トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 10日目 2012年6月12日(火) 維西 → 老君山 → 麗江 六時頃起床。昨日と同じで、曇り空です。 七時から、ホテルのレストランで朝食です。メニューは変わりません。 お湯を入れた青とピンクのポットが、なんとなく幼稚園のお弁当を連想させてかわいい。もっとも、彼らはそういう感覚で二色を並べたのではないでしょう。 8:09にホテルを出発。本日は、維西から麗江に向かいます。途中、私の希望した老君山に寄ってくれるといいます。私としては花が見られる最後のチャンスなので楽しみにしていました。この時は、まさか、別な老君山に連れて行かれるとは夢にも思わなかったからです(笑)。 維西から少し南下して、292号の山道を登ります。 峠の途中で土砂崩れがありました(9:20, 3160m)。通れないので自分たちで石をどけるしかありません。 反対側から来たトラックの運転手と、我々の運転手、それに烏里さんを含めた五人がかりで石をどかしました。私も手伝おうかと手袋まで出したのだが、かえって邪魔になりそうなので、写真を撮っていました(笑)。 眼下にこれから下りて行く、魯甸郷の集落が見えています。 道路脇に大きな石碑の建っている所でトイレ休憩です(10:02 2775m)。石碑には「封山育林区」とありますから、山への立ち入りを禁止して、森林保護をしているという意味なのでしょう。 山には写真下のシャクナゲなど、所々に花が咲いています。 写真上 Rhododendron decorum (『雲南のシャクナゲ』p.24) ここで一番目立ったのは、斜面にあったノイバラです。香りが素晴らしい。曇り空をすっきりさせてくれます。途中の道のあちらこちらにも咲いていました。 写真上 Rosa filipes (Guide to the Flowers of
Western China, p.282) ノイバラの下にはかなり大型のテンナンショウの仲間が生えています(写真下)。 写真上 Arisaema consanguineum (Guide to the Flowers of
Western China, p.528) 写真上左 Vistoria vivipapa (『ヒマラヤ植物大図鑑』p.662) 山の上から見えた魯甸郷に入り、ガソリンスタンドで給油です(10:18, 2470m)。 このあたりは周囲を山に囲まれた緑豊かな農村地帯です。 魯甸郷から山に入り、川に沿って降りていきます。 山を降りると、周囲には再び畑と農村が広がります。 やがて道は金沙江にぶつかり、そこから右に曲がり、金沙江に沿って226省道を南下します(11:06)。 川沿いに田園地帯が広がり、畑で農家の人たちが働いています(写真下)。 老君山まであと少し? 金沙江のそばにある中興という小さな集落で昼食です(11:32, 1850m)。 ここは小さな店と、通りに沿って露天が少し並ぶ程度の小さな街です。 中国では道端で肉の切り売りをしています。ブタの足がドンと置いてある(写真下右)。 ここにも耕耘機用のエンジンを積んだトラックや、三輪バイクがあります。いずれも改造車でしょうから、日本では走れません。しかし、日本は逆に改造車の規制が厳しすぎて、こういう産業の分野の芽をつんでしまっています。 車の下に隠れて、犬が不審そうに私のほうを見ている・・・いや、犬クン、私は犬は食いませんよ。 私は道路でちょっと気になる看板を見つけました。それが写真下です。「麗江老君山 黎明景区」まであと27.4kmとあります。老君山まで一時間もかからずに行けるということで、結構な話なのだが、私が気になるのがそのことです。 日本から持ってきた地図では老君山はもっと南にあり、とても一時間で行ける距離ではありません。それなのに、もう到着する?どういうことだ??私の不安は一時間ほど後に不幸にして的中するのですが(笑)、その前に食事を取りましょう。 「青思園」という食堂とは思えないような名前の食堂で昼食です(写真下)。たぶん、老君山の手前の街として人々が立ち寄ることを期待して建てられたのでしょう。まだ真新しい。 食事を終えて、老君山に向けて出発です(12:26)。道は舗装され、快適です。道の両側には山に囲まれた静かな農村風景が広がっています。石を積み上げたのか、茶色の壁が風景を作り出しています。 山を登るにつれて、周囲にはそれまでの土色の建物ではなく、赤い建物が目立つようになってきました。後でわかったのですが、これはこの地方から赤い石が採れるからのようです。 別な老君山 老君山に到着しました(12:52)。私の不安は的中しました。私が行こうとしていた老君山は海抜が四千メートルの高地なのに、ここは2154mです。車が到着した場所も、私が他の人の旅行記で読んでいたのとは全然違います・・・ガーン。 石碑には「国家地質公園 雲南玉龍黎明・老君山」とありますから、ここも間違いなく老君山だが、私が行こうとしていた老君山とは別な所です・・・私の顔は青ざめていた。 老君山に行くことを提案したのは私でした。烏里さんが計画した当初の旅行には老君山を訪問する予定はなく、今日はこのまま麗江に直行することになっていました。私は「自由時間に老君山に行きたいので、車を出してもらえないか」と烏里さんに申し出たところ、「運転手に聞いたら、麗江に行く途中で老君山に寄ってくれると言っている」ということになったのです。 私は皆さんに、「老君山ではシャクナゲが見られると思う」と自信たっぷりに宣伝していました。 老君山と言っても一つの山ではなく数百キロにもわたる雲嶺山脈の総称です(写真上)。主に三つの地域に分かれ、北部の新主には新主横断山天然植物園があり、南部の九十九龍譚は花や高山植物で有名です。新主は、午前中に通過した近くではないかと思うのですが、調べてもどこにあるのかわかりません。烏里さんがここの事務所からもらって来た地図を見ても、老君山として黎明から九十九龍譚までが載っているだけで、新主は載っていません。 私が行こうとしていたのは九十九龍譚で、日本から花を見に老君山に行くというと、この南側の九十九龍譚を指します。一方、この黎明景区は写真下の案内板のような奇岩を売り物にしている地域で、私のように花を目的している人が来るところではありません。 私は黎明景区の事は知らないから、老君山と言えば九十九龍譚だと思い込み、烏里さんも老君山は初めてで、運転手は老君山というから黎明景区のことだろうと立ち寄ってくれたというわけです。 私はあきらめずに烏里さんに何とか花を見られる場所はないのかと聞いてもらいました。すると、写真下左に写っているバギーカーのような車に乗れば花の見える所まで案内してくれて、料金は3万円だという。 3万円という数字を聞いて、私はまた顔が青くなった(笑)。しかし、ここまで来て、3万円をけちって、花が見られないならバカみたいです。私は大枚3万円を汗ばんだ手で握りしめて、行くことを烏里さんに申し出ました。ところが、往復に5時間かかるという。ここに戻ってくるのは夕方です。私は麗江に夜中についてもかまわないが、他の人たちはそうはいきません。ついに私はあきらめました。 往復に5時間かかるという話から、シャクナゲで有名な金糸場のことかもしれません。いずれにしろ、ここからはかなり遠出しないと花は見られないということです。 ぼやいても始まりません。せっかく来たのだから、ここの名物を拝見しましょう。まずはトイレです。写真下がトイレで、ここの赤い石で作られたきれいなトイレです。 駐車場から歩いて行くと紅石街というしゃれた名前のついた通りがあります(写真下)。観光用に赤い石で新しく作られた通りのようです。賑わいもないし、店も大したことがないし、なによりも、街並みに美しさがない。せっかくなら、名前どおりに赤い石を全面に出して統一して作ればいいのに、妙に麗江の古城などを意識したような木造家屋が多く、中途半端な作りです。 通りは人は歩いていないが、牛が歩いている(写真下左)。通りに面して小学校もあり、こちらは赤い石で作られています(写真下右)。街全体をこの小学校のように作れば良いと思うのだが、とにかく中途半端です。 売り物なのか、ただ乾かしているのか、籠に入れられたキノコが並べてあります。写真下右は何か植物の枝のようです。 烏里さんが駐車場にあった電気自動車を連れてきました(写真下左)。これで岩山を見物するようです。まずは、紅石街から川を渡り、東に登っていきます。 展望台に着いて周囲の岩山の写真を撮りました。岩山には何か名前がついているようですが、見ての通り、特にものすごくきれいだとか、すごいということもなく、ただの岩山で私はまったく興味が持てないので、紹介は手抜きします。 観光地といっても、元々集落のあった所が観光地になったので、あちこちに畑と農家があります(写真上)。 展望台の周囲に少し花が咲いています。しかし、探すのが大変なほど花はありません。 写真上 Ophiopogon bodinieri (Guide to the Flowers of
Western China, p.560) 写真下は野草というよりも、野菜の花のように見えます。 道を引き返し、今度は南に向かいます。しかし、風景は単調で、周囲は岩山が続くだけです。 途中の家々はどこも赤い岩が使われ、周囲の岩山と良く合い、全体として統一感があります。岩山よりも家のほうが絵になります。 電気自動車の運転手のお姉さんは車の運転が乱暴です。周囲の風景を見せる遊覧車なのだから、ゆっくりと走るべき所を、きつい坂でカーブもあるのに速度を上げて走りますから、つかまっていないと危険です。 彼女の態度は「こんな面倒な仕事、早く終わりにして、帰りたいのよ」というところです。二十年くらい前の中国では店員が釣り銭を投げてよこしていたから、さして珍しくもなかった態度ですが、最近はさすがに減りました。しばらくぶりでこういう中国人に会いました。もっとも、彼女は僳僳族という少数民族です。 車を停めて、運転手お姉さんが何か岩山の説明をしています。ここで一番有名なのは、千亀岩といって、亀がたくさん集まったかのように亀裂の入った岩山のようですが、そこには行きませんでした。 ただの岩山よりも、私は人家のそばにあったタチアオイのほうが良い(写真下)。 岩山を除けば、周囲は農家と畑が広がる農村風景です。ただ、農村風景も、ここに来る途中のほうが絵になる景色が多かった。 犬君たちは車の運転手のお姉さんのように無愛想ではありません。 川のそばの建物が終点です(写真下)。しかし、結局ここが何なのか、また何のために休憩するのかも良くわからない。ここは樹木が多くて、岩山も良く見えません。もしかして土産物屋があって買わせるために連れてきたのだろうかと行ってみましたが、写真下右のように建てかけの家屋が放置されたままで、何もありません。私の推測ですが、単に舗装された道路の終点なのではないかと思います。つまり、ここから先は電気自動車では行けない。 私は、別な老君山に連れて来られ、花もなく、つまらない岩山に相当にがっかりし、肩を落としていたのでしょう。藤尾さんが、四つ葉のクローバーを見つけてプレゼントしてくれました(写真下)。 黎明景区の印象は、私の花が見られなかったというガッカリを抜きにしてもイマイチです。この地域のセールスポイントを間違えている。彼らは観光資源が岩山だと思っているが、桂林や石林という奇岩に比べたら、最初から勝負になりません。 岩山だけでは勝負できないのだから、デザイナーを招いて紅石街など村全体を赤い石で統一して、写真を撮ってみたい、一晩泊まってみようかと思うような風景を作り出すことです。赤は中国人の好きな色だからうけるでしょう。 また、岩山の一つに遊歩道をつけて、頂上まで登れるようにして、頂上には地元の神様を祭った社と展望台を作り、そこから岩山群を一望できるようにするのです。高い所には誰でも登りたがるから人気スポットになります。 この方法で桂林で観光客を集めた日本人がいることがテレビで紹介されました。興坪という村で老寨山旅館を経営する林克之さんは、老寨山に石段を作り、桂林の風景を上から展望できるようにしました。上から桂林の風景を眺めるというのはこれまでになかったそうで、興坪を訪れる観光客が激増しました。 こんなふうに素人が考えても、まだまだ努力が足りないなあというのが黎明景区への印象でした。 岩山しかなかった黎明景区を後に、車で昼食をとった中興まで戻ります(14:51)。 中興から右折して省道226号に戻り、金沙江の農村地帯を見ながら南下します。 近すぎてよくわからない長江第一湾 写真下が長江第一湾と呼ばれる風景です・・・と紹介されても、ただの大きな河にしか見えません。写真の左と右を見ていただくとわかるように、ここで河の流れがV字に向きを変えているのです。 写真上のやや右側に三角の山があります。三角山のちょうど左側から流れてきた金沙江が、ここでUターンして、三角山の右側の奥の方に向かって流れていくのです。いや、こんな説明よりも、下の衛星写真を見てもらうのが一番わかりやすい。 写真下の衛星写真の水色の河が金沙江です。河は左上から流れて来て、長江第一湾でV字に向きを変えて、右上のほうに流れていまきす。 我々はこの金沙江の上流にある奔子欄から塔城あたりまで車で走りました。その南下していた金沙江がここで急に向きを変えて、北上します。6月4日に麗江から香格里拉に行く途中で虎跳峡という観光地で昼食をとりました(衛星写真下)。あれがここから北上する金沙江です。 やがて金沙江は長江という名前になり、上海あたりで太平洋に注ぎ込みます。なんとも雄大で大陸らしい話です。 これだけの観光名所であるにもかかわらず、ここにはトイレと小さな屋台が道路のそばにあるだけです(写真下)。理由は簡単で、河が近すぎて曲がっているのがよくわからないからです。だから、長江第一湾を見物する時は、この南側にある山の上から見ます。そこは観光地になっており、有料の展望台もあると他の人の旅行記にあります。 ここからでは絵になりませんから、トイレが終わったら、出発しましょう(16:09)。 車は、向きを変えた金沙江の流れに沿って少し北上し、途中から麗江へと省道308号を進みます(写真下左)。 ここは二日目の6月4日に通った道です。乾いた峠を越えて(写真上右)、田園地帯を東に進みます(写真下)。 麗江古城客栈 麗江市内に到着(17:25, 2390m)。麗江は新旧の入り交じったきれいな街です。 麗江は麗江古城という古い街並みを保存して、観光地になっています。客栈(宿)のある麗江古城の中には車が入れません。客栈までは駐車場から数百メートルほど距離があり、スーツケースはリヤカーで荷物を運ぶ仕事の人に頼みます(写真下左)。写真下右のちょっと寂しそうな犬クンは運送屋ではありません(笑)。 古い街並みの迷路のような石畳の道を通って、本日の宿である客栈「隆中草堂」に到着(写真下)。客栈とは宿のことで、麗江古城などにはたくさんあります。ホテルほど立派ではないが、古い建物をうまく使い、雰囲気の良い宿がたくさんあると聞いています。ここは1995年から営業しています。つまり、わりと新しい。 この客栈は古城の中心である四方街からも近く、地の利はとても良い。目の前にある小石橋は麗江古城の通りの一つに面しています(五一街兴仁下段19号)。小石橋とは写真下にあるように、言われないと気がつかないほど小さな石の橋です。写真下は人のいない早朝に撮ったが、日中から夜にかけて普段はここを大勢の人たちが通り過ぎます。 麗江古城の客栈は値段が高いことや車が入れないこともあり、普通のパックツアーなどでは避けるようです。でも、麗江古城に来たら、やはり古城内の客栈に泊まってみるべきです。 写真下左は客栈の入り口から通りまでの歩道です。これが宿の入り口です。その道も砂利で作った細かな模様でできています(写真下右)。 ここの入り口の雰囲気は昼よりも夜が良い。写真下は通りから見た客栈の入り口で、左側は隣の家の建物があり、右側は川で、柳らしい木が生えています。 ここだけでなく、客栈の多くは中国的な美しさがあります。写真上左の通路から建物にはいるとすぐそこが受付のカウンターになっています(写真下左)。その向こうは中庭です。中庭へはドアも何もありません。つまり、カウンターは吹きさらしです。こういう作りを見ると、外に対しては泥棒対策がしっかりしてあるから、泥棒が多いが気候はとても穏やかなのがわかります。 写真下右がこの客栈を切り盛りしている方です・・・もちろん、子供のほうではなくオバチャンのほうです。 建物は一階が「口」の字、二階が「コ」の字の木造です。受付を通過すると、「ロ」の字の真ん中の中庭があり、客室は一階と二階に中庭に面して作られています。もちろん、エレベーターなどありませんから、スーツケースは狭い階段を運転手さんたちが持ち上げてくれました。 建物が取り囲んでいる庭には噴水があり、チベット仏教の菩薩がレリーフになっています(写真下)。刀を振り上げている姿は文殊菩薩のようだが、手が4本あり、弓を持っていますから、違うかもしれません。 私の部屋は二階です。二階は中庭に面して通路があり、そこに椅子などが並べられていて、くつろげる雰囲気です(写真下)。各部屋はすべてこの通論に面しています。 写真下左は部屋の中からドアを開けて通路を見たものです。 瓦屋根の先端が尖っているのがいかにも中国らしい。あちらこちらにブーゲンビリアが咲いています。 写真下左の部屋のドアは彫りが入っていて重厚です。ただし、日本的な感覚から見ると立て付けが悪く、きちんと閉まらない。 写真下は部屋のドアの鍵で、菩薩が彫られています。菩薩の姿が一つ一つ違うのもおもしろい。 部屋は木目の板が張られ、豪華な雰囲気はありませんが、清潔さはあります。電気の一部が付きません。立て込んでいるので窓の外の眺めはそれほど良くないが、隣の家のブーゲンビリアがきれいです(写真下右)。 部屋の奥右側がバス、トイレです(写真下)。バスタブもついています。しかし、バスタブ用の蛇口からお湯は出ません。結局、別途取り付けてあるシャワーを使うことになりました(写真下右)。 写真下は床の排水口です。こんな所まで花模様が彫ってあり、妙に感心しました。 設備は一通りそろっており、問題ありません。ガラスコップは汚れていますから、使いません。水やカップヌードルは有料です(写真下右)。 夕方の麗江古城 七時頃、食事のために古城内に出かけました。どこもここも観光客が溢れかえっています。人が多すぎて人を入れずに写真を撮るのは無理です。 麗江古城の特徴の一つが水路です。古城の至る所に水路があり、川が流れていて、それがきれいな風景を作り出しています。水と緑と石作りの街が調和しています。 四方街など軽く一周して、大石橋の近くのレストラン「古城四方街第一餐庁」で夕食です(写真下)。 食事をしていると歌の売り込みがありました。私が頼んだわけではないのに、いつの間にか私が30元を払うことになりました(写真下左)。しかし、彼が歌手として生きる道はなかなか険しいでしょう。 夜の麗江古城は大騒音 食事が終わり、客栈に戻りました。すでに九時を過ぎていますが、人通りも多く、麗江古城はこれからです。スリなどを除けば、それほど危険性はなさそうなので、私は古城を一回りしてみることにしました。カメラをぶら下げている人も多いので、ここでは目立ちません。 客栈から大石橋を通り四方街まで出ました。周囲の建物がライトアップされています。もちろん、お祭りさながらに人が多い。 烏里さんによれば、ちょうど大学受験の統一試験が終わったばかりなので、若者たちがいっせいに街にでたようでした。日本と違い、中国の新学期は九月ですから、六月の今頃に選抜試験があるのでしょう。 四方街から水車のある玉河広場までの通りはものすごい大騒音です。若者の集まる店があり、店同士が他店に負けじと大音量で生演奏をしています。私はこの通りを「大騒音通り」と名付けました・・・そのまんまだ。 写真から音が出ないのが幸いで、耳をつんざくようなすごい音です。店はドアや窓などという物はなく、外から丸見えで、当然、店内の音もそのまま外に出ます。中国では大きな声、大きな音を出したほうが勝ちらしい。外にいてこの騒音なら、店内ではどれほどの騒音かと思うが、若者たちがたくさんいます(写真上)。 「大騒音通り」では、民族衣装をつけたお姉さんたちが客引きをしています(写真上下)。 大騒音を追い立てられるようにくぐり抜け、水車のある玉河広場までくると、「世界文化遺産」という看板の前で記念撮影する多くの客がいます。彼らの影が壁に映っています(写真下)。もっとも、ここもものすごい人混みで普通の意味での騒音はすごい。あまりの喧騒に早々に退散。 大騒音通りを避けて、並行している道を通って四方街のほうに戻ります。川に柳があり、風景は静かなのに、音はうるさい。 こんなに人が多く混雑しているのに、ばったりと烏里さんに会いました。烏里さんがコーヒーを飲んでいこうというので、喫茶店に入りました。有名な雲南コーヒーを飲んでみると、濃いがまろやかな味なので、後で私は雲南コーヒーを豆で買いました。コーヒーは私が20元(280円)でした。 雲南コーヒーはスターバックなどでも用いられているといいます。雲南コーヒーは土産物としてパックではあちらこちらで見かけましたが、日本でも売られているようなコーヒー豆で売っているのはほとんどありません。烏里さんが水車の近くのコーヒー専門店を教えてくれたので、そこで買いました(写真下右)。 入った店は通りに面したおしゃれな感じの喫茶店です(写真下)。騒音も少ない(笑)。店には若者がおり、熱心にパソコンに向かっている。烏里さんに聞いてみると、客は無線ランが無料で接続できるようです。我々の泊まっている客栈はネット接続ができません。麗江のような大都市の宿でネット接続ができないなんて、まだまだです。 店を出ても、あたりは人混みがあり、街はこれからのようです。 11時すぎに客栈に戻ると、川縁に赤い提灯がついています(写真下)。泊まり客はここでくつろぐのでしょう。しかし、誰もいない。 ロビーや中庭に灯りがつき、ここにも誰もいない。先ほどの雑踏と対照的で、とても奇妙な感じです(写真下)。 二階の私の部屋まで先ほどの大騒音通りの大音量の音楽が聞こえてきます。私は先ほどコーヒーを飲み、さらに騒音がひどいのに、老君山のショックで疲れ切っていたせいか(笑)、すぐさま眠ってしまいました。 トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 |