インド・ヒマラヤ西端に咲く青いケシ 2日目 2024年7月15日(月) ニューデリー → アムリトサル → チャンバ 今日から本格的なインド旅行の始まりです。早朝の飛行機でデリーからアムリトサルに行き、そこから車に分乗して、北東にあるチャンバに向かいます。下の地形図のように、アムリトサルは緑色の平野にあるのに対して、チャンバはヒマラヤ山脈の入口にあるのがわかります。 早朝の飛行機 夜中の2時のモーニングコールで、2時30分にホテルを出発するという。ロビーまで降りていくと、こんな時間なのに、私たち以外にもインド人のお客さんがいます(写真下左)。朝食の入った箱を受け取り、無駄にならないように、最小限を取り、箱ごと返品します(写真下右)。私はこの時間に食事はしません。 ほぼ予定どおりにホテルを出発(写真下左、02:27)。真夜中ですから、来た時と違い、道は空いています(写真下右)。 インディラ・ガンディー国際空港に到着(02:40、写真下)。海外ではよくあることで、空港の入口で航空券とパスポートがないと中に入れません。 真夜中だというのに、人は多い。私たちの国内便でも、チェックの厳しさは国際便と変わりません。手荷物の検査は特に厳しく、パソコンはもちろん、カメラ、電話機、バッテリー、傘などすべて出して、身体検査を受けます。普通の空港ではカメラやバッテリーは手荷物やジャケットの中に入れたまま検査を受けます。ところが、ここはすべて出せというのです。私のカメラの上にパソコンが半分乗っていたため、検査官がX線装置に入れ押して再検査しました。 幸い、検査では誰も引き止められることもなく、何とか通過できました。 私たちの飛行機はエア・インディアのAI453便で、機体はAirbus A321 Neoです。04:55にニューデリーを出発して、アムリトサルには6:10に到着予定です。 私の航空券の座席は26Dで通路側でしたが、幸い早朝便は客が少ないので、前の席の窓側に移動しました。機体がエアバスなので、窓が青くなることも、灯りが付かないこともない(笑)。 夜明け前のインディラ・ガンディー国際空港を予定よりも早く離陸(04:50)。離陸して10分後には、朝食が配られました(写真下)。本日、二箱目の朝食です。 窓の外で、朝焼けを背景に写真下の山のようにみえるのは積乱雲で、時々激しく雷が光っています。頼むから、こっちに来ないでほしい。飛行機は自動車と同じで、金属で覆われて、しかも電気的に宙に浮いているので雷が直撃したくらいでは、中にいる人が感電することも、飛行機が墜落することもありません。 アムリトサル到着 薄明りの中、眼下にアムリトサルの街が見えてきました(写真下)。 約40分ほどの飛行で、予定よりも30分以上も早く、05:32にアムリトサル国際空港(Amritsar International Airport、Sri Guru Ram Dass Jee International Airport)に着陸。 写真下が空港の建物で、青が混ざった緑色のガラスが印象的です。 今日から7月21日までガイドをしてくれるハリスさんが出迎えてくれました(写真下)。 私たちの乗る車は3台のトヨタのイノーバ(INNOVA)で、エアコンが効きます(写真下左)。昨年までこのツアーはエアコンの効かないインド車だったそうです。標高の高い地域が多い旅行でもエアコンがなければ大変だったでしょう。今回の旅行はピカピカのイノーバのおかげで快適でした。 私が乗った3号車のダッシュボードの上には、シヴァのリンガがお守りとして祭ってあります(写真下右)。 今日の最初の観光はアムリトサルにあるシク教の黄金寺院です。まだ六時すぎなのに、こんな早く行っても開いているらしい。人口120万人とは言え、地方都市のアムリトサルに国際空港があるのも、この黄金寺院があるからです。シク教徒が世界中に広がっている証拠のようなもので、2023年からシク教が原因でインドとカナダは対立して、ビザ発給の一時停止や外交官の引き上げなど、問題が拡大しています。 街中はすでに人々の活動が始まっています。アムリトサルはシク教の総本山ともいうべき寺院があるから、宗教的な雰囲気の街かと予想したら、さすがはインドで、そんな期待は見事に外してくれました。どう見ても、普通のインドのゴチャゴチャした街並みで、私は妙に安心した(笑)。 私は街中がターバンだらけと予想したら、これも外れて、そうでない男性のほうが目につきます(写真下)。 写真下のたまたま通りかかったオート・リクシャーは2台とも電気自動車です。インドの電気自動車の普及率は日本とあまりかわりません。しかし、オート・リクシャーという公共交通は、私が6年前に見た時と比べても大幅に改善され、大半が電気自動車です。オート・リクシャーのように短距離の移動なら、電気自動車が向いているからでしょう。日本は日常で電気自動車を見つけることも難しい。 門前町 黄金寺院の手前の門前町に到着(6:43、写真下)。ここで車を降りて、黄金寺院まで歩いて行きます。 街を歩いている人たちの多くがシク教徒なのでしょう。ターバンは中東では良くみられる習俗だが、シク教は独特の巻き方をするので良く見ると区別がつきます。シク教の成人男性のターバンのことをパッグ(pagri)やダスタール(dstar)というらしい。 写真下左の三人はたぶん親子で、左端の息子も頭にパトカ(patka)と呼ばれるターバンを巻いています。頭の上に髷を結って、それを四隅に紐のついた布で覆う。4~12歳までがパトカを付けます。女の子は自由なのか、何もかぶっていません。写真下右の周囲を歩いている子供たちは、彼らがシク教かどうかわからないが、何もかぶっておらず、通りではパトカをかぶる子供は例外です。 シク教では女性もターバンのような物を巻く習慣はあるようです。それらしい女性には会いませんでした。シク教の女性は、写真下左のように頭にスカーフ(Chunni)をかぶります。ただ、ヒンドゥー教やイスラム教の女性もスカーフをかぶるので区別がつきません。写真下右は典型的なシク教の夫婦ということになります。 写真下左で、男性3人はターバンを巻いているのに、女性2人はスカーフをかぶっていません・・・夫婦などグループかと思ったが、全然関係ない人たちだったのかもしれない。写真下右では左側の夫婦はヒンドゥー教徒で、右の二人の女性はシク教徒・・・本当かな? 黄金寺院にはシク教徒でなくても入れますが、男女を問わず、スカーフやバンダナをかぶる必要があります。そのために使い捨てのオレンジの三角頭巾を売っており、それをかぶったままの人が街を歩いています(写真下左)。 この件は旅行会社から事前に連絡があったので、皆さん準備してきました(写真下右)。私は山形農協からもらった薄手のタオルを、農協の文字が見えるようにかぶると、それで良いという許可が下りました。山形農協のタオルが黄金寺院に入るのは初めてでしょうから、歴史的快挙です(笑)。 いよいよ黄金寺院 写真下左の建物が黄金寺院かと勘違いしそうですが、勘違いで、あの建物は入口近くにある博物館(Central Sikh Museum)です。ここは黄金寺院の北東に位置する広場で、黄金寺院はこういう建物で囲まれた中にあり、ここは敷地の外側です。 広場の真ん中の噴水はまだ寝ているらしく、水は出ていません(写真下右)。 広場はかなりの広さで、おそらく集会に使われるのでしょう。ここは靴を履いたまま入れるが、きれいに掃除されていて、周囲にはまだ寝ている人がいます(写真下右)。 先に入口の奥にあるトイレに行きます(写真下)。黄金寺院の敷地には靴を脱いで裸足で入りますから、裸足でトイレに入る勇気のある人以外は、ここで用を済ませたほうがいい。 靴はまとめて袋に入れて預け、手や足を洗い場で洗います(写真下)。 大理石でできた床は写真下左のように、モップで掃除していますから清潔・・・ではない。その証拠が写真下右で、何か小さい点のようなものがたくさん見えます。小さなハエです。人間の濡れた足の裏からは死んだ細胞、つまり垢が落ちて、しかもモップ掃除で床にまんべんなく塗り広げますから、小さなハエにとっては湿ったタンパク質でできた御馳走の山です。 コバエは見なかったことにして、博物館のある建物を横切り、敷地の中に入ると、いよいよ黄金寺院です。写真下左の金色の建物が見たままの黄金寺院(Golden Temple)で、正式名称はハリマンディール・サーヒブ(Harmandir
Sahib)といいます。 私たちは博物館そばの出入口に立って、池を隔てて、黄金寺院を横から見ています。 下の衛星写真のように、黄金寺院は四角い池の真ん中にあります。池の周りに通路があり、四面を建物が囲み、これが敷地の壁の役割もしています。私たちは北東にある出入口から出入りしました。 黄金寺院の金色が金箔ならば、今は金も値上がりしているから、時価総額はナンボだろう。使われた金は450kgと1600kgという説があります。ここ景気よく1600kgを採用して、金の時価が1.3万円/gなら・・・なんだ、たった208億円かと、金貨も金の地金も持っていない私は言ってみる(笑)。建物そのものは特段の美しさはなく、やはりタージ・マハルを上回る建物はないらしい。 ここはシク教の、いわゆる総本山で、黄金寺院はその中心です。崇拝されているのはこの寺院に収められている教典で、拝観しようにも長蛇の列では何時間かかるかわからないので、私たちは池を一周するだけです。ただ、拝観しなくても、教典の文章はネットで公開されています。 日本にも平泉にある奥州藤原氏の金色堂、京都の金閣寺、秀吉の茶室などは、いずれも財力と権力を示すためのもので、黄金寺院も同列にしか見えません、と黄金と縁のない私は言ってみる。 ただ、ここには本物の槍を持った黄色いターバンの警備員がいて監視していますから(写真下)、私が黄金寺院は金ピカの成金趣味だと内心思ったのを見抜かれて、刺されると恐いので、感想は撤回します(笑)。 写真下左の2つの塔の間が出入口で、ここから私たちは目的があるので、時計回りに池を回ります。ただ仏塔のように回る方向が決まっているということではなさそうです。 池の東側では、沐浴する人たちがいます(写真下左)。ここで沐浴すると、68カ所の聖地を巡礼したのと同じ功徳が得られるという御都合な話です。女性は専用の沐浴場が別にあります。この池は元々は湧き水があったが、今は外から水を入れているというから、水質検査が必要です。 沐浴場のすぐそばにある建物はアト・サト・ティラト(Ath Sath Tirath)と呼ばれ、中に教典の写本が納められ、通路からガラス越しに簡単に見ることができます(写真下)。黄金寺院の対岸に位置し、写真下左の左側では、直接礼拝しようと人々が列を作っています。 通路には教典を礼拝する人たちがいて、その前を無遠慮に歩くのがためらわれます(写真下)。教典は内容を理解することが大切で、それを礼拝するのは奇妙な光景だと思うかもしれないが、日本の仏教はもっと奇妙なことをしています。 お釈迦様は彼の教法を知性で理解することを求めたのに、それを信仰しているはずの人たちは漢文経典を意味もわからず呪文のように唱えている。お釈迦様の言葉がわかりやすい現代の日本語に翻訳されている時代に、仏教を説く立場にある僧侶たちはいったい何をしているのでしょう? 食事は無料 私たちは教典を通過して、すぐそばにある食堂(ランガル)に入ります。なんと、ここの食事は無料で、信者でなくても、誰でも食べることができます。写真下が食堂で、食べたい人は席に座っていると、配膳係の人が回ってきて、容器に食べ物入れてくれます。過去の旅行記を読むと、ここの食事はおいしいとありました。 私以外のお客さんはここで食事をいただきました。私は旅行中に辛い物は食べませんので、善意で寄付された食材とボランティア(サバダール)の労働で作った食事を、残すとわかっていて受け取るのは礼儀に反しますから、写真を撮るだけにしました。 私のシク教の印象が良いのもこの無料の食事です。 2008年にインドのウッタラーカンド州にある花の谷に青いケシを見に行った時、標高4000mにあるヘムクンド湖のそばにシク教の寺院がありました。その食堂で飲んだ熱くて甘いチャイがうまかったので、お茶を出してくれた人に寄付を渡そうとしたら、寺院のほうで寄付しろと言われて驚きました。お金を出せと要求するインド人にはたくさん会ったが、こちらから出して断れられたのは初めてでした(笑)。この一杯のお茶で、シク教には良い印象を持っています。 食べ終えた食器は各人が洗い場までもって行くと、混雑しないように、そこでもボランティアの人たちが手渡しをしています(写真下)。洗っている所を見たかったが、近づける雰囲気ではありません。 厨房見学 食後、厨房を見学しました。料理を作る人も配膳している人たちも全員がボランティアです。約300人で10万食を準備するという・・・一人あたり300食!?それはいくらなんでも無理だろう。いったいどうやって人員の配置と手配を決めているのか、担当者に詳しく聞いてみたいほどです。 写真下はニンニクの皮をむくなど調理を手伝っているボランティアです。皆さん、おしゃべりをしながら楽しそう。時間制約も強制もなく、本人の自発的な意志だけで、自由に手伝いをしています。 寄付やボランティアだけで誰にでも食事を無料で提供するというやり方を具体的に調べた資料を探したのですが、『Himself He Cooks(邦題:聖者からの食事)』(Valérie Berteau ,Philippe Witjes
2011年、ベルギー)というドキュメンタリー映画以外は見つかりませんでした。 これが成り立つ理由の一つは、シク教が出家や宗教儀式を否定し、在家での労働を奨励しているからでしょう。これなら教団を維持するのに人件費が少なくて済むし、在家は働くことを美徳とするから収入があり、教団への寄付額も増える。黄金寺院が金ピカなのも信者が豊かだからです。 調理場など主な所にいるのは白い服とオレンジ色のターバンを巻いた人です(写真下)。先ほど池の通路にいた槍を持った警備員もこの組み合わせでした。たぶん、彼らは専従員で、任意のボランティアとは違うのでしょう。実際、専従員がいなければ、これだけの厨房や食堂の運営ができるとは思えません。 寄付とボランティアによって成り立つ食事の話よりも、専従員が何人いるのか、彼らの労働者としての人件費や社会保障はどうなっているのか、私はそちらに関心があります。 昔、バチカンを観光した時、信者たちが組織するサークルを紹介されました。互いに家族のように助け合う組織だという。だが、その組織の運営で使われるお金はどこからもたらされ、どのように使われて、誰が決めているのか、質問しても、わかりやすい答えは得られませんでした。 お金や金塊とはあまり縁がない私でも、昔、ある方から「どんな立派な組織でも、建前や看板ではなく、お金の流れを見ることだ」と言われて、以来、組織のお金の流れを見ることしています。 宗教組織のわかりにくさは日本でも同様で、日本では宗教法人に認定されると大きな税制優遇を受けることができます。どうして宗教法人だけが優遇されるのでしょう?小さな神社など課税されると運営できなくなるからだというが、それなら企業と同じで廃業するしかない。宗教団体からは「信仰と金儲けを一緒にするな」と反論するだろうが、企業もお金という神様の信者です。 本音はそんな末端の神社の問題ではなく、大手の宗教団体が議員たちの票田になっているからで、だから、どんなに税金が不足しても、宗教法人の優遇税制は議論の対象にさえもなりません。 圧巻はチャパティの自動製造機です。チャパティとは、発酵させない薄いパンのような主食です。写真下右の男性が原料を入れると、やがて写真下左から焼きあがったチャパティが出てくる。 写真下左は、食堂猫にしては痩せています。猫は私と同じで、辛い物は食べないから、ここは必ずしも食料が豊かな場所ではない。一匹しか見かけませんでした。 出口の所にある白い箱が寄付箱らしく(写真下右)、気が付いたのはこれ一つだけでした。 食事を終えて、再び池の周囲を回ります(写真下、8:18)。 池の北西にある黄金寺院への通路の向かいでは、音楽が演奏されています(写真下)。音楽が寺院全体にずっと流れていたので、生演奏とは気づきませんでした。 建物の前に集まっている聴衆は、柵の中には男性が(写真下左)、柵の後ろには主に女性です(写真下右)。シク教は、解脱に相当するムクティにはカーストも性差も関係ないとして、ゲイへの差別もしなかったという進歩的な宗教で、寺院(クルドワーラ)の中は男女が左右に分かれて座り、平等です。だから、ここではまるで男性優位のような前後というのは意外です。何か理由があるのでしょうか。 また、黄色いターバンに白い服を着た男性の専従員らしい人は見かけるが、女性の専従員らしい人は見かけません。 タマネギ 黄金寺院の観光を終えて、私は山形農協のタオルを外して、いよいよチャンバに向かいます(8:33)。道は途中のパタンコット(Pathankot)までは幹線道路として整備されており、通行に問題はなさそうです。 片側2車線の道路を順調に進みます。アムリトサルの郊外で、道路の上に巨大な建物が現れました(写真下)。アムリトサルは観光が重要な産業なので、10年くらい前に、市の出入り口の4カ所の幹線道路の上に、シク教の寺院をイメージした門を造ったようです。私がタマネギ門と名前を付けました(笑)。 道路から目立つのはシク教の寺院(グルドワーラー)で、ここがシク教が多いのがわかります(写真下)。逆にヒンドゥー教の寺院はほぼ見かけません。色が白いこともあり、日本の仏教やキリスト教のような陰気臭さがないのが良い。 真ん中のタマネギを乗せた建物の周囲をタマネギの塔が囲んでいます。写真上左は、周囲は金色のマッシュルームくらいの塔なのに、写真上右と下左は四方の塔もタマネギが乗っかり立派です。写真下右などは、真ん中のタマネギが3つもある。たぶんこれらは寺院の財力の差でしょう。 写真下は寺院までの門で、門の立派さも財力で決まる。またシク教徒が金銭的に豊かな人たちが多いのがわかります。 アムリトサルからパタンコット(Pathankot)の間には有料道路があって、写真下の二カ所は料金所です。有料区間は51kmで、料金は135ルピー(270円)です。海外で毎度感じるのは、日本は高速道路の料金が異様に高いことです。たとえば常磐道で、つくば市の「桜土浦」から「水戸北スマート」までの49.0kmの料金が1,490円で、距離がほとんど同じなのにインドの5.5倍です。両者は道路の規格が違うことや、インドはまだ日本よりも物価が安いことを考慮しても、5.5倍は変です。 有料道路を馬が普通に荷馬車を引き、道路脇では牛が草を食べている(写真下)。日本ではありえない光景です。 稲か麦の藁を山積みした車両ともしばしば出くわします(写真下)。このパンジャーブ州などで稲藁を燃やすので、煙が風に乗ってデリーまで飛んで大気汚染を引き起こしているようです(研究ニュース、総合地球環境学研究所、2023.10.02)。しかし、写真下は大量に形を整えて移送するのだから、わざわざ燃やすためではないはずです。 政府の後押しもあり、農家から藁を買い取り、燃料、家畜の餌、土壌改良剤として使おうという会社が現れました(News Week 日本語版、2019年6月20日)。この記事から5年後の今もたくさんの藁が運ばれているのだから、計画は順調のようです。同様に、藁から航空機用の燃料(SAF)を作ろうという試みもあります(GLOBE+、朝日新聞、2024.03.21)。藁で飛行機が飛んだら面白い。 大量の藁があるくらいで、周囲には田畑が広がっています。写真下は植えて間もない田んぼらしく、稲穂の背は高くありません。二期作なのでしょう。 有料道路でも道の両側には出店があります。田舎なので、日本のような道の駅やコンビニはありませんから、こういう店でちょっと休憩する。写真下の4軒の店の日傘が同じなのがおもしろい。 駐車場などなくても、インドは幹線道の両側を広く取ってあるので、店も車も交通の邪魔にはなりません。 写真下はいずれも緑と黄色の果物を売っています。あとでこれがマンゴーだとわかりました。 写真下の道端で売っているのは籐の椅子です。日本と違い、こんなふうに地面に直接置いても気にしない。私の感覚では赤と青の縁模様が邪魔だが、インドではこれがないと売れない。 写真下はインドの幹線道路で時々見かけるぬいぐるみで、特に赤やピンクのクマは南インドでも見かけましたから、インドの子供たちには人気があるらしい。 ヘルメット無しの5人乗りバイク インドの道路を走っていると、日本では見られない光景が次々と飛び込んできて、驚きの連続です。その一つがバイクに乗る人たちです(写真下)。二人乗りが珍しくなく、しかもヘルメットもかぶっていない。 写真下左のようにヘルメットをかぶる人もいます。しかし、探すのが大変なくらい少ない。この後の旅行中に見かけた人たちも、運転手はヘルメットをかぶっていても、後ろに乗っている人はほぼかぶっていません。事故時の両者の危険度にほとんど差がないことは、専門家に聞かなくてもわかります。 多いのは後ろの座席に奥さんや娘さんらしい女性を乗せる男性です(写真下)。しかも、女性はバイクにまたぐのではなく、ほぼ横座りです。横座りをすれば、身体の重心がバイクの進行方向とずれるから、ちょっとしたバイクの横揺れにも弱いだけでなく、運転もしにくく、転倒しいやすいはずです。 写真下のように女性が前の男性につかまっているのはまだいいほうです。 おそらく大半が右手だけでつかまっている(写真下)。両手でつかまっても事故では自分の体重など支えられないのに、支柱などを握るのではなく、座席の端をつかんでいるだけで、これでは事故の時にはほとんど意味がありません。後ろの人がバイクにつかまりやすいように、手すりを取り付ければいいのに、バイクを見るかぎり、それらしい部分は見当たりません。 右手だけでも掴んでいる人はまだいいほうで、写真下の女性たちは何もつかまっていない。素晴らしいバランス感覚だと皮肉を言いたくなります。 写真下は後ろの女性がバイクにまたいで乗っていて、この日見かけたたった1人です。またいだだけでは安全とは言えないが、足も着いているから、本人も運転手もバランスはまだとりやすい。ただ、ごらんのように、女性は手放しです。 写真下はスクーターなので、数の少ない女性ライダーです。南インドでは女性ライダーが多かったが、北インドは少ない。写真下右は間に女の子をはさんで、3人乗りです。 3人乗りは日本ではもちろん禁止です(写真下)。しかし、これだけ見かけるのだから、インドでは禁止ではないらしい。 乗客は増えて、写真下左は親子の4人乗りで、写真下右は父親の前に男の子が2人、母親との間に女の子が1人いて合計5人乗りで、本日の最高記録です。 実は乗客はさらに増えて、彼らのバイクにはもう一人、透明な乗客がいて、皮肉抜きで、死神が乗っている。 ストリートビューで地政学 下の地図で、インドなどに虫がはったような青緑色の細かい線があるのは、Googleのストリートビューが行われた道を示しています。ストリートビューは街中を全景で撮影して公開しますから、国内を丸裸にするようなものです。この地図は、自由で民主的な国であるかどうかの一つの指標で、インド、スリランカ、タイ、マレーシアなどが該当するのがわかります。 そのインドでも私たちがこれから行く北西部の一帯はストリートビューがありません(下の地図)。ヒマーチャル・プラディシュ州などほぼありません。これは車も入れないヒマラヤの山の中だから少ないというだけでなく、主に軍事的な理由でしょう。西のパキスタンや東の中国と領土や国境問題を抱えた地域ですから、ストリートビューは敵に情報を伝えることになりかねない。 いよいよ私たちはストリートビューのない地域へと進みます。 パタンコット通過 快適な有料道路はパタンコットまでで、有料道路の運営会社からの「ご利用ありがとうございます」というお礼の看板をくぐり、ここからは普通のインドの道路です(11:12)。 地図だとチャンバまで距離だけは2/3くらい来ていますが、これから山道に入るので、時間的にはここからのほうが長い。 道路の脇で売られているのはバナナ、リンゴ、マンゴーです(写真下)。いくら涼しいヒマラヤのそばでも、7月中旬に今年のリンゴが普通に売られているのが不思議です。 今の時期、日本のスーパーでは昨年から冷蔵保存したリンゴしかありません。リンゴの産地の山形でも、新しいリンゴは7月末に少し出てくる程度で、8月後半にならないと安定的な供給はありません。それなのに、どうしてインドではリンゴがあるのだ?昔、イスラエルに行った時、3月なのに新鮮な柿があるのを見て驚きました。 見つけた!建物の屋上に太った鳥がいます(写真下)。あれは貯水槽だという。過去の旅行記にも今日のコースからの目撃談があり、私はこの貯水槽鳥を探して、ようやくパタンコットの街で見つけました。過去の複数の旅行記の記述があるのに、私が見たのはこの一カ所の3匹だけでした。絶滅危惧種か? パタンコット近くで見かけたのはシク教ではなく、ヒンドゥー教の寺院で、どうやらシク教圏から出たらしい(写真下)。 写真下の私たちの車は州境の橋を渡っているところで、パンジャーブ州からヒマーチャル・プラディッシュ州に入り、写真下の門がヒマーチャル・プラディッシュ州側の門です。 昼食 州境の門を通って、カンドワール(Kandwal)にあるレストラン(Jyoti's Hotel and Restaurant)で昼食です(11:38~13:01)。ホテルなので、外見や庭はしゃれた雰囲気で、レストランはこの建物の一階です(写真下)。 ホテルの受付には仏像が2つ置いてあります(写真下)。しかし、右隣はヒンドゥー教で人気のあるクリシュナの子供の姿で、しかも、奥の壁にあるのはシヴァと妻のパールヴァティで、こちらは花飾りを付けてありますから、祭られています。質問すると、ここの人たちが仏教徒ではなく、仏像は単なる飾りのようです。 仏教徒でもないのに仏像がある理由を示すのが、食堂の壁にあるダライ・ラマの写真です(写真下)。この店を訪問した時の写真らしい。ダライ・ラマが居住するダラムサラはパタンコットから東に約100km、車で三時間ほどです。写真下右で、下に台があるのは写真を祭る供物台ではなく、写真はただ飾ってあるだけです。 写真下左に焦げ目のついたパンのようなものが2皿あります。左が全粒粉をこねてフライパンで焼いたチャパティで、右は小麦粉を発酵させ、タンドールというカマドの内側に張り付けて焼くナンだという。私は普段、全粒粉を混ぜたパンを作り食べているので、小麦粉と全粒粉なら区別できるはずだと食べてみましたが、見た目も味も匂いも見事に区別がつきませんでした(笑)。 ガイドのハンスさんは両者の目隠しテストで言い当てました。 写真下左は私が注文したラッシーで、日本のヨーグルト・ドリンクです。マンゴー入りがあるというので注文しました。何も入れないのが180ルピー(360円)、マンゴー入りが200ルピー(400円)で、この差額をみても、ここはマンゴーが安い。 マンゴーの巨木 ヒマーチャル・プラディッシュ州に入って間もなく道路が平地から山道になり、私たちはようやくヒマラヤの麓に到着しました(写真下)。先ほどのレストランが標高400m弱で、これから標高2400mのジョット・パスを越えて標高1000mほどのチャンバまで行きます。 道端にマンゴーを売っているのを見つけて車を停めました(13:57)。写真下に写っている巨木がマンゴーだという! これがマンゴー!?予想外の外見と巨大さに圧倒され、スッゲェーとしばし見惚れる(写真上下)。前に見たマンゴーの木は普通の果樹のイメージで、こんな巨木は初めてです。 売っているマンゴーの中にこの巨木から採ったマンゴーがあって、一回り小さいのがそれらしい。食べてみると、これまで食べたマンゴーに比べて酸っぱさがある。これまで食べたマンゴーは甘いだけで、酸っぱいのはありませんでした。今のマンゴーは実が大きく甘くなるように品種改良されたはずで、これは改良される前のマンゴーなのでしょう。 マンゴーはインドでは古くから栽培され、仏典にも出てきて、アンバパーリーという有名な遊女が所有したマンゴー園にお釈迦様が滞在したという記述があります(『ブッダ最後の旅』中村元、岩波書店、54ページ)。たぶん、アンバパーリーがお釈迦様に供養したマンゴーもこの巨木のマンゴーのように、実が小さく、酸味があったのでしょう。 この前後でも道端でマンゴーを売っていました(写真下)。ただ、ここを過ぎた後は、ほぼ見かけませんでした。 ひたすらウネウネと、人生のように曲がりくねった山道を進む(写真下)。 走っている道が下の地図の青い線で、目の前の谷の対岸に行くのに大きく迂回しますから、直線の何倍もの距離を走ることになります・・・ほらね、人生みたいでしょう? 写真下では、岩に斜めに線が入っていて、それは奥の山の斜面も同様です。ここは昔は海などで泥が貯まって層になっていたのがヒマラヤの造山活動で押し上げられ、今では斜めになって浸食されている。 九十九坂(つづらざか)でも、道の大半は舗装され、何よりも崖崩れがありません。崖崩れがないのは、ここはまだヒマラヤの入口なので、これでも山が急峻ではないからです。 平らになっている所にChuari Khasという町があって、このあたりで標高1000mです(写真下)。 小さな集落が点在し、斜面が段々畑なので食料には困らない(写真下)。 写真下のように、所々の集落などは道も良く快適に通過できます。 道端の寺院や祠は外観からヒンドゥー教が多い中、写真下右だけはシク教のタマネギ頭のように見えます。 マツクイムシがいるらしく松が枯れています(写真下)。今回は今日と明日に、道路からマツクイムシの被害が何ヵ所かで見られました。日本ではここ半世紀ほどマツクイムシの被害は減少しているので、ほとんど騒がれないが、なくなったわけではありません。 ジョット・パス ジョット・パス(Jot pass)に到着して、ここでトイレ休憩です(15:35~16:06)。写真下に写っているのが峠の主な建物で、元々ホテルが一軒あり、さらにその隣に別なホテルらしいのが建築中です。 ホテルに隣接する峠の茶屋で、甘いチャイとお菓子で一休み(写真下)。 道路はさんでホテルの真向かいに展望台があるのに、ナントカと煙の私が行かないはずがない(写真下)。 薄く霧がかかっているので、展望は良くないが、標高2400mだけあって、踏み荒らされた中にも花が咲いています。写真下はヒナギクの仲間なのに、姿形があまりにありふれすぎて、名前が特定できません。 写真下の紫色が印象的な花は、日本にあるトキワハゼの仲間で、ヒマラヤではそれほど珍しくはありません。 写真上下 Mazus
surculosus 写真下の白いアザミは、ヒマラヤの西側では良くみられ、今回もあちこちの道路脇で見られました。 写真上 Echinops
cornigerus テンナンショウの仲間がたくさん生えています(写真下)。樹木の下に生えているものと思っていたら、こんな樹木もない明るい山の斜面に群落している!?アフガニスタンから中国のヒマラヤにかけて分布します。 写真上下 Arisaema
jacquemontii 英語名が「ヒマラヤの緑色のコブラ百合(Himalayan Green Cobra Lily)」という奇妙な名前で、コブラはいいとしても、どう見ればこれがユリに見えるのか?? 写真下のハッケリアの青い色を見ると、いつもヒマラヤやチベットに来たという気分になります。ネット上の”Flowers of india”や”e Flowers of india”では花が白いのはHackelia macrophyllaとありますが、写真下の二つは花の色を除けば、ほぼ同じなので、たぶん同種です。 写真上 Hackelia
uncinata 写真下のシソの仲間はヒマラヤの標高1000~3400
mで一般的なだけでなく、日本でもトウバナという名前で生えていて、中国や東南アジアにもあります。つまり珍しくもない花です(笑)。 写真上 Clinopodium
umbrosum 写真下は日本では外来種のゼニバアオイにそっくり。ユーラシア大陸が原産ですから、ここにあってもおかしくありません。 写真上 Malva
neglecta 写真下はセイヨウイラクサとセイヨウノコギリソウで、いずれも日本に来ています。 こんなふうに標高2400mのヒマラヤの麓にしては、日本にもあるようなありふれた植物が多く、面白味はいまひとつです。車がたくさん通る幹線道路のすぐそばで、踏み荒らされているからでしょう。 写真上 Urtica dioica 写真上 Achillea
millefolium チャンバまでの道の風景 標高2400mのジョット峠をピークに、ここから標高1000mのチャンバまで降りていきます(16:11)。 ド派手に花を飾り付けた対向車と何台もスレ違います(写真下)。新婚らしい。新婚で浮き浮きしている上に、フロントガラスに花を貼り付けて視界をさえぎっていたら、山道では怖い。このままの格好で旅行するのだろうか??私が新郎なら絶対嫌だ(笑)。 道の脇で良く目につくのが外来種のランタナです(写真下)。2018年に南インドに行った時にも、そちらこちらで見かけました。たまたま停車した時に窓から撮れるほど多い。 写真上 Lantana
camara 道を行き来する人たちを見ていると飽きません。道端に一人たたずむ人、道脇で座り込んで会話をしている人など、日本ではまず見かけない光景です(写真下)。 写真下では子供と散歩しているなど、1000~2000mの高山という緊張感はありません。ヒマラヤの高地だと、勝手にこちらが思い込んでいるだけで、彼らには生活圏の道路なのでしょう。 峠のほうに登る人は少なく、チャンバの方に下りる人が圧倒的に多い(写真下)。 逆に、子供たちはほぼ全員が山道を登って来ます。つまり、チャンバのほうに学校がある。 毎日、この道を往復していたら、足腰が丈夫になり、日本の体育のような偏った身体の使い方と違い、健康には良い影響を与えるでしょう。 家畜も家に帰るところです(写真下)。 この幹線道路は地元の人たちの生活道路なので、道の脇には野菜を売る露店があります(写真下)。写真下右のオバサンが売っているのは二十日大根、横文字でいえばラデッシュではないか。 露店の多くが、道路が谷に沿ってU字になっている一番奥、つまり谷川が流れてくるあたりです。写真下左で奥のほうまで見えているのが谷川の上流です。U字だから車から店が見えやすく、水が流れていることで、客も集まりやすい。写真下右は、谷の上から流れて来た水で何か洗っているようです。 写真下左は谷にある水場で、三角形の屋根の上に谷川から引いたホースが見えます。写真下右でも、水場のすぐ隣に露店を開いています。 二つの水場ではシヴァが祭られています。シヴァは天界から流れる川を頭で受け止めて、勢いを弱めてから地上に流しているとされていますから、水と深く関係した神様です。 道端の祠はヒンドゥー教の寺院ばかりで、シク教は完全に消えました(写真下)。 写真下左は、入口に飾られているのはシヴァと妻のパールヴァティ、奥に祭られているのは猿の神様でハヌマーンです。写真下右では、入口の上に飾られているのはシヴァと妻のパールヴァティなのに、屋根の上に貼られているのは虎に乗ったドゥルガーです。ドゥルガーもシヴァの妻で、いよいよ「ドゥルガー王国」に入ったことを意味します。 チャンバ到着 やがて車はにぎやかな街の中に入って来ました(写真下)。ここが今日の宿泊予定地のチャンバです。 ちょうど夕方の通勤時間らしく、通勤客がTATA製の路線バスを待っています(写真下)。 写真下右の狭い階段を登った先にホテルの入口があります。教えられなければ、誰もこの先にホテルの入口があるとは考えないような細い階段です。ここは山の斜面にできた町なので、建物は斜面に所狭しと建っています。 細い階段を無事に登り、今日のホテルHotel City Heart に到着(17:33)。建物の中はインドの田舎のホテルの普通のロビーで、自称三ツ星ホテルです(写真下)。 私の303号室は・・・おや!手前の部屋にソファーセットがあり(写真下左)、奥に寝室があり(写真下右)、バスタブもついたすごい部屋です。これならこのホテルへの評価は余裕で4.0です。ところが、いつまでたってもスーツケースが届かないので、下に降りていくと、すでに届けてあるという?? ホテル側が部屋を勝手に305号室に変更したのに、私に連絡しなかったのです。私は303号室と聞いたし、自分の記憶などあてにしていないので、メモを取る。メモには私は303号室、添乗員の林田さんは308号室と書いてあります。ホテル側が303号室が特別な部屋だと気が付いて勝手に変更して、連絡もしなかったのはいかにもインド人らしく、「インド人には勝てない」(笑)。 写真下が実際に私が泊った305号室です。エアコンは猛烈な騒音で、夜は付けたままは眠れません。303号室と違いバスタブはないが、お湯は電気で沸かす量は出ますから、問題ありません。自称三ツ星ホテルで、料金はネットで見ても3000~5000円ですから、ホテルへの評価は五段階評価の3.5とします。 ミンジャール ホテルの西に、道路をはさんで広場(Chaugan)が見えます(写真下左)。この地域にしては珍しく平らで広い土地です。夕方になり、涼しさを求めて人々が集まっています(写真下右)。 この広場では夏にミンジャール・メーラ(Minjar Mela)というお祭りが行われ、過去の旅行記でも7月24日にここを訪れた時に目撃したとありました。 ミンジャール・メーラに関係した物を、今日通過したパタンコット近くの露店で見ました。写真下の店で、黒い房のようなものがたくさんぶら下がっていて、部分的に拡大したのが写真下右です。実際に房で、これが祭の語源となったミンジャールです。 写真下は後日、旅行8日目の7月21日に、マナリからチャンディーガルに行く途中の道で見かけた露店です。写真上の黒い房と良く似た房状の物が売られています。これが売られていたのはナグウェインという街の近くだけで、他では見かけませんでした。 ミンジャールを見かけたパタンコットやナグウェインは、地図でもわかるように、チャンバからはかなり離れており、チャンパのお祭りのためにこの二カ所でミンジャールを売っていたとは考えにくい。チャンバの祭と同じような、ミンジャールを使ったお祭りがこの時期にあちこちで行われるのでしょう。 ミンジャールは稲とトウモロコシを表わした絹の房で、祭はミンジャールが配られることで始まり、男女がそれぞれ着用し、最後に果物と一緒にミンジャールを川に流して祭が終了します。ただ、ネットの祭の写真では、参加者がどこにミンジャールを着けているのかわかりません。 チャンバの商店街散歩 チャンバの商店街は祭を控えてミンジャールがたくさん売られているだろうと期待したら、ミンジャールらしいのは写真下左一カ所だけで、後は祭りの飾りらしいのがあるだけで、見つけられませんでした。 ミンジャールが少ないだけではなく、街には祭の気配がない。祭は「シュラヴァナ(Shravana)月の第2日曜日」に行われ、西暦の7月か8月らしいから、今年は8月とすれば、まだだいぶん先なのでしょう。 表通りだけでなく、広場(Chaugan)の周囲にも市場があり、かなりの人でにぎわっています。 買い物客は地元や近隣から来た人たちで、観光客という雰囲気ではありません。 ホテルに戻り、7時からホテルの食堂で夕飯です(写真下)。 食堂は広々としていて、レストランの客は私たちだけらしい。 今日は朝早かったので、起きてからすでに18時間をすぎています。早く寝ましょう。 |