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表紙 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10・11 ペルー・アンデス めおとプヤの最期 4日目 2025年5月10日(土) プヤ・ライモンディ 今日は、私がこの旅行で一番の目的としていたプヤ・ライモンディ(Puya raimondii)を見る日です。しかし、見られるのは去年までに花を付けて枯れた花茎で、それを承知の上で今回参加しましたから、プヤを見に行く日だとわかっても、それほどワクワクしていません。また、このことは旅行会社の信用という点で問題で、その点は後で書きます。
この時期、日の出は午前6時15分頃となっていますが、東側に大きな山脈がありますから、実際に明るくなるのは遅い。
朝の散歩は、昨日はホテルの南側に行ったので、今日は北側に行ってみます(6:33)。人の気配が少ないのは当然で、朝6時半はようやく明るくなったばかりです(写真下左)。
ホテルの北側の川は、昨日、私たちが行ったキルカイワンカ渓谷から流れて来るキルカイ川です(写真下)。
川のそばの道路の真ん中には、工事中らしく、穴が開き、近くには像が倒れています(写真下)。ここに滞在した7日間、周囲の土砂や像の位置もそのままで、工事している様子は見られませんでした。
壁に絵が描いてあるのは店舗なのでしょう。
写真下のようにゴミの回収場は散乱していることが多い。 日本はゴミの収集やリサイクルで優等生だと思っていませんか。だが大半の自治体では生ゴミなどを焼却していることが原因で、リサイクル率は先進国の中ではかなり低く、劣等生です。山形県の南部に位置する長井市では、生ゴミは分別して回収し、肥料にして農家に配り、農家はこの肥料で作物を作り、市民はそれを買う。このように、やればできる。
ホテルに戻り、7時からいつもの5階で朝食です。
5階の食堂のベランダに出て、真っ先に東に見えるブランカ山群の雲の様子を見ます(写真下)。雲があるが、なんとか天気は持つのではないかと期待を混ぜて予想する。
ワラスを出発 プヤの群生地までは片道70kmほどあるので、8時にワラスを出発しました。今回はブランカ山群の中でも一番南側での花の観察で、バス1台で出発です(写真下左)。
サンタ川に沿って、幹線道路を南下します。ここでも見かけるのは女性が多い(写真下)。
写真下左はイエスを抱くマリア像で、カトリックだから、マリアだらけかと思ったら、右は山の中腹にあるかなり大きなキリスト像です。昨日も書いたように、今回の旅行で見た範囲では、この地域ではあまりマリア信仰は盛んではないようです。
カトリックの教会は大きく威圧的なのが多いのに、道から見える教会はあまり立派ではなく、ホテルの近くの教会も大きくはありません(写真下)。日本のお寺のように、地元に密着した教会なのでしょう。
二人は教会前の道を掃除しています(写真下)。自転車はどちらが乗って来たのだろう。
写真下は道端にある祠です。たぶん2種類あって、一つはキリストや聖者を祭った祠と、もう一つはこの場所で交通事故で死んだ人のための慰霊碑です。隣国のチリではたくさん見かけたが、ここは数が少ない。
周囲の山は禿山が多いのは気候のせいではなく、おそらく一度は完全に丸裸にした後、一部で植樹をしたのでしょう(写真下)。その証拠に樹木はユーカリが多い。ユーカリはオーストラリア原産の外来種です。
目に入る背の高い樹木をユーカリだと言えば、だいたい当たります。元々、どんな樹木が生えていたのかわかりませんが、外来種だらけです。
崖や土手のあちこちに、一昨日も見たリュウゼツランが生えて、花を咲かせているのもあります。今日、見に行くプヤはリュウゼツランの仲間ではありませんが、下に葉があり、電柱のような茎をのばして花を咲かせる姿や、花を咲かせると枯れてしまう点は似ています。
給油所でトイレ休憩(9:16、写真下)。晴れて、気持ちが良い。
道端の外来種 本日初めての花の観察です(写真下)。モラリスさんが道端に見つけたようで、この植物を水につけて揉むと石鹸代わりになるという。旅行会社からはCestrum
auriculatumであるとの指定でしたが、ネットで検索して出てきた姿とはだいぶん違います。生成AIとは10回以上もやり取りしましたが、こちらも納得できるような提案がありませんでした。セッケンとでも名前をつけておきましょう。
写真下は、食用やお茶にするボリジで、地中海沿岸が原産ですから、外来種です。ここは車の走る道なので、写真上も外来種かもしれません。
写真上 Borago
officinalis 同様の外来種が写真下の大きなススキで、チリやアルゼンチンなどが原産で、ペルーでは外来種です。世界中に広がり、日本にも明治時代に帰化して「お化けススキ」などと呼ばれています。このように、道路の周囲は外来種だらけです。
写真上 Cortaderia
selloana コカの葉 幹線道路からワスカラン国立公園への道に入りました。南東方向にブランカ山群の雪山が見えてきました(写真下)。位置的に近いことから、たぶんCaullaraju(5,682m)、Challhua(5,487m)、Nevado Tuco(5,479m)の3山です。画面の右半分くらいに何個かの山頂の見えるのがCaullarajuだと確認できましたが、後はわかりません。
このあたりは大規模な農場があるらしく、看板には、私有地だから入るなとあり(写真下左)、番犬代わりに肉食恐竜が放し飼いになっています(写真下右)。生成AIによればデイノニクスという獣脚類だという。昨日、岩絵のゴジラ説を出したが、いよいよ信ぴょう性が増した!
公園入口の手前の検問所で停車すると、売り子のオバサンが二人バスに入って来ました(写真下)。
彼女が売っていた物の一つが写真下で、コカの葉っぱです。コカインの原料ですから、日本では違法でも、この国ではコカはお茶として普通に飲まれていて、コカインのような中毒性はないといわれています。高山病を緩和するのに効果があるというから私も試してみたいが、成田空港で麻薬犬に大歓迎されると困るのでやめておきます。
パチャコト渓谷 両側を山に囲まれたなだらかなパチャコト渓谷(Quebrada Pachacoto)の奥に進みます。ここは放牧がおこなわれていますから、この風景は自然そのままではないでしょう(写真下)。
斜面では放牧がおこなわれ、写真下右の女性は隣の黒い犬以外に、もう一匹連れています。
数は羊が多いが、牛や馬もいます。もちろん、私が探しているのは牛ではなく、プヤです。
最初のプヤ あった!最初に見つけたプヤです(写真下)。樹木も何もなく、牛しかいない斜面にポツンと一本だけ立っている。
数が増えると期待したが、この後、写真下の数本を遠くに見かけただけで、ありません。ポツンと一本だけ立っているのだから、どこからか種が飛んできたのだろうか。それとも、最後の生き残りか。この先に期待しましょう。
プヤは見かけなくなり、代わりに沼と湿原が現れました(写真下)。このパチャコト渓谷を作ったパチャコト川(Río Pachacoto)が蛇行して、そちらこちらに沼や湿原を作り出しています。
沼には水草も生えていて、二日前に行ったウィルカコチャ湖にも生えていた赤いアゾラが見られます(写真下)。4000mの高地にどんな水草があるのか知りたいが、おそらくウィルカコチャ湖と同じで、水辺は泥で近づけないから、ドローンが必要です。
看板には、「ようこそ、ワスカラン国立公園へ」(BIENVENIDOS AL PARQUE NACIONAL
HUASCARAN)と書いてあります(写真下左)。
上流に行くにつれて湿原や沼がだんだん増えて、ついにパタコチャ湖(Laguna Patacocha)が現れました(写真下)。
プヤが湖の対岸や山の斜面に点在しているのが見えて来ました(写真下)。
花が咲き終えて枯れたプヤ ワスカラン国立公園(Parque Nacional Huascarán)の入口に到着しました(10:31、写真下)。このあたりで標高が4150mほどです。 ここには電柱のような枯れたプヤが3本と、葉を茂らせて成長中のプヤが1本あります(写真下左)。平地の建物のそばに生えているから、誰かが植えたのかと思ったら、現地ガイドの井瀬さん(仮名)によればこのプヤは、1975年、つまり50年前にここに建物を造った時にはすでにあったそうです。プヤは発芽から成長して花を咲かせるまでに40~100年とも言われ、この数字には疑問がありますが、世間一般ではそのように言われています。
道路の脇の土手に、枯れた2本と葉を茂らせているプヤが1本あります(写真上左、下左)。これを2013年7月のストリートビュー(Google Street View)で同じ場所をほぼ同じ方角に見たのは写真下右です。
写真上 2025年現在の風景 写真上 写真左と同じ場所の2013年の風景 写真上右では少々わかりにくいが、拡大すると(写真下)、手前の2本の向こうにもう1本あるのが見えます。12年前からこの3本は生えており、12年の間に手前の2つは花を咲かせて枯れた。
写真上 2013年のストリートビューに写ったプヤ 写真下左は2025年5月現在のプヤで、写真下右は2025年3月のストリートビューの同じプヤです。右側のプヤを比較すると、3月のプヤの葉はまだ青さが残っていたのに、2カ月たって茶色に変色しているのがわかります。おそらく右側のプヤは昨年2024年に咲いて、今も葉が枯れつつある。左側のプヤは葉が完全に枯れて下に垂れていますから、もっと前に咲いた。
写真上 2025年5月現在 写真上 2025年3月のストリートビュー 枯れた3本目のプヤは建物前の茂みの中にあります(写真下左)。12年前のストリートビューと比較すると、当時、建物はまだ建築中で、プヤや周囲の樹木は植えたのではなく、すでにあったようです。12年前のこのプヤは、左にあるコンクリートミキサーと比較してもかなり大きく、おそらく高さ3mくらいありそうです。
写真上 2025年現在の風景 写真上 写真左と同じ場所の2013年の風景 なぜ公園入口の施設の周囲にだけあるのでしょう。元々あったのなら、敷地以外にもあるはずなのに、周囲の平地を探してもプヤは見当たりません。 50年前はここにもっとたくさんプヤが生えていたが、建物の周囲にあったプヤは管理者が保護したから残ったが、周囲にあった他のプヤは切られてしまったのでしょう。後で説明しますが、ここではプヤは嫌われ物でした。
写真上 Puya
raimondii 写真下左が今見られる花が咲いた跡(後)で、写真下右は研究者が撮影した開花中の花です。
写真上 枯れたプヤの花茎と花序 写真上 Wikipediaから転載 ここまでのプヤの写真ですでにお気づきのように、今見ているプヤは「花が咲き終えて枯れたプヤ」で、去年かその前に電柱のような花茎と花序がのびて写真上右のような花を咲かせ、その後は花だけでなく、本体も枯れて、今は写真上左のようになっています。だから、写真を撮ると、花茎が真っ黒に写る。 今回の旅行で私たちが見たのは、葉以外はすべて「花が咲き終えて枯れたプヤ」だけで、花はもちろん、花が咲くのにのびる花茎も見ていません。枯れた花をわざわざ見る旅行はかなり珍しく、これは旅行の募集要項に問題があったからです。 プヤの花が咲いていないと知らなかった客 今回の旅行の募集では、ブランカ山群、赤いリンドウ、そしてプヤの3つが売り物で、それぞれの写真も大きく示されました。私のように花を目的とする客にとっては、リンドウとプヤこそが重要です。ところがプヤは問題があり、旅行する5月前半はプヤの花が咲く時期ではありません。 この旅行の募集には、プヤの花が見られるかのような、次の文章がありました。 「プヤ・ライモンディは一回結実性のため、開花した後は枯死してしまいます。ブランカ山群の山麓にそそり立つプヤ・ライモンディが群生する谷を訪れ、100年に一度だけ花が咲くというプヤ・ライモンディがどのような花序なのか、どのような花なのか、幻の花を探しに是非ブランカ山群へご一緒しませんか。」 この文章ではプヤの花が見られるかのように錯覚してしまいます。「どのような花序なのか、どのような花なのか」というのですから、明らかに花が観られると受け取れる文章です。しかも、花を咲かせていると思われるプヤの写真まで掲載されています(写真下)。写真では花茎が緑に見えますから、枯れたプヤではありません。 花の旅行では、目的の花が見られるという100%の保証などないのは当たり前です。しかし、少なくとも花が咲いている時期に行きます。だが、この旅行は最初からプヤの花が咲いているはずのない時期の旅行でした。
写真上 募集要項に掲載されたプヤの写真 私は募集要項にプヤの花が見られるかのように書いてあったので疑問になりました。これまで見た他のプヤは9月開花だったからです。ネットでプヤ・ライモンディの目撃談を探しても、ほぼ9~10月で、5月などありません。そこで本当に5月に見られるのか、西遊旅行に問い合わせました。その結果、花が咲くとしても6月と9月であり、今回の5月前半に花が咲いている可能性はほぼないことがわかりました。 プヤの花が見られないとわかり、私は旅行参加を止めようか思いました。私にとって赤いリンドウはどうでもよく、プヤこそが本命だったからです。しかし、一日考えて、今回はプヤではなく、ペルーの花を見に行くということにして、申し込みを決めました。
私のようにプヤの花が見られないとわかって参加した人はまだいいとして、そうとは知らずに、花が見られると期待して参加したお客さんは少なくとも二人いて、一人ははっきりと不満を漏らしました。このお客さんは前にボリビアでプヤ・ライモンディを見て感動し、今回の参加を決めたといいます。 旅行会社側は、私から花が5月に咲くのかと問い合わせを受け、咲かないことを確認したのだから、参加者にはその旨を当然伝えたものと思っていたが、伝えていなかったようです。旅行中に、この時期にプヤが花を咲かせる可能性はほぼないことは、現地ガイドの井瀬さん(仮名)にも確認しました。 今回の旅行会社側の募集要項は大きな錯覚と誤解を招く文面です。このことは旅行後のアンケートにも書きました。プヤの花が見られないと知っていたら、参加者はもっと少なかったでしょう。 12年前との比較 国立公園の入口からパチャコト渓谷のさらに先に進みます。プヤが密集して生えている観光客向けの「プヤ群生地」があるというのです。下地図のように道は谷川に沿って上っていきます。谷川の周囲の見た目は湿地帯と沼です。
谷の南側の斜面にはすでにたくさんのプヤが見えます(写真下)。ここは南半球ですから、南側の北下り斜面にたくさん生えていますから、陽当たりを好むらしい。
写真下左は私が今回撮った写真、写真下右はストリートビューにあるほぼ同じ場所の写真で、撮影日は2013年7月の12年前の風景です。両者の山の斜面に点々と見えるのがプヤです。
写真上 2025年現在の風景 写真上 写真左と同じ場所の2013年の風景 上の写真を拡大して、斜面の下にあるプヤを比較してみます(写真下)。a、b、d、gは昨年かここ数年に咲いて枯れた花茎が残り、bの両側とeには12年前から成長中の株があります。cとfは12年前の写真でははっきりしませんから、この12年間に発芽して成長したのでしょう。
↑ 写真上2025年 ↓ 写真下2013年
この比較だけ見るなら喜ばしい結果です。この12年間、切られたプヤはなく、8本は花を咲かせて寿命がつき、12年前から成長中が3本、新しく発芽して成長中が2本です。 上の二枚の写真を比較しただけでも、枯れたプヤの数が今年のほうがはるかに多い。ガイドの井瀬さんによれば、昨年2024年は爆発的に花を咲かせたといいます。この旅行が昨年6月に企画されていたらと思うとちょっと残念です。彼は11年ワラスに住んで、その間に2回爆発的に開花するのを目撃したといいますから、次回に期待しましょう。 プヤ群生地 プヤの群生地に到着(10:52、写真下)。このあたりで標高4250mほどです。ここは観光客用のバス停まである場所で、プヤが群生していて、道のそばなので選んだのでしょう。 パチャコト渓谷の中でも、プヤが生えているこのあたりはカルパ地区(Sector Carpa)とも呼ばれ、日本人の研究者ではこの名称を用いている人もいます。
写真で見たことがあっても、現物のそばに行くと、その大きさにまず圧倒されます。これは樹木ではなく、草ですから、すごい。
プヤの成長過程を示したのが、『アンデスに生きる巨大な"草本植物』の増沢武弘氏による下図です。細長い葉を広げて球体のようになり(写真上)、70~100年成長した後で、頭頂部から一度だけ花茎を出して花を咲かせて、そのまま枯れてしまう。
上図 「アンデスに生きる巨大な"草本植物"」から転載 写真下はまだ若いプヤです。この葉の状態を半球状と表現していますが、あまり意味がありません。単に茎の背が低いから地面に葉がついてしまい半球状になるだけなのは、次のもっと成長したプヤと比較するとわかります。
成長期のプヤは丸いボール状態に葉をのばし、直径は4m以上になるといいます(写真下)。
増沢武弘氏による図の成長過程では、葉が丸く生い茂るだけのように見えますが、実際は写真下のように、幹に相当する部分が成長し、下の葉は枯れて、頭頂部から新しい葉が次々と出てきます。枯れた下の葉はそのまま付いて、これが防寒着になって、4000mをこえる厳しい環境を生き抜いてきた。この防寒着説は私の珍説ですが、高山地帯の植物には良くみられることです。 写真下右に写る4本のプヤは、左から右に、丸い状態からだんだん背が高くなり、下の葉が枯れる様子がわかります。枯れた葉にもトゲがありますから、身を守るためにも、枯れた葉をそのまま残そうとしています。
プヤは100歳? プヤ・ライモンディの寿命はどのくらいなのでしょうか。ウィキペデイアによれば、発芽から40~100年たつと、頂上部から花茎がのび始めて、花を咲かせ、そのまま枯れて死んでしまうという。
ただ、この40~100年にという数字の根拠を探そうとしても、ネットでは公開されていない学術論文に行きあたるだけで、確認できません。これを70~100年と書いている研究者もいれば、80~100年、あるいは80~150年と書いている例もあるようです(Leoni, Sosa, J. the Bromeliad Society, 54, 6, 2004.)。 プヤを調査研究した増沢氏の解説記事では次のようにあります。 「かつて最初にプヤ・ライモンディの研究を行なったRaimondi氏によると,約100年間ボール(全球型)のような形で生き続け,最後に巨大な花茎をつける(図4).」(「アンデスの極限環境に生きる巨大な“草本植物”」増沢武弘、『遺伝』59巻49号、89~90ページ、2005年) 100年説はライモンディが最初に言い出したことのようです。Antonio Raimondi(1826~1890年)は64歳で死んでいますから、100年間、プヤの観察を続けたはずはありません。また、彼の研究は地質、地理、植物、動物、民族、考古など広範囲に及び、Wikipediaでの肩書は調査家、地理学者、探検家、作家で、植物学者とすらありません。プヤについては目撃者の証言を元にして100年と言い出したのでしょう。つまり、100年説には科学的な根拠がありません。 プヤの寿命 先ほど見た国立公園入口の3本のプヤは入口が作られた1975年にはあったと言われます。2013年のストリートビューでは咲いていませんから、ここ数年間に咲いたとすれば、少なくとも50年以上の寿命があることになります。 平地にあるカリフォルニア大学植物園に植えられたプヤ・ライモンディは28年で開花したというから、数少ない信用できる数字です。ただ、環境の厳しいアンデスに生えているプヤにそのまま当てはめることはできません。
プヤから葉を採取して、年齢を炭素の同位体を用いて測定した研究者がいます(富田美紀他、名古屋大学加速器質量分析計業績報告書、XXII、2011年)。調べたのは、まだ花の咲いていない高さ5mほどの1本で、一番古い葉は1992年と出ましたから、このプヤは30歳くらいだったことになります。
ネットで調べて、信用のできそうなプヤの寿命に関する報告はこの2件のみです。人間の寿命を考えたら、一人の人間が100年目に咲かせたプヤの花を確認できた可能性は低く、そもそも100年などという区切り良い数字は怪しい。 素人ならともかく、プヤの学術論文を書くのに具体的な根拠を示すこともなく、怪しげな数字なのに他人の論文を引用することで責任逃れをしているように見えます。前述のように、最初の研究者であるライモンディの100年説が独り歩きしたのだろうから、私は40~100年という数字を信用していません。
プヤの花茎 今回の旅行はプヤが咲かない時期に来たので、花はもちろん、花や花序の付く花茎もありません。花そのものが見られなくても、花茎が葉の上から出てくるのはないかと探したが、ありません。 植物ガイドの井瀬さんに聞くと、プヤはまったく咲かない年もあるという。昨年2024年、爆発的に咲いたことを考えれば、今年がその咲かない年である可能性が高い。
ネットでプヤの写真を探しても、花茎がのび始めているような写真は探せませんでした。ところが、意外にもストリートビューの中にそれがありました(写真下)。写真下左は2013年7月、花茎が頭頂部から出たばかりのプヤで、写真下右はその12年後、2025年3月の朽ち果てた同じプヤです。幸いなのが、2025年の写真には奥に2株の新しいプヤが写っています。場所は公園入口から4kmほど東に行った道路そばです。 ストリートビューの記述が正しいなら、撮影は2013年の7月で、7月に花茎がのびて花が咲くのなら、5月初旬に花や花茎を期待しても無駄でしょう。
写真上 2013年7月のストリートビュー 写真上 2025年3月のストリートビュー 花茎がどのくらいの速さで成長するのか、開花した一輪がどのくらい咲いているのか、一本のプヤの花がどのくらいの期間咲くのか、ある地域のプヤは全体としては何月から何月まで何カ月くらい花が咲くのか、これらを調べても、書いてある文献でも数字がまちまちで、よくわかりません。 このことから、遺伝子など分子生物学的な研究は進んでいても、こういう基本的で手間暇のかかる生態調査はきちんと行われていないのではないかと疑われます。 花の咲いている様子が一番重要なのだが、花はボリビアで発行された写真下の記念切手で我慢して、花が咲き終えて枯れたプヤを見ます。
めおとプヤの最期 私は写真下のプヤに「夫婦(めおと)プヤ」と名付けました。花も咲き終えて、老後の夫婦が静かに寄り添っているなんて、いいですねえ。普通は共白髪なのだが、二人とも頭は黒い。葉がからみあって、手を取り合っているように見えて、仲睦まじい。 良い被写体だが、少し離れた場所なので、後でそばまで行き、ていねいに撮影するつもりでいました。しかし、人生では良くあることで、「後で」はありませんでした。
私は20分ほど他のプヤを撮り、夫婦プヤを撮るつもりで行きかけると、背の高い夫プヤが風でユラユラと揺れています・・・「あ゛~、倒れる!」と私が大声で叫んだので、周囲のお客さんの大半も倒れる瞬間を目撃しました。しかし、突然の出来事だったので、写真を撮ったのは私の一人のようでした。
倒れているプヤはいくつもあるが、倒れる瞬間を見られたのはラッキーでした。ただ、夫婦プヤと名付けた20分後には目の前で御臨終ですから、私としては複雑な気持ちです。この後、調べたので、倒れた背が高いほうを「夫プヤ」と呼びます。もちろんプヤは雄株や雌株といった性別はありません。 プヤの構造 皆さんで倒れた夫プヤを調べます(写真下)。今回の旅行のお客さんには現役の植物園の職員など、植物の専門家がたぶん4人います。無料の専門ガイドが4人いるようなもので、素人の私は大助かりで、専門的な話はとても参考になります。ただ、今回の旅行では彼らの専門的な知識を活かしきれていません。
教えてもらったことの一つは、写真下はプヤの葉で、真ん中に凹凸の模様についてです。これは葉が互いに重なり合って、動かないようにするためのものだという。
倒れた部分の全景が写真下で、お客さんが見ているあたりが花が咲いていた花茎です。
写真下が折れて残った部分で、樹木と違い、中心部は繊維状の芯があり、周囲は薄いウロコが重なった二重構造になっているのがわかります。後で述べますが、ウロコになっているのは葉の一部です。
どういう構造なのか、生きているプヤを切断して調べた研究者がいます。岐阜大学の川窪氏が2006~2007年にプヤ・ライモンディを調査した時、許可をとってプヤを解剖して、その様子をネットの『ペルーアンデスにおけるプヤ・ライモンディの調査』で写真などを公開しています。生きているプヤを切断して構造を調べるという、普通の人には絶対にできない非常に貴重な資料なのに、その研究報告書を探せません。 公開されている写真などを参考するなら、倒れた夫プヤは下図のような構造だったのでしょう。茎は芯(青)と、ウロコ状の葉が重なって筒状に重なった外茎(黒)の二重構造です。下図ではわかりやすく、葉と外茎が別物のように描いてありますが、別々の物ではなく、ウロコは葉の根本部分で、葉の一部が密集して全体を支える茎のような役割をしています。私が用いている茎、芯、ウロコ、外茎などの名称は見た目で適当に付けたもので、学術用語ではありません。 下の葉はなくなり、葉の根本だけ残り筒状になり芯を取り囲んで支えていた。しかし、劣化して支えきれなくなり、茎が筒の途中から折れて、Bが残り、Aが倒れた。筒の一部は周囲に散乱した。
写真下は倒れたAの下部分で、腰蓑のような葉の内側から柱のような芯が突き出ていて、これが折れたのだとわかります。写真下右を見ると、芯は樹木ではなく、麻縄のような細かい繊維を束ねて柱状にしたもので、繊維が劣化してちぎれた。岐阜大学の川窪氏の写真では、生きているプヤの芯はみずみずしく、繊維があることもわかりません。
燃やされたプヤ 写真下左で、夫プヤの芯の周囲を見ると、手前(写真では下)の葉が短く、上にいくにつれてだんだん長くなっているのがわかります。これがとても重要な点で、他の倒れたプヤとは違います。
他の普通に倒れたプヤの典型が写真下で、腰蓑の途中から折れています。しかし、残った葉も周囲に散らばった葉もすべて細長く、短い葉はありません。 写真上の夫プヤの葉が短く見えるのは、自然のままではなく、火がついて燃えたからです。その証拠は折れて残った茎(図のB)にも残っています。
たいていは写真上のように下まで葉が残っているのに、写真下左の夫プヤには葉がない。もし抜けたら、硬い葉だから普通は写真下右のように周囲に残っているはずなのに、夫プヤの周囲にはありません。まるで夫プヤの葉が焼けてしまい、外茎だけが焼け残ったかのように見えませんか?それが正解で、これは燃えた跡でしょう。
放火の山火事で焼けた ここのプヤが花茎をはじめ、まるで焦げたように黒い(写真下)。プヤは油分を多く含んでいるらしく、それが劣化すると黒く焦げたようになると言われています。実際、花茎が黒くなっているのはそれが理由でしょう。
ただ、夫プヤのように、風化や劣化では説明のつかない物も見られます。なぜなら、実際に山火事があったからです。このプヤ群落地の入口にある看板に、写真(写真下)といっしょに次のようにあります。 「2005年、火災は233,0421ヘクタールの面積に延焼し、そのうち20%がプヤの生息地域でした。さまざまな年齢の9,000本のプヤが回復不能な被害を受けました」(スペイン語からの翻訳)
20年前、ここで大規模な山火事があり、9000本ものプヤが被害を受けたというのです。プヤは長寿ですから、夫プヤもこの火災に遭ったのでしょう。写真上左で、ヤシの木のように、下半分の葉がなくなり、上だけ残っているプヤと、夫プヤは同じ姿だった。 20年前の学術論文では、ペルーでは牧畜のために繰り返し草木に放火して、重大な環境破壊を引き起こしていると、下のような写真入りで警告しています(S. Sgorbati1 et al., Plant Biology, 6, 2004.)。しかし、改善されていないようで、12年前の論文でもまだ被害が報告されています(Hornung-Leoni
et al., Crop Breeding and Applied Biotechnology 13, 2013)。
写真上 Plant Biologyより転載 これらの山火事は牧畜民の失火ではなく、故意に火を付けるのだから、焼畑農業と同じで放火です。在来種の邪魔な草を焼き払うことで、牧草に適した草だけを生やそうという魂胆でしょう。 実際はさらにひどくて、実はプヤを目の敵にして、狙い撃ちして、プヤそのものに放火したのです。
プヤを狙い撃ちで放火した ネットの「アンデスに生きる巨大な"草本植物」を書いた増沢氏によれば、牧畜民たちは、家畜の子供がプヤの葉にあるトゲにひっかかってぬけ出せなくなり死んでしまうと、プヤに火をつけて焼いてしまうことがあるというのです。家畜のアルパカはモコモコの毛ですから、子供ならありえます。 プヤの葉にはかなり鋭く太いトゲがあり、ウィキペデイアによれば、鳥がトゲにひっかかり死んでしまうことがあるという(写真下)。
夫プヤの下半分が燃えたように葉がないのは、山火事の延焼ではなく、たぶん故意に火を付け燃やされたからです。数は多くないが、同様の姿が他にも見当たります。 一般に立ち枯れしているプヤの典型的な姿が写真下です。葉が腰蓑みたいで、ロングスカートが普通です。
ところが、写真下左のプヤはミニスカートの腰蓑です。写真下右は根ごと倒れたプヤで、写真下左や夫プヤと同様に、上の部分は葉があるのに、下は剃ったようになくなっています。下の葉は古いですから、少し脱落するとしても、写真上のようにほとんどが残るはずなのに、全部なくなるのは変です。 これらは成長期に葉に火をつけられ燃やされたのでしょう。それでも生き残り、頑張って葉を茂らせ、花を付けて寿命まで生きた。ただ、焼かれた部分からは葉を再生することはできなかったので、腰蓑はミニスカートになってしまった。
家畜の子供が写真下のような、下の葉が枯れたプヤに引っかかって死んでしまい、飼い主は怒った。樹木ならノコギリで斬り倒すが、写真下のようなプヤは、枯れてもトゲのある硬い葉で守られていますから、ノコギリでは無理。そこで、邪魔者で餌として役に立たないどころか、家畜を殺すプヤに火を放った。 つまり、山火事とは自然発火ではなく、プヤを狙い撃ちした放火が広がって大規模な火災になった人災です。
夫プヤは乾燥した高地で火を付けられ、写真下左の他のプヤでいうなら、赤い輪で囲んだ外側の枯れた葉は燃えたが、輪の内側の葉の根本はウロコ状に密集して重なっているので燃えずに残ることで茎を守った(写真下右)。また上部のまだ青い葉は火が付かずに生き残って成長を続けたので、腰蓑はミニスカートになった。 写真下左を見ると、私が外茎と名付けた部分は、葉の一部が重なってできたとわかります。
火を付けられた年 写真下の夫プヤのAに残った葉の長さが違うように見えるのも、葉が短いのではなく、葉が途中まで燃えた残りです。葉の端が黒いのは風化したからではなく、火がついて燃えた跡です。逆に言うなら、火をここでくい止めることができた。 ここで火が消えたのは、写真下左のあたりの葉は火を付けられ当時はまだ青かったからでしょう。このことから火を付けられた大まかな年を推測できます。
写真下左は、二人で手を取り合って支えていた在りし日の夫婦プヤです。茎の長さの内、葉が残っていたと思われる部分の長さをx、葉が焼かれたと思われる部分の長さをyとすれば、花茎を除いた夫プヤの高さはx+yで、これは茎の長さで、年齢を表す数字と見ることができます。成長は一様ではないから厳密には正しくありませんが、素人の強みで、気にしないことにします。 写真下右は2005年に火を付けられて、枯れ葉は燃え、青い葉が残ったプヤで、この時の高さをyとすれば、この後に生き残ってxだけのびたのが夫プヤだとみなすことができます。 夫プヤが生きたx+yで表される年数の内、おおまかyで表される年に火を付けられたことになります。目測で真ん中より少し上に見えます。もしも20年前の山火事で燃えたのなら、xが20年を表すことになりますから、夫プヤの寿命は50~60年くらいだったことになります。
一つ奇妙なのは、山火事でも放火でも、隣の妻プヤには燃え移らなかったことです。夫婦仲が冷めていた?そうではなく、夫プヤが放火された頃、妻プヤがまだ若くて枯れた葉がなかったからでしょう。写真上左の花の茎の色が違うことや夫プヤが先に倒れたことから見ても、夫プヤのほうがずっと年上だったようです。 大量の種 写真下左は夫プヤの花茎です。花茎には枯れた花序(写真下右)がたくさんついています。
写真下の他のプヤの茎には花序の芯しか残っていません。一方、写真上の夫プヤは花序も種も残っていて、調べやすい。
夫プヤの花序の1本が写真下で、これにいくつも花が咲いていました。
写真上の花序の「生前」の姿が写真下左で、角を突き出したような姿で、根本から先に向かって次々と花を咲かせます。一個の花が写真下右で、花弁は三枚で、白か薄黄色のようです。
写真上 Wikipediaから転載 1本のプヤから30~40万個、多い個体で100万個の種ができると言われています。花が咲き終えるとすぐに種が熟すのかと思ったら、熟すのは翌年らしい。つまり、昨年、ここで爆発的に咲いたプヤの種はようやく今頃、熟して周囲に種をばらまいていることになります。
写真下が地面に自然に落ちた種で、印象だけでいうなら、ヤマユリやタカサゴユリなどのユリの種と似ていて、薄い紙ではさんだような平らな種が入っています。この種の多さと、実際に生えているプヤの数を見ると、発芽率は極めて低いことがわかります。
プヤ以外の花 プヤに夢中になり、足元の他の花をすっかり忘れていました。プヤ・ライモンディはアンデスの女王と呼ばれるくらいですから、まず敬意を払わなければなりません。 写真下は昨日キルカイワンカ渓谷で見て、名前のわからなかったリンドウの仲間です。こんなにわかりやすい姿で、しかも、二つの離れた谷にあるということは、このあたりではありふれた花なのに、名前がわからない。
写真下は、地面をはって、5枚の花弁を持ち、樹木化しているように見えます。しかし、名前はわかりません。
写真下のタンポポのような花は、昨日キルカイワンカ渓谷で見たのと似ていますが、別種です。花はそっくりだが、こちらの葉は、表面に細かい凹凸が付いています。ペルーとボリビアに分布します。
写真上 Paranephelius
uniflorus 最初、写真上と下は同じ花だと思っていました。ところが、写真上は地面と同じ高さに花が咲いているのに、写真下は花の茎がのびています。なによりも、葉は細長く、タンポポの葉ではありません。
写真上右を拡大した写真下は花弁の裏が赤い。右側のツボミの花弁も赤く、これと細い葉という特徴を生成AIに指摘して判別を頼んだら、見るからに違う花を「可能性が非常に高い」と自信たっぷりに推薦してきた。
写真下左の黄色い花の周囲に散らばっているのはプヤの葉だと、残骸の名前までわかるのに、斜面のそちらこちらに咲いているこの植物の名前はわかりません。
写真下も、わかるのはマメ科だということだけです。
珍しいシャボテンが二つあるという。写真下はペルーもこのあたりでしか見られないシャボテンで、もちろん固有種です。しかし、外見が平凡で、花も咲いていないと、凡庸なシャボテンにしか見えない。
写真上 Oroya
borchersii 写真下は学名が激しく長いわりには、サボテンと言われないとわからないような姿です。ネットで見ると、白い毛の生えた独特の姿をしたサボテンで、ファンも多いようです。ペルーからボリビアに分布します。
写真上 Austrocylindropuntia floccosa アルパカと家 プヤの見学を終えて、国立公園の入口まで同じ道を引き返す途中で見たのが写真下で、羊にしては首が長いと思ったら、アルパカという家畜です。毛を取るためらしくモコモコで、毛は白と茶の他に黒もいるそうです。南米特有のラクダの仲間で、家畜と野生で4種類あって、アルパカとリャマが家畜、ビクーニャとグアナコが野生だと何度聞いても、私は名前も分類も覚えられないし、外見の区別もつかない。
家畜がいることからもわかるように、ここには牧畜民が5~10月の間住んでいます(写真下)。国立公園内に家畜を放牧するというのは日本人には理解しにくいが、彼らは先住民族であり、ここでの生活権が認められています。
ネット上の「アンデスに生きる巨大な"草本植物"」を書いた増沢氏は、この石でできた家屋を訪問して、プヤの枯れた花茎を柱や梁、門の支柱に利用していることを報告しています。写真下の家屋の向こうの斜面にも枯れたプヤが見えますから、樹木がないこの地域ではプヤは貴重な「木材」です。厳密には樹木ではないから、木材ではありません。 屋根は現地の言葉でイチュというイネ科の植物で覆われています(『世界植物記: アフリカ・南アメリカ編』)。増沢氏によれば「Stipa属のイネ科草本植物」だそうで、たぶんこれがイチュで、写真上で一面に生えている植物でしょう(「アンデスの極限環境に生きる巨大な“草本植物”」増沢武弘、『遺伝』59巻49号、88ページ、93ページ、2005年)。
屋根に貼り付けられていているのは(写真下左)、先ほど見たプヤの葉でしょう(写真下右)。屋根のために取り付けてあるのではなく、何か道具として使うために下げているように見えます。何に使うのだろう?
写真下左の石垣に立てかけてあるトゲの付いた棒はプヤの花茎の先端で、写真下右に見えているのも葉と花茎のように見えます。
写真下が先ほど見たプヤの花茎で、写真上そのままです。 先ほどプヤを見ていて気になったのが、倒れたプヤの残骸が意外に少ないことでした。山火事は20年も前のことだし、あれだけプヤが生えているのだから、ここは高山ですから腐りにくいはずで、残骸がたくさんあっていいはずなのに、少ない。 これは牧畜民たちが倒れたプヤを集めて利用しているからでしょう。ウィキペディアによれば、ここの牧畜民は牛糞を燃料に使っているという。しかし、見た範囲では牛はそれほど多くありません。私が遊牧民なら、身近で簡単に手に入る燃料を利用します。燃料に使うのはしかたないと思うが、生きているプヤに火を付けるのだけはやめてほしい。 いずれにしろ、こんな貴重な植物のある地域での放牧は禁止するべきです。
写真下は国立公園の入口より手前で見た家で、屋根の草が下まで落ちています。断熱効果をねらったのではなく、空き家らしい。日本も空き家が急増しているそうです。
さらに奥に行く 公園入口まで戻り、昼食です(写真下)。
ここで予定変更が知らされました。ここから車で大きく迂回して花を見ながら化石を見に行く予定を変えて、先ほどのプヤ群生地を経由して、パチャコト渓谷の奥にあるパストルリまで車で行き、化石を見たい人だけ歩いて行くというものです(地図下)。
化石などどうでもよく、私はプヤがどこまで生えているのか知りたい。現地ガイドの井瀬さんの話では、プヤ・ライモンディはブランカ山群の中でもこのあたりにしか生えていないというのです。どうしてこのパチャコト渓谷だけに残ったのでしょう。 ネット上の解説「アンデスに生きる巨大な"草本植物"」では、プヤ・ライモンディはアンデス山脈に分布し、大きな群落はここ以外にはペルーに2カ所、ボリビアに1カ所あげています。アンデス山脈の広大さから考えるとずいぶん少ない(下図)。
先ほどのプヤ群生地から先、高度が上がっていくにつれ、どこまでプヤが生えているのか知りたい。これまで見た範囲では、どういう条件だとプヤがたくさん生えるのか、今ひとつわかりません。大半は北下がりの陽の当たる斜面に生えていて、川べりにはありませんから、乾いた土地に適用しています。全然、生えていない斜面もあるし、国立公園の入口では斜面ではないのにプヤがあります。 写真下の、公園入口から見えるプヤはどうして斜面のあそこにだけ生えているのでしょう?あるいは、どうしてあそこだけ生き残ることができたのか?
道を戻り、先ほど訪れたプヤ群生地を通り過ぎて(写真下左)、ここからは、プヤの群落はどこまで続いているのだろうか、というのが私の関心です。
プヤ群生地を通過しても、しばらくは斜面にプヤの開花前と後が斜面に群生しているのが見られます(写真下)。
今回、バスから見た範囲でいうなら、地図下の青で染めたあたりがプヤの群生が見られた場所です。群生地で実際に歩いたのは「プヤ群生地」のみで、他は走る車から遠目に観ただけですから、分布図に厳密さはありません。枯れて死んだプヤも、葉だけの生きているプヤも区別していません。国立公園入口で標高4140m、岩絵のあたりで標高4430mです。
今回、パチャコト川の北側の南下がり斜面で、私が気が付いたプヤの群落は写真下が唯一でした。走る車の中からの観察ですから、一つあるということはたぶんもう少しあるのだろうが、いずれにしろ、北側の南下がり斜面は極端に少ない。ここは南半球ですから、南下がり斜面のほうが陽当たりが悪いからでしょう。
東に向かって登るにつれて、写真下左が最後の群落で、1本だけなら岩絵の手前の道端に生えていた孤独なプヤが最後でした(写真下右)。このあたりで標高4400mです。
高度を上げるにつれ、振り返ると、パチャコト渓谷の全景が見えてきました(写真下)。写真の奥に見えるのが、渓谷の北側の山々で、その手前に渓谷を作ったパチャコト川が流れています。渓谷の入口から奥まで、平野といってもいいほど全体が高低差も少なく、4000mの高地とは思えないような地形です。
最後のプヤ群生を見たあたりが平野の最後で、4400mくらいがプヤが生育できる限界の高度なのでしょう。私たちはここからさらに500mほど上ります。
ビクーニャがいる! 山の中腹にある建物が見えてきました(13:45、写真下)。ここの地名であるPASTORURIという看板が立っていて(写真下左)、ここはパストルリ氷河(Pastoruri glacier)までの観光が売り物です。写真下の建物があるあたりが標高4840mで、数字を聞いただけで高山病になりそう。
これらの設備はホテルやレストラン、有料トイレらしい(写真下)。ネットを見ると、ホテルへの評価自体は良いが、ゴミの分別や処理がきちんと行われていないという批判もあります。駐車場に私たちのバスがポツンと停まっているように、私たち以外にはあまり人もいません(写真下左)。
車を降りてすぐに、お客さんの一人が西側の山の斜面にビクーニャがいることを発見!野生のビクーニャが見られるとはラッキーです(写真下)。
ところが、目の悪い私に見えた光景はせいぜい写真下で、ビクーニャ?えっ、どこ?そこで見えたというお客さんにおおよその場所を聞いて写真を撮り、後で拡大したのが写真上です。教えられてもまだわからない私と違い、この距離で発見した中嶋さん(仮名)の視力は驚異的です。
ビクーニャの周囲に白く生えている植物は写真下です。葉が白い毛でおおわれ、とてもわかりやすい姿で、Senecioの仲間だろうと探したが、わかりません。
化石組 ここで、歩いて化石を見に行く人たちと、この周囲で花を見る人たちと二手に分かれました(13:59)。客3人に井瀬さんがガイドになり、4人で化石を目指します。私は化石には興味がないので、きつかったら、途中で引き返すつもりでした。それでも参加したのは、標高5000m近い高地なら何か特別な草花があるのではないかと期待したからです。 道端には小型の馬がいて、これはラバで、氷河までの観光用です(写真下)。乗ってみたいが、距離は短く、乗ると花の写真を撮るのに不便なのと、ネットでラバの扱いがひどいという批判が書き込まれ、動物虐待に加担するのは嫌なので、歩いて行くことにします。
下のGoogleの地図では、化石のある目的地までは1.7km、標高差が126mで、数字ではたいしたことはありません。私の家から一番近い裏山の山頂までの標高差が150mで、それよりも低い。しかし、ここは標高5000m近くの高山ですから、話は簡単ではありません。
心配なのは高山病で、少し歩くと空気が薄いのがわかるほどだが、私は酸素ボンベを持っているので心配はありません。問題は寒さで、標高3000mほどのワラスから、ここは5000mですから、単純計算でも12℃以上温度が下がるので、着こんでは来たが、予想よりもはるかに寒い。ダウンジャケットをもう一枚着たいくらいです。 道は整備されて幅もあり、バギー車なら十分走れそうです(写真下)。
4900m前後のガレキしかないように見える中にも、草花が花を咲かせています。写真下は前にも見たタンポポの仲間で、ネットで見ると黄色と白色の両方あるようです。主にチリからボリビアに分布するだけで、見た目がありふれたタンポポだが、分布はそれほど広くないようです。
写真上 Hypochaeris
taraxacoides 写真下は3つとも花がそっくりなのに、葉が微妙に違います。写真下の上段の左右は葉が違います。これが個体差なのか、種類の違いなのかわかりません。写真下の下段は、周囲にあるのがこの植物の葉なら、上段の2種類は葉が長いのに、下段は葉が短い。もちろん、撮っている時は3つとも同じ種類だと思い込んでいました。
写真上 Werneria
nubigena
写真下は、真ん中の黄色いのが花なのでしょう。しかし、それにしては花弁がないから、これは花の集合体?葉が白いのは毛で、これだけ特徴ある姿なのに、名前がわかりません。
寒風の吹くガレ場の中にコロニーを作って生き残り、花を咲かせています(写真下)。ペルー南西部からボリビア中央部の限られた地域に分布するというから、ここは生息地の北のはずれということになります。
写真上 Werneria
dactylophylla Senecioの仲間といわれれば、それらしい花です(写真下)。しかし、写真に写っている緑色の細長い葉は意外な姿です。コロンビアからペルーをへてボリビアまで分布します。
写真上 Senecio tephrosioides
写真下は、Castillejaの仲間には間違いなく、“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”『ブランカ山群&ワイワッシュ山群の花々』の二冊の図鑑にも写真は掲載されていますが、いずれも名前は特定されていません。
なんだ、これ?ツクシを大きくしたような奇妙な植物です(写真下)。私は前にエクアドルのCayambe-Coca国立公園で霧の中で見ことがあります。メキシコから南米のボリビアまで分布します。
写真上 Phlegmariurus
crassus
写真下の可愛い花は、“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca” では名前不明と掲載され、『ブランカ山群&ワイワッシュ山群の花々』ではNototriche
obtusoとしています。しかし、N. obtusoの花の色は白で合いません。一方、N.
macleaniiは薄紫でペルーの標高4300-4600mに分布し、姿形も似ていますから、こちらを採用しました。
写真上 Nototriche
macleanii
写真下は樹木で地面を這うように成長しています。白いのが花らしく、写真下右ではタンポポの種のように飛び始めています。名前の特定は無理だろうと期待して、生成AIに質問すると、わからないという返事で、期待に応えてくれました。
写真下左を見た時、咲き終わりの花の残骸で、周囲にあるのが葉なのだろうと勘違いしました。しかし、良く見ると、花ではなくキノコです。生成AIは、ベニチャワンタケ属(Sarcoscypha属)やアラゲコベニチャワンタケ属(Scutellinia属)ではないかという推測でした。紅茶碗茸と言われれば、外見はそのままです。標高4800mに生えているキノコという点ですごい。 午前中に訪れたプヤ群生地(標高約4250m)でも、倒れたプヤの切株にも同じ赤いキノコが生えていましたから(写真下右)、このあたりでは珍しくないキノコのようです。
氷河の縮小と電力 ここは高山植物よりも氷河を見に来る観光地で、化石のある場所のすぐ南側に氷河があります(写真下)。
井瀬さんが示したのが、1986年から2018年の32年間に、同じ場所から見た氷河の様子です(写真下左)。撮影月日がないので、同じ時期かどうか、これだけではわかりません。そして2025年5月10日現在、同じ場所が目の前にある写真下右です。
氷河が溶けだして、周囲には数多くの氷河湖が出現しています(地図下)。地球温暖化で氷河が溶けて後退しているのは世界中の氷河でおきていて、ここも例外ではないという、恐ろしく、しかもありふれた現実です。
地球温暖化が研究者たちの主張だけではなく、私たちも日常で実感している時に、世界第2位の二酸化炭素の排出国であるアメリカのトランプ大統領が、地球温暖化など嘘だとして、二酸化炭素を減らそうというパリ協定を離脱して、「石油を掘れ!」と奨励して、しかも二度も大統領に選ばれた。 首をかしげたくなるように現実が、アメリカだけでなく、日本でも起きています。
風力も太陽光もやめて原発に頼る!? 2025年8月、三菱商事と中部電力が、千葉県と秋田県で進めていた洋上風力発電の建設から撤退しました。採算が合わなければ企業が撤退するのは当たり前で、国が何らかの助成や補償をするべきなのに、しない。原発だと裏表のあらゆる手段で国が補助するのに、再生可能エネルギーだと急に市場原理に任せるという建前を持ち出す。 2025年12月には、大規模太陽光発電所(メガソーラー)によって環境破壊や景観悪化があるので、新規の メガソーラーへの支援は、事実上打ち切ると発表しました。環境破壊したなら罰すれば良く、景観も規制を厳しくすれば良いだけなのに、環境や景観を守る企業への支援もぜんぶまとめてやめてしまう!?これではメガソーラーに企業は参入しないから、急ブレーキがかかり、急激にしぼむでしょう。なんとまあ露骨なやり方。 再生可能エネルギーにこれだけ逆風が吹きまくることで、いったい、誰が利益を得るのでしょう?原発を推進したい既存の大手の電力会社と利益関係者です。
日本では、人工知能(AI)を動かすのに大量の電力が必要となることを理由に、関西電力は新規の原発の計画を発表し(2025年7月18日)、新潟県知事が柏崎刈羽原発の再稼働を同意し(2025年11月21日)、北海道知事が泊原発の再稼働を表明した(2025年11月28日)。さらに東京電力は青森県東通村に原発を建設する計画もあるという。また、最近の選挙では、原発による電力供給を積極的に進める方針を掲げた政党が支持を集めています。 三菱商事が風力発電から撤退し、メガソーラーへの支援を打ち切ることに、手を叩いて喜んでいるのが原発推進派の人たちでしょう。メガソーラーが環境破壊をしたから援助しないというなら、原発崩壊によって汚染された広大な地域が除染されないまま残っているのだから、原発への支援もやめたらどうか。
彼らは再生可能エネルギーだけでは足りないと必ず言うが、足りないのはやる気で、世界には電力における再生可能エネルギーの割合が半分を越える国もあって、中国でさえも3割をこえているのに、日本はわずか2割です。この数字をみればわかるように、国は原発にはあらゆる手段で多額の投資をするが、再生可能エネルギーへの投資は最小限か打ち切りにして、原発に頼るように誘導しています。
原発は二酸化炭素の排出が小さいというが、活断層だらけで地震大国の日本で、被害が起きた時どうなるか、日本人は大火傷を負って体験させられたはずです。除染で人が住める地域ができたなどいう自己満足のニュースばかりで、未だに人が立ち入れない広大な放射能汚染地域があることは無視する。 地球温暖化という毒を避けるために放射能という毒を使う??トランプ大統領は私には理解不能な人だが、日本の原発政策も意味不明です。私は目が悪いが、もっと目の悪い人たちがたくさんいるらしい。
植物の化石 目的地の化石が露出した場所に到着(14:51、標高4970m)。植物の葉のような模様がそれらしい(写真下)。きっと恐竜が闊歩していた頃は、ここも植物が生い茂っていたのでしょう。生成AIに質問すると、約3億年前の石炭紀のシダ植物(Pteridophytes)だろうとのことでした。このあたりは温暖で湿潤で、シダの巨木が大森林を形成し、70cmもあるトンボや、2mもあるヤスデがいたというから、足の数を数えるのは大変そう。 石炭紀を見て、ここで引き返します。帰りは下りだけなので、楽は楽で、花の写真を撮りながらも、半分くらいの時間で下山しました。
パチャコト渓谷を戻る バスを停めた出発点まで戻り(15:29)、他のお客さんたちと合流して、来た道を戻りながら、さらに所々でバスを停めて、花を探します(写真下)。
運転手が熱心に白い葉の植物を採取しているのを見て、客は苦笑い(写真下左)。ペルーでも国立公園内の植物採取は禁止だが、個人が小規模に採取する分には気にしないのでしょう。この草花は薬草として広く用いられ、売れるので乱獲され、軽度懸念(Threatened Species)の絶滅危惧種と指定されています。
花は花弁がないような奇妙な姿です(写真下)。曇り空の下の黒い山並みと荒涼した風景の中に、白い植物がうなだれたようにポツンポツンと生えている。かなり現実離れした光景なので、写真下は三枚とも同じ被写体なのに、つい繰り返し撮ってしまう。
写真上下 Culcitium
canescens この植物の学名で、前はSenecio
canescensと属がSenecioに分類されていましたが、KEW植物園の分類に従い、Culcitiumを用いました。困ったことに、C.
canescensとそっくりのC. nivalisという花があり、『ブランカ山群&ワイワッシュ山群の花々』では両方掲載されているが、ネットで写真を見ても区別がつきません。生成AIに両者の区別の仕方を質問しても、違いの説明は曖昧で、混乱があることを認めています。 花など咲いていそうもない風景の中に生えて、全身真っ白で、属も名前も複数あって、花なのに花弁もない、奇妙な植物です。
写真下も抗炎症作用がある薬草として使われる植物で、ペルーとボリビアが原産です。
写真上 Chuquiraga
spinose 写真下のカルセオラリアの仲間は日本ではあまりお馴染みではなく、もっぱら南米に多く見られる植物です。たった1株しか見つかりませんでした。写真下ではわかりにくいが、下に突き出た花弁に特徴があります。
写真上 Calceolaria
scapiflora その特徴が良くわかるのが、写真下の名前のわからないカルセオラリアで、これは4月8日にウィルカコチャ湖で、また昨日も見ました。ここにも少しだけ咲いています。
岩の表面を塗装したみたいに植物が覆っています(写真下)。コケかと思ったら、黄色い花を咲かせていますから、違います。当然、名前はわかりません。
葉が真っ白で、どうやって光合成をしているのだろうと、生成AIに質問したら、白く見える毛の下には葉緑素を含む細胞があって、白い毛によって、強烈な紫外線を防ぎ、水分の蒸発を抑え、保温をするようです。文様として見ると、とてもきれいです。
写真下はたった一本、それも倒れて咲いていたので、この花の姿を十分に表現していません。“Flores Silvestres de la Cordillera Blanca”ではBartsia
diffusaという属名でしたが、KEW植物園の表記に従います。
写真上 Neobartsia
diffusa 写真下のフウロソウの仲間はペルー中部から、チリ、アルゼンチンなど南部にまで広く分布するばかりか、オーストラリアやニュージーランドにも帰化しています。
写真上 Geranium
sessiliflorum 写真下は、北米の他にペルーを含めた南米の南部が自生地で、世界中に外来種として広がっているようです。Wikipediaの英語版では、「1400m以下」という条件をつけているので、生成AIに質問すると、4000mを越える地域でも目撃されているから、正確ではないという。生成AIも自信たっぷりに嘘を断定しますから、あてにはならないが、外見が良く似ているのでこの名前を採用します。
写真上 Epilobium
ciliatum 高度が下がると、少し草花も違ってきて、写真下は5月8日のウィルカコチャ湖に行った時も道端で良く見かけた花です。
写真上 Bidens
andicola 四時をすぎて、斜めになった陽射しがパチャコト渓谷一帯を照らしています(写真下)。
岩絵より花 戻る途中で岩絵を見るためにバスを停めました。岩絵自体が薄れていてわかりにくい(写真下)。写真下は輪郭や色を強調してもこの有様ですから、目で見ると、かろうじて絵が描いてあるとわかる程度です。雨ざらしで、保存しないと消えてしまうでしょう。
写真下は岩絵ではなく説明用の看板で、倒れて、表面は汚れ、これ自体が消えかかった岩絵みたいで、説明用の看板が必要です。
お客さんの関心は、消えかかった意味不明の岩絵ではなく、岩に生えている草花です。崖の途中でボールのようなコロニーをつくり、見事に花を咲かせている植物があります(写真下右)。
題して「花いっぱいの地球」という平凡な名前はどうでしょう(写真下)。
写真上下 Saxifraga
magellanica
ユキノシタの仲間で、アンデス山脈に沿った太平洋側でエクアドルからアルゼンチンまで分布します。
写真下も同じ種類で、まだコロニーは小さい。2~3本の花を咲かせるまで何年もかかっただろうから、写真上になるにはどれほど時間がかかっていることか。
よくあんな所に種が落ちたものだと感心するような崖に、しがみつくように生えています(写真下)。
なんと見事なルピナスでしょう(写真下)。標高4400mにルピナスが咲いているとは驚きです。アンデスはルピナスの原産地の一つらしいから、こういう高山にも適応したのでしょう。
写真上 Lupinus
mutabilis 虹のお見送り パチャコト渓谷を戻る途中、おっ!虹が出た(写真下, 16:40)。私は虹が出ると、大歓迎されているか、別れを惜しんで見送りされているようで、単純にうれしい。「次回はプヤの花が咲いている時に来い」と言っている。
夕暮れの空を見ながら、サンタ川に沿ってワラスに戻ります(写真下)。ホテルの到着したのは、すっかり暗くなってからでした(18:50)。
ホテルの5階のいつもの食堂で夕飯です(20:08)。味付けはあっさりしているので、私の口に合います。毎晩ここでペルーの夕飯をとるたびに、リマのホテルの夕飯の味は何だったのかと、思い出してしまう。
プヤは、花が見られないとわかっていても、今回の旅行の一番の関心だったので、一つの山場をすぎた気分です。 表紙 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10・11 |