インド・ヒマラヤ西端に咲く青いケシ 5日目 2024年7月18日(木) キラール ←→ スーラル谷 朝、起きて外を見ると、曇り空です(写真下)。昨夜、雨が降っていたので、雨が上がっただけでもありがたい。 七時半からホテルの食堂で朝食です(写真下)。お粥と梅干がうれしい。私は数日前に風邪をひいて、扁桃腺が腫れて、食べ物を飲み込むたびに喉がかなり痛い。添乗員の林田さん(仮名)から風邪薬をもらって飲み始めてから、自分でも風邪薬を持って来ていることを思い出しました(笑)。 晴れ女と晴れ男 今日は、パンギー渓谷の奥にあるスーラル谷を訪問し、バトリなど2つの村を訪ねる予定でした。私は林田さんに頼んで、スーラル谷の花を見るオプショナルツアーを作ってもらい、別行動をしました。 この時期、ヒマラヤは雨が降るからこそ花が咲くとわかっていても、雨はありがたくない。ネット上のパンギーの天気予報は、下記のように二カ所ともに曇りで午後は雨という、あまりありがたくない予報でしたから、私は朝、雨具とスパッツ、そして防水カメラと完全装備で出かけました。 しかし、幸い予報は外れて、午前中曇っていたものの、午後遅くから晴れて、良い天気でした。なにせ、今回の旅行のお客さんの二人が晴れ女と晴れ男を名乗ったくらいで、最強です(笑)。今年は雨が少ないとのことで、地元の人にとってもヒマラヤ全体にとってもうれしくない話です。 ところが、今年の6月下旬に雲南とチベット地域に青いケシを探しにいった方の旅行記「青いケシの回廊 雲南からチベットへ」では、雨天が多かったとありますから、ヒマラヤの西と東ではずいぶん違っていたようです。 私が乗る車はスズキの黒い車で(写真下左)、現地のガイド付きです。車のお守りはシヴァの息子で象頭のガネーシャです(写真下右)。スーラル谷のバトリ(Sural Batori)までは一緒なので、全員で出発します(8:32)。 バトリまで前は二時間かかったのに、道を直したので一時間半で行けるという。 私がパンギー渓谷とスーラル谷と表記して、渓谷と谷を区別していることにはさして意味はありません。パンギー渓谷と言っても、明瞭に線が引ける地域ではなく、実際にはスーラル谷も含めた地域をパンギー渓谷と呼ぶようです。スーラル谷も、この後に見ていただければわかるように、私の自宅の裏山の谷とは比較にならないほど広大で、どう見ても渓谷です。 民族衣装 スーラル谷の入口に入ると、民族衣装を着けた女性が道を歩いています(写真下)。早速、林田さんが交渉して、写真を撮らせてもらうことになりました。 特徴的な頭に乗せた毛織物の髪飾りはジョージ(joji)で、髪の毛は必ず三つ編みです。耳にたくさん付けたイアリングはカル(kalu)、銀でできた首飾りはドドマラ(Dodmala)と呼ばれています。 私はこの女性に見覚えがある!ネット上の「Luntaの小さい旅、大きい旅」の著者が、2016年に今回と同じツアーに参加した時の旅行記に、孫を抱えた彼女が出ていました(写真下右)。この旅行記はとても参考になり、繰り返し読んだので、彼女の顔も覚えていたのです。写真下の彼女の白黒のチェック模様の上着はたぶん同じ物です。 写真上右 「Luntaの小さい旅、大きい旅」「西部ヒマーチャルの旅」から転載 この後、もう一人、同じような民族衣装を着けた女性を見かけました(写真下)。一番外に着ている服はチャドル(Chadru)で、イスラム教徒の女性が着る服と同じ名前ですから、イスラム教の影響でしょう。 写真下左の人がかぶっている円筒状の帽子はヒマラヤの民族衣装の一つで、旅行の後半でもしばしば見かけました。ただ、かぶっている人は少数です。これもトルコやインドネシアなどイスラム教国で見られる帽子と似ていますから、イスラム教の影響でしょう。 しかし、こんな特徴ある民族衣装はこれくらいで、この後、スーラル谷にある集落を通過しても、服装は一般的でした(写真下)。 女性の大半も普通のインドのこの地方の格好をしています(写真下)。このパンギー渓谷に住んでいる人たちはパンワラ(Pangwala)と呼ばれ、彼らの固有の言語パンワリ(Pangwali)は絶滅寸前です。 道端の花は外来種 朝の出勤時間なので、路線バスがキラールのほうに下りて行きます(写真下)。 スーラル谷の中頃で休憩(9:31)。道路の周囲や畑には、白い花を咲かせた背の高い植物がたくさん生えています(写真下)。名前を聞かれましたが、わかりません(笑)。写真下の2つは別な植物なのに、遠目には区別がつきません。 写真上右の植物は、もう少し後に紹介することにして、先に写真上左の植物を紹介します。それが写真下で、花も葉も全体の姿形も日本のナナカマド(Sorbus)そのままです。『ヒマラヤ植物大図鑑』と “Flowers of India”にはなく、“eFlora of India”に外来種としてありました。このナナカマドは日本ではセイヨウナナカマドと呼ばれ、欧州原産とされています。たしかに、この樹木は道端に多く、この後、私は別行動で花を探した時には見つかりませんでした。 写真上 Sorbus
aucuparia モウズイカが咲いています(写真下)。チベットや中央アジアでも珍しくありません。インドでも分布していることになっていますが、今回は道端や人家の近くでしか見かけなかったので、これも外来種や内来種かもしれません。 写真上 Verbascum
thapsus 一時間半ほどでスーラル谷の一番奥にあるバトリ(Sural Bhatori)に到着しました(9:54)。バトリとは村をさす名前で、スーラル谷の中でこの地域はカングサール(Khangsart)と呼ばれているようです。 到着していきなり驚かされたのが、道端の青いケシです(写真下)。写真下右のような道路脇の畑の雑草の中に青いケシがたくさん咲いているのをお客さんが見つけ、私など気がつかず前を通りすぎた(笑)。畑の雑草が青いケシです!? 写真上下 Meconopsis
aculeata 過去の旅行記でも、バトリの集落の近くに青いケシが咲いていたという記述があり、バトリ自体が3400mほどもありますから、あってもおかしくはありません。昨日、サチ・パスで見たアクレアタに比べて、青が強く、まるで透明感のないホリドラ(Meconopsis horridula)みたいです。 滝を目指す ここで私は皆さんとは別行動になります。皆さんはバトリの村や寺(ゴンパ)を訪問します(下地図)。私はガイドと運転手の3人で、小学校の脇を通り抜けて、北東にある滝(chavi waterfall)に向かいながら、花を探します。 小学校の近くの道に車を停めて、そこから沢を渡り、いよいよ出発です(10:04、写真下)。ガイドの話によれば、ここから滝までは1時間とのことでした。この日、私は上の衛星写真の小学校から滝(Chavi Waterfall)までの間を約5時間半、休むこともなく花を探しました。昼の弁当は、時間がもったいないので省略して、林田さんが別に渡してくれたオニギリ一つを歩きながら食べました。1時間の距離を5時間半ということは1/5の速度で歩くのですから、休む必要はない(笑)。 支流の川を渡ると対岸で大勢の人たちが道を直しています(写真下)。バドリは小さな村だから、おそらく全戸で少なくとも一人が来ている。坂の上に見えるのが小学校(Govt Primary School Sural Bhatori)で、子供たちのために学校の周囲の道を補修しているのでしょう。おかげで私も楽に歩ける。 小学校をすぎると、山道はスーラル谷を作った川に並行に谷の東奥に向かって続きます。川が作った河原の中の道なので歩くのは楽です。写真下の青いシャツの人が地元のガイド、もう一人が運転手です。 スーラル谷を作った川は、GoogleなどにはHangrung Nalaとあるが、これが川の名前なのか、ネットで調べてもわかりません。道の周囲の畑は限定的で、河原の一部に畑があるという感じです(写真下)。植えてあるのは、たぶんジャガイモとマメでしょう。 畑の作り方がおもしろい。写真下左のように石に合わせて畑の形を変えています。大きい石をそのままにして、周囲の石をそこに集めたのでしょう。ここは川が作った河原ですから、何世代にもわたって石を取り除いて畑にした。なぜわかるかというと、私の自宅の畑がそうだからで、畑を20cmも掘ると河原の石ころがたくさん出て来ます。 南側に東西に流れる本流と(写真下右)、北側の滝から流れて来る川があるので、周囲には十分な水が供給されて、草花には楽園です。青いケシは湿気を好みますから、先ほどの畑の土手に生えているのもいつも水分が豊富だからでしょう。 写真下左が先ほど車から見た風景で、白い花が畑を取り囲むように生えています。2種類の白い花のうち、残り一つが写真下右で、背丈が2mくらいまで高くなるタデの仲間です。一つ目の樹木のナナカマドとは別種で、こちらは草花ですが、遠くからは区別がつきません。 写真上下 Koenigia
alpina 学名のKoenigiaは『ヒマラヤ植物大図鑑』(吉田外司夫)ではAconogononでしたが、今は前者に統一されています。 白い花で次に目につくのが写真下のセリの仲間です(写真下)。日本でも人の背丈より大きいセリの仲間があります。そこまで大きくなく、しかも、ここのセリの仲間の中ではこれが一番大きい。 写真上 Heracleum
candicans セリの仲間でも、写真下のように花が小さいと目立たないので気が付きにくい。花の付き方を見て、ようやくセリの仲間だとわかります。 写真上 Bupleurum
marginatum チベットでは定番のようなヤナギランです(写真下)。チベットなら群落していることも珍しくないのに、ここは数が少なく、生えている場所も限られていました。ヒマラヤでは標高3000~4300mに分布するという。黒海の東にあるジョージアでは標高1500mほどの所に生えていました。 ヤナギラン属は日本のウィキペディアではChamerion とされていますが、今はEpilobiumに入っているようなので、こちらを採用します。 写真上下 Epilobium
angustifolium subsp. circumvagum ツリフネソウはこの一株しか見つけませんでした(写真下)。ヤナギランのピンクと似ているので気が付かなかったのかもしれません。 写真上 Impatiens
thomsonii アザミにマルハナバチが停まっています(写真下)。アフガニスタンからこの地方までの標高2000~4500mに生えていて、咲き始めなのか、この一カ所でしか見られませんでした。 写真上 Carduus
edelbergii 高山植物の定番の一つアズマギクが咲いています(写真下)。数はそれほど多くありません。 写真上 Erigeron
multiradiatus 写真下は「ヒマラヤのタンポポ(Himalayan Dandelion)」という立派な名前のわりにはありふれた姿のタンポポです。ヒマラヤやチベットなどかなり広い範囲に分布し、標高2000~4500mに生えるというから、立派な高山植物なのに、何度見てもただのタンポポにしか見えない(笑)。 写真上 Taraxacum
parvulum 「ヒマラヤのナデシコ(Himalayan Pinks)」という名前が付いているヒマラヤのナデシコです(写真下)。大半が写真下左のように花弁が筒状に丸まっていて、写真下右のように開いているのは少数です。かすかにピンク色が混ざっているのが見られるが、遠目にはほぼ白です。可愛らしさという点では日本のカワラナデシコが勝っています。 写真上 Dianthus
angulatus 写真下は昨日サチ・パスで見たフウロソウとは別な種類で、こちらのほうが青が強い。 写真上下 Geranium
himalayense そうは言っても、周囲を探すと、紫から赤まであります。ただ、総じては赤が少ない。 写真下は日本のシラタマソウそのままで、欧州が原産で、私は今年の春に地中海のマルタ島でお目にかかったばかりです。インドでは切手になっているくらい一般的です。『ヒマラヤ植物大図鑑』(吉田外司夫、645ページ)にも掲載されていますから、ヒマラヤでは普通に見られるらしい。 写真上 Silene
vulgaris 写真下は花に筋が入っているから別種です。学名にインドが入っているように、パキスタンからヒマラヤ南側のインド側の標高2,300~3,900mで見られます。 写真上 Silene
indica 日本の高山植物の定番の一つがシオガマギクなのに、ここは種類も数も少ない。写真下は2000~4000mのヒマラヤで良く見られます。 写真上 Pedicularis
gracilis シオガマギクかと勘違いするのが写真下のシソの仲間です。葉を見ると、別種だとわかります。そして、コイツにも学名で悩まされる。 写真上下 Stachys
splendens 『ヒマラヤ植物大図鑑』(吉田外司夫、200ページ)ではS. emodiiとあるが、ネットで検索した範囲ではS. emodiです。しかも、イギリスのKew植物園の記述では、S. emodiは今はS.
splendensだという。“Flowers of India”でもこの表記を採用しているのに、“eFlora of India”では、S. emodiもS. splendensも正しくなく(Illegitimate、Invalid)、S.
melissifoliaが正しいのだという。 過去の経緯から複数の学名があるのはしかたないとしても、こんなわかりやすいシソをどうして一つの学名に決められないのか、素人には理解できません。 写真下はもう一つシソの仲間で、アフガニスタンからネパール西部までの標高2700~4800mに分布します。 写真上下 Nepeta
discolor このシソに赤と黒の虫がたくさん着いていて、ちょっと気色悪い(写真下)。インド、スリランカから中国にもいるツチハンミョウの仲間です。日本のツチハンミョウは地面を歩き回るのに、コイツらは花の上で何をしているのだろう? 写真上の昆虫 Hycleus
pustulatus 毛虫が少ないのは残念です(笑)。 これだけ花が咲いているのに虫はあまり多くなく、チョウも探すのに苦労するほどです。私は帽子から靴まで、虫よけスプレーを浴びて来たのに、さして意味がなかった。 写真上 Aulocera
brahminus ヤクか牛の骨が置いてあります(写真下左)。チベット高原の荒涼した風景の中にあると絵になるが、ここは緑豊かなので、イマイチです。 青いケシ 先ほど、車を降りた畑の土手にも青いケシがあったくらいですから、この河原や畑の周囲にもたくさんのアクレアタが咲いています(写真下)。 写真上下 Meconopsis
aculeata 学者は次のように書いていますから、昨日のサチ・パスもここも、青いケシの名前は迷うことなくアクレアタと断言できます。 「アクレアタ種の分布は西ヒマラヤに限られており、乾燥地帯の広がる西ネパール西部からも発見されていない。西ヒマラヤに出かけなければ見ることのできない青いケシである。」 (『ヒマラヤの青いケシ』大場秀章、山と渓谷社、2006年、52ページ) アクレアタはとにかく岩のそばが好きです。昨日のサチ・パスでも崖に多くみられました。雑草の間に生えているように見えても、雑草に隠れているだけで、良く見ると岩や大きな石が近くにあります。 ここでのアクレアタは大きな岩を探すと、たいていその近くに生えています。 種は場所を選択できませんから、周囲に一様にばらまかれたはずです。だが、岩のそば以外に生えたアクレアタは何らかの理由で消滅した。 ここは畑があるから、耕されない岩のそばだけアクレアタが残ったとも考えられます。写真下の後ろは人間が積み上げた石垣ですから、畑の中の青いケシです。 青いケシの解説では、アクレアタは湿気を好むらしいから、岩場は好都合なのでしょう。岩の近くなら動物に踏まれることも少なく、雨風も防げます。欠点としては陽当たりは悪くなる。 写真下の青いケシは色といい、形といい、なんか作り物っぽくありませんか。写真の撮り方ではなく、見た目もこのままです。でも、プラスチックではなく、本物です(笑)。 古くなると青くなる? 写真下のアクレアタを見ると、一本の花なのに、上と下で色が違います。花は上から咲いていきますから、一番上(一番咲き)が古く、一番下が新しい。一番下の咲いたばかりの花は紫なのに、上に上がるにつれて、つまり古くなるにつれて青味が増しています。 これは、次のような可能性が考えられます。 ・古くになるにつれて赤味が薄れて青くなった ・一番咲きは最初から青く、下に咲くにつれて赤味が増して紫の花が咲くようになった どっちなんだろうと青いケシの解説書を読んでみたのですが、この点を説明した文章を探せません。ここは素人の私の偏見と独断で、前者とします。つまり紅顔の美少年も、厚顔鉄面皮の老人になるという説です(笑)。 時間とともに花の色が変わる植物は他にもあります。受粉が終わっても古い花弁が残る理由は、サチ・パスでも申し上げたように、遠くからでも全体が目立つことで、若い花の受粉を手伝うためでしょう。 しかし、虫を集めるためなら、そのままの色でも良く、何のためわざわざ色を変えるのか、という疑問をもった学者がいます(「情けはハチの為ならず?」牧野崇司、Academist Journal、2016年12月10日)。牧野氏は、虫に「色の変わった花は古いから蜜も花粉もないよ」と教えて、虫を騙すようなことをせずに信用を獲得することで、次も来てもらうためではないかという説を、実験的に証明してみせました。 この学者の説だと、アクレアタも、赤いほうが新鮮な花粉があるが、青いほうにはないと教えて、ハチに無駄な労力をかけないことで信用を得ることになります。しかし、アクレアタは花の色の個体差が大きく、最初から青い花もあるし、写真下のように新しいのも古いのも花の色があまり変わらないのもあります。 青いケシの場合、色を変えなくても、上が年寄で下が若者と決まっているのだから、虫にとってはそちらのほうが単純で学習しやすいように見えます。 青いケシは甘くない! マルハナバチが花にいます(写真下)。当然、一番新しい紫の花です。しかし、蜜を吸っているのではありません。学者は次のように書いています。 「メコノプシスの花は蜜を分泌せず、訪花昆虫に対する報酬は花粉だけである。」 (『青いケシ大図鑑』(吉田外司夫、14ページ) これは驚いた、青いケシは蜜がないんだ!? 虫には受粉のお礼に蜜と花粉を与えると思っていたら、青いケシは蜜がないのに涼しい顔というか、青い顔で虫を誘っている。厳しい環境なのでエネルギーは最小限するのに蜜と花粉でどちらを選ぶかと迫られたら、選択の余地はないから、蜜を捨てたらしい。青いケシは甘くない! 青いケシの咲き始めは花が下向きで、少しずつ上向きになり、最後に空を向いて種を付けると、昨日サチ・パスで説明しました。 「マルハナバチが下向きの花からぶら下がるとき、動きから伝わる振動で花粉は葯から放出され、密生した長い体毛に捉えられる。」(『青いケシ大図鑑』(吉田外司夫、15ページ) 学者の説明では、下向きの花はハチに雨の日などの避難所を提供するだけでなく、花粉を落とすという重要な目的もあるようです。 自分の家の畑にも青いケシが咲いていたら、どんな感じだろうと想像するだけでも楽しい・・・ある朝、起きて裏の畑に行ったら、一面に青いケシが咲いているのを見て驚き、「なあんだ、オレ、くたばったのか!」と気が付く・・・あわてて妄想を打ち切りました(笑)。やはり、青いケシは苦労して見に行くことします。 湿地の草花 滝から川が流れて来て、いくつも支流を作り、一部は湿地帯のようになっています。写真下など、一見ただの草地だが、縦横に水が流れ、足元はグチャグチャです。 目につくのはイグサの仲間で、いかにも湿地の植物という印象です(写真下)。学名のJuncusは、これでユンクスと発音するそうです。 写真上 Juncus
membranaceus 小さなタデの仲間が生えています(写真下)。ヒマラヤでは珍しくない花で、ここはピンク色と白色とが、それぞれ別な所にまとまって生えていました。 写真上 Bistorta
vivipara 写真下はもっと大柄なダデの仲間で、湿地帯よりももっと上流にありました。 写真上 Bistorta
affinis この湿地ではピンク色のランが目立ちます(写真下)。ここが日本の高山なら、ためらわずにハクサンチドリ(Dactylorhiza aristata)と断定するでしょう。学名を見てもわかるように仲間です。 写真上下 Dactylorhiza
hatagirea 日本がまだ大陸の一部だった頃か、あるいは氷河時代に陸続きになった頃に広がり、それぞれの地域に残った。直線で結んでも8000kmも離れた地域で、姉妹と出会えるのは感動的です。 パキスタンから南東部のチベットまで広い範囲の標高2800~4000mのヒマラヤに分布するが、絶滅危惧種になっています。幸い、ここはたくさん生えている。このランは湿地帯など湿気を好むことから、ヒマラヤが地球温暖化で乾き始めていることに敏感に反応しているのではないか。 夏のヒマラヤは雨期で、雨で植物が成長し、作物も採れ、草も生い茂るから家畜も増えて、お花畑もできる。ところが前述のように、この地域でも今年は雨が少なくて困っているとのことでした。 地球温暖化を防ぐためにも原発を容認すると、日本では与野党を問わずに方針転換しているのには驚きます。二酸化炭素という毒を減らすために、放射能という毒を増やそうという主張らしい。借金を減らすために別な借金をする、あるいは、一つの嘘をゴマカスために別な嘘をつくのとそっくりです。 写真下は姿形も日本にあるコゴメグサ(Euphrasia)にそっくりで、『ヒマラヤ植物大図鑑』(吉田外司夫)にもそっくりの花がE.
jaeschkeiと載っていました。これで決定と思ったら、“Flowers of India”と“eFlora of India”にこの名前はなく、どうやら学名が変わってしまったらしい。あるのはE.
pectinata、E.
platyphylla、E.
himalayicaで、3つともヒマラヤに分布するだけでなく、写真の花はどれも似ていて、解説を読んでも区別がつきません。 写真上 Euphrasia
pectinata 湿地で目立つピンク色のもう一つの花がシオガマギクです。『ヒマラヤ植物大図鑑』(吉田外司夫、173ページ)での写真は用水路の下部の斜面に生えていたというから、やはり湿気を好むようです。 写真上下 Pedicularis
punctata このシオガマギクは本当に「変な顔」です(写真下)。真ん中で尖がって捻じれているのは何なのだ?日本のヨツバシオガマも鳥の口ばしのように尖がりが付いています。いったいこれが何なのか、虫に何か効果があるからこんな不思議な形をしているのだろうが、理由の説明を探せません。直接、本人に聞くのが一番なのだが、答えてくれない(笑)。 写真下は外来種で、日本でもセイヨウミヤコグサと呼ばれ、世界中に広がっています。インドでは標高1500~4000mで見られるとありますから、適応性の高い植物です。 写真上 Lotus
corniculatus 写真下はパキスタンやインドの標高2700~4400mで見られます。マメの仲間で見かけたのはこの2種類くらいで、あまり多くありません。 写真上 Hedysarum
microcalyx サチ・パスでも見かけたハッケリアの仲間です(写真下)。ヒマラヤの東側のチベットに比べて、ハッケリアの仲間が少なく、花の色も冴えない。チベットで良く見かける同じムラサキ科(Boraginaceae)のアマビレ(Cynoglossum amabile) はチベットらしい青さです。ただし、ネットで見ると、一般にアマビレとは多肉植物を指す名称のようです。 写真上 Hackelia
uncinata 写真下はヤグルマギクのような青さなのだが、花が小さく、目立たない。 写真上 Melanoseris
macrorhiza (Cicerbita macrorhiza) 花弁の外側が薄紫のきれいなオダマキです(写真下)。カシミールとヒマーチャル・プラディシュ州の標高2400~3600 mのヒマラヤに生えています。 写真上 Aquilegia
fragrans ツリガネソウに近いツルニンジンの仲間がまとまって咲いています。ヒマラヤ西部のカシミール地方から3000~4200mの高地に分布し、ここはけっこう多い。奇妙なことに、WikipediaにはC.ovataの名前は出てきません。 写真上 Codonopsis
ovata 集団になると、まるで風鈴が宙に浮いているように見えます(写真下)。たぶん、虫からもそんなふうに見えるから目立つのでしょう。 写真上のにぎやかさに比べて、写真下は、まあ、なんと静かに咲いていることでしょう。ガサゴソと音をたてながら無遠慮に近づいては悪いような気がします。こういう花にこそ「一人静か」という名前を付けるべきで、春に山に咲くヒトリシズカが一人で静かに咲いていることはほぼありません。ヒマラヤの「一人静か」はアフガニスタンからブータンまでの標高3100~4500 mのヒマラヤに分布します。 写真上 Campanula
aristata 滝に向かって登る 畑のある河原から山道を横切って、滝の方に斜面を登ります。写真下の滝は実際は谷の奥にあり、私は滝が作った谷の入口までまだ到着していません。 写真左は1mをこす巨大なモリナです。遠くから何か黄色い花が咲いているのが見えたのが、このモリナでした。写真下左の手前に高さが半分くらいのモリナがありますが、これが普通のモリナの高さです。ヒマラヤやチベットでは珍しくないが、こんな大きなモリナは初めて見ました。 写真上下 Morina
coultheriana ここでもモリナは珍しくなく、この前後の山道にも咲いていて。写真上以外は普通の背丈です(写真下)。 高さが1mを軽くこす迫力のあるレウムです(写真下)。雑草のギシギシやスイバの仲間で、私の畑では目の敵にして、発見したらすぐにスコップで根こそぎにするのに、ここでは高山植物として、立派、見事などと称賛する(笑)。 写真上下 Rheum
australe 数は多くないが、写真下のように遠くからでも良く目立ちます。 目立つのは花だけでなく、写真下の大きな葉で、ゆでて食べるにはまずそうだが、ウチワなら数人分の風が送れそうです。 写真下の花は一カ所でしか見ませんでした。北半球の寒冷地帯に広く分布しているのを見ればわかるように、寒いのが好きな植物で、ヒマラヤでは標高2100~3600mで見られます。 写真上下 Galium
boreale 背の高いトウダイグサ(ユーフォルビア)で、最初見た時、セイタカアワダチソウの仲間かと思いました。 学名のpseudoとは疑似的な、似ているという意味ですから、Euphorbia
sikkimensisに似ているが違う植物という意味でしょう。E.
sikkimensisはシッキムという言葉が入っているように、ヒマラヤの東部やベトナムなどに生えているのに、こちらは似ているが西ヒマラヤに生えているから別種になった。これも1本しか気が付きませんでした。 写真上 Euphorbia
pseudosikkimensis 写真下は、見た目は日本のアキノキリンソウで、実際にアキノキリンソウで、ヒマラヤの1800~3800mに生えています。こちらが本家で、日本のアキノキリンソウが変種です(Solidago virgaurea var. asiatica)。ハクサンチドリと同じで、はるか離れた場所で、そっくりな身近な草花を見るのは驚きです。何万年か、あるいは何千万年か、ずっと変わらなかったのだ。 写真上 Solidago
virgaurea 滝の谷の入口に到着 ようやく滝の作った谷の入口にたどり着きました(12:44)。奥にChavi滝が見えます(写真下左)。小学校からここまで普通に歩けば20分で来れる距離を、私は2時間半かかったことになります(笑)。 滝は両側が切り立った崖になっている谷の奥にあります(写真上)。おそらく元々、滝は谷の入口あたりにあったのが、滝そのものが崩壊して、北側に後退しているのでしょう。その結果、南北に細長い溝のような滝の谷ができた。アフリカにあるヴィクトリアの滝も狭い渓谷を作りながら、上流に向かって何回か「移動」したのが確認されています。 後ろを振り返ったのが写真下左で、南東側の川の上流には6000m級の雪山があるはずだが、曇っていて見えません。 写真下はサチ・パスで群落していたヤマハハコで、ここも日本で良くみられるウスユキソウ(Leontopodium)がない。 写真上 Anaphalis
royleana var. cana チベットでは珍しくないイワベンケイの仲間は、ここでは写真下の2種類を、それぞれ一カ所でしか見かけませんでした。昨日のサチ・パスでは車の中からイワベンケイと思われる植物を見かけました。 写真上 Rhodiola
wallichiana イワベンケイは漢方で用いられ、これを元にして作った紅景天という薬は高山病に効果が認められた数少ない薬草です。高山病に弱い私でも、ここでこのイワベンケイを引き抜いて食べたりしません。 写真上 Rhodiola
tibetica 滝の谷 写真下のように、滝まで登るのに道はなく、周囲は草に覆われています。滝から流れてくる本流の他に支流の沢がたくさんできていて、しかも、草で覆われているので、私は何度も足を沢に突っ込みました(笑)。気温はそれほど低くないので足が濡れても困りません。 滝の谷の途中から振り返ったのが写真下で、両側の崖が谷の入口で、そこから標高差200mほど下を川が流れています。 滝までの道らしい道がないのは意外です。集落からも近いから、たくさんの人がここに来ているのではないかと思っていたからです。草の様子を見る限り、ほとんど人が来ていない。運転手とガイドも道がないのを知っているのか、滝の谷の入口からは付いて来ません。予想外に踏み荒らされていないから、花を探す私にはありがたい。 滝の谷は斜面が急なので、沢の水の流れも音をたてて泡立ちながら流れています。この沢に沿って花を咲かせている一つがリュウキンカです(写真下)。 激しい流れと、川べりに咲くリュウキンカの黄色い花の組み合わせは見ごたえはあります。しかし、私は過去の旅行記でここでのリュウキンカのお花畑の写真を見ているので、それと比較すると今年は少ない。葉はたくさんありますから、リュウキンカ自体が減っているのではなく、時期が合わないか、今年の天候が理由でしょう。 違いは花だけでなく、沢の水量です。2014年の旅行記の写真では、沢の流れの白い筋が遠くからもはっきり見えるほどだったのに、今年は水量が明らかに少ない。地元の人たちが雨が少ないと言っていることと一致します。 リュウキンカと並んで目立つのはキケマンで、滝の谷よりも下ではほとんど見かけしませんでした(写真下)。リュウキンカの花の数がそれほどではないのに対して、キケマンは今が盛りです。 写真上 Corydalis
govaniana 山形市の私の裏山にあるミヤマキケマンは特に水を好むということはなく、陽当たりの良い斜面にも生えています。ここのキケマンは激しく流れる水のそばに多いから、リュウキンカと同じで、水辺の植物らしい。 アフガニスタンからヒマラヤ、チベットのかなり広い範囲の高山に分布します。 沢沿いに多いもう一つの花が白いサクラソウです(写真下)。パキスタンから中国までの3000~4500mのヒマラヤで良く見られます。インド東北部のアルナーチャル・プラデーシュ州のセラ・パス近くでも見ました。良く似たサクラソウに日本にはヒナザクラがあります。東北地方にのみ分布し、山形県の真ん中にある月山で良く見かけます。ここのはヒナザクラよりも背が高い。 写真上下 Primula
munroi 中にピンク色の花が混ざっています。写真下右など、花弁の表は白なのに、裏がピンク色になっている。過去の旅行記ではこのサクラソウが一面に咲いている様子が写っていたのに、今回は、滝の谷の中頃に密集しているだけで、期待したほど多くないのは残念です。リュウキンカと同じで、水量に現れている気候など何か理由があるのでしょう。 昨日のサチ・パスでも見かけた黄色いポティンティラの群落です(写真下)。 写真上 Potentilla
argyrophylla 日本で身近なポティンティラの仲間はヘビイチゴ(Potentilla hebiichigo)です。ヘビイチゴの赤い実はおいしくはなくても毒はありませんから、嫌わないでください。私の畑では春先にきれいな黄色い花を一面に咲かせ、やがて赤いかわいい実を付けるので二度楽しめる。 昨日のサチ・パスでたくさんあった赤いポティンティラはここでは少ない(写真下)。 写真上 Potentilla
atrosanguinea 写真下はウメバチソウです。花は白く小さくて派手さはなくても、日本の山で見かけるといかにも高山植物という印象です。ここでは日本のウメバチソウよりももっと小柄で、とても控えめに咲いています。花だけでは似たようなのがあるので区別が難しいが、写真下右の足元の葉を見るとわかります。 写真上 Parnassia
nubicola 写真下は日本で言えばイチリンソウの仲間です。このアネモネの花の色が白、黄色、紫など変化が激しく、一つの図鑑の中でも別種かと思うほど違う姿をしています。逆に言うと、チベットやヒマラヤで判断に迷うようなアネモネを見たら、全部これで片づける(笑)。 写真上下 Anemone
obtusiloba 遠くから花だけ見ると、ウメバチソウなどと区別がつきにくいが、これも根本の葉を見ると、イチリンソウの仲間だとわかります(写真下右)。 ヒマラヤのバラ ピンク色のバラがたくさん咲いています。 写真上下 Rosa
macrophylla マクロフィラはヒマラヤン・ローズと呼ばれるくらいヒマラヤやチベットでは良く見かけますから、ピンク色のバラを見かけたら、マクロフィラと言えばたいてい当たります。 今日、バトリに来る途中で休憩した道端にもこのバラが咲いていました。ここは人があまり入り込まないから、繁茂して薔薇の園が出来上がったのでしょう。 日本にもピンク色の野生のバラがあって、山形市でもオオタカネバラというピンク色のバラが見られます。オオタカネバラは高山や亜高山に生えるバラなのに、冷たい風が夏でも吹く風穴があるなら低山でも生えます。 ピンク色に感動していたら、奥に赤いバラを見つけました(写真下)。赤というよりも、濃いピンクなのだが、私は赤いバラと認定しました(笑)。 野生でこれだけ見事な赤いバラがあるのはすごい。これなら私の畑にも植えてみたい。もちろん、こんな高山のバラを、いくら雪国の山形でも平地で育てるのは無理です。 私はどちらかというと、こういう一重のバラが好きです。だから、自分でお金を出して買ったバラはナニワイバラという中国雲南省が原産の一重のバラです。 赤で驚いていたら、近くに白いバラもある! 花を良く見ると真っ白ではなく、花弁の縁が薄ピンクです。でも写真下右など、全体が白いように見えます。正面から見たいのに、周囲は大きな岩が積み重なっていて、足場が悪すぎてそばに寄れません。トゲに刺されながら、左手で樹木をつかんでバランスを取って、右手で撮る。 写真下左のように、これらはすぐそばに生えています。ピンクが圧倒的に多く、白は少なく、一株くらいしかありません。 色の違いについて、高橋氏はネパールのランタン谷に咲くこのバラについて次のように書いています。 「一重の大変美しいバラだが、標高によって色に個体差がある。」 「昼と夜の寒暖の差と、紫外線の強弱が大きく影響するのであろう。」 (『ヒマラヤ ランタン花紀行』高橋佳春、誠文堂新光社、1996年、30~31ページ) しかし、ここではわずか数メートル離れた所に赤と白のバラが咲いていますから、環境の違いでは説明がつきません。 ピンクのバラを見て、半世紀前の歌謡曲を思い出しました。 ♪ 雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花 ♪ (『雨の中の二人』作詞・宮川哲夫、作曲・利根一郎、1966年) 「恋はピンクのバラ」という歌に写真下はぴったりです。雨の雫が残っているバラは美しく、私が独占するのが申し訳ないような、濃厚な香りを放っています。 ただ、写真下の花弁はきれいなのに、オシベはすでに茶色になって衰え始めている。 写真下の花の下には、すでに枯れてしまった花が付いています。今、美しいバラの花も、すぐに衰えて散ってこんなふうになるという、当たり前のことなのだが、どうしても目が行きます。 お釈迦様はこれを「すべてものは常に変化して留まることはないから苦なのだ」と述べています。まったくそのとおりで、お釈迦様に反論など何一つないが、それでも私は、バラが最も美しい時を写真に留めようと、わざわざインドまで来て無駄な努力をしている(笑)。 二色の絵具 滝までの沢の周囲にも青いケシが咲いています。 青いケシという名前どおりの真っ青な青いケシを見てください(写真下)。借金取りが百人来ても、ここまで青くはならないだろうというくらい青い。ただ、ペンキを塗ったみたいで、透明感がないのが欠点です。花の写真は色の強調などの加工はしておらず、ほぼ目で見た通りの色です。 写真上下 Meconopsis
aculeata 写真上に比べて、いくらか透明感が出ているのが写真下です。しかし、良く見ると赤紫が汚れのように混ざっています。写真上にもあるのだが、青が濃すぎて目立たない。 写真下左は独特の青い色を出しています。正面から撮りたくても足元は大きな岩が重なって、しかも樹木が生い茂る中に埋もれるように咲いているので、これ以上は近づけません。写真下右は、まるでプラスチックで作ったような奇妙な花と青です。 写真下になると、写真上よりも青い色が薄れて水色と言っていいでしょう。サチ・パスでは多く見られました。 写真下は、青の中に赤が混ざっているが、このくらいなら、遠目にはまだ青く見えます。 青に赤が混ざっているのが基本で、あとは程度の差です。青いケシという名前から、青にだけ着目する人が多く、この複雑な変化に無関心です。アクレアタの「絵具の混ぜ具合」を良く見てください。赤と青のたった二色で、これだけ複雑な色を作り出していることに驚かされます。 ここで見かけるアクレアタは、この前後のような青と赤が適当に混ざったような、奇妙な色の花がもっとも多い。 写真下あたりを境に赤が優勢になります。 現実のアクレアタは青や紫と一言で言えるほど簡単ではありません。遠目と近づいた時で色が違う。例えば、写真下などは遠くから見ると藤色です。ところが、そばで良く見ると、全体が一色ではなく、花弁一つ一つが薄い青と薄い紫とが適当に混ざって、あたかも藤色であるかのように錯覚する。 写真下は、これも薄いプラスチックみたい。これは青いケシの花弁の表面がツヤ消しではないからです。光を少しでも反射することで虫の目を惹こうという作戦なのでしょう。 写真下左は花の周囲だけ紫で隈取したみたいで、人間で言えばアイシャドウで、人間の目を引くらいだから、虫から見ても目立つのでしょう。 写真下はほぼ紫で、左は一番咲きで、今日は初めてです。下には20個近いツボミが付いています。毎日、一個ずつ咲いて行くなら三週間咲いていることになります。 紫とは、青と赤が混ざった色なのだと妙に納得します。『青いケシ大図鑑』(吉田外司夫、98ページ)には、私たちも二日後に行くロータン・パスで撮影された真っ赤なアクレアタが載っています。ただ、ここのアクレアタは紫までが限界で、赤はありません。 写真下は飲んでいるらしく、だいぶん顔が赤い。それでも青が残っているので、赤になれない。 写真下は遠くから見るとピンクなのに、近くで見ると青が薄く残った薄紫です。 昨日のサチ・パスでもちょっと触れましたが、昔、写真下のような青いケシを見た時は、青でも紫でもなく、まだらで、これで青いケシを名乗るのはおかしいと思いました(笑)。しかし、何度もこの類のケシにお目にかかると、しだいにこの色を散らかした、中途半端で曖昧で、ボケたような色彩と配色が好きになりました。透過光で見ると、私の部屋にかけてある陽に焼けたカーテンの花柄みたいで、青一色よりも緊張感に欠け、奇妙な安堵感を覚えるからでしょう。 滝を背景に皆さんで記念撮影です(写真下)。 もう一つの滝? 3時半頃に私は滝の谷の入口で待っている二人の所に戻りました(写真下)。ここから一時間半あれば予定どおりに5時すぎにはホテルに戻れると計算したからです。 ここで私は二人にそれぞれ1000ルピー(約2000円)をチップとして渡しました。これは旅行会社から運転手に500ルピー、ガイドに1000ルピーのチップを渡すように1500ルピーを預かっていたからです。ただ、二人ともずっと付き合ってくれたのに、金額が違ってはまずいので、私が運転手に500ルピーを付け加えて、二人に同額を渡しました。 このチップがこの後、過激な効果を発揮しました(笑)。 私が「さあ、帰ろう」と言うと、二人は「もう一つの滝を見に行こう」と言い出しました。二つ目の滝(Para Lam Waterfall)も最初は行先の候補にあげていたが、距離があり、時間がかかりそうなので、行くつもりはありませんでした。私の目的は滝ではなく、花だからです。 「20分で行ける」というので、それなら何とかなるかもしれないと行くことにしました。20分は地元の彼らの足で、私は30分かかりました。 山の斜面に川と並行に何本か山道があり、私たちはその一番上の道を上流に行きます。私はしだいに山の中に入り、道も険しくなるものと思っていたら、そんなことはありません。道はさきほどのChavi滝に行くのに比べたら、むしろ楽です。 川のそばにはテントがそちらこちらにあり、キャンプ場らしい(写真下)。集落から遠くないにしても、予想よりも人の気配が多い。 川に近い下の道を若い人たちが歩いていますから、彼らがキャンプをしているのでしょう(写真下)。リュックも背負わず、彼らの服装を見てもわかるように、標高のわりにはここは気軽に来られる場所です。 二つ目の滝の近くの岩の上に座っている観光客がいます(写真下)・・・いや、服装は今の気温に合わないくらい寒さ対策をしているし、女性たちは編み物をしているから、観光客ではありません。人数も多く、何かを待っているみたいです・・・グジャール(Gujar)だ! 昨日、サチ・パスの手前で訪問してチャイを御馳走になったグジャールの人たちです。彼らは夏の間は放牧のためにこういう高山でキャンプします。 さっき見かけたテントは旅行客のためではなく、グジャールの住処です。写真下のテントなど、観光用にしてはずいぶん年季が入っている印象でした。先ほどの若者たちは、小学校の近くにゲストハウスがありますから、そこに泊まっているのでしょう。 グジャールの人たちは、滝の前のわかりやすいここが集合場所で、時間が来たら、全員で山の上に放牧した家畜を集めに行くのでしょう(写真下)。 グジャールの集合場所の前にあるParaLam滝に到着(15:53)。滝の周囲は花はあまりないというよりも、人が立ち入っているために踏み荒らされています。一つ目のChavi滝が道さえもないのと違い、こちらは道が少なくとも二本あり、子供でも簡単に来られます。 滝から見える谷の南側の山を撮って、引き返します。目の前にある山は標高5000m以上あるのに(写真下)、今いる所が標高3500mほどありますから、あまり高く感じません。 戻る途中にも草花が見られます。写真下のアンドロサセはサクラソウかと間違うような容姿で、実際にサクラソウに近いトチナイソウの仲間です。ヒマラヤ西部の標高3000~4000mの山の斜面に生えています。 写真上 Androsace
sempervivoides 写真上も、写真下のトウダイグサの仲間も昨日のサチ・パスのお花畑で見かけました。 写真上 Euphorbia
esula 写真下は日本の亜高山や高山で見られるイブキジャコウソウの仲間で、色はこちらのほうが鮮やかです。 写真上 Thymus
linearis 日本のマツムシソウにそっくりなヒマラヤのマツムシソウです(写真下)。ヒマラヤの西側の2400~3500mに生えていて、今回、見かけたのはここだけでした。 写真上 Lomelosia
speciosa 川から道までの周囲に樹木はほとんどありません。ほんのわずか、白樺のように幹の白い樹木が斜めに生えている。斜めになっているのは雪のせいでしょう。 写真上 Betula
utilis 写真下の川をはさんで南側の、おそらくは標高4000mの山にも樹木が生えていますから、富士山よりも高い所に樹木が生えている!これにはヒマラヤやチベットに行くたびに驚かされることです。 ゴンパに行こう 戻るのに30分ほどかかり、学校の赤い屋根が見えて来て、ようやく終わりかと思ったら、ガイドから「ゴンパに行こう」という提案がありました。バトリは仏教の村なので、仏教寺院(ゴンパ)があります。写真下の斜面の上にある建物群がゴンパです。 バトリ(Bhator)という名前はブッダから来た言葉で、つまりここは仏教徒が住んでいます。だから、村の近くに白いストゥーパ(仏塔)が建っています(写真下右)。 運転手は小学校の近くに停めた車を取りに降りて、私とガイドは谷を迂回して、ゴンパを目指します。滝を見終えて気を緩めたせいか、きつくもない上り坂がきつい・・・そうか、ここは標高3400mだった(笑)。 迂回した谷の斜面にモリナの群落があります(写真下)。Chavi滝の下で見たより背が低いというか、これが普通の大きさで、とにかく数が多く、ちょっとしたお花畑を作っています。 学名 Morina
coultheriana 何度か立ち止まって休みながら、ゴンパに到着(16:45)。小さな集落の寺にしては立派でまだ新しい(写真下)。チベット仏教のドゥルック派のお寺です。 正面からは塔を含めて二階建てのように見えて、実際は斜面にあるので三階建てです(写真下左)。 ここは常駐の堂守がいないので普段は鍵がかかっていて、村の人が鍵を管理していると、過去の旅行記を読んでいたので、中が見られないことは知っていました。 ガイドが、入口の両側にある窓から中を撮るように言います。なるほど、そういう手があった。 新品の金ピカ仏像が三体あります(写真下)。真ん中がお釈迦様、左側は八世紀頃にチベットに密教を伝えたパドマサンバヴァ、右側は、観音菩薩が流した涙から生まれたターラー菩薩です。後者の二体はチベット仏教では人気があります。お釈迦様を真ん中に大きく祭っているだけでも,良しとしましょう。日本ではそれさえも珍しい。 8年前の旅行記ではこの堂は工事中で、祭られている仏像も違うから、古い仏像は他の所に祭ってあるのでしょう。寺の右奥に廃屋のような建物がありますから(写真下左)、これが古い寺院かもしれない。寺院の周囲は、先ほども見かけた白樺のような樹木が生い茂っています。 写真上 Betula
utilis 写真下がゴンパのテラスからの眺めで、左端に赤い屋根の学校が、またその手前にある青色の屋根は、たぶんゲストハウス(Prem homestay sural bhatori)で、さきほど見かけた若者たちはここに泊まっているのでしょう。 スーラル谷の眺め これで観光も終わり、ホテルに戻ります(16:52)・・・とは行かなかった(笑)。車は逆にバトリ村に近づいています(写真下)。帰り道はこっちではないはず・・・おいおい、どこに行くつもりだ? やがてキャンプ場のテント村のそばを通過しました(写真下)。過去の旅行記でも、ここのテント村に滞在してスーラル谷を散策するというツアーがありました。 彼らがここに私を連れて来た理由は、ヘリポートのあるここの風景がきれいで写真を撮るのに良いかららしい。たしかに、昼すぎまで雲が多くて見えなかったスーラル谷の奥の雪山が見えます(写真下)。 写真下の左側の雪山がSersank(Shiv Shankar、6050m)で、この雪山の名前は決まっていないらしく、Googleの地図には載っておらず、Mapcartaの表記を使いました。この山の北側、写真では左側にあるSersank La(Shiv Shankar Pass、5130m)という峠を越えると、隣のジャンムー・カシミール州に入ります。 写真下でSersankの右に見えるGhun(5848m)はGoogleの地図ではDhar Chhogluとあって、どちらも正しいのでしょう。短い方を使いました(笑)。 下の地図を見るとわかるように、今いるスーラル谷は東西に長い山脈に囲まれた谷で、東にいくにつれて標高が高くなります。谷は東西に長く、陽当たりの良い南斜面が広いから、雪解けも早い。上流には6000m級の山もあるから、夏でも水が涸れることがなく、農業には向いているのでしょう。 二人は記念撮影をして、はしゃいでいます(写真下)。やはりチップが効きすぎたか(笑)。この後、ここよりももっと素晴らしい風景が見られました。 ペプシコーラ これでようやくホテルまで直行だと思ったら、途中の村の店に立ち寄りました(17:29)。何か買い物をしたいらしい。5時に戻る予定が、すでに30分を過ぎ、しかもここからホテルまでは1時間くらいかかりますから、後は野となれ山となれ。 私も500mLのペプシコーラを1本買いました。100ルピーに70ルピーのお釣りが来て、驚きました。つまり、値段は30ルピー(60円)です。私が驚いた顔をしたので、店員は釣銭を疑われたのかと、数え直しました。いや、釣銭が少ないと疑ったのではなく、多すぎると思ったのです(笑)。 夕方のスーラル谷 夕方のスーラル谷は素晴らしい。朝、同じ風景を見ながら来たはずなのに、晴れたこともあって、まるで別な谷に来たみたいです。 時刻はすでにホテル到着予定時間をはるかに過ぎています。林田さんになんて言い訳をしようかと色々と考えるが、やはりチップが効きすぎたというのが、一番説得力がありそうです(笑)。 ガイドも運転手も良くやってくれました。なぜなら、二人とも何もしなかったからです。ガイドはリュックサックを持とうかと申し出ましたが、断りました。いざと言う時に、手元にないと困るからです。私が花の写真を撮るのをただ黙って見ていて、一つ目の滝の上のほうに登った時も、下で二人で座って待っていました。 運転以外の仕事を何もしていないようだが、これが彼らの仕事です。ガイドは植物ガイドではなく、土地のガイドですから、天気が悪くなり、霧が出てきた時には彼の出番になる。幸い、今日は晴れたので、出番がなかった。 この美しい風景が見られたのも、彼らが二つ目の滝やゴンパに案内してくれて、予定が大幅に遅れたからです。 どうせ遅刻なんだから、車を停めて、土手の草の上に寝転がり、夕方のこの素晴らしい光景を陽が落ちるまでゆっくりと楽しんだらどうかと、ヒマラヤの女神様が私に語りかけてくる。女神様からのたくさんの花ばかりか、さらに美しいプレゼントを目の前にして、私は彼女からの強い誘惑に抵抗している(笑)。 ホテルに到着したのは6時半をすぎていて、林田さんが心配して、ホテルの外で待っていてくれました・・・手間暇のかかる客だ(笑)。 夕飯 七時からホテルの食堂で夕飯です。写真下はいつものように、一品ずつ出てきた料理を二人のお客さんがそれぞれに盛り付けしたものです。一人が師匠で、もう一人がお弟子さんで、競い合っていました(笑)。たしかに、このほうがうまそうに見えます。 今日はある意味、今回の旅行の山場で、花三昧の一日でした。私は風邪が抜けておらず、喉が痛く、一日中歩き回ったので、明日のためにも、ゆっくり休みたい。昨夜は階上のイスラエルからの客が何をしていたのか、椅子を床の上で引きずるような音が夜中まで続き、何度も目が覚めました。彼らはすでに発ったらしいから、今晩の騒音の心配はなさそうです。 イスラエルは相変わらずガザのパレスチナ人の虐殺を止めようとしない。このことが原因でイスラエル人が海外を旅行すると露骨に嫌な顔をされるので、旅行先として選ばれるのが、直行便もできた日本だそうです。幸い、日本人はユダヤ人への差別心はないし、英語もダメだから抗議したくてもできない(笑)。 |