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10 11 12 5日目 2012年6月7日(木) 奔子欄 → 飛来寺 朝起きて窓を開けると、東の空は雲はあるが晴れています。今日は、これから白馬雪山、梅里雪山などが見える地域に行きますので、晴れてほしい。 通りでは七時過ぎには店を開け、人々が動き出しています。写真下右は向かいの店で飼っている犬です。鳥籠のような小さな籠に閉じ込められている。まさか食用ではあるまいと、烏里さんに聞いてみると、ペットだが、逃げられないように籠に入れておくのだそうです。きっと値段の高い品種なのでしょう。「籠の犬」です。犬にとってはずいぶん狭く、ストレスになるでしょう。 八時から一階の食堂で朝食です。中国の朝食はいつもイマイチです。 運転手が飲むためでしょうか、車の上にレッドブルが置いてあります。レッドブルは日本ではあまり有名ではありません。オロナミンやリポビタンのようなスタミナ・ドリンクです。今回の旅行で目についたのが、道端に捨てられている空き缶にこの黄色い紅牛がたくさんあったことです。中国ではかなり人気だということでしょう。 烏里さんは飲みたくないと言います。飲んだ人の話では、海外で売られているレッドブルとは味が違うそうです。 今日は、四千メートルもの峠を越えて白馬雪山などを見ながら徳欽へ、そして梅里雪山の見える飛来寺まで行きます。 九時にゲストハウスを出発(8:56)。道はすぐに上り坂になります。 金沙江大湾 奔子欄から北東に進んだ所で金沙江の展望台に立ち寄りました(9:12)。朝早いこともあり、立派な展望台なのに、御覧のように観光客はほとんどいません(写真下)。 30元(420円)払って見るのは、写真下のように金沙江が「Ω」のようになっている景色です。この時間は逆光で、被写体としては午後のほうがよさそうです。 突き出た部分に鉢巻きをしたように、川沿いに道路が走っています。あの道路を我々は昨日、古学郷のタチアオイ寺に行く時、往復しました。私は車から見上げた時、写真下左の丸い建物を見ました。こんな山の上に何の建物かと不思議に思っていたら、展望台でした。 逆光で斜めから見るよりも、一番わかりやすいのは真上から見ることです。 二十分ほど見て、河が湾曲しているという以外はそれほどおもしろいわけでもないので、先を急ぐことにしました。 少し走ると道路の右側に仏塔などの寺院のようなものが見えます(写真下)。東竹林寺(东竹林寺)というチベットのお寺で、観光ではたいていここに寄りますが、我々は通過です。私は昨日のお寺で十分なので、通過には賛成です。読者の皆様がこの地方を訪問した時は、観光寺ですから、立ち寄られたら良いでしょう。観光寺の常で、入場料を取られ、しかも、寺の内部は撮影禁止です。 道路は至る所、工事中だらけで、当然、前後は猛烈な悪路です(写真下)。数年もたてばここもスイスイと走れるようになるのでしょう。 標高は三千メートルを越えるというのに、山のあちらこちらには集落や段々畑があります。香格里拉から奔子欄に来た時も高度が下がるにつれて樹木がなくなりました。奔子欄など二千メートルでは山に樹木が少なかったのに、このあたりの山は緑が多い。 日本なら低地に森林が生い茂り、高くなるにつれて樹木がなくなりそうですが、ここはそうではありません。このまま森林限界まで樹木が生えています。 工事中の道を、ここでも自転車で旅行する人たちがいます(写真下)。奔子欄がすでに二千メートルですから、これから峠まで彼らはこのホコリだらけの悪路を落差約二千メートルも登ります。 車に乗っていてもたいへんなのに、彼らは富士山に近い高度で、猛烈なホコリの中を突き進んでいます。 高くなるにつれて、やがて集落や畑などもなくなっていきました。 四千メートル近くになると、高い樹木は減り、樹木自体もまばらになってきました。こんな高地で寝泊まりしながら道路工事をしている人たちがいます(写真下)。 十時半頃に三千五百メートルをこし(3505m 10:38)、十一時すぎについに四千メートルを越しました(4010m 11:02)。西に雲がかかっている雪山も見えてきました(写真下)。 白馬雪山 高度四千メートルを越えてから、進行方向右側に白馬雪山(白茫雪山)が姿を現し、撮影のために車を停めました(11:10〜11:24)。こういう所でさっと動けるようにと、私は三千メートルを越えたあたりから酸素を吸って、待ち構えています。 周囲には紫色のシャクナゲが咲いています。四千メートルをこのあたりには、場所によっては斜面に一面に咲いているのが車から見られます。 写真上 Rhododendron telmateium (『雲南のシャクナゲ』p.88) 周囲には花はあるが、ここは車を停めて山を展望するのにちょうど良い場所らしく、山は踏み荒らされており、花が少ない。 写真上 Caltha scaposa (Guide to the Flowers of
Western China, p.108) 写真上 Fragaria nubicola (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.455) 写真上下 Primula amethystine (Guide to the Flowers of
Western China, p.238) 白馬雪山を西に見ながら、車を走らせます。 二つ目の白馬雪山展望 白馬雪山の上の雲が取れたので、再び車を停めました(4135m)。白馬雪山は最高峰が5429.6mです。写真下右の頭が平らなのが見た目には一番高く見えるから、これが最高峰なのでしょう。梅里雪山と同様に、この山と周囲を白馬雪山と呼ぶようです。 斜面にはさきほどの所よりも多くの高山植物があります。 写真上と下では花の色が違いますが、たぶん同種でしょう。 シャクナゲは図鑑を見ても、どれもこれも似ていて、名前がわかりません。 数は少ないが大型のサクラソウがあります。写真下中のサクラソウには枯れた去年の茎が二本そのまま残っています。このあたりは意外に雪が少ないのかもしれません。 写真上下 Primula sinopurpurea (『雲南花紀行』p.128) ステゴサウルス峠 写真下左の岩山を右にして、峠の頂上付近を通過(12:14 ,4160m)。この峠は公式には4,292mとなっています。 この岩山を北側から見ると、まるでステゴサウルスの背びれにみたいに見えます(写真上右)。写真下右など、ステゴサウルスが山の上に寝そべっているようで、後ろ足まで見えます。よって、この山をステゴサウルス山、峠をステゴサウルス峠と私が命名いたしました。 峠をこえて下り坂になると、徳欽のほうに向かって見通しが利くようになります(写真下)。 ここからの斜面が素晴らしい。一面にシャクナゲが咲いています(写真下)。写真ではちょっとわかりにくいでしょうが、木々の間に白く写っているのが全部シャクナゲです。 シャクナゲを撮るために車を停めました。図鑑を見ても、判断がとても難しい。とりあえず名前を付けましたが、もちろん、自信がないと自信をもって断言します。 写真上下 Rhododendron przewalskii (Guide to the Flowers of
Western China, p.222) 黄色いスミレがシャクナゲの足下の斜面にたくさん咲いています。 写真上下 viola biflora (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.362) たった一本だけ見つけた花で、こう見えてもサクラソウの仲間です(写真下)。 写真上 Primula capitata (Guide to the Flowers of
Western China, p.254) 写真上 Fragaria nubicola (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.455) 高度が下がり、三千五百メートルあたりを境に、それまでとは違うピンク色のシャクナゲが斜面に見られるようになりました。 迎賓塔 徳欽の少し手前で、迎賓塔という梅里雪山の展望台に立ち寄りました(3440m 13:16)。ここは13個の仏塔が建っています。 仏塔の向こうに梅里雪山の山々が見えます。ただ、雲が多いので、撮影にはいまいちです。 チベットでは定番の仏塔と風にはためくタルチョです。風が強い。タルチョよりも風車でも回したほうが良いのではないかと思ってしまいます。 仏塔やタルチョよりも私の関心は眼下の斜面に一面に生えているシャクナゲです(写真下)。先ほどの車で走ってくる途中の山に生えていたピンクのシャクナゲです。今が盛りのようです。遠くから見ると、山桜がたくさん咲いているようなイメージです。 写真上 Rhododendron tatsienense (Guide to the Flowers of
Western China, p.209) 熱湯消毒 徳欽に到着(13:25)。このあたりでは一番大きな街です。 徳欽の、二階にあるかなり広いレストランで昼食です(写真下)。 藤尾さん(仮名)が、店員に大きな洗面器を持ってこさせました(写真下左)。何を始めるのかと見ていると、ヤカンにある熱いお茶で食器を殺菌し始めました。しかし、それらの食器は写真下右のように、殺菌を証明した袋に入っています。藤尾さんによれば、北京オリンピックでこういうやり方が政府指導で行われたが、信用ができないというのです。 私は殺菌したという証明を信用していただけに、頭の中で信用という文字がガラガラと崩れ落ち、殺菌用に日本から持ってきたウエットテッシュで食器や箸を丁寧に拭き取りました。以後、私は自分の認識の甘さを深く反省し、旅行中、こういう殺菌梱包された食器類もウエットテッシュで拭き取るか、自前の割り箸やスプーンを用いました。やはり中国は奥が深い。 写真下はこのレストランの客室とトイレのドアです。こんなふうに入り口がすぐ隣にあるのは便利といえば便利だが、いかにも中国らしい配置です。 飛来寺到着 二十分ほどで飛来寺(飞来寺)に到着(14:54)。梅里雪山には相変わらず雲がかかっていて、良く見えません(写真下左)。 今日と明日のホテル・飛来寺雪域神川酒店に到着(3330m、14:59、写真下左)。飛来寺では一番北西のはずれにあり、最近建てられたというよりも、今でも内部は建築中です。見た目は悪くないのに、道路との擁壁と建物の間はゴミだらけです(写真下右)。普通の人はこんな所はわざわざのぞかないのだろうが、私はしっかりと見て、写真まで撮ります。 パンフレットもあるくらいのホテルなのだから、ゴミくらい片付ければ良いのに。 徳欽のほうが街としては大きいのに、わざわざ飛来寺まで来るのは、ここが梅里雪山を見るのに絶好の場所だからです。飛来寺のホテルはたいていどの部屋からも梅里雪山を眺められるように建ててあります。 仏塔とモデル まだ四時前ですので、夕飯までの時間でホテルの窓から南側に見える山に行ってみることにしました(写真下)。頂上付近に鉄塔が見えます。そこまでの道路が切られているはずだから、登るのも楽でしょう。来る途中で見かけたピンクのシャクナゲの写真を撮りたかったのです。 山に行く道は仏塔のある展望台を通るようになっています(写真下)。せっかくですから、寄ってみることにしましょう。ホテルからは歩いて十分ほどもかかりません。 写真下がGoogleの衛星写真です。我々のホテルが建てられる前の写真ですから、ホテルは写っていません。この衛星写真ではホテルらしい建物も十軒とないが、今では、ホテルや店が軒を連ねています。 この仏塔のある展望台も、仏塔は写っているが、だいぶん様子が違います。青い三角形で囲んだあたりが展望台のおおよその場所です。衛星写真では樹木がありますが、今は写真上のように樹木は取り払われ、大きな広場になっています。 少々、唖然としたのは、飛来寺への過去の旅行記を読むと、仏塔はタルチョに飾られ、たくさんのチベット人たちがいて、香を焚いて祈りを捧げている描写があったのに、タルチョどころかチベット人も観光客もいないことです。仏塔は真っ白で香を焚いた跡などありません。 展望台にはほとんど人がいません。展望台の広場を囲むようにして店舗用の建物があります(写真下右)。しかし、一つとして店が入っていません。 去年2011年ここを訪れた人の旅行記には入場料に60元も取られたとありましたので、私は恐る恐る入ってみたのですが、料金所はなく、集金係もおらず、いつの間にか展望台まで入ってしまいました。 だだっ広い展望台の仏塔の前でモデル相手に写真撮影をしています。彼らしかいません。仏塔を背景にして撮っているのかと見ていると、カメラマンはモデルの上からばかり撮っていますから、モデルと床しか写りません。だったら、別にここでなくても良いような気がします。 これだけ広い所で、しかも、仏塔と梅里雪山を見る展望台で、それらを完全無視して撮影をしている、赤い服と黒いタイツをはいたカメラマンと、白い服に白い足をだしているモデルの姿が、あまりに現実離れしていて、私はしばらく見入ってしまいました。高山病で変な所に迷い込んだのだろうかと自分を疑いました。 仏塔のある展望台を通り抜けると、道にはたくさんのタルチョがはためいています(写真下)。経文が印刷され、これがはためくたびに経文を読んだのと同じ功徳があるという、元々の仏教とはかけ離れた迷信です。写真で見ると、色とりどりできれいに見えるが、私には自然の風景を壊しているだけの無意味なゴミに見えます。実際、これが散乱している場所は悲惨な状態です。もっとも、後でここに戻る頃には私はこの意見を変えることになりました。 小さなアヤメ 道路の脇にノイバラが素晴らしい芳香を放っています。奇妙なことに、ノイバラは道路の脇にはたくさん生えているが、山の中ではほとんど見かけません。 写真上 Rosa sericea (『雲南花紀行』p.157) 舗装された道路から、写真下のような山道に入りました。しかし、こんなふうにはっきりしている道の他に、無数の獣道というか、人や家畜が通った小道があり、道はとてもわかりにくい。 山の斜面はかなり乾燥していて、花など咲いている雰囲気ではありません。それでも、藪の下を探すと、小さなアヤメが見つかりました。ちょっとした木陰などに咲いています。 写真上 Iris barbatula (Guide to the Flowers of
Western China, p.535) 写真下右の私の指と比べてみればわかるように、背丈は十センチほどです。花の近くに生えている緑色の細長い葉がこのアヤメの葉です。 シャクナゲの山 下の衛星写真の青で示したのが私が歩いた道です。電波塔を目指したのですが、七時の夕食までにホテルに戻らなければならないので、途中で引き返しました。ここが3400mほどの高さであることを除けば、道はそれほどきつい斜面ではありません。 ここは道がついているだけあって、人の出入りがあるせいか、花の数はそれほど多くはありません。地面に生えている草花は少なく、この山の主役はやはりシャクナゲです。 写真上下 Rhododendron tatsienense (Guide to the Flowers of
Western China, p.209) 徳欽に来る途中、山に一面に咲いていたあのピンク色のシャクナゲはこれでしょう。図鑑からそれらしい名前を選びましたが、この花に限らず、シャクナゲの同定にはまったく自信がありません。 花はピンク色が大多数ですが、写真下のように花弁が白と言っても良い個体もあります。 シャクナゲとは単に常緑のツツジのことを指すようです。ここに生えているのは常緑樹でしょうから、すべてシャクナゲです。つまり、「ツツジのように見えるシャクナゲ」と「シャクナゲにみえるシャクナゲ」です。 ピンク色のシャクナゲが一種類なのかどうか、どうもはっきりしません。葉の付き方がツツジのような葉が小さく上向きのがあります(写真下)。 ところが、花は同じなのに、葉が下がっているのもあります(写真下)。しかも、これは葉が生え始めた時は小さく上を向いており、成長とともに葉が大きくなり、下に下がってしまうようにも見えます。 さらには写真下のように、ツツジのような要素はなく、葉も大きく、表面は光っているシャクナゲの葉をした個体もあります。 何が違うのかといろいろ見て見たのですが、素人の私には両者の区別がつきません。ですから、ここに並べたシャクナゲはいろいろな種類が混ざっているかもしれません。 ピンク色のシャクナゲとは明らかに別種とわかるシャクナゲもあります(写真下)。しかし、どれも終わりかけています。 サルオガセの森 写真下は見てのとおりの巨木で、これもシャクナゲです。いったいどんな花を咲かせるのでしょう。 読者の皆さんにはきれいなシャクナゲだけを楽しんでいただきたいが、厳しい現実もあります。山に登り始めた頃から気になっていたが、サルオガセです。写真下など、シャクナゲの巨木にサルオガセ(Usnea)がついています。 写真下のように場所によっては幽霊屋敷かと思うほど、周囲がサルオガセの覆われている場所もあります。サルオガセに驚いて、帰国後、『雲南のシャクナゲ』(日本放送出版協会、1981年)を開いて、改めて写真を良く見ると、サルオガセが写っていますから、シャクナゲにサルオガセがつくことは珍しいことではなさそうです。 サルオガセは、木に取り憑いて木を枯らすと誤解されがちですが、そうではなく、枯れ始めた木につく植物で、水と空気がきれいなところでないと発生しません。枯れてしまったシャクナゲだけでなく、まだ葉の生い茂っているのにも付いているのをみれば、そのシャクナゲも弱り、枯れつつあることを意味します。 シャクナゲの上には花がたくさん咲いているのに、下の幹や枝に一面にサルオガセが生えている光景はやはり不気味です。これが自然の一種の新陳代謝なら良いのですが、まるでシャクナゲが大規模に立ち枯れを起こしているように見えます。 シャクナゲを除けば、山にはあまり花はありません。6月も半ば過ぎから雨が降り始め、シャクナゲも終わる月末頃から夏の花が咲き始めます。 写真上下 Indigofera souliei (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.400) 写真下は最初見た時、何か花が咲いているのかと思いました。しかし、良く見るとシダです。小さい時は赤く、大きくなるにつれて茶色になるようです。 道端で良くみかけるのが野イチゴの白い花です。 写真上下 Fragaria nubicola (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.455) 写真上 Berberis jaamesiana (Guide to the Flowers of
Western China, p.80) 写真下の花は木が花を咲かせているように見えますが、枝にからみついて花を咲かせる草花です。 写真上 Clematis pataninii (Guide to the Flowers of Western China, p.90) 降りられない 同じ道を戻るのでは芸がないと、登ってきた道とは別な道から降りることにしました。小型の車なら通れるような道が続いているので安心して降りて行くと、送電用の変圧器が立っていて、道はそこで唐突に終わっていました。 後でgoogleの地図を見て理由がわかりました。私の下りてきた山道が元々の道なのに、それを横切るように新しい舗装道路を作ったため、山道はここで寸断されてしまったのです。日本だったら、脇道をつけるか、行き止まりの看板くらいつけるだろうが、ここではそんな配慮はありません。 崖の下には私が最初に登ってきた舗装道路があります。ぎりぎりまで崖を下っても道路までの擁壁の高さが数メートルもあり、私は飛び降りるだけの自信がありません。こんな所で骨折でもしたら、生死に関わります。周囲を見ても降りられそうな所はない。 かなりの距離を降りましたから、今さら登って引き返すのはいやです。どうしようかと周囲を見渡すと、あのタルチョです(写真下左)。 タルチョの張ってあるロープにつかまって飛び降りると、私の重さでロープはしなり、私はターザンになって無事に下の道路に着地しました。タルチョは風景を壊していると批判しましたが、役立つこともあります。 遭難者の慰霊碑 仏塔のある展望台に戻ると(18:27)、相変わらず、ほとんど人がおらず、カメラマンとモデルもいません。これでは商売があがったりでしょう。写真を撮る者にとってはありがたい。 ここには1991年に梅里雪山で遭難した日本と中国の合同隊の慰霊碑もあると聞いていました。旅行記の記述や写真を見ると、この飛来寺の仏塔の近くにあったようです。今回丁寧に探していないこともあって、私はこの慰霊碑には気がつきませんでした。 2006年には慰霊碑に刻まれた日本人とチベット人の名前だけが傷つけられたことが毎日新聞で報道されました。目撃者の旅行記の写真を見ると、17名のうち中国人の5人を除いた他の遭難者の名前は、ナイフや釘など先の尖った道具で傷つけたような無数の引っ掻き傷で読めなくなっています。 日本のウィキペディアでは、我々が明日訪れる明永村にある慰霊碑が傷つけられたと書かれていますが、これは間違いでしょう。他の旅行記を見る限り、明永村の慰霊碑には名前は刻まれていないようです。 犯人については二説あり、神の山である梅里雪山に登ろうとしたことの反発だという地元民説と、中国人の反日感情心だという観光客説です。犯人が捕まっていないのだから、真実はわかりません。 しかし、圧倒的に後の説が有力でしょう。なぜなら、日本人だけでなく、たった一人のチベット人の隊員の名前も傷つけられているからです。地元の人たちはほとんどがチベット人ですから、同胞の名誉を汚すのはありそうもない。またもし神の山への冒涜だというなら、1994年から2006年まで無傷だったことの説明がつきません。 もう一つ、これは私の個人的な感想ですが、信仰心のあるチベット人なら、相手の人種を問わず、死者への冒涜をするとは思えません。 一方、傷つけられことが報道された2006年2月の前年の2005年には、中国各地で反日運動が起きて、一部は暴徒化しています。こういう現実を見れば、圧倒的に観光客説が有力です。 夕方なので、家畜たちが家に帰る所です(写真上左)。 私は店で水、リンゴ、そして梅里雪山の地図を買って、ホテルに戻りました。ここでもリンゴは大きさのわりには値段が高いが、農薬がしっかりかけてあるせいか、質はそんなに悪くありません。 七時からホテルの二階のレストランで夕食です(写真下左)。ホテルの客が入っており、厨房は大忙しです(写真下右)。ここも窓から梅里雪山を展望できます。 食器類はもちろん殺菌を証明する袋に入っていますので、すべてウエットテッシュで拭き直しました。 私の部屋は四階の中頃にあります。高い階のほうが眺めが良さそうですが、実際はどの階も眺望は変わりません。高山であることを考えれば、むしろ、低い階の部屋のほうが楽です。階段を上る時には、亀になったつもりで一歩ずつ上ります。 部屋は全体が木目調で、最大の特徴は西側の梅里雪山を見るための広い窓です(写真下)。 まだ作られて間もないようで、ホテルの中ではまだ建築中です。天井にまで模様が施してあります。 設備は新しいせいもあり、それほど悪くないが、日本人的な感覚から言うと、とにかく作りが雑。写真下左の浴室の床に黒い線のように見えるのは溝です。洗面台からの排水管が壊れており、排水が半分くらい床に落ちます。普通なら、排水管を直します。ところが、ここでは、漏れた水がシャワー用の排水溝に流れるように、床にわざわざ溝をつけたのです。床を傷つけたら見た目にも悪いし、こんな付け焼き刃をしても十分に機能せず、床に排水が溜まります。洗面台の水道から水を流すと床に排水が落ちてはねるから、洗面台のそばに寄れない。床にこのような溝を刻む手間よりも、配水管を直したほうがずっと簡単で安く上がると思うのは日本人で、チベットでは通用しないようです。 梅里雪山の主峰の名前 夜の八時頃、日没近く、ようやく梅里雪山の雲が取れて、主な峰が見えてきましたので、ご紹介しましょう。写真下がホテルの窓から見える梅里雪山の山々です。と言っても、実は山の名前が良くわからない。地図も出ているし、ネットでも写真と山の名前がでています。ところが、ダメなのです。 梅里雪山は日本のウィキペディアは七座と数えるようです。ただ、素人目にわかりやすいのは五つです。『梅里雪山 十七人の友を探して』(山と溪谷社)の著者である小林尚礼氏のホームページに従うなら、山の名前は次のようになります。 @ メツモ(緬茨姆、神女峰、6054m) A ジャワリンガ(加瓦仁安、五冠神山、5470m) B マーベンジンデウーショ(馬兵扎堆五学、6000m) C カワカブ(卡瓦格博、太子雪山、6740m) D スグドン(斯古都、6379m) 上の写真では、左から二番目のジャワリンガは雲に隠れて見えません。 ジャワリンガ以外を再度個々に紹介すると、写真下左が、一番鋭く、すっくと立つメツモです。なかなかの美人です。写真下右は真ん中頃にある名前の難しいマーベンジンデウーショ。 @ B 写真下左が一番高いカワカブで、メツモのご主人です。カワカブは浮気をして、二人は喧嘩中で、両方一緒に出てくることは滅多にありません。今回もカワカブは出ているのに、写真上左のメツモはカワカブ方向に雲がかかっています。こういう浮気話を聞くと、チベット人たちの現実が見えてくるようで興味深い。 写真下右が、一番右側に見えるスグドンです。高い山なのに頭が平らなこともあり、それほど目立ちません。 C D ウィキペディアでの梅里雪山の主峰の名称や高さが日本と中国ではかなり違っています。 「日本のウィキペディア」
カワカブ(太子雪山、6,740m)
メツモ(神女峰、6,054m)
ジャワリンガ(五冠神山、5,470m)
スグドン(斯古都、6,379m)
マーベンゼンデウーショ(馬兵扎堆五学、6,000m)
チョタマ(pk6509、6,509m)
コワテニー(戈大尼、6,108m) 「中国のウィキペディア」
卡瓦格博(太子峰,6,740m) 緬茨姆(神女峰,6,054m)
加瓦仁安(五方佛峰或五佛冠峰,5,470.5m)
布迥松階吾學(小兒峰)
洛拉爭歸貢布(說拉贊歸面布或柏樹山紅臉兇神峰,5,229m,為地理意義上的梅里山脈主峰)
巴烏八蒙(英雄女儿峰,6,000m)
帕巴尼頂九焯(帕巴乃丁吉峰或十六尊者峰,5,880m)
瑪兵扎拉旺堆(馬兵扎堆五学或無敵降魔戰神峰,6,365m)
奶日頂卡(聖山頂峰,6,379m)
粗歸臘卡(5,993m)
扎拉雀尼(5,640m,為白芒雪山、亦作白馬雪山主峰) B C 日本と中国を比較していかがでしょうか。数の違いはさて置き、最初の三つが共通しているくらいで、それ以外は共通性がありません。同じ連山なのに、この違いはどういうこと? たとえば、日本側の「マーベンゼンデウーショ(馬兵扎堆五学、6,000m)」に相当するのは、中国側の「瑪兵扎拉旺堆(馬兵扎堆五学或無敵降魔戰神峰,6,365m)」です。しかし、日本側の高さは6000mなのに、中国側は6365mで、これは計測の誤差では済まない数字です。しかも、中国側の6000mの山は「巴烏八蒙(英雄女儿峰,6,000m)」と別な山になっています。 高さで比較すると、日本側の「スグドン(斯古都、6,379m)」と中国側の「奶日頂卡(聖山頂峰,6,379m)」と同じですが、どう読んでも両者の名前は同じではありません。 上の地図はホテルの近くの店で売られていた梅里雪山の地図の一部で、飛来寺大酒店と雪域神川酒店の発行です。写真と同じで右が北になります。五つで数える所までは良いとして、以下のように、日本や中国のウィキペディアとも名前や高さが合わないのがあります。「○」は不明漢字です。山を左から並べると次のように書いてあります。 緬茨姆(神女峰,6,054m) ○瓦仁安(五方佛峰,5,470m) 布迥松階吾學(5,880m) ○贊卡瓦格博(太子峰,6,740m) 烏兵扎拉旺堆(6,319m) 最後の「烏兵扎拉旺堆」は日本では6,000m、中国のウィキペディアでは6,365m、この地図では6,319mです。この山は順序からいくと6379mのスグドンに相当しますから、この地図の6319mは、「7」を「1」と読み違えたのではないかと思います。 上の地図は同じ店で売っていた別な地図で、上が北です。載っている六つの山の内、五つを比較するとメツモとカワカブ以外の山は前の地図とすらも名前や高さが違っています。「○」は不明漢字です。 緬茨姆(神女峰,6,054m) 甲○林定(5,470m) ○贊卡瓦格博(太子峰,6,740m) 布○松階吾学 扎堆吾学(6379m) 高さが同じなら同じ山であるはずなのに、漢字名すら違っているのは、元々の名前がチベット語だからでしょう。チベット名の山の名前が複数あり、そこに音としてあてはめた漢字もまた複数あり、統一されていないのでしょう。考えると眠れなくなりそうなので、このあたりでやめておきます。 @ ここから見る梅里雪山は朝焼けが有名です。ホテルから見て山は西側にあるので、太陽を背にして山が見られるのは朝だけです。我々はここに二泊しますから、明日と明後日の二度チャンスがあります。朝、ベッドの中からすぐに梅里雪山を見られるように、窓のカーテンは閉めないまま寝ることにしました。 刻一刻と山が姿を変えるので見飽きません。九時すぎ、山は黒いシルエットを映し出しました(写真下)。 トップページ 日程表 1 2 3 4 5
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