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表紙 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10・11 ペルー・アンデス めおとプヤの最期 3日目 2025年5月9日(金) キルカイワンカ渓谷 今日はワラスの東にあるキルカイワンカ渓谷(Quilcayhuanca valley)に花を探しに行きます。下の地図のように渓谷はワラスのそばで、標高が3850mですから、昨日の湖とそれほど変わりません。昔の岩絵があるというから、ちょっと楽しみです。
ホテルの周囲 7時から5階の食堂で昼食です。私の部屋は2階、一部のお客さんは1階で、エレベーターがないのでここまで階段を上がるしかありません。ワラスは標高3052mで空気が薄いなか、朝晩、上り下りするのはなかなかしんどい。逆にこれを毎日すれば、健康には相当な効果があるでしょう。
五階の食堂からは最高峰のワスカランが見えます(写真下)。乾季に入りつつあるので、今日も晴れて天気はよさそうです。
出発が8:30だというので、私はホテルの南側を散歩しました。住宅街で、いくつか店が開いています(写真下)。
写真下は日干しレンガのようで、雨の少ない地方なら十分に耐久性があるそうです。こういう壁がちょっとうらやましいのは、遮音効果がすごいだろうという点です。日本の建築物は騒音に対していい加減で、安アパートでは隣の部屋の音が丸聞こえです。
街の道路の多くは車道と歩道が分けられ、歩道が一段高くなっています(写真下)。歩行者には安全ですが、写真下右のように、家の高さに合わせて高くなるので、歩きやすくはありません。
写真下左のように、建物の扉が歩道側に開くようになっていると、歩いている時、ドアを開けられるとかなり危険です。
写真下左はインカの遺物か・・・いや道端に放置してあるから、犬クンと同じで現代物でしょう。
荷物を運ぶための三輪車です(写真下)。タクシーは街中でも良く見られるが、荷物用の三輪車は少ない。写真下右の青い車など、私の子供の頃に走っていた「オート三輪」で、マツダのT2000と似ていて、なつかしい。
タチアオイが盛りです(写真下)。気温が低く、乾いた環境が好きな植物なので、湿度の高い日本にはあまり向きません。
ホテル出発 本日はバス1台で出発です(8:41)。座席から窓の外を見ると、歩道で犬が朝寝を満喫している(写真下右)・・・この犬、痩せてる。お前、生きているよな?
ジグザグの道を登っていくと、両側には集落があり、トウモロコシ畑などが広がっています(写真下)。
写真下左では、「早く、こっちに来てよ」「ヤダ、小川があるからいけない」「さっき自分で渡ったじゃない」「ダッコしてくれなきゃ、ヤダ」などという会話があるかどうか、わかりません。
最初の花の観察 バスを停め、最初の花の観察です(9:20、写真下)。
バスから降りて、いきなり名前のわからない植物です(写真下)。
写真下は花がきれいなこともあって、庭用に販売されています。ペルーと隣接するエクアドルやボリビアなどに分布します。アロンソア(Alonsoa)の仲間はメキシコから南米にかけて分布する植物です。
写真上 Alonsoa
linearis 写真下は昨日も群落していたロベリアの仲間です。
写真上 Lobelia
tenera
写真下はニワゼキショウの仲間で、生成AIが推薦した名前です。
写真上 Sisyrinchium
pusillum 写真下は見るからにルピナスなのに、名前がわかりません。昨日も書いたように、ルピナスは作物として植えられているので、近くに畑がある所では、その種が広がった可能性があるからです。
途中の畑のそちらこちらに赤い作物が見事に生えていると感心していたら、雑草だそうです(写真下)。
それが写真下のタデの仲間で、『ブランカ山群&ワイワッシュ山群の花々』によれば、私の畑にも生えているヒメスイバで、これはユーラシア原産で、明治以降に日本にも帰化しています。ここでも外来種で、ちょうど畑の所だけに大規模に広がっていますから、人間の耕作が彼らを広げていることになります。
写真上 Rumex
acetosella 先住民の丸い家 谷川の近くに丸い屋根をした家が建っているのが何ヵ所かで見られました(写真下)。遊牧をする先住民の家だという。石を積み重ねて円を造り、その上に傘をかぶせるように植物で屋根を覆っています。四角い家が生活しやすのに、丸いのは屋根をふくのが簡単だからでしょう。洗濯物が干してありますから、実際に生活しています。
ここに彼らが家を建てた理由がそばにある小川です。同時、両側が切り立った谷で、この小川の先にある本流は大雨が降れば増水しますから、危険と隣り合わせです。水害を避けるためか、道とは反対側の山の斜面にも家が見えます(写真下右)。ただ、屋根がだいぶん壊れているので、廃屋かもしれません。
下の衛星写真はこの近くの地面で、網目模様になっているのは家畜を囲うための石垣です。これだけの石垣を作るのに、どれほど時間と労力がかかったことでしょう。細かく区切ってあるのは、羊が草を食べつくす前に他の区画に移動させ、草が成長するのを待つ養生のためでしょう。
その一つが写真下で、石垣があって、羊が外に出られないようになっています。
公園入口に到着 標高3850mにあるワスカラン国立公園の入口に到着(写真下、9:47)。一般車両が入れるのはここまでです。私たちはこれから毎日ワスカラン国立公園の違う入口に行きます。別々の名前を付けるか、番号を付ければわかりやすいのだが、写真下右のように、どこも「ワスラカン国立公園の入口」です。
屋根付きの鉄の門が設けられ、右隣に家畜を通すための小さな通路があります(写真下)。ここから先は国立公園だが、先住の人たちが放牧地として使っていたので、今でも認められています。
人間は石垣にかけられた梯子を使って公園内に入ります(写真下左)。どこからか「案内してやるよ」と犬もやってきた(写真下右)。
パラグライダーとゴジラ 花を探す前に、南側にある岩絵を見に行くことになりました。写真下左の大きな岩の、さらに後ろにある岩に描かれています(写真下右)。
指さしている現地ガイドの井瀬さん(仮名)と比較しても、かなり大きな岩絵です(写真下)。いったい何を表しているのか?両手を挙げた人間の頭の上に、同心円の輪が描かれ、その上に炎が吹き上げたように見えます。またこの同心円の左にも小さな人間のような姿が描かれています。
色彩を強調してもなんだか、わからない(写真下)。同心円は赤い線が4本、その間に黄色い線が3本見えます(写真下右)。黄色い線は他の色が退色した可能性や、他の部分の岩が黄色く汚れているので、汚れの一部ともとれるが、これも同心円状です。 人間の股間の下に赤い染料を塗ったような跡があるのは、相撲で化粧まわしをするように、長い布を垂らしていたでしょう。
左側に小さく描かれた人の姿に(写真下左)、皆さんが首をかしげている中で、珍説名人の私はすぐにわかりました。パラグライダーです(写真下右)。ここは山が険しく、上昇気流も発生しやすいから、彼らは空を飛んでいた!
一説では、写真下左の同心円の丸は太陽だというのです。この説で問題になるのは、では、太陽の上から出ている炎のような物は何なのかという点です。 これも珍説名人の名に恥じることなく、私はすぐにわかりました。炎のように見えるのは炎で、これは火を吹く大道芸であることは火を見るよりも明らかです(写真下右)。
実はここに描かれたのは人間ではなく、ゴジラです。股間に赤く塗られた部分はゴジラのシッポで、これはゴジラが太陽に向かって火を吹いている光景で、南米にはゴジラがいたという決定的な証拠です! オフザケはこのくらいにして、戻って、花を探しましょう。 牧場公園の草花 写真下は岩絵から公園内の谷の風景で、左が入口、右が上流の谷の奥です。写真下右に石垣が見えるように、元々が放牧地ですから、国立公園というよりも、牧場に咲いている花を見ることになります。
最初は、牛に食われて背の低い草花しか生えていない地面近くの花を見ます。
昨日も見た背の低いタンポポの仲間です(写真下)。苦いから牛は食べないのだろうか。タンポポの若葉はサラダに使えるし、根はタンポポ・コーヒーとして私も飲んでいます。
写真上 Paranephelius
ovatus 写真下は白い花でメキシコからアルゼンチンまでの広い範囲に分布します。“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”では花弁の裏側が赤くなっていますが、ここのはほぼすべて白です。
写真上下 Werneria
nubigena
写真下も昨日、道端で良く見た花です。似たような種類が多く、判断が難しいが、“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”に従います。
写真上下 Bidens
andicola
添乗員が強い口調で集合をかけたので、このまま谷の奥にハイキングに行くつもりかと思ったら、違った。
写真下はいかにもキンポウゲの仲間で、かわいらしい。“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”に載っているのはRanunculus
praemorsusだけで、メキシコから南米にかけて分布します。しかし、写真下は背が低いのに、R.
praemorsusは花の茎が立っています。動物に踏まれるような環境に適応したともとれるが、土手に生えていたのも背が低い(下段の左)。私の目には同じ種類には見えません。
写真下は上とは花の開き具合が違うし、葉は似ているが、これも微妙に違う。生成AIはピント外れな候補しか出せず、可愛いキンポウゲたちは名無しです。
フデリンドウのような小さなリンドウで、花の直系は1cmもありません(写真下)。中米のコスタリカからペルー北部に分布するというから、ここは南限のようです。
写真上下 Gentiana
sedifolia
写真下もリンドウに属するGentianellaの仲間でしょう。“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”にもこれとよく似た花がGentianella
nitidaであると掲載されています。ところが、生成AIは断固として違うと主張しました。かわいい姿なのに、また名前がわからない。
写真下も同様で、生成AIの返事は似ても似つかない花を提案してきました。
写真下は印象だけでいうなら、日本のゲンノショウコに良く似ています。
写真上 Geranium
sessiliflorum 写真下になるとほぼ名前がわかりません。3つとも似たような外見なのに、たぶん別種です。
やっと名前のわかる草花がオオイヌノフグリとは情けない(写真下左)。欧州や西アジア原産で、南米にも帰化していますから、ここにあってもおかしくありません。写真下右はまたしても不明です。
写真上 Veronica
persica 写真下は、花が下を向いているので花が終わって散りかけているような姿ですが、これが最盛期です。花の中は複雑な構造をしています。“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”によれば、トゲがすごいから気を付けろとあります。
写真上下 Loasa
grandiflora
写真下を見た時、上と同じだと勘違いしました。しかし、写真上は草花で、写真下は樹木です。生成AIに質問しても、全然外見の違う花を推薦するなど、お話にならない。まだ成長期なのでしょう。 写真下左が横から見た姿で、花は下を向いており、その内側が写真下右です。変わった姿で、5枚の花弁の内側のそれぞれにオシベらしいのが黒い点々で見えます。中心部の柱と囲むように付いているのがメシベ?
樹木の花 日本に比べると、樹木の花が多い印象です。それも、日本なら草花と同じような花が樹木に咲いています。 写真下は花だけ見るとアキノキリンソウなどキク科の草花に見えるのに、実は樹木で、それもかなり背が高く、青空に真っ黄色に咲いています。“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”ではGynoxysの仲間であるが、名前はわからないとあります。生成AIは6種類ほど候補をあげてくれましたが、わかりません。
写真下を撮っている時は、写真上と花がそっくりなので、背が低いだけで同じ種類だと思っていました。ところが、写真上は葉が楕円形で、写真下はヒイラギのようにギザギザの付いた葉で「別人」です。生成AIは、ワスカラン国立公園には非常に多くの固有種や近縁種があるので、名前どころか、属すらも特定できないという返事でした。
写真下はきれいな藤色の花で、印象だけでいうならシオンに似ていますから、これもキクの仲間でしょう。ところが、これも草花ではなく、高さ3mくらいの樹木で、ペルーにだけ分布する固有種です。
写真上下 Diplostephium
azureum
写真下の学名dombeyanaをそのまま読むとドンベーヤナとなり、日清のカップ麺の「どん兵衛」を連想します。だから、この可愛い花を次回見た時、「どん兵衛やなあ」と先にカップ麺を思い浮かべるでしょう。
写真上下 Barnadesia
dombeyana
写真下のマメの仲間は全体に神経毒を含み、連続して食べた馬が蓄積毒で死ぬこともある一方で、石鹸として役立つそうです。
写真上 Astraqalus
qarbancillo もう終わり? 先ほど、添乗員が強い口調で集合をかけたので、私はてっきり谷の奥までハイキングするのかと思ったら、公園内にいたのは岩絵を含めて約2時間、下の地図の赤で囲んだ平地を散策しただけで、公園入口からみても500mほど進んだだけです。
写真下左の奥が谷の上流です。入口が標高3850m、谷奥の標高4000mは9km先ですから、ほとんど平らで、歩くのは楽です。谷は川沿いに真っ直ぐで、この天気で迷うはずもなく、また家畜の獣道があるから(写真下右)、歩きやすいはずです。谷の奥のほうが荒らされていないだろうから、良い被写体が見つかる可能性も高い。 この日は時間的にも余裕がありました。実際、ホテルに戻ったのは4時すぎで、この公園をさらに2時間くらい散策できたはずです。これだけ素晴らしい景色を目の前にしながら、その気はないらしい。
これだけの自然公園の中に入りながら、たった2時間、入口近くのたった500mほどしか進まなかった理由の一つが昼食です(写真下左)。昼食をガイドが運ぶのが大変だから、入口に停めた車の中に置いたままなので、戻って公園の入口近くで食べるというのです(写真下右)。バスから降りる時に最初から各人に渡せば、道端よりも公園内で食べるほうが楽しいし、時間的な効率も良く、客は選択できた。
時間がもったいないので、私はパン一つを口に放り込んで、残りをリュックに詰め込み、容器を返し、公園入口近くの道端の花を探します。 写真下を、“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”ではSatureja
ellipticaとしていますが、現在はMicromeria
ellipticaとなっているだけでなく、そのどちらもネットで見ると写真下に似ていないから、生成AIは断固として違うと主張しています。
写真下は昨日も見かけたハハコグサの仲間で、日本のハハコグサに比べて、背が高く、花もさえません。
固有種のパッションフルーツ 食事の後、花を探して車を停めながら、来た道を引き返します。モラレスさんがペルーの固有種を見つけました(12:54、写真下)。野生のパッションフルーツだという。 KEW植物園の解説によれば、ペルー原産とあるが、『ブランカ山群&ワイワッシュ山群の花々』では固有種とはありません。
写真上下 Passiflora
trifoliate この花は公園内にもあったが、蔓なので、高い樹木にからみついていて、高嶺の花でした(写真下)。
KEW植物園の説明では、湿った場所を好むというが、ここでは写真下のように、手をのばせば撮れる位置にあって、特に湿気が多いという印象ではありません。
ツボミが首を長くのばして葉から突き出て(写真下左)、それから花が開く(写真下右)。首を長くするのは、少しでも茂みの外に出て、虫の目にとまるようにという作戦でしょう。
花が終わると、赤い花弁はしおれて、すでに中から実が見えます(写真下左)。実はどんどん大きくなり、縦に4つに分かれているように筋が見えます(写真下右)。
ところが花弁もなくなり、実が熟する頃には、小さなナスみたいに全体が丸みを帯びて筋が目立たなくなります(写真下左)。先ほど公園内でこの花を撮影した時、花の上にナスのような実がぶら下がっていたので(写真下右)、この植物の実かどうかわからなかったが、間違いなくこの花の実です。花を咲かせながら、実がなっています。
写真下は、この後通過した集落の道端に生えていたパッションフルーツです。花はピンク色で、何よりも実が緑色です。私がこれまで店で見たバッションフルーツは写真上のような色で、ネットで見ると、黄色もあり、後日、メキシコの市場で黄色いパッションフルーツを見かけました。
道路脇の草花 もと来た道を戻りながら、所々で車を停めて花を探します(写真下)。
写真下のリンドウの仲間はペルーの固有種であり、さらにこの地方(Ancash)の固有種です。そういう御立派な肩書がなくても、印象だけで言うなら、日本のカワラナデシコのような雰囲気です。
写真上下 Gentianella tristicha
井瀬さんが崖を登り花を撮るのをモラレスさんが撮り、それを私が撮る(写真下左)。
写真下を最初見た時、日本のトンボソウのような緑色のランかと思ったら、リンドウの仲間だという!見慣れないのも当然で、日本ではハナイカリ属(Halenia)はハナイカリという1種類しかありません。
写真上下 Halenia
umbellate
写真下のシダは幾何学的な姿が背後の岩肌と良くにあう。日本にもあるチャセンシダで、ペルーはもちろんのこと世界中に、こういう高山にも生えるようです。
写真上 Asplenium
trichomanes 写真下は、生成AIが出した候補はCastilleja
vadosaでした。もしそうなら、ほぼペルーの固有種です。しかし、ネットで検索した写真の花の色があまりに違うので、確定できません。
写真下も“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”『ブランカ山群&ワイワッシュ山群の花々』の両方に載っているのに、名前はわからないとあります。生成AIが推薦した2番目を採用しました。
写真上 Castilleja
arvensis 写真下の花は“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”などによれば、コロンビアからペルーにかけて標高3800~4500mに生えるそうです。学名が長くて読みにくいわりには、小さくて素朴な花です。
写真上 Arcytophyllum
thymifolium 写真下は、“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”ではVilladia reniformisとなっていて、両者は同一です。
写真上 Sedum
reniforme (Villadia
reniformis) ブランカ山群の雪山 花を探した斜面からはブランカ山群の雪山が見えます(写真下)。北東に見えるのが写真下左のChurup(標高5493m)で、今日行ったキルカイワンカ渓谷の北側にある山です。
写真上 Churup(標高5493m)
南東に見えるのが、写真下の左からHuamashraju(標高5,434 m)、Cashan(標高5,716m)、Shacsha(標高5,703 m)です。
ブランカ山群には、山群というくらいで山だらけで、しかも富士山のようにどちらから見てもだいたい同じなのと違い、見る方角で山の姿がかなり違います。ここと同じ方向から撮った写真だとはっきりわかるのはChurupのみで、他の3山はこの方角から撮った写真が少ない。
写真上 Huamashraju(標高5,434 m) どれもこれも尖がった山ばかりで、登山家たちの征服欲を大いにかきたてるだろうから、山一つ一つについて細かく調べた一覧表があるのではないかと検索したが、探せません。この傾向は花についてもいえることで、日本人が一つのテーマを徹底的に追及するオタク気質が強いのに、ペルー人はどうも違うようです。
写真上 Cashan(標高5,716m)とShacsha(標高5,703 m) 雪山の麓であるここは、道をはさんで下のほうは畑で、私たちのいるあたりは原野になっています(写真下)。樹木がそちらこちらにあることから、元々こういう姿ではなく、森林を切り開いて、牧草地とした後で放置したように見えます。
写真下は昨日も出てきたカルセオラリア属(Calceolaria)で、“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”、『ブランカ山群&ワイワッシュ山群の花々』のどちらも掲載されているのに名前は不明だというだけでなく、生成AIに撮影場所を指定しても、候補すらあげてくれません。 今回は素人の強みで名前を独断しました。昨日のカルセオラリアは花の中が赤かったが、ここのはほぼありません。
写真上下 Calceolaria
nivalis
写真下は特徴ある姿で、“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”にも掲載されているのに、Bartsiaの仲間とあるだけで、名前がわかりません。生成AIが提案した名前で検索しても該当する写真が出てこない。
写真上 Bartsiaの仲間 写真下はアヤメの仲間で、花が小さいわりには背が高く、写真が撮りにくい。ペルーからアルゼンチンにかけて分布します。ネットで見ると、薄紫もあるようですが、“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”『ブランカ山群&ワイワッシュ山群の花々』のどちらの本にも白が載っていますから、ブランカ山群では白のようです。
写真上 Orthrosanthus
occissapungus 写真下は、日本にも帰化しているバーベナで、原産地はメキシコからペルーというから、ここでは外来種ではありません。
写真上 Verbena
litoralis
写真下は花が咲き、同時に茶色の実がなっていて、メキシコからアルゼンチン北部まで広い範囲に分布します。日本の高山植物のアカモノ(Gaultheria adenothrix)にそっくりなのに、両者は属名が違っています。実は同じらしい・・・煩雑なだけで無意味なので、学術的な分類には素人は首をつっこまないことにしています。
写真上 Pernettya prostrata
タテハチョウの仲間が地面に停まっていて、「撮る間だけ動かないでくれ」と頼む(写真下)。
写真上 Junonia
evareteまたはJunonia
genoveva
何万年かぶりの再会 集落の中まで降りて来ました。ここは一年を通して、あまり気温差がないから、家畜にとっては楽でしょう(写真下)。これから乾季になるので、洗濯物を干すのも楽です。
昨日と同じで、ここでも農作業は女性ばかりが目につきます(写真下)。いったい、男どもはどこで何をしているのだ?
斜面の村の途中で車を停めました。写真下左の樹木から花がぶら下がっているのはハンノキの仲間で、メキシコからアルゼンチンなどの山岳地帯に分布します。 写真下右はオシベやメシベが花弁の外に突き出ている特徴ある姿なので、簡単にわかるかと思ったら、生成AIは園芸品種ではないかという。ここは人家の近くですから、ありえないことではない。
写真上 Alnus
acuminata こういう集落は花よりも人がおもしろい。何万年か前、彼らの先祖は私たちの先祖と分かれて、ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡り、アメリカを南下してアンデス山脈に到達した。何万年かぶりに再会したことになり、「やあ、お久しぶり」です。
市場に行こう 4時頃にホテルに戻り、夕飯は7時なので、ほぼ3時間空いています。私はすぐに昨日と同じ市場に出かけました。行き方や時間や雰囲気もわかっているので、楽です。
中央市場の手前の道路を、昨日と同じようなシャクシャス(Shacshas)という踊りのグループであるクアドリージャ(Cuadrilla)が通りかかりました(写真下)。ただ、人数は少なく、旗をマントのように着て、足にスパッツを巻いているのが共通しているくらいで、服装もバラバラで、これから集合して踊るのでしょう。
中央市場の近くではたくさんの露店が出ています(写真下)。
中央市場近くの露店は、写真下のように、売り手は車道側にいて商品を並べ、車を背にして歩道を歩く客に売ります。これは道が広く、客は歩道を歩くからです。
横道の狭い道に入ると、写真下のように、歩道には隣の店舗が出したと思われる段ボール箱が積み上げられていて、その前の車道で店開きです。
写真上下で並べられた野菜の量を見ても、朝早くここに車で荷物を運び込み、晩はこれを片付けるのだから、家族などの協力者がいないとできない。丸一日ここで販売するとなると、食事やトイレなど、隣同士の協力が不可欠でしょう。
写真下の人たちはおそらく農家で、自分で作った野菜を売りに来たらしく、いずれも新鮮です。
写真下では、右端の眼鏡をかけたお姉ちゃんが店番をしています。手前にいる青い髪飾りを付けた女の子は妹で、お手伝いをしている。姉妹の髪飾りなどがきちんとしているのは母親の性格でしょうから、この店の果物の品質も信用がおけます。そこに左のピンク色の服の女の子がたまたま通りかかって、チラッと店番のお姉ちゃんを見た。
中央市場 中央市場の中に入ります(写真下)。建物は外に面している部分には店が並んでいます。
写真下左の子供はちょっと眠そう。それにしても、布一枚で子供を落とさないように背負うのはなかなか技術がいります。写真下右で、左手のイチゴは地元産で、たぶん露店で買った。ただし、見た目ほどにはおいしくありません。彼女は波模様の入っている高そうな帽子をかぶっています。
真っ先に肉売り場に行きました(写真下)。昨日ここで見た犬たちが今日はどんな餌にありついているかを見るためです・・・あれ?犬がいない(写真下左)。
この市場での最大の役者である「肉屋にたむろする犬たち」に、また感動しようと来たのに、一匹もいない・・・私は出鼻をくじかれ、意気消沈しているところに、シャクシャス(Shacshas)のクアドリージャ(Cuadrilla)が入って来ました(写真下)。市場のそれほど広くもない通路を通り抜けるので、若い彼らに追いつかない。
祭壇の前での踊り 写真上のクアドリージャが通過すると、すぐその後に頭に赤紫の帽子をかぶった別なクアドリージャが入って来ました(写真下)。写真下左で、先頭は青い帽子の大人とたった一人の小さい子供で、二人はたぶん親子。
聖者を称える行進の脇には、皮をはがれた豚の頭が売られている(写真下)。
彼らの後を付いて行くと、市場の建物の南側にある広間で踊りが始まりました(写真下)。
このクアドリージャの特徴は面をかぶっていることです(写真下)。面の目が青いのはスペイン人を表し、昨日も書いたように、この踊りには征服者であったスペイン人への風刺が入っているというから、そのことと関係しているのでしょう。額に飾られたヒゲ面の男性の顔は絵ではなく立体的な塑像で、たぶんイエス・キリストです。
部屋には祭壇が設けられています(写真下)。祭壇の隣に子供たちが自由に座っているのを見ても、この祭壇は常設ではなく、今回の守護聖人のお祭りにあわせて設置されたようです。たぶんキリストが祭られているのだろうが、私の位置からは見えません。祭壇には女性二人と男性一人がひざまずく陶器製の像が置いてあります(写真下右)。
彼らもまたひざまずく(写真下)。征服者であるスペイン人への反抗心があるから、青い目の仮面をつけ、踊りには風刺も含まれるというのに、一方で、彼らが持ち込んだキリスト教には深く信仰心を持っています。
先ほどから気になっていたのが、彼らが後ろ手に持っている道具です(写真下)。縞模様がついたロープの先に20cmくらいの棒状の物が付いています。 帰国後、現地ガイドの井瀬さん(仮名)に質問すると、丁寧な説明が返ってきました。それらをまとめると、これは主にクアドリージャのリーダーであるカンペーロ(Campero)が持つチコーテ(Chicote)と呼ばれるムチで、伝統的なものは鹿の脚と三つ編みの縄でできています。ムチで地面を叩き音を出すことで、踊りの役割と、またグループへの服従や尊敬を示すという。
ただ、このクアドリージャは踊り手全員がチコーテを持っています。写真上左がリーダー、右が一般の踊り手で、持っているチコーテに大きな違いがあるようには見えません。 写真下左では、一般の踊り手がのばした左手にチコーテが握られています。写真下右では、左手に持ったチコーテの柄の先が黒くて分かれており、鹿の脚の蹄と言われれば、それらしい。 生成AIによれば、チコーテは高額なので家に代々伝わるのを使うなど、このクアドリージャのように参加者全員が持つことは少ないという。チコーテが高額なので、これを色鮮やかなハンカチで代用するクアドリージャもあるそうだが、私は気が付きませんでした。
楽団は部屋の奥にいて彼らの踊りを見守っています(写真下左)。観客はそれほど多くありません(写真下右)。
彼らが儀式を終えて市場の建物から出て、道路の奥に行ってしまうと(写真下)、いきなり静かになりました。予想外の展開にあっけにとられながら、私はまた道の両側の露店を見物します。
ペルー風呂敷 民族衣装の女性たちはたいてい縦縞の布を背負っています(写真下)。アワヨ(Aguayo)やリクリャ(Lliclla)と呼ばれています。私は「ペルー風呂敷」と名付けました。古くからアンデスでは用いられています。
アワヨの一つの用い方が子供を背負うことです。子供を背負うのはかつての日本では当たり前でしたから、この光景に違和感がありません。写真下右では、子供を斜めに背負っているので、左側から子供の足が突き出ていて、子どもはお母さんの背中で熟睡中です。
アワヨの背負い方は様々で、右肩にかけていることが多いが、写真下中と右のように左肩や両肩にかけている人もいます。荷物の種類や重さで違うのでしょう。
荷物がない時は両肩にかけ、また寒さしのぎのガウンにもなる。写真下右から、かなりの大きさの一枚布だとわかります。どんな感触の布なのか触ってみたかったが、機会がありませんでした。
アワヨを見て思い出したのが、ブータンの民族衣装の柄です。写真下は私が25年前に撮ったブータンの人たちです。左下の男性の着ている服がペルー風呂敷と柄が良く似ています。地球の反対側の二つの地域に文化的な交流があったとも思えず、高地という気候風土で共通性が出てきたのかと思っていました。
写真上 ブータンの人々(2000年) たぶんその理由が写真上右で、機織りです。機織りの知識がないので適当なことをいうと、縦の長い糸に、横の短い糸を組み合わせて織る時、一番簡単な図柄がこの縦縞の繰り返しなのでしょう。ペルーでも同様の方法で機織りをしていたので、この図柄が女性たちのアワヨとして残った。 私の推測を生成AIに伝えると、そのとおりで、経紋(たてもん)という技法が使われていたからだという。ただし、私が撮った写真に写っているのは、ウールを使った手織りではなく、化繊を用いた工業製品らしく、だから、色鮮やかです。
肉類は建物の中でも外でも同じで、冷蔵という感覚はなく、そのまま吊り下げてあります(写真下)。ここは標高3000mの高地で、私がホテルの部屋で暖房装置を頼んだくらいで、一年を通して涼しいか寒いので、こんな売り方でも食中毒が起きないのでしょう。
写真下左は皮と脂肪で、写真下右は味付けをした肉で、どちらも売っていたのはここだけでした。
パンも車が走る大通りにそのまま並べて売っていますから、埃をかぶります(写真下)。肉類は熱を通すからまだしも、パンはこのまま食べるのだから、衛生上で問題です。似たような習慣がフランスで、むき出しのパン(Baguette)を持ち歩くパリ市民の姿に日本人が驚いたという記事があります。
どのパン売りでも、パンは籐製などのカゴに入っています。焼いたばかりのパンに湿気がこもらないようにするためでしょうから、ここで売っている人たちが焼いたパンだという証拠のようなものです。
「高い高い!」は世界共通なのだ(写真下)。
北側の露店 下地図で赤く囲んだあたりが露店のある地域で、中央市場を中心に露店が出ているのがわかります。これらの道路には車両規制はありませんから、普通に車が走ってきます。真ん中を東西に走っているのが幹線道路で、この北側では道路全体が勝手に市場になっているので行ってみましょう。昨日も見たように、ここでは露店はすべて車道側を向いています。
若い売り子は民族衣装は着けず、いずれもスマートフォンに夢中です(写真下)。今回の旅行ではスマートフォンを持っている人は意外に少なかった。早く普及してほしい。スマートフォンが普及すると、写真を撮るようになるので、撮られることへの拒絶反応がなくなるからです。
民族衣装の女性はツバの付いた山高帽をかぶっています(写真下)。一方、男性の帽子は前にツバが付いている、いわゆる野球帽だけで、女性のような全体にツバがついている帽子をかぶっている人はほぼ見かけません。私は全体にツバのついた登山帽をかぶっているので、ヂヂイが女物の帽子をかぶっていることになり、かなり目立っているでしょう。生成AIによれば、観光客(グリンゴ)とみなされただろうとのことです。
ここまでの露店の売り手を見てもわかるように、ほとんど女性で男性は少ない、というよりも、稀です(写真下)。生成AIにこの点を質問すると、 「男性が現金を稼ぎに都市や他地域へ行き、女性が地元の食料生産と小規模な商売を維持する」 というのが、今のペルーの農村経済になっているからだと言う。
売り子に女性がいるのは、女性が財布を握っていることになります。写真下左のオバサンは「そうよ、お金のない男なんて役立たずよ!」と言っているようにみえる・・・すンません、役立たずで。 ただし、現実は、ペルーの田舎では伝統的な家父長制が根強いので、女性がお金を稼ぐようになっても、家庭や社会で立場まで強くなるとは限らないようです。その点は日本も同じです。
女性がお金を持っているのは経済を回すためとても重要です。ところが、日本では収入の男女比が未だに4対3という差別賃金です。五千円札に印刷されている津田梅子は、日本の女子教育の草分けで、彼女は「女性の経済的な自立」を説いたといいます。その彼女が死んで、まもなく百年たとうというのに、選択的夫婦別姓すらも認められない。しかも、声高に反対しているのは、日本初の女性総理です。
選択的夫婦別姓が嫌いなら、選択的夫婦同姓でもかまいません。どちらを名乗ろうが個人の勝手だろうに、偉っそうに口を出す。念のために言うと、私は女性の味方などではありません。女性差別をすると、経済の発展を遅らせてしまい、回りまわって私の年金額が減るから、伝統だか何だか知らないが、時代錯誤の差別を減らしてくれと言っているだけです。
写真下左では、何種類かの色の違うジャガイモが売られています。また、写真下右はマイズ・モラード(Maíz Morado)という紫色のトウモロコシです。硬くて甘味も少ないので、そのまま食べるのではなく、飲料やデザートなどに加工します。
ジャガイモは南米の3000mを越えるアンデスが原産と言われ、トウモロコシのアメリカ大陸が原産ですから、色々な種類があるらしく、食べ比べをしてみたい。
写真下左の手前の黄色い果物はスターフルーツで、写真下右はパイナップルです。どちらも熱帯や亜熱帯の果物で、この高地では育たないだろうから、他の地域から持ってきたのでしょう。
果物は豊富で、リンゴとミカンが一緒に売られています。ペルーのリンゴの収穫は3月~5月、ミカンの収穫は6月~8月がピークで、早生の品種は5月に収穫が始まるという。ワラスのような涼しい地域はリンゴに適して、リマなど海岸地方は亜熱帯はミカンに適しているから、多様な果物が採れるようです。
5月の日本では、リンゴは去年のリンゴか、一部はニュージーランドからの輸入で、そこに物価高が加わり、気軽に食べられる果物ではなくなりました。私は行きつけのB級八百屋(失礼!)で目の色を変えて、規格外の安いリンゴを探す。
野菜類は写真下左のように総じて新鮮です。ところが、写真下右では、何種類もの野菜がしおれているように見えます。しおれても売れるのだから、ハーブ?
写真下のトウモロコシは数も少ないことから、売れ残っているのではなく、畑でその日に採れたのを売っているのでしょう。
シャクシャスの祈り 車の通る道路で突然、シャクシャスの激しい踊りが始まりました(写真下)。
踊りの終わりでは、中央市場でも見たように、全員が同じ方向にひざまずき、頭を下げます。この頭の下げ方が人によって様々です。
写真下は周囲の人たちの様子です。踊り手が祈りを捧げるなら、いっしょに祈るかと思ったら、仕事をしているか、ただ観ているだけか(写真下左)、あるいはスマートフォンで写真を撮っている(写真下右)。
中央市場と同じで、彼らが頭を下げた方向には、歩道に隣接した道路側に祭壇が設けられ、祭られているのは十字架のイエスです(写真下)。机にかけられている布は二重になっていて、上がアワヨで、これを見ても、彼らにとって単に荷物を背負うための布ではなく、伝統に沿った聖なる意味も含まれているのがわかります。この点で日本の風呂敷とは違いますから、ペルー風呂敷の命名は取り下げます。
子供を抱えた父親 祭壇の前に赤ん坊を抱いた父親らしい男性がいて、左側の男性は藤色の布を渡しています(写真下左)。たぶんこの祭壇を設けたのはこの父親で、子供の健康などを願って、祈りの踊りをしてもらったのでしょう。
写真下左の赤ん坊を抱えた女性が母親で、右端にいる水色の服の女性が赤ん坊のおばあさんでしょう。この二人と周囲の女性たちは街中に住む人たちだから民族衣装ではありません。たぶん、この通りで店を出している人たちでしょう。 興味深いのは、写真上の贈り物の贈呈の時には、母親ではなく、父親が子供を抱きかかえていることです。儀式の時以外はずっと母親が抱きかかえていました(写真下)。生成AIにこの点を質問すると、いろいろな理由を並べましたが、ペルーがスペインに征服される前から伝統的な家父長制、つまり日本と同じで、今でも男性優位の社会であることを示しているようです。
赤ん坊に贈られたのは十字架のイエスの絵の描いてある布です(写真下左)。他にも、家の祭壇に飾るのか、写真右のような大きく立派な布があり、これも十字架のイエスが描かれています。 今回気が付いたのは、ワラスのカトリックでは、欧州のカトリックほどにはマリアが登場しないことです。去年行った地中海のマルタなど、中心の祭壇にマリアがいるだけで、イエスがいない教会がありました。一方、ワラスの守護聖人はイエスだし、後で紹介しますが、このお祭り自体がイエスに捧げられたものです。
普段着のカンペーロ 写真下の男性がこの踊りのクアドリージャ(Cuadrilla)のリーダーであるカンペーロ(Campero)で、写真下右の、彼が手にもつチコーテ(Chicote)と呼ばれるムチは、このクアドリージャでは彼しか持っていません。中央市場の踊りグループでも紹介したように、チコーテは伝統的なものは鹿の脚と三つ編みの縄でできているそうで、写真下右で、彼が持っている棒のよう物は、鹿の脚と言われれば、先にそれらしい黒い蹄が付いています。踊りに鹿(ベナード)の強さと俊敏さを得るという意味があるようです。
市場のカンペーロは色違いの衣装を着けていたのに、ここのカンペーロは期待外れの普通の格好です。「カンペーロらしくド派手な格好をしろよ」と日本人の観光客は思う。生成AIの説明では、彼は踊りに指示を出すだけでなく、群衆の整理、交通整理、依頼者との交渉などを担当する総監督的な役割をして、踊り手が踊りに専念できるようにするようです。
儀式が一通り終わると、踊り手たちにお菓子とジュースが配られます(写真下)。写真下右の黄色いジュースはインカコーラで、この国の国民的飲み物です。甘い炭酸水で、私の口にはあいません。1935年にイギリス人が作った飲み物で、ペルーではコカコーラとインカコーラの戦いになりましたが、インカコーラの勝利でした。今は資本提携し、海外での商標権をコカコーラが持っています。
羽飾り 大多数の踊り手は、写真下左のような、頭に黒、青、黄緑、白が四段重ねの帽子をかぶっています。これは男女差はなく、写真下左の二人は女性です。ところが、4人だけ色違いの帽子をかぶっている人がいます。写真下右はその内の3人で、右端の帽子をかぶっている人が2人いて、真ん中と左の帽子をかぶっているのが各1人です。右端の帽子は色違いなだけで四段重ねなのに、後の二人は色が縦に付いています。この二人は周囲の踊り手よりも若く、おそらく小学生です。
これらの衣装の違いが階級ではないのは、写真下のように左の祭壇から見て、色の違う帽子をかぶっている人(赤い矢印)でも踊りの配置がバラバラなのを見ればわかります。写真上右の二人が小学生らしいことからも、衣装の違いは単なる年齢差かもしれません。生成AIによれば、踊りは物語を表していることがあり、配役の違いから衣装が違うことがあるそうです。
羽飾り付いた帽子はコロナ(Corona、王冠)と呼ばれ、太陽の光などを表すシンボルだという生成AIの説明を聞いて、私は午前中に見た岩絵を思い出しました(写真下左)。ゴジラが火を噴いているあの絵です。 岩絵は、大きいツバと羽飾りが付いた帽子をかぶり踊っている姿ではないか。今はツバがないのは、集団で踊ると大きいツバは互いに邪魔だから省略された、という強引な結論を出し、「岩絵はゴジラではなかったのか」という鋭い質問には、ゴジラが羽飾りの帽子をかぶって踊る姿だと意味もなくゴジラにこだわる。
シャクシャスの楽器 ここは普通の道路で交通規制などしませんから、儀式の合間に車が入って来ます。地元の彼らは慣れっこらしいが、私は怖いので歩道に逃げる。
お菓子とジュースで休憩したのだから、立ち去るのかと思ったら、再び音楽が始まり、踊りが始まりました(写真下)。楽器の基本は笛(Chiska、チスカ)と太鼓(Tinya、ティニャ)の二つです。
もう一つの重要なのが、踊り手の脚につけたシャクシャ(Shacsha)という楽器です。カチョ(Cacho)という木の実で作った楽器で、名前どおりの音が出るので、踊りの名前であるシャクシャス(Shacshas)はこの楽器から来たという説があります。
最後まで付き合いたいが、6時をだいぶんすぎているので、ホテルに戻ります。 帰り道のシャクシャス 暗くなり始めた大通りを戻る途中、ここでも次々とシャクシャスのクアドリージャに出会いました。 写真下左は大きな管楽器の隊列で、生成AIによれば、これはスーザフォン(Sousaphone)と呼ばれるマーチング用の楽器で、青く塗られていることから、真鍮ではなくプラスチック製だろうという。シャクシャスだけのためにこんな楽器を準備するはずはないし、演奏している男性たちが茶色のスーツを着ていることから、これは高校生の一団で、スーツは制服ではないか。
茶色の制服組の後に来たのが、写真下のノボリ旗を立てた黄色いグループです。
さらに、すぐ後ろには青とピンクのクアドリージャが続きます。彼らは中高生くらいの年齢だから、学校ごとにクアドリージャを作り、授業が終わった後、こうやって街を練り歩くのでしょう。全員が私と同じで、ホテルのある東に向かっています。その理由をこの後で説明します。
クアドリージャが行った先 ホテルに戻って一休みしていると、またシャクシャスの音楽が聞こえてきました(18:47、写真下)。他のお客さんも音に気が付いて出てきました。すでにホテルの近くは通過しており、私は走って追いかける。3,000mの高地ですから、自分では走ったつもりでも、すぐに息が切れて、どう見ても歩いている。 これで夕方から会ったクアドリージャは6組目か7組目?いったい、どれだけあるのでしょう。
先頭には尻尾の付いた着ぐるみを着た人が看板を持っています(写真下左)。看板には「TAYYA SOLEDANO」と縦に書いてあって、翻訳機にかけても訳せませんから、このグループの名前でしょう。
このクアドリージャで踊っているのは大半が女性で、なかに小学生くらいの子供も混ざっています(写真下)。しかも、市場近くで見たクアドリージャとは衣装が違っていて、頭の羽飾りは3~5枚だけで、帽子ではありません。これは安上がりで、しかも頭が重くないから踊りやすい。また足にはシャクシャという木の実でできた楽器も付けていません。 服装も踊りも、基本はあるようだが、多くの人たちは細かいことは気にせず、各人の発想や懐具合で踊りを楽しんでいるように見えます。山形市には花笠音頭という祭が8月上旬にあり、同じ振り付け、同じ花笠、同じような浴衣姿で、一糸乱れず踊ります。どちらが良いか、よくわからない。
このクアドリージャは幹線道路から西側の脇道に入っていきました(写真下)。どこに行くのか追いかけたいが、7時から食事ですから、戻らなければなりません。彼らが去る方向を見ながら、昨日も別なクアドリージャが別な脇道から同じ方向に行ったのを思い出しました。この幹線道路にいた全部のクアドリージャが同じ方向に進み、たぶん、全部がこの狭い路地に入っていったのでしょう。 この脇道の先に彼らの目的地があるのだ。帰国後調べて、目的地と、なぜそこに行くのか、理由がわかりました。彼らは祭りの中心となるある教会を目指していたのです。
「孤独な主の祭」 この祭りの名前はFestividad del Señor de la
Soledad、直訳すれば「孤独な主(しゅ)の祭」で、「孤独な主」とはキリストのことです。この名前は、弟子に裏切られ、神に見捨てられ、孤独の中で死んでいったことが一つ目の由来です。 もう一つは、町はずれの沼の近くで十字架が見つかり、町の教会に運んだが、何度運んでも、元の場所に戻ってしまう。そこで、その沼のほとりに礼拝堂(エルミータ)を建てた。当時、その場所は町からも離れた寂しい場所だったので、「孤独の主」と呼ばれるようになったという由来です。 その建てられた礼拝堂は何度か再建され、今は1970年にSantuario del Señor de la
Soledadとして再建された立派な教会になっています。この教会は下地図の位置にあるので、クアドリージャたちは市場から東に向かって下地図の幹線道路まで来て、これを南下して、この教会に行くために脇道に入ったのです。
低酸素運動の後の食事 走ったので、彼らと一緒に踊ったように息を切らせてホテルに戻り、いつもの5階の食堂で夕飯です。働き者のモラレスさんの奥さんが食事の準備をしてくれます。
二日続けてシャクシャスをたくさん観られたのはラッキーでした。一年に一度しかない祭りの時期に来たのだから、せっかくの機会なのに、他のお客さんはシャクシャスを見ただろうか。今日など、花を見た後、ホテルに戻ってから十分に時間があったのだから、皆さんを市場に案内していれば、シャクシャスも見られ、楽しめたはずです。今回の旅行はこういう隙間が多く、スカスカなのが気になりました。 表紙 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10・11 |