間くらい遊んでいられそうです。雲南や麗江の特産のようなものは見当たらないが、庶民が食べている物がわかります。

 

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 写真下は鮮魚コーナーで、洗面器に入れられたいろいろな魚が生きたまま売られています。温かい地域だから、加工して売る習慣がないのでしょう。当然、臭いがすごい。

 

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 写真下左はコイを小さくしたような魚で、写真下右は赤みを帯びたドジョウです。

 

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 写真下左は小さなアメリカザリガニのように見えます。写真下右のヒョウ柄の魚は何なのでしょう。

 

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 写真下左は日本では高級食材のスッポンです。ここでは扱いを見ると、普通の食材のようです。写真下右はガマガエルの仲間のように見えます。カエルは足が鶏のササミのようでうまいそうです。

 

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写真下は魚の浮き袋のようです。わざわざ分けて入れてあるところを見ると、ゴミではなく、料理に使うつもりのようです。あの風船みたいな物はいったいどんな味がするのだろう。

 

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 たぶん写真下左がヤゴ、写真下右はタニシです。

 

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 お姉さん二人が一心不乱にトリをさばいています。たぶん、毛をむしり取っている。

 

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 写真下のお姉さんの背負っている食材をごらんください。ニョッキリと黒いトリの足が出ている。

 

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市場から出た道路に面した店でお茶を買いました(写真下左)。一番高いお茶が68元とあり、1kgの値段のようです。100gくれと交渉したが、ダメ。それもそのはずで、店にある大まかな秤では100gなんて測れない。結局、四分の一の250gを買いました。68元の四分の一なのだから17元なのに、おじさんは19元を請求してきました。秤もいい加減だし、値段もいい加減。交渉も面倒なので気にするのはやめました()

 帰国後、今回の旅行で買ったお茶の飲み比べをして、一番気に入ったのがこのお茶でした。

 写真下右は古城内のお茶屋の店先です。黒い餅のような物は茶餅で、お茶の葉を固めたものです。しかし、写真下左のような一般向けの店はまずこういうお茶はありません。こんなふうに旅行者向けと一般向けではお茶の種類からして違います。

 

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 市場から古城方向に続いている道を歩いていくと、もう一つ市場があります。先ほどの忠義市場の続きかもしれません。店の数はそれなりにあるのだが、先ほどの市場に比べて客の数は少ない。

 

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 市場の中には食堂もあります(写真下左)。先ほどの市場では店じまいしていた肉屋もここで肉の塊や腸詰めなどが売られています(写真下右)

 

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 建物の奥のほうに進むと、生鮮食品は少なくなり、乾物などが並べられています。ここは市場といっても常設の店のようです。

 

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 干した松茸などキノコ類が豊富です(写真下)。松茸という名前に買いたい気持ちもあるが、二年前、中国で干し松茸をお土産に買ったのですが、評判はイマイチだったので、手が出ません。

 

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 写真下左など、人間が座れるくらい大きなサルノコシカケですから、ニンゲンコシカケです。

 

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 店には整然とキノコの干物が並べられています。食用というよりは漢方用でしょうか。もっともこの国ではそれをさほど区別しません。

 

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 女性用の滋養強壮に効果があると最近人気の雪蓮花があります(写真下)。麗江の北にある玉龍雪山から採れた雪蓮花が五元とはまた安い。写真下右も松茸という名札かありますが、これは他から落ちてきただけで、品物は雪蓮花です。

 

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 雲南だから、花屋が多いかと思いましたが、意外に少なく、一軒しか見かけませんでした(写真下左)。盆栽とブーゲンビリアが目立ったが、切り花を飾っているのはまず見かけません。

 

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 市場を通り抜けて、再び古城内に戻ってきました。もっとも、先ほどの市場も古城の中です。

 

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麗江古城内の犬クンたちをご紹介しましょう。ここも犬はいるのに猫がいません。

 

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 写真下左など鈴をつけていますから、飼い犬です。しかし、ヒモでつないでいないところを見ると、盗まれて食べられてしまう危険性は少ないようです。

 

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 犬を食べる習慣は今でも中国ではあって、わりと最近の他の人の旅行記で、道端で売られている「犬の丸焼き」が写真入りで載っていました。

私がネコが少ないのを気にしているのは、食べられてしまったからではないかと危具するからです。中国では、ニワトリを鳳凰、蛇を龍、ネコを虎とみなして、一つの鍋に入れて食べる習慣があると聞いています。

 

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 飼い犬でもつないでいないことが多いが、さすがに写真下の値段の高そうな犬は首輪をつけて飼い主が散歩させています。

 

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 あ!昼間、客のそばの小石橋で食事をしていたのと同じ苗(ミャオ)族の女性たちです(写真下左)。お金を請求されないように、さっと一枚だけ撮って逃げました。先ほどの苗族と同様に、ここにいる人たちも大きな荷物を抱えています。何か売るつもりで来ているのだろうか。

 

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近くで道に迷った

 七時近くになり、少し陽が陰ってきました。恋人が川縁で涼み、訳のわからん格好をしたモデルを相手に撮影をしている人もいます(写真下)

 

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 街には猫はいないのに、どこかの宅配業者のマークで見たような猫の絵がかけてあります(写真下左)

 

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 私は、自分ではすでに泊まっている客の近くまで来ており、七時前には到着するつもりでした。ところが、あれ?このブーゲンビリアは見たことがある(写真下)、ということは、逆方向に進んでいるのだ!

 

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そう言えば、人通りも少なくなってしまった(写真下)。私の泊まっている客は中心部にあるからこんなに人がいないのはおかしい。客まで後少しだと思って、気を抜いたのがまずかった。あと数百メートルだと思うが、道に迷ったようです。

 

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 麗江古城の道は複雑に入り組んでおり、観光客が地図を持たずに歩くことはまず不可能です。しかし、ホテルでもらった手書きの地図もかなりいい加減で、作成者の感覚で書いており、部分的には使い物にならない。これだけの観光地なのにどうして正確な地図がないのか、とても奇妙です。

 写真下は麗江古城のグーグルの衛星写真です。上から見てもわかるように、どれが道なのかわからず、迷路です。

 

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 もう一つ使い物にならないのが、古城内の道のあちらこちらにある写真下のような地図です。これがまたデタラメが多い。いくら見直しても、地図がその周囲の道路とどう対応しているのかさっぱりわからないのがあるのです。私は地図を見るのはそれほど苦手ではないつもりだが、しばらく見て、周囲と照合しても、どうしてもわからない。明らかに、その場所とは別な地図ではないかと思われる物もありました。

 

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 四方街で踊っていたナシ族のオバサンたちが仕事を終えて帰宅するところです(写真下左)。オバサンたちが来た道を行けば、私の客にも戻れるはずです。

 

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19:10、予定よりも10分遅れて、ようやく客に戻りました。四時間近くもほとんど休まずに歩き、しかも、目と鼻の先で道に迷ったので、一気に疲れました。

 七時半、客から歩いて、大石橋近くのレストラン「家常菜」で夕食です(写真下)

 

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 写真下の「風花雪月」は麗江の南にある大理で作られているビールです。風、花、雪、月の四つが大理を象徴しているのだそうです。栓抜きにも名前が入っています(写真下右)。皆さんは、そんなに味は悪くないと言っていました。

 

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 ここは店の看板では納西族の家庭料理を食べさせる店のようで、烏里さんが選んだのもそれが理由でした。しかし、値段のわりには味はイマイチだというのが、全員の意見でした。

 

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 今夜も通りには人が溢れています。まだ九時すぎなので、出かけようと思えば出かけられたのですが、合計で七時間も歩き回って疲れたので、夜遊びはやめることにしました。

 

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